ランドルフ王国。北をノルドラン大山脈、南をビルドラン海峡、東をゴルドラン砂漠、西をエルドラン草原に囲まれ、四季豊かな気候に変えた土地を持つ、巨大王国。世界のおよそ5割を占めるこの王国は5億人を超える人口と数多の種族で構成されている。万種平等主義を国家基礎とし、全種族を代表する王が1人、各種族から選出された領王によって構成される枢密院をもって、政が行われている。万世一系を保つ王家は1500年もの間国家を統治しており、これが武力で統治されているのなら、いつ壊れてもおかしくはないが各領地の間接統治を基礎としているため、不満はあれど平和にまとまっている。それに、つい最近までは、外敵も存在しており、それに対して団結していたのもある。
私たちが今いるヴァーレンはエルドラン草原に入る直前の唯一の街で人口は500万を持つ。つまり、私たちは、エルドラン草原を超えて戻ってきたことになる。数年前までは、エルドラン草原の向こう側にも所々領地はあったが、魔王軍の攻勢がエルドランの向こうから始まったことで、一時領地を失陥していた。彼はそんな中たった1人で切り込み、討伐して帰ってきたのが、今になる。ランドル国軍にもそれなりの被害が出ており、前線の将兵の臨時基地としてもヴァーレンは活躍した。大きな街ということもあって、冒険者が多く輩出されていたためか、国内屈指の大きさを誇る冒険者ギルドが存在しており、「全ての冒険はヴァーレンから始まる」をスローガンに街が団結している。つまり、冒険者にとても優しい街ということだ。そのためもあって、軍が駐留した時も市民の生活は変化なく、むしろ、商業がさらに発達した。
ヴァーレンは四方を城壁に囲まれているが、全てではない。重要施設が内側にその周りを市民が農業、林業、酪農が営まれている。食料、燃料、産業のほとんどが街一つで賄われている。ここの領主はエルフであり、ここの政治機構も王国とほとんど変わらない。地方分権が完全に確立されている。
街の中は戦争の影響がそれなりに見てとれた。が、それ以上に強烈なまでに熱狂に包まれている。
「どうしたんでしょうね」
宿を探しながら、私は彼とふらふら歩く。時々やってる屋台でお金を落としながら彼にはいえないけど、デートを楽しむ。
「選挙が近いそうですよ」
「選挙?」
よく見ると緑かオレンジの旗がそこかしこにかけられている。よく見ると緑の服を着ている人とオレンジを着ている人に分かれている。
「2年前に本来するはずだった議長の選挙を行うそうです。戦争も終わりましたし、戦後処理も概ね終わったから、この機に、ということらしいです」
「よく知ってますね……」
これも「薄めに薄めた記憶」の影響なのだろうか。
彼は髪をくしゃくしゃとかきながら、どこか面倒そうに、
「君がことあるごとに屋台で時間を潰してたので、暇だったんですよ」
「う……、すみません」
ちょっと凹んだ。楽しんでたのはどうやら私だけだったらしい。確かに、反応は悪いかったけど、彼は昔からそうだったから……。
「まあ、楽しかったですよ」
それは、反則だと思う。彼は面倒そうな顔をしながら、どこか、恥ずかしそうな態度をとる。
心臓の高鳴りが止まらない。そして、それに呼応するようにどこか、気付いてくれないことへの苛立ちが募るが、それは私のエゴだから、グッと抑える。
そこから、どうにも気まずい時間が流れる。そのまま会話が進むことなく、何度か目を合わせては、すぐに逸らすそんな不毛な時間を費やしたのち、中央広場にたどり着く。
街の中はこの中央広場を中心に4本の道路を幹線に底から円状に広がっている。道はそれぞれ方角がわかりやすく作られており、北の道を行った先に一つの大きな屋敷が聳え立っている。それが、現領主の館だ。
