俺としては、美知香を殺めたのは津久居氏ではあるまいと思っていた。彼は美知香をとても大切にしていたし、津久居氏と美知香の間に血の繋がりがないことは知っていたが、美知香を実の娘のように愛していた。津久居氏は美知香を自分の手で育てたいと願っただろうし、そうすべきだったと思う。だが、美知香の父親はそれをしなかった。津久居氏は美知香を育てる代わりに、美知香にたくさんの愛情と財産を与えた。美知香を養女に出したのも、津久居氏なりの愛情表現だったのだと思う。
美知香が生きていたら、津久居氏をどう思っただろうか。美知香が生きている間は、津久居氏と美知香は本当の親子だった。だが、美知香が死んでからは、津久居氏は美知香の養父というより保護者になってしまった。美知香が死んでから、津久居氏は変わった。美知香が生きてさえいれば、美知香の保護者として、津久居氏は完璧だったはずだ。
美知香は、津久居氏のことが好きだった。
津久居氏と一緒に暮らしていた頃の美知香は幸せそうだった。
津久居氏のことを語る美知香はいつも笑顔だった。
美知香は、自分を育ててくれた津久居氏に恩義を感じていた。
そして、津久居氏もまた、美知香を慈しんでいた。
津久居氏は、美知香がいなくなった今になって、自分が美知香に何を与えられてきたのかを知ることになった。美知香は津久居氏に何を与えてきたのか。
美知香が津久居氏に与えたものは、愛情だけではなかった。
津久居氏は、美知香から相続された遺産の一部を慈善団体に寄付した。津久居氏が、美知香の通帳や印鑑などを警察に預けたのは、美知香が残した物を、他の誰かの手に委ねたくなかったためだろう。
津久居氏は、美知香が生前に貯めていた貯金をそっくりそのまま寄付した。美知香が稼いだお金を、津久居氏は美知香の死後に使い果たしてしまった。津久居氏は美知香に内緒で、美知香の口座に定期的に入金をしていた。美知香に自由に使えるお金を渡すためだ。美知香は、そのお金を津久居氏の言うままに使っていた。
美知香は、津久居氏に経済的な負担をかけないように気遣っていた。津久居氏にしてみれば、美知香に苦労をさせたくないという思いからしたことだったが、美知香はそれが気に入らないようだった。美知香は、津久居氏が自分に渡してくれる生活費の中から、自分の小遣いや交際費を出していた。美知香は、津久居氏が自分に渡すお金は、すべて津久居氏の個人的な支出に当てるようにと言い張った。津久居氏は、美知香の小遣いを、美知香のために使おうとした。美知香は津久居氏にそれを許さなかった。美知香は、津久居氏にお金を使うなら、自分も一緒に使うべきだと主張した。美知香は、津久居氏と一緒なら、どんな場所に行っても楽しいと言った。
津久居氏は、美知香と二人で出かけるときは、必ずタクシーを使った。美知香が電車に乗ってみたいと言っても、絶対に乗せなかった。
自分はお金持ちのお嬢さんなのだから、もっと贅沢をしてもかまわないのにと言った。しかし津久居氏は、美知香に不自由な思いをさせたくなかったのだ。美知香はそんな日々に息苦しさを感じていた。津久居氏の態度が次第に恩着せがましくなり横柄な態度を取るようになってきた。そしてとうとう一線を越えた。身体を触られたのだ。その露骨さに美知香はもう限界だと判断した。そして津久居氏を殺さねば自分が死ぬと考えて短銃を取り出した。貰ったお金の一部で密かに購入したものだ。何気ないふりをして隠し場所から銃を取り出し振り向きざまに撃った。津久居氏は驚く暇もなく眉間を狙いたがわず撃ちぬかれた。即死状態だった。
「完全に証拠隠滅して頂戴。あとは頼んだわ」とヤクザに金を渡した。津久居氏は、溶鉱炉に捨てられた。
おわり。
●あとがき津久居賢太郎は、『英雄の条件』で、英雄とは「社会秩序を守る」者だと定義しました。
英雄と反英雄の違いは何か? それは、「悪」であるかどうかです。
「悪」は「敵」と言い換えてもかまいません。
「正義」は「味方」と言い換えることができます。「正義」は「悪」を駆逐しますが、必ずしも「善」ではありません。
「正義」が「悪」を駆逐するのは、単に相手が強大だからです。
「悪」が強大なのは当然のことなのです。
つまり、「正義」も「悪」も所詮は同じ土俵の上に立っています。では、なぜ「正義」は「悪」を駆逐できるのでしょうか。
その答えは、物語の中にあります。