私、岡本奈津美(おかもと なつみ)は、今年も約束の場所に向かっている。

向かっている途中で、家族連れや友人、恋人などたくさんの人たちとすれ違う。
それなのに、カラン、カランと下駄の音が今日はやけに自分の耳に響いた。

ー八月上旬。
高校は夏休み期間中。
昼間はミンミンと蝉の鳴き声、夕方はジリリリとひぐらしの鳴き声、
夜でも、少し歩くだけでじわりと汗が出てくる、そんな暑い季節。

この季節になると、
夏祭りといっても、大規模ではなく、少し屋台が並ぶくらいの小規模の夏祭り。

そして、今日はその夏祭りの日。




「翔〜!こっち、こっち!」

手を大きく上げて、左右にぶんぶんと手を振る。
そんな私を見つけて、急いでこっちに向かって来る。

「待たせてごめん。」

そう言いながら私の元に駆け寄ったのは、彼氏の宮前翔(みやまえ かける)。

「何もなかったか?」

心配そうな表情で、聞いてくる。

「ふふっ」

見た目と反して、心配性な翔に自然と笑みが溢れてしまう。

「何、笑ってんだよ」

「だって…ふふっ、」

目が細く、周りからは目つきが悪いと言われ、
髪色は金髪で、耳にはたくさんのピアス。
服装は、ラフな格好だからなのか、誰がどう見ても不良にしか見えない。

そんな彼が、実はこんな心配性だなんて…
ギャップってこういうことを言うんだろうなあと思う。

「まあ、奈津美が楽しいならいいけど」

そう言って、私の頭を撫でた。

「ふふっ、何もなかったよ。
心配してくれて、ありがとう」

「何もないなら、よかったよ」

そう言って、ホッと安堵した翔。

そんな見た目とのギャップがある彼と私の関係は、恋人。

翔と付き合い始めたのは、高校入学してしばらく経ってからだった。
たまたま翔が受けていた補習授業を先生のお願いで私が手伝ったのがきっかけ。

最初は、見た目のこともあり、翔のことが怖かったけれど、少しずつ話していくうちに、彼が優しい人だと言うことがわかった。
たくさんの荷物を持ったおばあちゃんを見かけると声をかけ、子供が迷子になっていると一緒に両親を探す。
そして、毎回私を家まで送り、必ず歩道を歩いてくれる。