中央広場には司法館、行政館、そして、政治を行う執政館がある。わかりやすい。裁判、行政、政治この三つをそれぞれの館で行うと考えると先進的な作りをしている。昔ここに来た時、彼はこの携帯を高く評価していた。そして、この人数だからこそ可能だともいっていた。彼曰く、人も多くなればそれだけ意思の統一はままならず、1人の腐りは全体の鎖へとつながるともいっている。彼の少し穿った政治観というか、からの元の世界の限界がそう言わせているのかな、と思わされた。
「おお、やってるな」
ここ最近で彼は一番はしゃいでいるように見える表情を見せた。
目の前で、緑とオレンジが今にも殴り合いそうなほどのボルテージで熱戦が繰り広げられている。
ある集団は別の集団と議論し、それが幾重にもなって大論争を形造っている。その光景は一見するとお互いに憎悪に近い何かに見えるかもしれないが、違う。彼らはこの状況を楽しんでいる。
「楽しそうですね」
私は喜ぶ彼の顔を見て、どこか嬉しくなる。
「ええ、こういうのは好きなので」
知ってます。昔からそうですよね。
「混ざりたいのですか?」
彼は、人ごみをかき分けながら、ぐんぐんと前へと進む。
「はは、双方の主義主張がわからないのに参加はできませんよ。それより、宿を探さないと。すぐに夜になりますよ」
彼の言葉でどこか納得するところがあった。いくら選挙が近いといっても、昼は仕事があるはずだ。それにもかかわらず人がここまで集まっているのは、多分、仕事が終わったあと、その足でここに集まっているのかなと。
それに、あと二、三時間で日が沈む。
ヴァーレンの宿は基本的に東側に集まっている。と同時に飲み屋もあつまっている。夕食はその辺りで取ることは決まっているとして、後は、宿だけだった。以前泊まったところもあるが、幾つもあるのだから、気に入ったところに入ればいい。
ようやく人ごみを抜けるとすぐに宿屋街に入る。そこはそこで、また別の喧騒が支配しているが、それでも、遠くから聞こえる騒音に比べればここのは商売の騒音ってだけで心地がいい。
彼は物珍しそうにこのあたりを見て回っている。それを私は、また、チラチラと見てしまう。
初めて、この街にやってきた時も、彼は、もの珍しそうに辺りを見て回っていた。
ふと、そんなことを思い出していると急に悲しくなった。私の知っている彼は、目の前に彼なのだろうか。肉体は同じ。でも、記憶はそこになく、彼にとって私は、旅をした仲間ではなく、2年間お世話をした修道女でしかないのでは? 《《私はまだ彼に本名すら名乗っていない。》》つまり、私は彼に対して正体を明かしていない。
それでも、彼の本質は変わっていないと思う時がある。もちろん、何度か私は私の正体を明かそうとも考えた。そしてそうしようとも思った。それでと、優し彼は、私を見て、無理に話す必要はないことを伝えてくれる。それは、彼なりの優しさなのか、信頼なのかはわからない。それでも、昔と変わらず、彼は優しいのだ。
そんなことを思いながら彼をチラチラ見ると、ふと、目が合ってしまう。恥ずかしくてまた晒した先に私好みの宿が目に飛び込んだ。
まるで、急いで話を逸らすようにその宿を示す。
「あ、あそこがいい!」
彼は、私が指差す方を見て、そのまま進行方向を宿に向ける。
宿の外観は街に溶け込むようにこぢんまりとしているが、それでも、どこか上品さを感じさせ、他とは違う特別さすら感じた。
酒場と並列したカウンターには中年の女性が佇んでいた。私達に気がつくとすぐに笑顔で、接客に入る。
「おや、お若いの、当店に足を運んでくださりありがとうございます」
そういって深くお辞儀する。
「部屋をふたつ取れますか?」
彼は、私が口を出す前にオーダーする。費用の節約という名目で同じ部屋にしようと考えていたが、こうも先手で潰されて仕舞えばどうしようもできない。
「あいにくと、現在一部屋しか空いてなくてですね。そちらでもよければご案内できます」
彼は、少し深刻な顔をした。それを気取られないように、ゆっくりと私の顔を見る。だから、私は極力目を輝かせないように、そして控えめに、
