クラス名簿の掲示板の前にはたくさんの制服姿があった。私と彩は両手で祈るポーズをしながら掲示板に視点をあわせる。ふと彩を見ると肩に桜の花びらがひとつのっていた。
「あっ、あったっあった」
 彩が飛び跳ねると桜の花びらが舞った。
 あった?  
「あったよ。私と香澄の名前」
 彩が私の手を掴んだ。
「嘘でしょ?」
 私は目をこすってから掲示板を見た。
 2年C組の欄。そこにはたしかに、高木香澄の名前と、武村彩の名前があった。
「わたしたち、これで四年連続で同じクラスだよ」
 彩の目に光の粒が見えた。こんなことで泣くなんておおげさな。そう思っていたけど私の目にもじわりと涙がたまってきた。
「なに? 香澄泣いてるの?」
 茶化すよように彩に指摘された。
「そっちだって泣いてるじゃん」
 指摘しかえすと、彩は目元を拭き、「良かったあ」と言いながら嬉し泣きをはじめた。

「それにしても奇跡みたいだよね」
 入学式が終わり、帰り道でも、私と彩は同じクラスになれた喜びに浸っていた。
「でもさあ、香澄的には宗助君と同じクラスになれなかったのは残念だったね」
 歩きながら彩が言った。宗助とはサッカー部の超イケメンだ。入学式で見かけたときに一目惚れをして、それからずっと私の推しなのだ。
「うん、まあ、ちょっとは期待したけどね。でも、もしも同じクラスになっちゃったら胸がいっぱいで授業に集中できないから逆に良かったよ」
「って、香澄は宗助君関係なく、もともと集中してないでしょ」
 彩は私の肩をたたいた。ちょっと痛い。でもたしかにその通りだった。
「じゃあね。また明日」
 彩が手を振りながら笑顔を向けてきた。
「うん。じゃあね」
 そう言って私たちは別れてお互いの帰路を歩き出した。
 一人で歩いている時もまだ喜びの余韻が残っていた。それと同時にホッとした。もしも彩と離れ離れになってしまったら私はまた昔に逆戻りしてしまうような気がして不安だった。でも、これで大丈夫だ。
 
 彩との出会いは中学二年の春。彩は県外からの転校生だった。中学はクラス替えがないので、当時のクラスはすでに一年同じメンツで過ごしてきた。そうなるとそれぞれ仲の良いグループが出来上がっていた。しかし、私は入学後の友達作りに失敗してしまい、どこにも所属できていない状態だった。今思えばそれも仕方がない。当時の私は自分から誰かに話しけることはなく、向こうから話しかけられるのを待っているだけの、暗い女子だったから。
 そんな地味で暗い私だったが、彩が転校してきてからすべてが変わった。
「武村彩です。よろしくお願いします」
 彩がみんなの前で挨拶したとき、教室中がどよめいた。それもそのはず、彩はアイドルや女優でも通用するくらいの美少女だったからだ。美少女転校生を見ながら、きっとああいう子は一軍に所属するのだろうな、と自分とはまったく無関係の人として見ていた。それなのに、自己紹介を終えた彩が向かった席が私の隣だった。これには少し戸惑ったし緊張もした。でも、こんな美少女と私に接点が生まれるわけがない。そう思って平静を保とうとした。
 しかし、席に着くなり、「よろしくね」と彩は親しみのある笑みを浮かべてきた。その感じの良い笑顔に微かな喜びを感じながらも、どうせ私が「ぼっち」だと知ったら離れていくに決まっている。そう思っていた。しかし、違った。彩は授業と授業の合間の休み時間に隣の席の私にガンガン話しかけてくる。「好きなアイドルは?」「アニメは?」「犬派? 猫派」など質問攻めだった。戸惑いながらも私は一つずつ答えた。すると、彩の表情が呆然としているのに気づいた。そして、
「ねえ、私達親友になれるよ。だって好きなアイドルもアニメも一緒だし、犬が好きなことも一緒だよ」
