いつも考える。
英雄たり得る人とは誰だろうか。
いつも私は考える。
魔王との戦闘を見ることしかできなかった私は、魔王と殺しあう彼を見て彼こそが英雄だ、なんて思ってしまう。
でも、彼は本当に英雄だろうか。傷ついて、傷ついて、傷ついて。肉体も心もすべてかけてそして、挙句自身の記憶すら触媒にして戦う彼を英雄とたたえてよいのだろうか。
確かに英雄かもしれない。でも、私は彼を英雄と思いたくない。英雄の戦いがもし、これからもああなるのなら、私は彼に英雄であってほしくない。そう願ってしまう。
何もかもすべてをかける戦い。英雄は常にそうあり続ける。彼は英雄であり続ける限り。脅威は常にそこにある。そして巻き込まれる。巻き込まれに行く。助けを求める声がある限り。彼はそういう人間だから。
魔王を倒して、修道院に連れて帰った日、彼の記憶がないことがすぐに分かった。私のことも、仲間のことも覚えていないのがすぐに分かった。彼はそれでも何も変わってないように振る舞う。多分、全員が知り合いのように見えている。相手を傷つけたくないという彼の性分が合わさって。余計に。仲間はその惨状を見かねて離れていった。とはいうものの、本音としては役に立てなかった自身のふがいなさを悔やんでだろう。
とはいえ、彼の隣にいる私も彼の記憶の一部でありながら名乗らず、何も言わないのは彼にこれ以上傷ついてほしくないというエゴと彼が傷つかなければならないほど弱いという、仲間が去った理由もある。むしろ後者の方が大きい。あとは、私の気持ち。この気持ちだけは嘘にしたくないから。
修道女として、布教の旅路と銘打っているが、常日頃修道服を着ているわけではない。もちろん、説法や祭典の際はちゃんとした服を着るが、専ら冒険者時代の服をそのまま着ている。彼と旅をしていた頃からずっとそうだった。パーティ内での役割はいわゆるヒーラー。支援魔法と回復魔法、神聖魔法を得意としたため、彼の旅路に同行した。
そういえば、初めて彼と出会って、旅に同行する時もほとんどその場の勢いで決めた。
王都の教会で枢機卿の孫という立場もあってか、聖女として聖務に励んでいた。そんなある日、彼が天啓を賜るためにやってきた日、私は彼と歩むと決めた。その時も脈絡なくついて行くと伝えた。おじいちゃんも旅をして「世界を知りなさい」と言ってくれたことも後押しして彼の旅路についていけた。それに、回復、支援、神聖魔法を使えるのはパーティでも私だけだった。そういう意味では、彼のパーティ内での役割はそれぞれこなせていたと思う。
神聖剣術を学んでいたから、戦闘もそれなりにこなせた。だから、今も片手には杖、腰には細剣を携えてる。
とはいえ、これも役には立たないのだけれど……。
そんな悶々とした気持ちを抱えながら2ヶ月の月日が再出発してから流れた。
幾らか町を巡った。最初に行った街で冒険ギルドに諸々の申請、再申請を行なって、ギルドカードを再発行してもらい、正式に冒険者に返り咲いた。私も彼も書類上はSランク。私は聖職者、彼は剣士という役職で登録されている。
それ以降、お金に困れば寄った街で依頼をこなし宣教活動と並行して旅を続けた。
どの町に行っても魔王を倒した話で盛り上がっていた。
彼が討伐したという話は広まっていない。ただ、倒れたという話だけが前に進み、誰が、は秘密にされている。これは、冒険ギルド全てを統括するギルドマスターと王宮、教会の思惑から伏せられた。英雄である彼を讃えたいという王宮と教会。しかし、讃えるとしても彼の所属はあくまでギルドであるという点。この三つの勢力争いが見えてしまう。ギルドとしても讃えたいが、彼のように英雄になろうとせんものが現れることも秘密にしている要因らしい。