「部屋が取れないなら仕方ないね……。他、探す?」
かなり残念そうな声を出してやる。自分でもしみじみ思うが、嫌な女だな。
「分かりました。同じ部屋で大丈夫です。その代わり、掛け布団を一つください」
「ありがとうございます。何泊する予定ですか?」
実を言うと、どれだけ泊まるかは考えていない。ここでの予定が終わるのが早ければすぐに発つが、かかればそれだけ滞在することになる。
「わからないんですよね……。とりあえず一月分出しとくので、出る時差額返してもらうでもいいですか?」
そういって、私は、袋から、一月分のお金を出す。
「わかりました。そうしましょう。こんなに貰うんですから、迷惑おかけした料金ということで、朝昼夜とご飯をおつけしますね。ここの酒場を使ってください。サービスしますね」
そういって、後ろの棚から鍵を取り出す。
「あ、忘れてました。ここにお名前をお願いしますね」
私は、ペンを受け取ると慣れた手つきで文字を書く。
「レギエーヌ様ですね。そちらの旦那様の方もお書き願えますか?」
「旦那じゃないです」
彼はすぐに訂正する。
「あら、お似合いでしたので、勘違いしてしまいました。でも……、これは、言わないほうがいいですね」
そういって、女将は私をまじまじと見て、微笑む。そんなに顔に出ていたのだろうか。食い気味に否定しなくても、と思ってしまう。そして、女将にはその顔を見られたのだろうか、すごく恥ずかしい。多分というか間違いなく勘付かれた。
多分、部屋が一部屋しか空いてないのもハッタリなのだろう。勘違いしたか、それとも、鎌をかけたのかいずれにせよ女将の計らいで私は喜ぶべきことに彼と同じ部屋に入れるのだから!
彼は、ペンで名前を書く。
「ユーリ様ですね。ユーリ様……、ユーリ・エルハルト様……!? あの英雄の!? これはなんと幸せなことでしょう! 当宿をご利用いただきありがとうございます! これで箔がつくってものだ! ありがとうございます!」
そういうと、女将は半ば無理やり、彼と握手をした。それに彼は少し複雑そうな顔をしたが、すぐに笑顔で、
「歓迎してもらってありがとうございます。ですが、これは、内密にお願いします。騒ぎにしたくないので」
彼はそのまま鍵を受け取って、階段を登っていく。
「失礼します」
私はお辞儀をしてからの後を追った。
私たちが今いるヴァーレンはエルドラン草原に入る直前の唯一の街で人口は500万を持つ。つまり、私たちは、エルドラン草原を超えて戻ってきたことになる。数年前までは、エルドラン草原の向こう側にも所々領地はあったが、魔王軍の攻勢がエルドランの向こうから始まったことで、一時領地を失陥していた。彼はそんな中たった1人で切り込み、討伐して帰ってきたのが、今になる。ランドル国軍にもそれなりの被害が出ており、前線の将兵の臨時基地としてもヴァーレンは活躍した。大きな街ということもあって、冒険者が多く輩出されていたためか、国内屈指の大きさを誇る冒険者ギルドが存在しており、「全ての冒険はヴァーレンから始まる」をスローガンに街が団結している。つまり、冒険者にとても優しい街ということだ。そのためもあって、軍が駐留した時も市民の生活は変化なく、むしろ、商業がさらに発達した。
ヴァーレンは四方を城壁に囲まれているが、全てではない。重要施設が内側にその周りを市民が農業、林業、酪農が営まれている。食料、燃料、産業のほとんどが街一つで賄われている。ここの領主はエルフであり、ここの政治機構も王国とほとんど変わらない。地方分権が完全に確立されている。
街の中は戦争の影響がそれなりに見てとれた。が、それ以上に強烈なまでに熱狂に包まれている。
「どうしたんでしょうね」
宿を探しながら、私は彼とふらふら歩く。時々やってる屋台でお金を落としながら彼にはいえないけど、デートを楽しむ。
「選挙が近いそうですよ」
「選挙?」