 彩は興奮気味に私の手を掴んだ。これが、私と彩との出会いであり、親友になったキッカケだった。実際、彩とは驚くほどに趣味が一致し、話していると今まで感じたことがないほど楽しかった。彩と親友になってからというもの、他のクラスメイトとも打ち解けるようになった。突然現れた転校生が、孤立していった地味な女子中学生を変えたのだ。

「神様っているんだなあ」
 昔を思い出しながら歩いていると自然とこんな言葉が口を出た。
 すると、私の目の前に突然ハットをかぶった全身黒づくめの男が現れた。
「神様なんていないよ」
 男は言った。ちなみにこの男は宙に浮いている。普通の人なら驚くだろうが、私は驚かない。もう慣れっこだから。それにこの男の姿は私にしか見えていないのだ。
「ねえ、人がちょっと呟いただけなのにいちいち出てこないでよ」
 私は男を睨んだ。
「おおっ、怖っ」
 体を摩るポーズをした。
「怖くないでしょ。悪魔がこんなことで怖がっていたらどうするの」
「いやいや、時に人間は悪魔より恐ろしいものだよ」
 悪魔は格言めいた言葉を口にした。そして続けた。
「ところで願いはないかい? 新年度なんだし、そろそろあるだろう?」
 悪魔の顔が私の顔に近づく。
「ちょっと離れてよ。それに願いなんてないから。何度も言ってるじゃん」 
 手で悪魔を振り払うと、悪魔はよけながら「そうか。じゃあ願いがあったらすぐに言うんだよ」と言い姿を消した。
「まったく。願いなんてそう簡単にないよ。しかも人を不幸にする願いごとなんて……」
 私はボヤキながら悪魔との出会いを思い出した。

 悪魔との出会いは彩より古い。あれは中学一年のときだった。私は部活にも入らなかったし、当時は友達もいなかったから学校が終わると、そそくさと下校していた。すると道の真ん中にシルクハットが落ちていた。
 マジックショーで使う物かなあと思いながら私はハットを拾い上げた。交番にでも届けよう。そう思いながら歩きはじめると、後ろから「あっ、あった」という声が聞こえた。振り返ると、タキシード姿に眼鏡をかけた男がいた。慌てた様子で私に向ってくる。そこで私は目を疑った。その男が宙を浮かんでいたからだ。その瞬間に人間でないことを理解した。
「お嬢さん、それは私のなんだ」
 男は私の目の前にワープしてくると、手を差し出した。私は手を震わせながらハットを差しだした。恐ろしくて声が出なかった。
「ありがとう。それにしても人間に拾ってもらうとはな。悪魔失格だな」
 ハットを受け取りながら男はぼやいた。そうか、この人は悪魔なんだ。どうしよう。もしかして私殺されるの。悪魔と知った途端恐ろしさが倍増し、血の気がひいた。
「お嬢さん、本当にありがとう。私は義理堅い悪魔だからさ、君に何か一つ願いを叶えさせてあげるよ」
 悪魔は微笑んだ。
 願い? 本当の話? 一瞬喜んでしまったけど、相手は悪魔だ。それにそんなうまい話あるのだろうか。
「あっそうそう。言い忘れたけど、願い事と言ってもなんでもいいっていうわけではないんだ」
 悪魔が言った。どうやら条件があるらしい。
「願いと言っても、誰かを幸せにするような願いはダメだ。特に世界平和とかがもっともダメな例。何と言っても私は悪魔だからね。誰かを不幸にすることで君の願いが叶うのなら協力しよう。と、いきなり言ってもよくわからないか。そうだなあ、過去の例をあげると、恋敵を病気にさせるとか、恨みを持っている相手を殺めるとか、そういうのが多いかな」
 悪魔は普通の顔で恐ろしいことを口にした。
「で、君はどうする?」
 悪魔が顔を近づけてきた。
「わっ、わたしはいいです」
 やっと言葉が出た。
 願いと言われても、誰かを不幸にしてまで叶えたい願いなんて私にはなかった。
「そうか。まあ、突然言われても思いつかないか。じゃあ決まったら呼んでくれ。いつでも駆けつけるから」
 そう言って悪魔は姿を消した。それ以来、こっちが呼んでもいないのに、ときどき姿を現しては「願いは決まった?」と尋ねてくる。