いつも気を遣ってくれる彼に、徐々に私の心も開いていった。
それは、翔も一緒だったみたいで…。

それから数日後。
翔から告白してもらい、お付き合いが始まったのだ。

「ねえ、翔。見て見て!
今日の浴衣、どうかな?」

その場で、クルリと一回転する。

今年の浴衣は、淡い紫をベースとした色に、いろんな花柄が描かれている少し大人っぽい感じの浴衣を選んだ。

少しでも、翔に可愛いと思って欲しくて。

「……可愛い」

ボソリと小さく呟いたその声は、私の耳にちゃんと届いて、自然と口角が上がる。

「ふふっ。やった!
じゃあ、行こう?」

翔の手をぎゅっと握り、屋台が並んでいる方に歩いて行く。

「最初はどこ行こっか?
何か食べたいものある?」

「わたあめだろ?」

「うん!」

「毎年、最初にわたあめ買うじゃねーか」

何の躊躇いもなく、わたあめが売っている屋台を探してくれる翔。

ふふっ。
些細なことを覚えてくれているのが嬉しくて、にやけてしまう。

素直に嬉しい。

「ありがとう」

それから数分歩くと、わたあめが売っている屋台を見つけ、わたあめを買ってくれた翔。

「はい、こぼすなよ」

「こぼさないよ…っ!」

わたあめを渡しながら、意地悪そうにクスクスと笑った。

ほんと、幸せだな。
ずっとこの幸せが続くといいな。

そう思いながら、口にわたあめを運んでいく。

「ねえ、翔」

「ん?」

「来年も一緒に来ようね」

「当たり前だろ?
来年も再来年もまた来ような」

ふわりと優しく笑い、私の頭を優しく撫でた。



「やっぱ、わたあめは最高だね」

「はいはい」

わたあめを食べ終えた私が、笑顔で言う。
それに対して、冷たく返事をする翔だけど、どこか柔らかいその表情に私は自然と笑顔が溢れる。


「次はどうする?」

「次はね、もう一択だよね!?
せーので言おうよ!」

翔の顔をチラリと見て、翔が答えられるか試してみる。

「せーの!」


「「スーパーボール!」」


「よかった〜、合ってた!」

翔と綺麗にハモったその声に心底安堵する。

「何、心配してんだよ」

もう一度、私の頭を撫でた。

「翔って、私の頭を撫でるの好きだよね…?」

今日だけじゃなくて、日頃から頻繁に撫でてる気がする。
いい頭の形でもしてるのかな、なんて思ったりする。

「そんなに撫でてるか?」

…うん、無意識だったみたい。

「今日、ずっと撫でてるよ?」

「…気のせいだろ」

プイッと私とは逆の方向に顔を逸らした。

一見、怒ったように思えるが、本当は違う。
これは、翔が照れた時にする行動なのを、私は知っている。

だって、耳が真っ赤になってるんだもん。

翔は照れたことを隠したつもりなんだろうけど、全然隠せていない。
そんなところも可愛いくて、好き。

彼女の私だけが知っている、特権。

「ふふっ、気のせいってことにしといたあげる」

翔を見ながら私は、微笑んだ。

それから、たわいもない話をしながら歩いていると、毎年必ず寄るスーパーボール掬いの屋台を見つけた。

「おじちゃん」

私と翔は、おじちゃんに話しかけながら、端の方で腰を下ろす。

「おお!今年も来たんだな!
可愛いお嬢ちゃんと、目つきの悪い兄ちゃん!
待ってたぞ〜!今年もやるだろ?ほれ」

嬉しそうにボウルとポイを翔が受け取る。

「今年もいっぱい掬ってやるからな」

意地悪そうにニヤリと笑う翔。

「できるもんならやってみな。
兄ちゃん、下手っぴだから無理だろうけどな〜!」

グハハと大きく口を開けて笑うおじちゃん。

初めて夏祭りに行ったとき、小さい頃はスーパーボールが好きだったという話を翔にしたら、記念にって、スーパーボールをプレゼントしてくれた。
それがきっかけになって、今では毎年夏祭りの思い出として、スーパーボールをプレゼントしてくれる。

毎年もらうスーパーボールは、瓶に入れて、部屋に飾ってある。
あの瓶がスーパーボールでいっぱいになるのが楽しみ。

「おじちゃん、見とけよ」

おじちゃんの目の前でスーパーボールを掬う翔。
けれど、ボールをポイの上に乗せる度に破れては流されていくボールたち。

「ふふっ」

そんな下手くそな翔を見て、笑い声が出てしまう。

「笑うなよ」

拗ねたようなその声に、おじちゃんは翔のポイを見て、

「兄ちゃん、もうボロボロじゃねーか!」

と、ゲラゲラと豪快に笑う。

毎年、聞いているその言葉。

「今年もおまけな!
好きな色言いな」

「あー!悔しい…!
来年こそは覚えとけよ!」

「はいはい」

毎年同じやりとりをするおじちゃんと翔に、また自然と笑みが溢れた。

「で、何色にするんだ?」

「奈津美は、何色がいいんだ?」

「今年も、黄色がいいな」

迷わずそう言い切る私に、翔は不思議そうな表情をした。

「黄色でいいのか?
他の色もあるんだぞ?」

「ううん、黄色がいいの!」

去年も黄色のスーパーボールをもらった。
今年も同じ色がいい。

だって、その色はー。

「翔の色だから」

「俺の色?」

「うん、翔の金髪の色!
一緒でしょ?」

黄色いスーパーボールを指差しながら、翔に向かって微笑む。

「……っ」

翔が、目を大きく開けて驚いた後、徐々に顔が赤くなっていく。

私たちのやりとりを見て、おじちゃんは呆れながら「あっちでイチャコラして来い」と言い、袋に入れてくれたスーパーボールを受け取った。

「じゃあ、行こっか」

私と翔は、その場から立ち上がり、手を繋いで、人並みに流されながらゆっくり歩く。

人のガヤガヤしたいろんな音や声が聞こえ、人混みの熱気でじわりと蒸し暑い風のはずなのに、どこかその風が心地よいと感じてしまう。

ずっと、このまま二人でいれたらいいのに…。

今日は、こんなことばかり思ってしまう。

だから、なのか。

「ねえ、翔」

足を止めて、私の前に歩く翔を見上げる。

「ん?」

翔も振り返り、私に優しい顔を見せてくれる。

「私、翔のことが好きだよ」

「何だよ、急に…」

何でだろう。
急に言いたくなってしまった。

「かけ、る…は?」

翔はなんて答えてくれるだろう…。

そう不安に思いながらも、翔をじーっと見つめる。
すると、少しの沈黙の後、翔が言葉を紡いだ。

「…俺も、好きだよ」

顔を真っ赤にして、今回は私の目を見つめながら伝えてくれた。

「ふふっ、来年も来ようね!」

「ああ、来ような」

私たちは、手をぎゅっと強く握り、残りの夏祭りを楽しんだ。




翔との夏祭りを思い返しながら、ゆっくりと歩く。

「おっ!お嬢ちゃん!」

声をかけてくれたのは、毎年必ず行くスーパーボールの屋台のおじちゃん。
私は、ぺこりと頭を軽く下げて、端の方に腰を下ろす。

「あれ…?今日は一人かい…?
あの目つきの悪い兄ちゃんは、どうしたんだ?」

キョロキョロと私の周りを見渡しながら、ボウルとポイを渡してくれた。
それらを私は受け取り、流れているスーパーボールを見ながら、口を動かした。


「……死んだんです。1ヶ月前に…。」


小さな、小さな、私のこの声がおじちゃんに届いたかはわからない。
ただ私はおじちゃんの顔は見ずに翔の髪とおなじ色の黄色いスーパーボールを掬って、ボウルの中に入れた。