よく見ると緑かオレンジの旗がそこかしこにかけられている。よく見ると緑の服を着ている人とオレンジを着ている人に分かれている。
「2年前に本来するはずだった議長の選挙を行うそうです。戦争も終わりましたし、戦後処理も概ね終わったから、この機に、ということらしいです」
「よく知ってますね……」
これも「薄めに薄めた記憶」の影響なのだろうか。
彼は髪をくしゃくしゃとかきながら、どこか面倒そうに、
「君がことあるごとに屋台で時間を潰してたので、暇だったんですよ」
「う……、すみません」
ちょっと凹んだ。楽しんでたのはどうやら私だけだったらしい。確かに、反応は悪いかったけど、彼は昔からそうだったから……。
「まあ、楽しかったですよ」
それは、反則だと思う。彼は面倒そうな顔をしながら、どこか、恥ずかしそうな態度をとる。
心臓の高鳴りが止まらない。そして、それに呼応するようにどこか、気付いてくれないことへの苛立ちが募るが、それは私のエゴだから、グッと抑える。
そこから、どうにも気まずい時間が流れる。そのまま会話が進むことなく、何度か目を合わせては、すぐに逸らすそんな不毛な時間を費やしたのち、中央広場にたどり着く。
街の中はこの中央広場を中心に4本の道路を幹線に底から円状に広がっている。道はそれぞれ方角がわかりやすく作られており、北の道を行った先に一つの大きな屋敷が聳え立っている。それが、現領主の館だ。
中央広場には司法館、行政館、そして、政治を行う執政館がある。わかりやすい。裁判、行政、政治この三つをそれぞれの館で行うと考えると先進的な作りをしている。昔ここに来た時、彼はこの携帯を高く評価していた。そして、この人数だからこそ可能だともいっていた。彼曰く、人も多くなればそれだけ意思の統一はままならず、1人の腐りは全体の鎖へとつながるともいっている。彼の少し穿った政治観というか、からの元の世界の限界がそう言わせているのかな、と思わされた。
「おお、やってるな」
ここ最近で彼は一番はしゃいでいるように見える表情を見せた。
目の前で、緑とオレンジが今にも殴り合いそうなほどのボルテージで熱戦が繰り広げられている。
ある集団は別の集団と議論し、それが幾重にもなって大論争を形造っている。その光景は一見するとお互いに憎悪に近い何かに見えるかもしれないが、違う。彼らはこの状況を楽しんでいる。
「楽しそうですね」
私は喜ぶ彼の顔を見て、どこか嬉しくなる。
「ええ、こういうのは好きなので」
知ってます。昔からそうですよね。
「混ざりたいのですか?」
彼は、人ごみをかき分けながら、ぐんぐんと前へと進む。
「はは、双方の主義主張がわからないのに参加はできませんよ。それより、宿を探さないと。すぐに夜になりますよ」
彼の言葉でどこか納得するところがあった。いくら選挙が近いといっても、昼は仕事があるはずだ。それにもかかわらず人がここまで集まっているのは、多分、仕事が終わったあと、その足でここに集まっているのかなと。
それに、あと二、三時間で日が沈む。
ヴァーレンの宿は基本的に東側に集まっている。と同時に飲み屋もあつまっている。夕食はその辺りで取ることは決まっているとして、後は、宿だけだった。以前泊まったところもあるが、幾つもあるのだから、気に入ったところに入ればいい。
ようやく人ごみを抜けるとすぐに宿屋街に入る。そこはそこで、また別の喧騒が支配しているが、それでも、遠くから聞こえる騒音に比べればここのは商売の騒音ってだけで心地がいい。
彼は物珍しそうにこのあたりを見て回っている。それを私は、また、チラチラと見てしまう。
初めて、この街にやってきた時も、彼は、もの珍しそうに辺りを見て回っていた。
ふと、そんなことを思い出していると急に悲しくなった。私の知っている彼は、目の前に彼なのだろうか。肉体は同じ。でも、記憶はそこになく、彼にとって私は、旅をした仲間ではなく、2年間お世話をした修道女でしかないのでは? 《《私はまだ彼に本名すら名乗っていない。》》つまり、私は彼に対して正体を明かしていない。