 でも、今のところそんな力を使う気はさらさらない。だって私は彩のおかげで幸せだから。願い事なんて必要ないんだ。
 悪魔と言えば、彩に対して一つだけ後ろめたさがある。彩には「宗助君に一目惚れしたこと」や「親とケンカしたこと」「テストで赤点を取ったこと」どんな些細なことでも話している。秘密は特にない。でも、唯一悪魔のことだけは打ち明けていない。そんなこと言っても信じてもらえないし、気味悪がられるのも嫌だからだ。

                       ※
 順調な新学期が始まった。彩と同じクラスになれたことで毎日が楽しい。楽しいと時間が過ぎるのがあっという間で、この前同じクラスになれたと喜んでいたのに、今は桜もとうに散り、もう五月。今日はゴールデンウイークが開けて久しぶりの登校だった。
 ゴールデンウイーク中、彩とは一度も会わなかった。彩の家はお金持ちだから大型連休は海外旅行に行くことが多い。今回は韓国旅行らしい。お土産も楽しみだし、何より久しぶりに彩と会えるのが嬉しい。そう思って通学路を歩いていると、目の前に彩の姿があった。
「彩つ、久しぶり」
 声に出してみると、自分の声が弾んいるのがわかって少し恥ずかしい。でも嬉しいのだから仕方がない。
「あっ、香澄。おはよう」
 彩は微笑んだ。しかし、その表情はどこか冴えない。他の人は気づかないかもしれないけど、私にはわかる。これは落ち込んでいる時の顔だ。
「ねえ、どうかした?」
 私は彩の顔を覗き込んだ。近くで見ると、本当にまつ毛が長い。相変わらず美少女だ。
「ええっ、どうして? なんにもないよ」 
 彩は弾けるような笑顔を作った。もしかして勘違いだったのかな。だったらいいなと思った。
 私に心配をさせたからか、教室での彩はアイドルの話やドラマの話などをいつも以上によく喋った。この様子を見ていると元気そうだ。私は一安心した。
 退屈な四時間目が終わってお昼休みになった。この時間がなによりも楽しみだ。私と彩はこの時期は中庭でお弁当を食べる。
「五時間目なんだっけ?」
 中庭に向って歩きながら私は彩に訊いた。
「体育だよ。だるいよねえ」
 彩が答える。
 たしかに昼食後の体育はダルイなあ。そう思っていると、廊下の向かいから宗助君が歩いてきた。しかも、私の方を見てほほ笑んだ。私の胸は張りさけそうだ。思えば息をすることも忘れていた。
「はああ」
 宗助君が通り過ぎいると、私は息を吐きだした。
「どうしたの?」
 ポカンとした顔で彩が私を見た。
「今、宗助君が私の方見てほほ笑んでくれたよ。もう、めっちゃカッコよかった」
 私はキャーキャー言いながら彩に気持ちの高ぶりを伝えた。
「あっ、ああ、うん。良かったじゃん」
 彩は笑っていた。でも。やっぱりどこか暗かった。
 
 彩の異変の理由がわかったのは放課後のことだった。
 いつも通り、一緒に下校しようと下駄箱で靴を履くと、後ろから
「なあ、彩」
 と彩を呼ぶ声が聞こえた。振り向くとそこにいたのは宗助君だった。
 どうして宗助君が? 彩になんの用? しかも呼び捨て。私の頭は混乱からキョロキョロするしかできなかった。
 彩を見ると顔をこわばらせている。こんな彩の顔は初めて見る。
「学校では話しかけるなって言われてたけど、下校くらいは一緒にいいだろう?」
 宗助君が彩に話しかけながら私の方をチラチラ見る。その宗助君の目は敵意に満ちていた。
「ごめん」
 彩はそう言って宗助君に背を向けて校門の方を速足で歩いていった。
 私は、呆然とする宗助君を横目で見てから、彩を追いかけた。
「ねえ、彩どういうこと?」
 校門を出てすぐのところで私は彩の背中に声をかけた。
「ごめん」
 彩は振り向かずに言った。彩の声が震えている。 
「ごめん。てことは、つまりそういうことなんだよね?」
 私はすべてを悟っているようで、まだ信じられないでいた。
