既に昼休みは終わっており、カズンはグレンと3年C組の風紀委員には教室へ戻るよう促した。

 ヨシュアを伴って一度A組へ戻り、以降の授業を欠席することを伝えてから、ユーグレンのB組を訪れる。
 当然、授業中であったが、構わずユーグレンを呼び出して、ともに学長室まで赴いた。

「やはりそうなったのね……」

 C組でのジオライドの件を、既に先んじて学長室まで報告しに来た生徒がいたようだ。

 学園長のライノール伯爵エルフィンは、世も末といった悲愴な表情で白い顔を片手で覆っていた。

 カズンから詳しい話を聞いたユーグレンも難しい顔になった。

「……状況は理解した。もはや話し合いでどうにかなる状態ではない、か」

 イザベラのクラスメイトたちも、ジオライドとその取り巻きたちの暴言や暴力に辟易としている。
 だが、やはり本人が国内有数の公爵家嫡男というのが強い。

 実は最近も一度、C組の生徒たちは風紀委員会を通じて学園側に問題を訴えている。
 しかし、ジオライドのラーフ公爵家は学園に多額の寄付をしていて、令息のジオライドに強く注意できないとは、以前も聞いた学園長のエルフィン談だ。

「それとなく、差し障りない程度にオブラートに包んで、ジオライド君の父君のラーフ公爵閣下に報告はしていたのよ」
「でも、あまり効果はなかったようですね。むしろ悪化してますよ、エルフィン先生」

 ヨシュアの指摘に、本当に頭が痛いと言って、エルフィンは執務机の上で頭を抱えてしまった。

「学園からの報告を受けて、ジオライド君は父君からそれなりにきつく叱責されたみたいね。そのせいで、ますますイザベラさんへの態度を悪化させることになってしまった……」

 さすがにそれを見てしまうと、クラスメイトたちもお手上げ状態だ。自分たちが下手に手出し口出しすると、イザベラへの被害が増える。
 エルフィンも、まさかここまで酷い状況になるとは思っていなかったという。

「ジオライド君は公爵家嫡男よ、王家に次ぐ家柄の出身で、次期公爵。まさか、婚約者の令嬢を襲って弄びたいと公言するだなんて、誰が予想できたというの……?」

 しかも、子爵令嬢とはいえ王家の血筋を引いたイザベラを虐げ、平気で暴力を振るうなど、正気の沙汰とは思えない。

「エルフィン先生。あなたが責任感の強い良い教師であることは、私もよくわかっています。ラーフ公爵令息の件は最早あなたの手に余るでしょう」
「ええ。現時点では、これ以上私の立場から何かすることは難しいわ」
「では、この件はしばらく王家が預かります。ただ、学園内で起きた事件なので、学園長のあなたも何らかの責任を負わされるかもしれない」
「責任逃れをするつもりはなくてよ。監督責任を果たせなかったと言われたら、減俸でも学園長の解任でも甘んじて受けるつもり」

 エルフィンも既に覚悟を決めているようだった。



 その後、カズンはユーグレンの指示でトークス子爵家へ馬車を走らせた。
 トークス子爵に話を通してからイザベラを連れ、一度、自宅のアルトレイ女大公家で保護せよというのが、ユーグレン王子からの指示だった。

 イザベラ本人を交え、父ヴァシレウスと母セシリアにも事情を説明して助力を請うた。

 そしてイザベラの口から語られた、カズンもまだ知らなかった彼女の婚約者、ラーフ公爵令息ジオライドの言動は、あまりにも下劣過ぎた。

「私をどのように汚し、貶めるか。醜い女だから木の棒でも突っ込めば喜ぶだろうなどと、目の前でいつも嬉しそうに話されていました……もう、私はどうすれば良いのかわかりません……」

 イザベラの置かれたあまりの過酷な状況に、カズンも父母も声を失う。

「この国の身分制度の悪いところが出たか」

 ヴァシレウスが痛む頭を押さえている。
 アケロニア王国の身分制度は、“総合評価”だ。
 極端な例でいえば、貴族最高位の公爵家に平民層出身の女性が嫁ぎ、公爵夫人となったとする。
 この場合、公的な身分は公爵夫人だが、残り半分は平民層出身者という出自が本人の経歴として残る。
 他の貴族家が、彼女の実子と自分の家の子息子女の婚姻、あるいは保有する事業の提携などを計画する場合、この残り半分の“平民層出身”の項目がネックになりやすい。
 この経歴は、本人から見て祖父母まで遡って国の戸籍に記載され、社交において考慮される。

 だが、身分制度に執着する貴族の中には、“どこまでも”出自を遡って追求する者がたまにいる。
 恐らくラーフ公爵令息ジオライドはその類いだ。

 ラーフ公爵家は、建国からではないものの古い家柄で、高位貴族中心に婚姻関係を結び続けている家だった。

 婚約者のイザベラのトークス子爵家は、イザベラから見て曾祖母にあたる人物が貧民層出身であることが知られている。
 その血筋の子孫であるイザベラを婚約者とすることが、己の瑕疵であると短絡的に判断したのだろう。



 円環大陸も一年は共通の暦で12ヶ月、四季がある。
 まもなく7月に入り、学期末テストの時期で登校日が少なくなる。その後は夏休みだ。

 このままイザベラも登校日数を減らして、可能な限りジオライドと取り巻きたちとの接触を減らしてもらうことにした。

 また、ヴァシレウスはイザベラには護衛を付けることを提案した。幸い、イザベラとジオライドのクラス3年C組には、卒業後そのまま騎士団に入団する生徒が複数いる。
 たとえば、カズンの友人の侯爵令息など。

「それならライルを」

 イザベラのクラスメイトであるし、剣の腕は騎士団のお墨付きだ。

「いや、男子生徒だとラーフ公爵令息の余計な邪推を招いてしまう。イザベラ嬢、伯爵家以上の家格の令嬢で、騎士団入団が決まっている女生徒が数名いるだろう?」
「はい、ブランディン伯爵令嬢とウォーカー伯爵令嬢がおられます。子爵家と男爵家のご令嬢にも数名」
「ブランディン伯爵令嬢とウォーカー伯爵令嬢のお母様はあたくしのお茶友だわ! あたくしから話を通してあげる、きっと悪いようにはならなくてよ」

 手を叩いて、今すぐ二人の令嬢の家に手紙を書くと言い、セシリアが侍女にレターセットの準備を申し付けた。

 女騎士志望の伯爵令嬢二人も、3年C組でのジオライドの暴挙に不快感を覚えているのは間違いない。
 イザベラも、それとなくジオライドから庇ってもらったことがあるという。
 恐らく、二人の伯爵令嬢もイザベラの護衛を断ることはないだろう。