そしてもう一つ、彼自身が倒したことを覚えていない。それ以外の記憶がほとんど残っていない。なぜ戦い、なぜ倒せたのか、おそらく彼は覚えていない。それだけ全てを出し切った。そんな彼を英雄として迎えることへの憂いもそこにあるのだろう。
それに彼は私達とは根本的に違う。
これはあまりに大きな要因だから。
「体の調子はどうですか?」
この2ヶ月は飛んだ腰を落ち着けることなく、旅を続けている。いくら傷が塞がったとはいえ、まだまだ本調子ではないはずだ。
「魔力回路が繋がりきってないですね。基礎魔法くらいなら使えそうですが」
そういって、魔力を手のひらに集めてみせる。
魔力。全ての物質に根源的に流れるもう一つの血液。血液が体を動かす一つの媒体であるとするなら、魔力は石や魂の原動力とも言える。魔力の枯渇はすなわち神的エネルギーの枯渇である、と教会の出す教範には説明されている。教会としては、信仰により魔法が使えると言う図式を組み立てて、神から付与された力、という論理を用いて布教したいのだろう。
昔、私も同じように考えていた。でも、彼は真っ向から反対した。信仰なきものも魔法を使えるのはなぜか、とかもし、魔力が精神力を代弁するのなら、真に強いものは神にあだなすものに他ならない、など。あの議論は面白かった。パーティでこの話をしたのは私と彼だけで他は興味なさそうに先に進んでいたが、道中、一週間かけてこの話で盛り上がった。
そして、今の所魔力というのは魔力というのは生命力に近いもので、使い続けることで底上げが可能である。神的なものとは一切関係のない、才能と努力でどうこうなる代物。魔法というのはこの魔力を触媒に現実空間に虚実を具現化する、という点に収まった。つまり、イメージの産物になる。
彼は昔から博識だった。ただ、その知識量はこの世界ではどうにも通じず虚しさを抱いていたらしいが、本質的に彼は議論を好んだ。とはいえ、問題を起こしたくないと言う気持ちからかそこらの人にふっかけることがないだけしっかりと理性はあるのだろう。
彼の魔力量は常人の数十倍と見ている。ただ、まだ使い慣れてないからか効率は悪い。そして、彼の知識の深さは魔法にも適応されており、物事の道理を知っているからこそ、変遷を具体的にイメージすることで、より高威力な魔法を可能にしている。
ただ、この2ヶ月からはやっぱり変わってしまっと思わざる得なくなった。
まず、議論がなくなった。これは、「初対面」の私と話すのを避けているのだろう。でも、やっぱり記憶がなくなっても本質は変わらず、議論を好んでいる。なんだかそういうことになりかけはしたが、彼はすぐに話を区切ってしまう。それも少しずつ打ち解けているのだろうけど、また1から関係を作っている気分で悲しくなる。
次に昔から低姿勢な節はあったが、明らかにさらに低姿勢になった。そこには彼なりの葛藤があるのかもしれない。自分の記憶がないことでこれまでに会ったことのある人に対して、忘れてしまっていることを突きつけてしまうことに申し訳ない気持ちを持っているからこのような姿勢になってるのかもしれない。
彼曰く、全ての記憶がないわけでもないらしい。知識や知恵といったものはほとんど覚えてないはずだが、意識より先に口がその知識を話すらしい。だから、完全に欠落しているのではなく、それまでの彼が集めた知識を今の彼が話す、「薄めに薄めた記憶」(彼はそう呼んでいる)で話しているに過ぎないという。そのため、知っているといえないが、それでも知っているという不思議な状態が生起している。
「ほら、着いたよ」
小高い丘を乗り越えると、眼前に城壁に囲われた街が目に飛び込んだ。
前の街から一週間ほど。私たちは四方を丘に囲われ、その間から流れる川を中心に発展した街、冒険者の街「ヴァーレン」にたどり着いた。
