お茶会は学期末テストの結果発表後、各教室の担任教師から明日以降の夏休みの宿題などを受け取り、夏休み期間中の諸注意を確認した後からの開催だ。
 ちょうど昼食の時間前、一時間半ほどの開催となる。

 その後は解散して、生徒たちは一学期最後の昼食を食堂で取るなり、仲の良い生徒や派閥の者同士で街に会食に出たりと様々である。

 場所は、全校生徒が入れる学園内の大講堂で、各学年、各教室ごとに長机をお茶会仕様に設えて行われる。



 今回のお茶会には特別ゲストとして先王ヴァシレウスが臨席する。
 学園長のエルフィンの挨拶や紹介の後で、ヴァシレウスが式辞として話し始めて少し経った頃。

 3年C組の生徒たちが座る席の辺りが騒がしくなった。

 後から大講堂に入ってきた生徒たちがいた。ジオライドとその取り巻きたちだ。
 ジオライドは既に着席していた三年C組の席のイザベラの元へ向かう。

 だがイザベラが相手をせず無視し続けると、我慢できなくなったようで顔を真っ赤に怒らせて彼女を怒鳴りつけた。

 周囲の生徒たちが手を上げようとするジオライドを必死で押し留めている。その中には、イザベラの護衛を任されていた伯爵令嬢たち、それにカズンの友人のライルもいた。

「話があるなら後でにしろ! 今は不味いって、おいジオライド!」

 ライルが可能な限り声を潜めてジオライドを席に着くよう促すが、腕を振り払われてしまっている。

「やはり、貴様のような卑しい生まれの女とは婚約破棄だ! いいか、もはや貴様が何を言おうと覆さないからな!」

 大講堂内に一際大きくジオライドの声が響いた。

 しん、と空気が瞬時に凍る。



「彼、すごいね。こんな大勢の前でわざわざ婚約破棄するなんて」

 転校してきたばかりで、学級委員長のカズンの隣の席だったイマージが、興味深そうに感心している。

「この国の貴族って、あんな感じなの?」
「……他国人の君に誤解しないで欲しいのだが、あれは我が国でも例外中の例外だ」

 小さな声で他愛ない会話をしつつも、カズンは冷静に3年C組を見ていた。

「先王陛下のお言葉の最中に騒ぐなんて、不敬の極みですけど。あ、ほらヴァシレウス様があっち見てますね」
「本当だ……くそ、仕方がない」

 ヨシュアが言う通り、ばっちりヴァシレウスの視線が問題の生徒たちに向いている。

 隣の3年B組にいるユーグレンと目が合った。軽く顎で『お前がやれ』と促されて、はあ、と大きな溜め息をつきながら、カズンは黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら立ち上がった。

 大きく息を吸い、

「おい! そこ、3年C組の生徒! 先王陛下のお言葉を阻害するとは何事か! これ以上騒ぐようなら退場せよ!」

 広い大講堂で、カズンの凛とした声は全体によく通った。
 生徒や教師たちの視線が一気に、3年A組のカズンと、3年C組付近で立っているジオライドに向く。

 ジオライドは勢いよく振り返って声の主を見たが、立ち上がっていた生徒が黒髪黒目の持ち主と知り、渋々ではあったが着席した。

 現在、学園で黒目黒髪の生徒はユーグレン王子と王弟カズン、二人しかいない。
 眼鏡をかけている方は王弟だとすぐわかっただろう。分が悪いと判断したようだ。



「………………」

 しばし、何とも具合の悪い空気が大講堂内に流れる。
 少しの間を取った後、再びヴァシレウスが話を再開した。
 既に挨拶は済ませてあったため、話の主題は今年の王家の活動についてだ。

「今年、我がアケロニア王家からは大きな発表を予定している。……うむ、情報の早い者は既に見当が付いているだろう。そう、今年は女傑イザベラ・トークス子爵夫人の没後五十年にあたる節目の年である」

 トークス子爵夫人、と聞いて、着席したばかりのジオライドが顔を上げた。

「おや。彼、気づきますかね」
「気づいてどうなる」

 ヨシュアが耳元に囁いてきたが、カズンにもこの後の展開は止められない。

「彼女の業績は、この国の国民ならば誰もが知る偉大なものだろう。女傑イザベラの活躍によって、我が国に蔓延っていた違法な奴隷売買と、過度に他者を虐げる身分差別は撤廃された。私は彼女の勇気に感銘を受け、やや時間はかかったが在位中に平民の参政権を認め、官僚への門戸を開いた。この学園も以前は貴族しか入学できなかったが、今は半数以上が平民層の生徒となっている」