ー翔は、1ヶ月前に交通事故で帰らぬ人になった。
事故の原因は、相手の居眠り運転だった。
道路に飛び出した小さい子供を庇った際、頭を強く強打し、即死だったそうだ。

翔の事故をきっかけに、私は外に出られなくなってしまった。
外に出ると、翔がいない現実を受け入れざるを得ない気がして…。

自然とこぼれ落ちてしまう涙。

だって、この前まで普通に会ってたよ?
頭を撫でてくれた翔のぬくもりも、
翔の少し大きい手も、不器用で優しい翔も…
全部、全部まだ鮮明に覚えている。

翔がもう、この世にはいない。

なんて、頭では理解していても、心が…私の心が追いつかないの…。
ううん、違う。
信じたくないの。

もしかしたら、フラッと翔が私の前に現れるかもしれない。

そう思って、今日は久しぶりに外に出た。
だって、今日は、来年も行くって約束した夏祭りの日…だから。

翔が「待たせたな」って言って私を迎えに来てくれるかもしれない。
そんな淡い期待を持ってしまった。

ーねえ、翔。
今日の浴衣はね、あの時、可愛いって言ってくれた淡い紫色の浴衣を着てきたよ?
私、ここで待ってるよ…?

「お嬢ちゃん。今日は特別だよ」

おじちゃんからスーパーボールの入った袋を受け取る。
袋の中には、2つのスーパーボールが入っていた。
1つは、黄色のスーパーボール、もう1つは私の浴衣と同じ紫色のスーパーボール。

おじちゃんの気遣いに心がじんわりと沁みる。

「ありがとう、ございます。」

おじちゃんにお礼を言って、その場から立ち上がり、人の流れに揺られて歩いていく。
数十分歩くと、あまり人がいないベンチを見つけたので、そのベンチに座る。

手に持っているスーパーボールの袋を高く上げて、じーっと見つめる。

「ねえ、翔。
どこに、いるの?」

そう問いかけるも、誰からの返事はない。
あるのは、蒸し暑い暖かい風が吹くだけー。

「私…翔がいないと無理だよ…」

袋をそのままソッと優しく抱きしめる。

もう一度だけ、翔に会いたい。
抱きしめて、欲しい…。

「か、け…る…っ」

だんだんと視界が歪み、霞んでいく。
ツーっと、頬を伝う雫。

その時、大きな風が勢いよくブワッと吹いた。

「かけ、る?」

自分の思い違いかもしれない。
ううん、思い違いだと思う。
それでも、今の風は翔だったんじゃないかと思ってしまった。

『奈津美』

私の名前を優しく呼んでくれたような気がした。

そう思った瞬間、更に溢れ出る涙。

「かけ、るっ、翔…っ」

ねえ、翔。
今、私の傍にいるの…?
もし、傍にいるなら聞いて?

私ね、これからも翔のことをすぐに探しちゃうと思う。
迎えに来ない迎えを期待して、待ってたりすると思う。
翔のことを忘れて前に進む…なんて、しばらくはできない。
翔がこの世にもういないなんて、まだ思いたくないから。

だって、
それくらい、大好き……愛していたの。

ううん。
今でも、翔のことー。


「愛してる」


ねえ、翔。
毎年、この夏祭りの季節になる度に、
翔をより一層思い出して、
翔が恋しくなって、
涙がたくさん溢れてしまうと思う。

だから、また来てもいいかな。
この夏祭りにー。

翔と私の思い出が詰まっているこの夏祭りにー。
そしたらね?
翔が告白の時、私の一番好きだと言った、〝笑顔〟を見せるから。

涙を浴衣の袖で軽く拭い、私はベンチから立ち上がる。

「また来年来るね。
愛してるよ…翔」

そう笑顔で呟き、足を一歩運ぼうとしたその時。

ーーブワッ!
先ほどよりも、勢いの強い暖かい風が吹いた。

その風はまるで。

『俺も、愛してる』

そう翔が伝えてくれた気がした。

翔からのメッセージが嬉しくて、私は、スーパーボールの袋を抱きしめながら、目から一筋の涙が零れた。

-END-