どこか近くに人里はないだろうか。
自分を受け入れてくれる場所が欲しい。
近くにある一際大きい樹木を登っていく。
木登りはしたことはなかったが、魔王そのものの運動神経が良いためか、容易に頂上まで辿り着くことができた。
周りを見渡すと、煙が立ち上っているところが見えた。人が居る証拠だ。
まずはそちらの方向へ行こう。
そう思った時、不意に何かが動いたのを視界の端に捉えた。
同じ森の中。
200メートル先くらいか。
人だ。
二人いる。
一人は破れた白い布を体に巻き付けている。枝が邪魔で顔は確認できないが、露出した体から女性だと判断できる。彼女は顔の前で指を組んでいる。祈りを捧げる様に。
もう一人は、その女性に対して腕を振り上げている。侍のようないでたちの男だった。よく見るとその手には刀が握られている。
二人の間に何があったのかはわからないが、目の前で生命が消えようとしている。それだけは解った。
女性の姿勢が少し低くなった。そのおかげで枝の間から顔を垣間見ることが出来た。
あれは。
「ネイア」
あの、勇者一行の神官だった。
美しき生命。
それが今、冒涜されようとしている。
俺はほとんど無意識に魔剣を召喚し握っていた。
木の幹に対してほぼ垂直に足をそろえる。
片手で枝を掴む。
魔剣を逆手に構える。
ふくらはぎから太ももまで通っているバネをギュッと折り畳む。
ギチギチと筋肉が軋む音。
二人の人間を視界の中心に捕捉。
木の幹を蹴るのと同時に枝を離した。
風を切り。
枝を薙ぎ。
捉えるは侍。
振り下ろす刀。
――ガキィンッ!
刀に魔剣をぶち当てた。
それでも侍の手から刀が離れることはなかった。
が、代わりに大きく後退していた。
侍風の男。見たことがある。
勇者一行に居た、ガンジマルと呼ばれていた男だ。
「何者でござるか!」
男の言葉には答えず、女性に向き直る。
遠目で見た時、体に巻き付けていたように思えた白い布は、引きちぎられた服のようだ。真っ白の肌が、あばらと腹と太ももに渡り露出している。
その状態で、目を瞑り、指を組み、祈りを捧げているようである。
衣服は変わり果てているが、遠く木の上から見た顔はやはり見間違いではなかった。
「おい」
俺の言葉にようやく自分が死んでいないことに気が付いたらしく、驚いたように目を見開いた。雲一つない空のような蒼い瞳が揺れている。
「――祈るな。神など俺が殺した……」
その言葉を置き去りに、侍に向き直った。
魔剣を順手に持ち変える。
「通りすがりの者だ」
ガンジマルも刀を構え直す。
相変わらず対峙した時のプレッシャーは並々ならない。
20歩以上の間合いがあるにも拘らず、全く距離的なアドバンテージを取っているように思えない。
それほどに男の殺気は鋭利。
「聞くが侍よ。なぜこの女を殺そうとしていた?」
「某の言うことを聞かぬからでござる」
「どういうことだ?」
「その女、ネイア殿はなにゆえか突然力を失い、某がいたパーティに居られなくなったでござる」
「役に立たなくなったから見捨てた、と言うことか」
「そうでござる。しかしその判断をしたのは勇者でありリーダーである、ヨールー殿。某は不憫に思ってパーティを抜け、ネイア殿の護衛と言う立場に回ったでござる」
「護衛がなぜ護らない?」
「某はネイア殿の為に尽力したでござる。襲い掛かる魔物の集団から刀一本で守り抜いた。それだのに……」
ガンジマルは一度俯き、それからネイアを睨み付けた。
「ネイア殿は一度も体を許さなかったでござる!」
ネイアはビクッと体を引きつらせた。
つまり彼女の服がびりびりに破れているのも、ガンジマルが無理矢理裸にしようとしたからなのか。
そう思って改めて周りを見ると布が散らばっていることに気付く。
「それで無理矢理しようとしたのか?」
