ジオライドとイザベラの件ですっかり頭から吹き飛んでいたが、カズンは今日の放課後は護衛役のヨシュアを伴って、ライルとグレンを自宅へ招く予定だった。
生徒会室を後にして、当初の予定通りそのままアルトレイ家へ向かうことにした。
何の用があったかといえば、前王家のロットハーナのことを二人に話しておく必要があったのだ。
アルトレイ家のサロンで詳しい話を聞いて、二人は何とも言えない複雑な顔になっている。
特に、ロットハーナの邪法が人間を素材にして貴金属に変えるとの話には強い不快感を覚えたようだ。
「うっわ、えげつな！ そういうのに、あんまり巻き込まれたくないけど……でも仕方がないかあ」
「……だな。うちのホーライル侯爵家も、グレンとこのブルー男爵家もがっつり絡んじまってるし」
ドマ伯爵令息ナイサー関連で、ロットハーナ一族が得意としていた隷属魔法や、隷属魔法を使った魔導具の存在が確認されている。
ライルもグレンも、被害を受けた側として無関係ではいられなかった。
「できるだけ情報を共有しておきたい。これまで通り、学園にいる間は昼休みや放課後だけでも顔を合わせるようにしたいのだが、かまわないか」
「「了解」」
ライルとグレンが声をハモらせる。
何だかんだ言って、気が合う二人のようだ。
ロットハーナの件を一通り話し終えて。
四人の話題はやはり、学園で見た男女二人の揉めごとの話になっていく。
トークス子爵令嬢イザベラがラーフ公爵令息ジオライドに罵られていた光景を思い出すと、カズンの胸が痛んだ。
比喩でなく、本当に胸部が押さえつけられたかのように痛い。
また、喉元が詰まる感覚も出ていた。
正直、偏頭痛まで出てきていて、つらい。
こめかみを指先で押さえて眉を顰めているカズンを、ヨシュアが心配そうに見つめている。
「彼女が気になりますか。カズン様」
「まあ、な。誰であれ、ああいう一方的に虐げられている姿は見たくないものだ」
あのように、人目のあるところでとんでもない騒ぎを起こしている貴族がいることも、信じられなかった。
「ライル様はあの二人と同じクラスなのですよね。普段のあの二人はどのような様子で？」
「んー……。席も離れてるし、挨拶以外で話したことはあんまりねぇな。選択授業も別だしさ。俺は空き時間があれば武道場行くことが多いから、教室であいつらが普段何話してるかもほとんど知らねえわ」
その授業の空き時間も、最近では１年のグレンの教室へ行ってしまうから、ますます教室にいる時間は少ない。
「一応、学園内で身分差別は禁じられてますけど、建前だけですもんねえ」
「外でだって普通はやらねえよ。みっともねぇったら。あんな態度を普段から取ってたら、周りは敵だらけになんだろが」
気分が悪いと言いたげにライルが吐き捨てる。
貴族令息が令嬢に暴力を振るうなど、紳士教育がなっていないにも程がある。
彼も侯爵家嫡男として高位貴族の一員だが、相手の身分であからさまに差別するような言動は少ない。
以前ホーライル侯爵領へ小旅行に行ったときも、ライルは港町で庶民の店の店員などにも、気さくな態度だった。
「処世術のなってない男でしたよね。本人が公爵令息だから、周囲も注意しにくいのでしょう」
「まあ、お山のバカ大将ってやつだな」
このアケロニア王国では、先王ヴァシレウスの代に、王侯貴族制の国でありながら平民の参政権を認めた。
これにより、優秀でありながら平民というだけで活躍を阻害されていた国民に、多くの新たな可能性を拓くことになる。
結果、五十年と経たずにアケロニア王国は大いに繁栄し、国力を増した。
アケロニア王国は『魔法魔術大国』と呼ばれているが、実際には円環大陸では中規模国家で決して大きな国ではなかった。
しかし、その繁栄は現在どの国も無視できないほどである。
今では王宮で働く官吏の中にも、多数の平民出身者がいる。
ユーグレン王子の側近候補にも平民層の者が選抜されていた。
カズンたちが通う王立学園で、身分差別が禁止されたのも、その流れによるものだ。
学園で学ぶ平民の中には、適切な教育を得たことで、下手な貴族の子息子女たちより優秀な才能を開花させた者が少なくない。
