一学期の期末テスト後には、生徒たちが楽しみにする、全校生徒参加のお茶会が大講堂で開催される。

 今年は最終学年に二人の若き王族がいることもあり、スペシャルゲストとして先王ヴァシレウスが臨席する。

 王族の中で最も高い人気を誇るヴァシレウスを間近で見ることができると知って、生徒たちは皆浮き足立っているようだ。



 お茶会の前にトークス子爵令嬢イザベラは、人気の少ない校舎裏に呼び出された。

 呼び出したのは婚約者のラーフ公爵令息ジオライドだ。
 彼は金髪に青目、背も比較的高く顔立ちも悪くない。
 だが、幼稚な欲望にギラギラと目を輝かせている顔つきは、とてもじゃないが正視に値しなかった。

 イザベラには密かに護衛とカズンたちが付いている。ついに来たかという感じだ。
 護衛たちはイザベラたちの間にすぐ飛び出せるよう、近くの木陰に身を隠し、カズンたちは建物の影から様子を窺う。



「トークス子爵令嬢イザベラ! 貴様のような不細工で卑しい血を引く女は、次期ラーフ公爵たる私に相応しくない! よって婚約破棄させてもらう。だが、お前がどうしてもと言うならば……」
「はい。婚約破棄、承りました」
「なに?」

 思っていた反応と違うらしい。戸惑った声がジオライドの口から漏れた。

「私との婚約を破棄されるのですよね? 異存はございません。承りました」
「なッ、そうじゃない! お前がその身をもって私を慰めるというならこのまま婚約を続行してやろうというんだ。結婚はするのだから構わないだろう?」

(いやホント、こいつ何なんだ? 同じ人間かよ)
(僕もさすがに聞いてるのが辛くなってきた。イザベラ嬢はこれをずっと相手にしてきたのか……心底、尊敬する)

 これまでのジオライドの発言を見る限り、彼はイザベラの出自は気に入らなくとも、本人の身体には執着しているように見える。

 イザベラは一見地味な顔立ちだが、それは暗い茶髪や化粧っ気の無さゆえだろう。
 体型はふくよかだが、よく見ると豊満な胸や腰から尻へのラインには、この年頃に見合わない色気と美しさがある。

 更によくよく見れば、以前ヨシュアが指摘したように、美丈夫の多いことで知られるアケロニア王族の血筋とわかる顔立ちだ。
 これで痩せさえすれば、カズンたちとよく似た容貌の持ち主とすぐわかるのだが。

「私も貴族の女です。婚前交渉など恥ずかしくてできません」
「何を反抗的なことを! 賎民の末裔の分際で貴族の女とは笑わせるな! お前は私の言うことを聞いていればいいんだ!」

 懐から腕輪状の魔道具を取り出し迫ってくる。
 だが、すぐに護衛の伯爵令嬢二人がジオライドの前に出た。
 剣を構える伯爵令嬢たちの姿を見て、すぐにジオライドは慌てて腕輪をまた懐に隠した。



「お前は私の奴隷だろう! そのような生意気な態度が許されると思うのか!」

 ああ、ついに言ったか、と隠れて様子を窺っていたカズンは内心で溜め息をついた。
 奴隷扱いしても構わない相手だと、本人の口で認めてしまった。

 当然ながら、現在のアケロニア王国に奴隷制度などというものはない。円環大陸全体を見ても、採用している国や地域は現在ほとんどないはずだった。
 もし奴隷を売買したり使役していることが判明した場合、人権侵害で相当重い刑罰が待っている。

 何より、イザベラの家トークス子爵家は、数代前の子爵夫人の女傑イザベラが中心となって奴隷売買を摘発し、根絶させた業績を持つ家である。

(そのトークス子爵家のイザベラ嬢に『お前は私の奴隷』と言うか。ジョークにしては笑えないな)
(カズン様、この会話は一応、魔法樹脂で音声を記録してあります。でもちょっと、不味いですね)
(貴族も平民も、数代遡れば奴隷売買の被害に遭った家は多い。この発言を聞いた者がラーフ公爵家を焼き討ちに行ったとしてもおかしくない)

