それから五年の歳月が過ぎていった。
 ずっと抱えていた不安から、ついに解き放たれる時が来た。重病人のレッテルが剥がされたのだ。
「今日の血液検査でも特段の異常は見られませんでした。ようやっと終わりにできますね」
「大変お世話になりました」
「いえいえ、私は様子を見ていただけでしたから。それにしても紹介状に添付されていた遺伝子解析の結果、今思えば驚きですね」
 担当の先生の話によると、この数年間で白血病の遺伝子研究は劇的に進歩したらしい。結果、私と同じ遺伝子異常の白血病は治癒率が高く、移植の必要がないとまで言われるようになった。
 金井先生は未来を先取りできる人だったんだなと、納得しかなかった。
 さて、これでやっと先生に報告ができる。そう思い、かつてお世話になった病院のホームページを開く。
 
 あの時はまだ女子高生だった私が、いっぱしの社会人になって仕事してますよ、と伝えたかった。人生を取り戻してくれた恩人で、心嬉しい時間をくれた片想いの人である、金井先生に。
 
 ところが、いくら調べても金井先生の名前は見当たらなかった。
 ――どうして?
「金井紘一」という名前に間違いはないはず。それなのにいくら検索しても金井先生に行きつくことはできなかった。
 勇気を出して医局に電話をかけたところ、金井先生は退職し、詳しい情報は不明だと知らされた。
 途方に暮れ、先生のことをぼんやりと思い出す。
 
 ――先生、今も研究、頑張ってるのかなぁ。
 その「研究」という言葉を思い浮かべた瞬間、突然の閃きが舞い降りた。
 
 私の大学の卒論は、日本茶の歴史をテーマとしていた。その時、お茶の薬効を調べるために、医学や薬学の論文をインターネットで検索したことを思い出したのだ。
 ――もしかしたら、先生の論文が見つかるかもしれない。
 すぐさま専門の検索エンジンで”Kanai(金井)””leukemia(白血病)genome(遺伝子)”と入力する。するといくつか、候補の論文がリストアップされた。間違いない、金井先生の論文だ。
 所属機関はかつて私が治療を受けていた大学病院の名前が記されている。けれど、最新の一編は違っていた。私でさえ耳にしたことのある、とある米国の大学だった。
 ――先生、海外で活躍しているんだ!
 突き止めたからには気持ちが止まらない。空振りだったらしょうがないけど、私のメッセージが先生に届くかもしれない。
 急いで国際郵便の書き方を調べ、手紙を用意する。私の近況にメールアドレスを添えて、海の向こうへと送り届ける。
 先生から返事が来たのは、それから間もなくのことだった。

『はじめて滝崎さんに会ってから、もう10年が経つんですね』
 今年もまた、頂いたメールを読み返しながらペンを走らせる。あの時のように話しかけられている気分になれるからだ。
『そろそろ種明かししたいと思いますが、あの時教授に逆らって移植治療を選ばなかったことが、海外に飛び立つきっかけになったんです』
 
 年に一度、夏に送ると決めていた手紙。他愛のない最近の出来事と、先生への応援メッセージを書き連ねる。
『教授の怒りを買ってお払い箱同然でしたけど、さいわい海外の施設に研究業績を認められまして』
 
 次に赤と青のストライプで囲まれた薄手の封筒を用意する。英語に不慣れなせいもあって、送り先を書くのはいまだに緊張する。
 
『そのおかげて今も絶賛研究中です。滝崎さんもお仕事頑張ってくださいね』
 先生は今も私を旧姓で呼んでいる。結婚したことはあえて伝えていなかったからだ。
 入社して二年ほど経った頃、職場の先輩に告白された。
 どことなく金井先生に似た、無邪気な笑顔を浮かべる人だった。病気のことはちゃんと話したし、もう終わったことだと私自身が吹っ切れたから、お付き合いの決心がついた。
 
『追伸 国際郵便でなくて、メールで十分ですよ。手間もお金もかかるでしょうから』
 いつもそう書かれていたけれど、私は毎年、手紙を送り続けていた。書き始めてから、いつか先生を驚かそうと考えていた作戦があったからだ。
 そして今回、私はついに作戦を実行する。
「これでよし、と」
 完成した手紙を見直していると、夫が私の隣に腰を下ろした。
「手紙、俺が出してこようか」
「ううん、今年は自分の手で投函したいと思うの」
「ああ、たしかにそうだよな。先生、これ見たら驚くかな」
「結婚していたことは驚かないと思うけど――こっちはどうだろうね。でも、絶対に祝福してくれるよ」
 私がそう言うと、夫は手紙の最下段に視線を向けた。今回は特別に一枚、写真を貼っておいたのだ。
 そこに映るのは、愛する夫と、この私。それから――先生の信念が与えてくれた、最高の宝物だ。
 その写真の隣には、朱色のちいさな手形が押されていた。
 了