それでも、彼の本質は変わっていないと思う時がある。もちろん、何度か私は私の正体を明かそうとも考えた。そしてそうしようとも思った。それでと、優し彼は、私を見て、無理に話す必要はないことを伝えてくれる。それは、彼なりの優しさなのか、信頼なのかはわからない。それでも、昔と変わらず、彼は優しいのだ。
そんなことを思いながら彼をチラチラ見ると、ふと、目が合ってしまう。恥ずかしくてまた晒した先に私好みの宿が目に飛び込んだ。
まるで、急いで話を逸らすようにその宿を示す。
「あ、あそこがいい!」
彼は、私が指差す方を見て、そのまま進行方向を宿に向ける。
宿の外観は街に溶け込むようにこぢんまりとしているが、それでも、どこか上品さを感じさせ、他とは違う特別さすら感じた。
酒場と並列したカウンターには中年の女性が佇んでいた。私達に気がつくとすぐに笑顔で、接客に入る。
「おや、お若いの、当店に足を運んでくださりありがとうございます」
そういって深くお辞儀する。
「部屋をふたつ取れますか?」
彼は、私が口を出す前にオーダーする。費用の節約という名目で同じ部屋にしようと考えていたが、こうも先手で潰されて仕舞えばどうしようもできない。
「あいにくと、現在一部屋しか空いてなくてですね。そちらでもよければご案内できます」
彼は、少し深刻な顔をした。それを気取られないように、ゆっくりと私の顔を見る。だから、私は極力目を輝かせないように、そして控えめに、
「部屋が取れないなら仕方ないね……。他、探す?」
かなり残念そうな声を出してやる。自分でもしみじみ思うが、嫌な女だな。
「分かりました。同じ部屋で大丈夫です。その代わり、掛け布団を一つください」
「ありがとうございます。何泊する予定ですか?」
実を言うと、どれだけ泊まるかは考えていない。ここでの予定が終わるのが早ければすぐに発つが、かかればそれだけ滞在することになる。
「わからないんですよね……。とりあえず一月分出しとくので、出る時差額返してもらうでもいいですか?」
そういって、私は、袋から、一月分のお金を出す。
「わかりました。そうしましょう。こんなに貰うんですから、迷惑おかけした料金ということで、朝昼夜とご飯をおつけしますね。ここの酒場を使ってください。サービスしますね」
そういって、後ろの棚から鍵を取り出す。
「あ、忘れてました。ここにお名前をお願いしますね」
私は、ペンを受け取ると慣れた手つきで文字を書く。
「レギエーヌ様ですね。そちらの旦那様の方もお書き願えますか?」
「旦那じゃないです」
彼はすぐに訂正する。
「あら、お似合いでしたので、勘違いしてしまいました。でも……、これは、言わないほうがいいですね」
そういって、女将は私をまじまじと見て、微笑む。そんなに顔に出ていたのだろうか。食い気味に否定しなくても、と思ってしまう。そして、女将にはその顔を見られたのだろうか、すごく恥ずかしい。多分というか間違いなく勘付かれた。
多分、部屋が一部屋しか空いてないのもハッタリなのだろう。勘違いしたか、それとも、鎌をかけたのかいずれにせよ女将の計らいで私は喜ぶべきことに彼と同じ部屋に入れるのだから!
彼は、ペンで名前を書く。
「ユーリ様ですね。ユーリ様……、ユーリ・エルハルト様……!? あの英雄の!? これはなんと幸せなことでしょう! 当宿をご利用いただきありがとうございます! これで箔がつくってものだ! ありがとうございます!」
そういうと、女将は半ば無理やり、彼と握手をした。それに彼は少し複雑そうな顔をしたが、すぐに笑顔で、
「歓迎してもらってありがとうございます。ですが、これは、内密にお願いします。騒ぎにしたくないので」
彼はそのまま鍵を受け取って、階段を登っていく。
「失礼します」
私はお辞儀をしてからの後を追った。