「仕方のないことでござろう? 法術が使えぬから役に立たぬ、金もないから対価も払えぬでは、女として尽くし返すことしか他に道はないはず。それだのにこの女は裸に剥いてやってもその気になるどころか悲鳴を上げたのでござるよ?」
「それで、そんなことで殺そうと?」
「そんなこと? 当たり前のことでござる。某を侮辱したのだから」
「あのな。キャバ嬢に貢いだからって必ずしも……」
「きゃば?」
「あ、いや、今のは忘れてくれ」
ゴホンと咳払いで取り直す。
「誰だっていきなり裸にされたら悲鳴を上げるし、好きでも無い男とはしたくないだろう。いくら良いことをしたからって、必ず見返りがもらえるわけじゃあないんだからな。それに、お前は自分の気持ちを相手に一方的に押し付けているばかりじゃあないか。相手の事も少しは考えてやったらどうなんだ?」
俺の言葉にガンジマルの眼光は一層鋭くなった。
「黙れ! 魔人風情の小童が! 二人まとめて我が刀の錆にしてくれる」
やれやれ。
できれば戦いたくなかったんだが。
ガンジマルの足が一歩、土を踏みしめる。
殺気だった一歩は、それだけで悪寒が奔った。
すぐさま魔術を展開。
「風風千壁」
相手との間合いを空ける。
圧の強い風がガンジマルを後方へ吹き飛ばす。
「連鎖炎弾」
吹き飛んだ先めがけ追撃。
連なる炎の玉を繰り出す。
そして更なる魔術を繰り出したその時だった。
「紅蓮……」
詠唱とはいってもただ魔術の名前を言うだけの短い詠唱。あの、レアーとか言う魔術師が驚いていた時短詠唱と言う能力。それが終わるより先に、指の先から矢のような炎が射出された。
弾丸の速度で発射された炎はガンジマルの眉を掠った。
「ぐああああああっ!」
直後に悲鳴が上がる。
掠っただけ。
ただ掠っただけだ。
それなのにそこを始点に一瞬で黒い炎が燃え上がる。
彼の顔はたちまち黒の炎に覆われた。
どれだけ炎を消そうと手で押えても、鎮火することはない。
たまらずガンジマルは逃げ出した。
黒い炎を顔面に纏いながら、どこへともなく走り出した。
彼のうしろ姿が見えなくなるまで油断なく見送ってから、自分の指先を見る。
先ほどの黒い炎はなんだったのか。
もしや、あの魔術こそが本来の魔王の力なのか……?
掠っただけで敵を制圧する。
神すら恐れた魔王の力。
その片鱗。
圧倒的過ぎる。
こんなもの、操れる気がしない。
背筋を何か黒いものが、ゾッと通り過ぎた。
自分を受け入れてくれる場所が欲しい。
近くにある一際大きい樹木を登っていく。
木登りはしたことはなかったが、魔王そのものの運動神経が良いためか、容易に頂上まで辿り着くことができた。
周りを見渡すと、煙が立ち上っているところが見えた。人が居る証拠だ。
まずはそちらの方向へ行こう。
そう思った時、不意に何かが動いたのを視界の端に捉えた。
同じ森の中。
200メートル先くらいか。
人だ。
二人いる。
一人は破れた白い布を体に巻き付けている。枝が邪魔で顔は確認できないが、露出した体から女性だと判断できる。彼女は顔の前で指を組んでいる。祈りを捧げる様に。
もう一人は、その女性に対して腕を振り上げている。侍のようないでたちの男だった。よく見るとその手には刀が握られている。
二人の間に何があったのかはわからないが、目の前で生命が消えようとしている。それだけは解った。
女性の姿勢が少し低くなった。そのおかげで枝の間から顔を垣間見ることが出来た。
あれは。
「ネイア」
あの、勇者一行の神官だった。
美しき生命。
それが今、冒涜されようとしている。
俺はほとんど無意識に魔剣を召喚し握っていた。
木の幹に対してほぼ垂直に足をそろえる。
片手で枝を掴む。
魔剣を逆手に構える。
ふくらはぎから太ももまで通っているバネをギュッと折り畳む。
ギチギチと筋肉が軋む音。
二人の人間を視界の中心に捕捉。
木の幹を蹴るのと同時に枝を離した。
風を切り。
枝を薙ぎ。
捉えるは侍。
振り下ろす刀。
――ガキィンッ!