 この世界では、万人が魔力を持って魔法や魔術を使えるわけではない。
 広い円環大陸の中で、アケロニア王国は王族や貴族は大量の、平民でも多少の魔力を持つことが多い。

 実はこのような国は円環大陸全土で見れば、非常に珍しい部類に入る。世界全体から見れば、魔力を持たない人間のほうが多かった。

 過去、この魔力を目当てとして国民全体が狙われた時期があった。
 結果、国内で国民が多数誘拐され、国外で売られるという違法な奴隷売買が横行した時代が続いたことがある。

 この、国を跨いだ犯罪を摘発し、奴隷売買組織を徹底的に壊滅させて、アケロニア国内においても完全な違法行為であると法律を確立させたのが、当時のトークス子爵夫人イザベラなのだ。
 容赦なく行われた奴隷売買組織への粛清はこの上なく苛烈で、水も漏らさぬほどだったと当時の記録が残っている。
 これらの逸話から、彼女は“女傑イザベラ”と畏敬の念を込めて呼ばれることになるのである。

 その女傑イザベラの血を引くことは、現在のトークス子爵一族の誇りだろう。
 もちろん、同じ名前を授けられたイザベラにとっても。

(ジオライドの野郎、気づかねぇのかな。奴隷って言われた瞬間、イザベラ嬢の目つきが変わったぞ)

 さすがに剣士のライルは、よく観察していた。

「……いいえ。私はトークス子爵家のイザベラ。誰の奴隷でもございません」
「この……ッ、お前のような下賤な者と婚約し、トークス子爵家を助けてやった恩を何と心得る!」
「そういった家同士のことは、父がラーフ公爵様と話し合われると思います」



 まだ怒鳴り続け罵倒しているジオライドと、彼を宥めようと必死な取り巻きたちを置いて、イザベラは護衛の伯爵令嬢たちとその場を後にした。

 ジオライドたちから見えない場所まで来た時点で足を早める。走ってすぐ校舎に駆け込み、先ほどまでいた校舎裏に一番近い教室へと身を滑り込ませた。

 すぐに、近くで様子を窺っていたカズンやヨシュア、グレン、イザベラのクラスメイトであるライルも追いかけて合流した。



 教室内には生徒会長のユーグレンと生徒会役員数名。

 学園長のライノール伯爵エルフィンも、顔を押さえ悲しげな表情で俯いている。

 そして、イザベラの父、トークス子爵。
 その隣には青ざめて今にも倒れそうなラーフ公爵もいた。

 子爵と公爵の傍らには、難しい顔をした先王ヴァシレウスが。

 教室の窓側にはカーテンが全面に引かれ、窓が四分の一ほど開いている。
 つまり、先程の校舎裏でのイザベラとジオライドの会話は、教室内にいる者たちには筒抜けだったということだ。

 イザベラは今朝、登校して教室に入ってすぐにジオライドの取り巻きから、学期末テストの結果発表後、放課後のお茶会の前にここに来るように、と場所が書かれたメモを渡された。

 メモの内容は即座にカズンたちに報告が上げられ、この面子が集ったわけだ。

 ヴァシレウスは元々、この後のお茶会のゲストだったから早い時間に学園に到着していた。
 学長室でエルフィンと歓談していたところ、ジオライドがイザベラを呼び出したと聞き、彼の命令で即座に両者の父親に使いを出してそのまま学園まで連れて来させたのだ。

「『我が息子がそのような愚かな行いをするはずがない』だったか、ラーフ公爵。何か物申すことはあるか」
「いいえ……このたびは愚息がとんでもないことを……」

 全身を小刻みに震わせているラーフ公爵を、さすがに誰も支えようとはしなかった。
 学生時代からの友人同士である、トークス子爵もだ。

「茶会の後で、王家を交え話し合いを行う。良いな?」
「……はい」