 拍手が鳴る。平民への参政権付与はヴァシレウスの業績の中でも、一際大きなものの一つだ。

 ジオライドはもちろん、女傑イザベラが、自分の婚約者トークス子爵令嬢イザベラの曾祖母であることを知っている。彼の方を見ると、何とも面白くないと言わんばかりに、整っているはずの顔を歪めていた。



「今年、王家は女傑イザベラの名誉を回復する決定を下した」

 そこで、ヴァシレウスは一度、言葉を切った。
 どういうことなのかと、静かにヴァシレウスの発言を見守る教師や生徒たち。

「女傑イザベラの伝記にもあるように、彼女は貧民層出身とされている。それが苦労の末に成り上がり、最終的に当時のトークス子爵に見初められ子爵夫人となったと。……だが、それは事実に少し足りないものがある」

 生徒も教師も、息を呑んでヴァシレウスの次の言葉を待つ。
 女傑イザベラの生涯が書かれた伝記本は、庶民なら子供の頃から絵本の読み聞かせで親から教えられるし、貴族家の子息子女は教養の一環として学習資料の一部に必ず入っている。
 本来なら、トークス子爵令嬢イザベラと婚約したジオライドも、大雑把にでも目を通しているはずなのだが。

「女傑イザベラは、我、先代国王ヴァシレウスの父である先々代国王と、馬屋番の娘との間に生まれた庶子である。……そう、私の異母姉にあたる」

 以降、淡々と女傑イザベラの真の経歴が語られる。
 馬屋番の娘は、先々王の幼馴染みだったという。
 彼女の父親は当時の騎士爵を持っていた人物で、現役時代は王立騎士団の一隊長の地位にあった人物と判明している。馬の扱いに長けていたため、引退後は自ら望んで馬屋番となっていた。
 更に詳しく出自を確認すると、子爵家の四男で貴族家出身だった。

 馬屋番の娘自身、先々王の馬の手入れを担当しており、その縁で子供の頃から先々王と親しく、やがて年頃になって懇ろになった。

 馬屋番の娘が先々王の子を身籠ったとき、既に父親は亡くなっており、身近に頼れる者もいなかった彼女は出奔し、王都から離れたトークス子爵領の救護院で娘を産んだ。それが後に女傑イザベラとして知られる女性である。

 実母はその後、イザベラの物心付く頃までは存命だったが病死し、イザベラは教会に預けられて少女時代まで育つ。
 その教会もやがて困窮によって閉鎖され、その後数年間、イザベラは商店などで住み込みの下働きをしながら暮らしていたらしい。

「女傑イザベラが最初に知られるようになったのは、スラムなど貧民窟の救済だった。このエピソードが原因で、彼女が貧民層出身という誤解が生まれたものと思われる。彼女の救済策をもとにして、現在では国内各地で衛生向上の恩恵を受けているというのにな」

 生徒たちの幾人もが大きく頷いている。
 女傑イザベラが残した活動記録とそれを元に編纂された伝記には、弱者救済のヒントが溢れている。
 今でも慈善活動を行う貴族婦人の中には愛読書として座右の書にしている者が多いと言われる所以である。



「私は、先々王だった父の晩年に本人から直接、女傑イザベラに関する調査資料とともに本件を託された。当時は私もまだ血気盛んな若造だったので、親の醜聞の後始末に憤ったものだったが……『初恋の女との間の子だ、頼む』と頭を下げられてしまっては、否とも言えぬ」

 イザベラは先々王が正妃と婚姻を結ぶ前の娘である。
 というより、先々王が馬屋番の娘と結ばれたのは互いに十代半ばほどのときで、互いにまだ子供といって許される年齢の頃だったらしい。
 そういう事情もあって、ヴァシレウスは父王の一番最後に産まれた王子だったこともあり、父がまだ成人前に産まれたイザベラとは大きく年が離れている。

 それから数度面会し、イザベラが亡くなるまでの間に交わした手紙は数知れず。
 本人の意向により、イザベラが王家の血を引くことは、ヴァシレウスと女傑イザベラの婚家トークス子爵家以外には秘したままとされた。

「だが、高齢の私の天寿も間もなくであろうし、女傑イザベラ没後50年のこの節目を逃せば真実を知らしめる機会はそうそう無くなる。王家はトークス子爵家と話し合いを重ねた結果、真実を公表することとした」

 彼女の名誉の回復と、それに伴い嫁ぎ先であり彼女を通して王家の血を受け継ぐトークス子爵家を伯爵位に陞爵することとなった。
 この件は後日、国内の新聞各社を通して公式に発表すると言って、ヴァシレウスは話に一区切りつけた。