「うん。ゴールデンウイーク前に、宗助君から告白された……」
 彩が足を止めた。
「OKしたんだ? 私が宗助君に熱を上げていることを知っていて、それなのにOKしたんだ?」
 私の声がどんどん大きくなる。その問いに、彩がこくりを頷く。そして振り返り私を見た。彩の目に涙がたまっていた。
「今まで言えなかったけど、実は私も宗助君のこと好きだったの。だからそれで……」
「だっ、だからって、私に内緒でそんなことしてるなんて」
 彩は昼休みに廊下で浮かれていた私を見て、どう思っていたのだろう。宗助君は私に微笑んでいたわけじゃなかったんだ。あの時の自分がバカみたいだ。浮かれている私を見て内心では嘲笑っていたのだろうか。なんだか怒りで頭がパンクしそうだ。
「香澄、それでも私、このまま香澄と今まで通り親友でいたい。ダメかな?」
 彩の目から涙がこぼれた。
「しっ、親友って、そんな都合の良い話ある? 親友を裏切って彼氏作ってさ、それでこのままの関係でいたいなんてそんなの無理に決まってるじゃん。だいたいそんなの親友でもなんでもないよ」
 私は大声で怒鳴り、彩を睨みつけた。そして、彩を追い越して家まで走った。

 私は帰宅すると自室のドアを乱暴にしめた。そして机に座り蹲った。
 許せない。あんな裏切りをするような人だとは思わなかった。私は泣きながら机を叩いた。
「やっと悪魔の力を使う時がきたようだね」
 聞き覚えのある声がしたから顔を上げた。思った通りそこには悪魔がいた。
「なに、悪魔の力を使う時って」
 私は悪魔を睨んだ。
「だってそうじゃないか。あんなひどい親友はもう親友じゃない。お仕置きしてあげなきゃ」
 悪魔は嬉しそうに笑った。
「お仕置きって、何をするっていうの?」
 そんな気持ちはまったくなかったけど一応聞いてみた。
「そうだなあ。まあ、単純に殺めてしまいすか? 交通事故がいいかな」
 悪魔は顎に手を置き、そう提案した。
「いやいや、そんなにはダメだよ。馬鹿じゃないの」
 いくら怒りの気持ちがあってもそこまでする話じゃない。
「そうかい? でもひどいじゃないか。彩は君が宗助君のことを好きって知っているのに親友よりも彼氏をとったんだろう? きっと二人はゴールデンウイーク中はさぞイチャイチャしていたんだろうね。恐ろしいね」
 悪魔は苦苦しい顔をした。
「いや、それは違うよ。彩は韓国旅行に行っていたんだから」
「どうだろうねえ。君に内緒で彼氏を作る様な女だよ。それも嘘なんじゃないの? だってその証拠に君、韓国旅行のお土産もらってないじゃないか」
「あっ」
 そうだ。そういえばもらっていない。いつもだったら必ずお土産をもらっていた。まさか……悪魔の言うように彩と宗助君がイチャイチャしている絵が頭に浮かんだ。
「ほうらね。彼氏と楽しんでいたんだよ」
 悪魔はほっほっほっと笑った。
 なんだかすべてが信じられない。一体彩はどういう人だったんだろう。私の目に彩は天使みたいに優しい人に映っていた。転校してきてすぐに「ぼっち」の私と親友になってくれて、さらにクラスに溶け込ませてくれた。彩には感謝しかない。でもそんな彩がこんなひどいことをするなんて。もう彩が信じられない。もしかして彩が私と仲良くしてくれたのは、私が孤立していたから? 孤立している可哀そうな女子と仲良くすることで、優しい自分に喜びを得ていたんじゃないか? 彩の自己満足に私は利用された? なんだかそう思えてきた。じゃなきゃあんな可愛い子が私みたいな地味な女子と仲良くなるわけがない。そうか彩は常に私を見下ろして満足してきたんだ。だから今度は私の好きな人まで奪ったんだ。 
「ねえ。願い事なんだけど」
 私は悪魔に話しかけた。
「おっ、やっとその気になったのかい?」
 悪魔は嬉しそうだ。
「うん。でももちろん殺したりはしない。でも、彩には遠くに転校してもらう。それで宗助君と離れてもらう」
