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「ええい! よくもこんなにうじゃうじゃと沸いてでてくるね! 無尽蔵とはまさにこのこと! だけど、あたしの剣の前に、切り倒されて行くんだね!」
ざあ、と市子が太刀を振るい、結界の外に出ている彼女たちを喰らおうとしていたあやかしたちをなぎ倒していく。
「醜いものは、私の前から消え失せて。私たちがお前たちの前に小さくなっていると思ったら、大間違いなのよ」
三日月型の飛刀(とびがたな)を左右の手から華麗に繰り出し、その弧を描く軌跡の中で、襲ってくるあやかしを切りつけていく。操る刀は血のりにまみれた姿で芙蓉の手に再び収まる。
「ああ、汚い。私、おまえたちの、そういう獣くさい所が、本当に嫌い」
市子と芙蓉が前線に立ち、その後ろで父が結界をひろげている。ずりずりと邑の領域が広がっていき、中にいる邑長たちは、歓喜に大興奮だ。そんな惨状に連れてこられた咲は、飛刀を手にした芙蓉に力いっぱい抱き付いて、その動きを止めた。抱き付かれた芙蓉は咲もろともその場に倒れ込み、一瞬その場に虚を生んだ。
「な、名無し!?」
唐突にその場に現れた咲に、芙蓉の動揺は大きく、またその声に市子も振り向いた。
「名無し!? お前、生きて……!? ……ははあ、どうりであやかしたちが活発なわけだ。お前は何処までも役に立たないね! これだから無能は!」
怒号にも似た言葉に、咲は市子を見据えて立ち上がった。
「お母さまも、芙蓉も、お父さまも邑長も、もう止めて。あやかしたちが獰猛に思えるのは、元はと言えばあやかしとの間に築かれた協定を破ったこの邑の所為じゃない。つつましく暮らしていれば、あやかしは領域を超えて人を襲ったりなんてしないわ」
咲の言葉に市子の一喝が飛ぶ。
「馬鹿言ってんじゃない! こんな痩せた土地の邑でせせこましく暮らしてて、なんになるんだい! あたしたちはみんなの為にやってるんだ。邑から追い出したお前が意見すべきところじゃない!」
市子が叫ぶ後ろの結界の傍で、光の粒が立ち上り始める。朧が生まれてきているのだ。
(この強欲さが、朧を生んで、悪鬼に変えていたんだ……。だから私は夜だけじゃなくて、昼間にも朧に出会っていたんだ……)
家族の言葉が行きつくところを理解した咲は、市子に向かって叫んだ。
「だからって言って、約束を破って良いの!? お母さまたちが生み出した悪鬼を手に掛けて辛かった人だっているのに! 朧だって、悪鬼になって狩られるなんて嫌だったと思うのに!」
咲が叫ぶと、抱き付いていた芙蓉が力任せに咲を地面に叩きつけた。もともと健康に育っていた芙蓉にとって、いっとき食に満足していただけの咲を力任せにすることなど、造作もないことだった。
「うるさいわね! そんなにあやかしの力になりたいなら、今度こそあいつらに食われておしまい! あいつらは人間を食えば満足するわ! お前が食われることで、何ヶ月かは結界が脅かされずに済むから、お前も私たちも万々歳よ!」
芙蓉の言葉に、そうだ、それが良い、と市子が乗り出してきた。市子の強い力で地面にねじ伏せられ、あやかしがそそられるように芙蓉が咲の頬に飛刀で傷をつけた。
「ふふふ。血のにおいにそそられて、あやかしたちがお前を食いつくしてくれるでしょうね。私たちは今度こそ、鬱陶しいお前の断末魔を見届けてあげる。ほら、見なさい。もう匂いにつられて、大物が出てきたわよ」
芙蓉の視線の先を見ると、朧たちの透明な体が濁りはじめ、小さな光の粒がいくつも合わさって、どんどん大きな影に育っていた。朧が生まれて来ていたのに救えなかった現実が、咲の胸を突く。
「あはははは! あやかしに同情するお前があやかしに食われるさまは、これ以上ないくらい滑稽だわね!」
「そいつらが大人しくなっている間に、あたしたちはまた結界をひろげることが出来る! 今まで生かしてやった恩を、ちゃあんと返すんだよ、名無し!」
高らかな笑いの背後で、とめどなく光の粒が生まれる。ゆらゆらと浮遊するそれらは、市子たちの背後で大きくへんげし、やがて角を得、牙を得、爪を得、獰猛な成りに変化していく。市子たちの我欲の強さに、朧たちが合わさり、悪鬼に変化しているのだ。
(私の家族が、千牙さんを苦しめていたんだ……。私がもっとちゃんと、お母さまたちを説得できていれば……)
やさしくしてくれた千牙に対して、恩を返しきることが出来なかった。咲は悪鬼の手に体を握られ、べろりと頬の血を舐められた。
『うまい、うまい……。人間の血……。このまま丸ごと喰うてやろうぞ……』
カカカ、と吠えるように笑う鬼が大きな口を開き、咲を飲み込もうとする。咲は今度こそ命の末路を見、そっと髪に刺された桜に触れた。
「お母さまたちは、私が何を言っても聞く人たちじゃなかった……。千牙さんに救ってもらった命もここまで……。出来れば、桜玉。あなたが私の代わりに、千牙さんの苦しみを解いてあげて欲しい……」
自分が成しえたかったことをかの桜に託す。
(千牙さんが苦しまない未来を、作れなかった。でも、きっと桜玉が私の遺志を継いでくれるはず……)
命が潰える間際に、わずかの希望を託す。そこへ。