刀に魔剣をぶち当てた。
それでも侍の手から刀が離れることはなかった。
が、代わりに大きく後退していた。
侍風の男。見たことがある。
勇者一行に居た、ガンジマルと呼ばれていた男だ。
「何者でござるか!」
男の言葉には答えず、女性に向き直る。
遠目で見た時、体に巻き付けていたように思えた白い布は、引きちぎられた服のようだ。真っ白の肌が、あばらと腹と太ももに渡り露出している。
その状態で、目を瞑り、指を組み、祈りを捧げているようである。
衣服は変わり果てているが、遠く木の上から見た顔はやはり見間違いではなかった。
「おい」
俺の言葉にようやく自分が死んでいないことに気が付いたらしく、驚いたように目を見開いた。雲一つない空のような蒼い瞳が揺れている。
「――祈るな。神など俺が殺した……」
その言葉を置き去りに、侍に向き直った。
魔剣を順手に持ち変える。
「通りすがりの者だ」
ガンジマルも刀を構え直す。
相変わらず対峙した時のプレッシャーは並々ならない。
20歩以上の間合いがあるにも拘らず、全く距離的なアドバンテージを取っているように思えない。
それほどに男の殺気は鋭利。
「聞くが侍よ。なぜこの女を殺そうとしていた?」
「某の言うことを聞かぬからでござる」
「どういうことだ?」
「その女、ネイア殿はなにゆえか突然力を失い、某がいたパーティに居られなくなったでござる」
「役に立たなくなったから見捨てた、と言うことか」
「そうでござる。しかしその判断をしたのは勇者でありリーダーである、ヨールー殿。某は不憫に思ってパーティを抜け、ネイア殿の護衛と言う立場に回ったでござる」
「護衛がなぜ護らない?」
「某はネイア殿の為に尽力したでござる。襲い掛かる魔物の集団から刀一本で守り抜いた。それだのに……」
ガンジマルは一度俯き、それからネイアを睨み付けた。
「ネイア殿は一度も体を許さなかったでござる!」
ネイアはビクッと体を引きつらせた。
つまり彼女の服がびりびりに破れているのも、ガンジマルが無理矢理裸にしようとしたからなのか。
そう思って改めて周りを見ると布が散らばっていることに気付く。
「それで無理矢理しようとしたのか?」
「仕方のないことでござろう? 法術が使えぬから役に立たぬ、金もないから対価も払えぬでは、女として尽くし返すことしか他に道はないはず。それだのにこの女は裸に剥いてやってもその気になるどころか悲鳴を上げたのでござるよ?」
「それで、そんなことで殺そうと?」
「そんなこと? 当たり前のことでござる。某を侮辱したのだから」
「あのな。キャバ嬢に貢いだからって必ずしも……」
「きゃば?」
「あ、いや、今のは忘れてくれ」
ゴホンと咳払いで取り直す。
「誰だっていきなり裸にされたら悲鳴を上げるし、好きでも無い男とはしたくないだろう。いくら良いことをしたからって、必ず見返りがもらえるわけじゃあないんだからな。それに、お前は自分の気持ちを相手に一方的に押し付けているばかりじゃあないか。相手の事も少しは考えてやったらどうなんだ?」
俺の言葉にガンジマルの眼光は一層鋭くなった。
「黙れ! 魔人風情の小童が! 二人まとめて我が刀の錆にしてくれる」
やれやれ。
できれば戦いたくなかったんだが。
ガンジマルの足が一歩、土を踏みしめる。
殺気だった一歩は、それだけで悪寒が奔った。
すぐさま魔術を展開。
「風風千壁」
相手との間合いを空ける。
圧の強い風がガンジマルを後方へ吹き飛ばす。
「連鎖炎弾」
吹き飛んだ先めがけ追撃。
連なる炎の玉を繰り出す。
そして更なる魔術を繰り出したその時だった。
「紅蓮……」
詠唱とはいってもただ魔術の名前を言うだけの短い詠唱。あの、レアーとか言う魔術師が驚いていた時短詠唱と言う能力。それが終わるより先に、指の先から矢のような炎が射出された。
弾丸の速度で発射された炎はガンジマルの眉を掠った。
「ぐああああああっ!」
直後に悲鳴が上がる。
掠っただけ。
ただ掠っただけだ。
それなのにそこを始点に一瞬で黒い炎が燃え上がる。
彼の顔はたちまち黒の炎に覆われた。
どれだけ炎を消そうと手で押えても、鎮火することはない。
たまらずガンジマルは逃げ出した。
黒い炎を顔面に纏いながら、どこへともなく走り出した。
彼のうしろ姿が見えなくなるまで油断なく見送ってから、自分の指先を見る。
先ほどの黒い炎はなんだったのか。
もしや、あの魔術こそが本来の魔王の力なのか……?
掠っただけで敵を制圧する。
神すら恐れた魔王の力。
その片鱗。
圧倒的過ぎる。
こんなもの、操れる気がしない。
背筋を何か黒いものが、ゾッと通り過ぎた。