 当たり前だけど命を奪う気なんてまったくない。でも彩とはもう二度と顔を合わせる気にはならない。
「なんだそんなことでいいのかい」
 悪魔はがっかりした顔をした。
「できるでしょ。それでいいからお願い」
「ああ、わかったよ。えいっと」
 悪魔は手を振りかざした。私には何かが起こったようには見えない。
「ねえ、もうできたの?」
 私は悪魔に尋ねた。
「ああ、できたよ。これで彩は転校する。あっそうそう彩の父親には会社での横領事件をかぶってもらうことにした。彩の父親は逮捕されて家族はこの辺に住めなくなる。そうなれば当然遠くに引っ越すことになるよね。めでたしめでたし」
「えっ、横領? ちょっと待ってよ。転校するだけでしょ? 私、そんなことは頼んでない」
 私の脳裏には彩の優しそうな父親の顔が浮かんだ。
「おいおい、何をいまさら。散々言ってきただろ? 私は悪魔だ。私が出来るのは誰かを不幸にすることだ。ただ転校させるだなんて出来ないんだよ。ちなみに約一週間後に彩の父親は会社から横領の罪に問われて、警察に引き渡される。もう少しお待ちください」
 悪魔は不気味な笑みを浮かべながら丁寧にお辞儀をした。
「ねっ、ねえ、取り消せないの?」
 私は立ち上がり、声を震わせながら訊いた。
「それは無理だね。もう着々と準備が進んでいる。誰にも止められやしない」
 悪魔が首を横に振った。
「そんな……」
 私は膝から崩れ落ちた。
「いやあ、やっと君の願いを叶えることができたよ。長かったなあ。これでもう私は君の前には姿を現すことはない。それではサヨウナラ」
 悪魔は微笑むと一瞬で姿を消した。
 どうしよう。私のせいで彩の家族を不幸にしてしまう。彩は家族と仲が良いし、みんないい人だ。あんな良い人たちが不幸になる。
 後悔に苛まれた私は何度の「悪魔」と呼んだ。しかし悪魔が姿を現すことはなかった。
 
 翌日、私はショックで寝込んでしまい学校を欠席した。彩に申し訳なさすぎる。冷静になって思えば彩はそこまで悪いことをしたのだろうか。あのときは頭に血が上って感情的になってしまったけど、今までの友情を捨ててしまうほどのことなのだろうか。たしかに宗助君を奪われたのはショックだったし、私に隠していたことは許せない。だけど彩もちゃんと宗助君に恋をしていたわけだし、それだったら元の状況は私と同じだ。そもそも私が宗助君に激しく熱を上げていたから彩が私に本当の気持ちを打ち明けられなかったんだ。彩の気持ちを思うと致し方ないことだったんだ。
 この日、私はベッドで毛布に包まりながら「彩ごめん彩ごめん」と泣き続けた。
 泣きすぎて涙が枯れたころ家のインターホンが鳴った。しばらくすると母が部屋の外から「彩ちゃんがお見舞いに来てくれよ」と声を掛けてきた。
「さあ、どうぞ。今お茶持ってくるからね」と誰かと母は話している。「いえ、大丈夫です」と答える彩の声も聞こえる。そうか彩はそこにいるのか。どんな顔で彩と会えばいいんだ。
 ゆっくりドアが開いた。毛布から顔を出してみると、彩がやつれた顔で立っていた。たった一日でここまでやつれるなんて彩も相当苦しんだんだ。
「入っていい?」
 彩が聞いてきた。私は「うん」とだけ答えた。
 そして、彩は私のベッドに腰をおろした。なので私も毛布から出て隣に座った。いつもだったらこういう風に二人でベットに座ってくだらない話をする。
「具合はどう?」
 聞きながら彩は私の顔を見て表情を硬くした。多分私の目元が腫れているからだろう。私はなにも話すことができない。すると彩が続けた。
「あのさあ、香澄。報告があるんだけどさ。私、宗助君と別れてきた」
 彩が明るく言いにこっと笑った。
「よくよく考えたら私がバカだったよ。だってさ香澄とケンカしてまで付き合いたい男子なんてこの世にいるわけないんだから。あの時は多分、宗助君から告白されて舞い上がっちゃったんだよ。魔が差したのかな」