英雄たり得る人とは誰だろうか。
いつも私は考える。
魔王との戦闘を見ることしかできなかった私は、魔王と殺しあう彼を見て彼こそが英雄だ、なんて思ってしまう。
でも、彼は本当に英雄だろうか。傷ついて、傷ついて、傷ついて。肉体も心もすべてかけてそして、挙句自身の記憶すら触媒にして戦う彼を英雄とたたえてよいのだろうか。
確かに英雄かもしれない。でも、私は彼を英雄と思いたくない。英雄の戦いがもし、これからもああなるのなら、私は彼に英雄であってほしくない。そう願ってしまう。
何もかもすべてをかける戦い。英雄は常にそうあり続ける。彼は英雄であり続ける限り。脅威は常にそこにある。そして巻き込まれる。巻き込まれに行く。助けを求める声がある限り。彼はそういう人間だから。
魔王を倒して、修道院に連れて帰った日、彼の記憶がないことがすぐに分かった。私のことも、仲間のことも覚えていないのがすぐに分かった。彼はそれでも何も変わってないように振る舞う。多分、全員が知り合いのように見えている。相手を傷つけたくないという彼の性分が合わさって。余計に。仲間はその惨状を見かねて離れていった。とはいうものの、本音としては役に立てなかった自身のふがいなさを悔やんでだろう。
とはいえ、彼の隣にいる私も彼の記憶の一部でありながら名乗らず、何も言わないのは彼にこれ以上傷ついてほしくないというエゴと彼が傷つかなければならないほど弱いという、仲間が去った理由もある。むしろ後者の方が大きい。あとは、私の気持ち。この気持ちだけは嘘にしたくないから。
修道女として、布教の旅路と銘打っているが、常日頃修道服を着ているわけではない。もちろん、説法や祭典の際はちゃんとした服を着るが、専ら冒険者時代の服をそのまま着ている。彼と旅をしていた頃からずっとそうだった。パーティ内での役割はいわゆるヒーラー。支援魔法と回復魔法、神聖魔法を得意としたため、彼の旅路に同行した。
そういえば、初めて彼と出会って、旅に同行する時もほとんどその場の勢いで決めた。
王都の教会で枢機卿の孫という立場もあってか、聖女として聖務に励んでいた。そんなある日、彼が天啓を賜るためにやってきた日、私は彼と歩むと決めた。その時も脈絡なくついて行くと伝えた。おじいちゃんも旅をして「世界を知りなさい」と言ってくれたことも後押しして彼の旅路についていけた。それに、回復、支援、神聖魔法を使えるのはパーティでも私だけだった。そういう意味では、彼のパーティ内での役割はそれぞれこなせていたと思う。
神聖剣術を学んでいたから、戦闘もそれなりにこなせた。だから、今も片手には杖、腰には細剣を携えてる。
とはいえ、これも役には立たないのだけれど……。
そんな悶々とした気持ちを抱えながら2ヶ月の月日が再出発してから流れた。
幾らか町を巡った。最初に行った街で冒険ギルドに諸々の申請、再申請を行なって、ギルドカードを再発行してもらい、正式に冒険者に返り咲いた。私も彼も書類上はSランク。私は聖職者、彼は剣士という役職で登録されている。
それ以降、お金に困れば寄った街で依頼をこなし宣教活動と並行して旅を続けた。
どの町に行っても魔王を倒した話で盛り上がっていた。
彼が討伐したという話は広まっていない。ただ、倒れたという話だけが前に進み、誰が、は秘密にされている。これは、冒険ギルド全てを統括するギルドマスターと王宮、教会の思惑から伏せられた。英雄である彼を讃えたいという王宮と教会。しかし、讃えるとしても彼の所属はあくまでギルドであるという点。この三つの勢力争いが見えてしまう。ギルドとしても讃えたいが、彼のように英雄になろうとせんものが現れることも秘密にしている要因らしい。