 魔が差したか。私は悪魔の顔を思い浮かべた。彩が続ける。
「香澄は、私が宗助君と別れても裏切られたことに変わりはないから許せない気持ちだと思う。それはそうだと思うよ。裏切った事実は変わらないんだから」
 彩が俯きながら言った。そして「あっそうだ」と言いながらバッグから何かを取り出した。
「はい。これ。韓国のり。韓国旅行のお土産。昨日は渡しそびれちゃって」
 私の手に彩は韓国のりを握らせた。
 そうか。本当に韓国旅行に行ったんだ。それなのに私は彩を疑ってしまった。私はシーツを強く握った。
「許してくれないかもしれないけど、私が香澄を親友だと思っている気持ちは変わらない。だからさ、今まで秘密にしていたことを話すよ。これを打ち明ければもう香澄に秘密ごとはなくなるからね。だから聞いてほしいんだ」
 彩は真面目な顔で言った。秘密って一体何だろう。私は無言のまま首をこくりを縦に振った。
「多分、今から言うことは信じてもらえないと思う。だから誰にも話すつもりはなかった。でも、話すよ」
 彩はふーっと深呼吸をした。彩がこんなに緊張しているのは珍しい。
「私さあ、実はこっちに転校する前の中学校ではイジメられてたんだ」
 彩は俯きながら言った。イジメられていたなんて全然知らなかった。彩のことだから前の学校でも人気者だと思った。もしかして美人ゆえのやっかみがあったのかもしれない。私は彩の話に耳を澄ませた。
「あの頃は死にたいとまで思っていたんだ。いつも一人ぼっちだし。そんな地獄みたいな学校からの帰り道のことなんだけどさ、道でステッキを拾ったんだ。それで、ここからは多分信じてもらえないと思うんだけど。そのステッキの持ち主が天使だったの」
「えっ、天使?」
 思わず声に出た。この話は私が悪魔と出会ったことに似ている。ただ相手が天使とは……
「そうだよね。そういうリアクションになるよね。でも最後まで聞いてね。それでその天使がさ、私に言うの、『拾ってくれたお礼に願い事をなんでも叶えあげましょう』って。なんだか嘘くさいと思ったけど、その天使があまりにも優しそうだったから、私は正直な気持ちで願い事を頼んでみたの」
「なんてお願いしたの?」
 私は彩に尋ねた。
「うん。それはね、心から信頼できる親友が欲しいです。そうお願いしたの」
 えっ……
「最初は半信半疑だったけど、それから一週間後くらいにお父さんが転勤することになって、それで私も転校することになったの。そしたら……もう言わなくてもわかるよね。うん、香澄と出会えたの。私さあ、直観なんだけど香澄を一目見たときからわかったよ。ああこの人が親友になる人なんだって、この人が天使の贈り物なんだって。だから初対面なのに私気さくだったでしょう?」
 彩が照れくさそうに私を見た。その純粋な表情を見て、枯れたと思っていた涙が目にたまってきた。
「前の学校では地獄みたいな学校生活だったけど、天使のおかげで香澄と出会えてさ。まるで天国みたいに幸せだったよ。香澄、こんなこと言うのは恥ずかしいんだけどさ、私と出会ってくれて、私と親友になってくれてありがとう」
 彩の目にも涙がたまってきた。その涙はすぐに零れ落ちた。涙に濡れる彩の表情は今まで見たこともないほどにきれいだった。そうだ。彩は天使のおかげだっていうけど、彩自体が天使みたいだった。いつでも優しくて思いやりがあって、見た目だけでなくて心も美しい。そんな天使みたいな彩を私は不幸にしてしまうんだ。しかも家族ごと。
「あっ、彩、ごめん。ごめん」
 私は泣き叫びながら彩に抱き着いた。
「ええっ、ちょっとなんで香澄が泣くの? 香澄は何も悪くないじゃん」
 笑いながら彩が言った。
「ごめん。ごめん」
 私は彩の温もりの中、ただ謝ることしかできなかった。
「ねえ、どうして謝るの?」
 困惑したように彩から聞かれた。
 でも、私は本当のことを打ち明けることができなかった。