そしてもう一つ、彼自身が倒したことを覚えていない。それ以外の記憶がほとんど残っていない。なぜ戦い、なぜ倒せたのか、おそらく彼は覚えていない。それだけ全てを出し切った。そんな彼を英雄として迎えることへの憂いもそこにあるのだろう。
それに彼は私達とは根本的に違う。
これはあまりに大きな要因だから。
「体の調子はどうですか?」
この2ヶ月は飛んだ腰を落ち着けることなく、旅を続けている。いくら傷が塞がったとはいえ、まだまだ本調子ではないはずだ。
「魔力回路が繋がりきってないですね。基礎魔法くらいなら使えそうですが」
そういって、魔力を手のひらに集めてみせる。
魔力。全ての物質に根源的に流れるもう一つの血液。血液が体を動かす一つの媒体であるとするなら、魔力は石や魂の原動力とも言える。魔力の枯渇はすなわち神的エネルギーの枯渇である、と教会の出す教範には説明されている。教会としては、信仰により魔法が使えると言う図式を組み立てて、神から付与された力、という論理を用いて布教したいのだろう。
昔、私も同じように考えていた。でも、彼は真っ向から反対した。信仰なきものも魔法を使えるのはなぜか、とかもし、魔力が精神力を代弁するのなら、真に強いものは神にあだなすものに他ならない、など。あの議論は面白かった。パーティでこの話をしたのは私と彼だけで他は興味なさそうに先に進んでいたが、道中、一週間かけてこの話で盛り上がった。
そして、今の所魔力というのは魔力というのは生命力に近いもので、使い続けることで底上げが可能である。神的なものとは一切関係のない、才能と努力でどうこうなる代物。魔法というのはこの魔力を触媒に現実空間に虚実を具現化する、という点に収まった。つまり、イメージの産物になる。
彼は昔から博識だった。ただ、その知識量はこの世界ではどうにも通じず虚しさを抱いていたらしいが、本質的に彼は議論を好んだ。とはいえ、問題を起こしたくないと言う気持ちからかそこらの人にふっかけることがないだけしっかりと理性はあるのだろう。
彼の魔力量は常人の数十倍と見ている。ただ、まだ使い慣れてないからか効率は悪い。そして、彼の知識の深さは魔法にも適応されており、物事の道理を知っているからこそ、変遷を具体的にイメージすることで、より高威力な魔法を可能にしている。
ただ、この2ヶ月からはやっぱり変わってしまっと思わざる得なくなった。
まず、議論がなくなった。これは、「初対面」の私と話すのを避けているのだろう。でも、やっぱり記憶がなくなっても本質は変わらず、議論を好んでいる。なんだかそういうことになりかけはしたが、彼はすぐに話を区切ってしまう。それも少しずつ打ち解けているのだろうけど、また1から関係を作っている気分で悲しくなる。
次に昔から低姿勢な節はあったが、明らかにさらに低姿勢になった。そこには彼なりの葛藤があるのかもしれない。自分の記憶がないことでこれまでに会ったことのある人に対して、忘れてしまっていることを突きつけてしまうことに申し訳ない気持ちを持っているからこのような姿勢になってるのかもしれない。
彼曰く、全ての記憶がないわけでもないらしい。知識や知恵といったものはほとんど覚えてないはずだが、意識より先に口がその知識を話すらしい。だから、完全に欠落しているのではなく、それまでの彼が集めた知識を今の彼が話す、「薄めに薄めた記憶」(彼はそう呼んでいる)で話しているに過ぎないという。そのため、知っているといえないが、それでも知っているという不思議な状態が生起している。
「ほら、着いたよ」
小高い丘を乗り越えると、眼前に城壁に囲われた街が目に飛び込んだ。
前の街から一週間ほど。私たちは四方を丘に囲われ、その間から流れる川を中心に発展した街、冒険者の街「ヴァーレン」にたどり着いた。