卒業後、もしかしたら高級官僚として貴族たちを統括する立場に立つ者が出るかもしれないし、実際、既に先例がいくつもある。
貴族家の生徒たちはそれを知っているから、賢明な者ほど、平民だからと言って見下し、マウントを取るような言動は慎む。
たとえ、己の血筋の尊さを誇りに思い、平民と机を並べることを貴族の矜持が許さなかったとしても、表面に出すことは滅多にない。
それが今の、貴族たちの“処世術”のはずなのだが。
◇◇◇
それから、カズンが目に見えて不調に陥った。
魔力を使う授業では、コントロール不能になって組んだ生徒に怪我を負わせる寸前だった。相手も貴族で、防御魔術を使える生徒だったから何とか大事にならずに済んだ。
今日も、何もないところで足を取られて転びそうになった。
隣にいたヨシュアが支えてくれなければ、床にキスしていたところだ。
教室では机の角にぶつかってつんのめり、眼鏡を落とす始末。レンズが割れなかったことだけが幸いだ。
そんな話を食堂でして、溜め息をついていた。
「ラーフ公爵令息の毒気に当てられたんじゃないですか？ あんなに酷いのは、ボクも滅多に見ないですし」
「……そうかもしれない」
自分が箱入りだなあと思うのは、こんなときだ。
両親に守られて、貴族社会なら当たり前にある悪意にあまり触れないまま、今日まで来た。
自分が王族で、いるだけで他者が敬意を払ってくれる存在ということもある。
先日の中庭で見たジオライドとイザベラのことを思い出すと、やはり胸が実際に痛むし喉も苦しい。
ヨシュアたちにも言っていなかったが、手の指先が冷たくなって、かすかに震えも出ていた。
(僕は怖いのだろうか？ 自分もイザベラ嬢のような目に遭うかもと思っている？ いや、今の僕の立場でその可能性は低い……)
異世界に転生したカズンは、チートな能力こそなかったが、いわゆる親ガチャや環境ガチャは超レア級を引き当てている。
王家に生まれて、周囲から無条件に尊重されるありがたい立場なのだ。
なのに、何度も何度も同じ光景が想起されては、脈が不規則に乱れる。少ない魔力も不安定になっていた。
そうして不調続きのカズンを、周囲はとても心配していた。
数日経ってもその調子だったので、落ち込んでいるカズンを励まそうと、ライルが領地から食材を調達してくれた。
「まあこれでも食って元気出せ、カズン」
「こ、これは……！」
ライルが食堂に持参していた紙袋から、瓶を差し出してくる。
手のひらよりやや大きいサイズの遮光瓶に入っていたのはカニ肉だった。
この世界でもカニは高級食材のひとつだ。
しかもほぐし身ではなく、脚肉のほうだ。それが瓶の中いっぱいに、みっちり詰まっている。
「いいのか！？」
「もち。それでまた美味いもん作ってくれよ」
「任せろ！」
満面の笑みを浮かべて意気揚々と家庭科室の使用許可を取りに職員室へ向かうカズン。
慌てて追いかけるヨシュア。
翌日はまた３年生は午前中で授業が終わるから、放課後、昼以降の使用許可を得た。
生徒会室を後にして、当初の予定通りそのままアルトレイ家へ向かうことにした。
何の用があったかといえば、前王家のロットハーナのことを二人に話しておく必要があったのだ。
アルトレイ家のサロンで詳しい話を聞いて、二人は何とも言えない複雑な顔になっている。
特に、ロットハーナの邪法が人間を素材にして貴金属に変えるとの話には強い不快感を覚えたようだ。
「うっわ、えげつな！ そういうのに、あんまり巻き込まれたくないけど……でも仕方がないかあ」
「……だな。うちのホーライル侯爵家も、グレンとこのブルー男爵家もがっつり絡んじまってるし」
ドマ伯爵令息ナイサー関連で、ロットハーナ一族が得意としていた隷属魔法や、隷属魔法を使った魔導具の存在が確認されている。
ライルもグレンも、被害を受けた側として無関係ではいられなかった。
「できるだけ情報を共有しておきたい。これまで通り、学園にいる間は昼休みや放課後だけでも顔を合わせるようにしたいのだが、かまわないか」
「「了解」」
ライルとグレンが声をハモらせる。
何だかんだ言って、気が合う二人のようだ。
ロットハーナの件を一通り話し終えて。
四人の話題はやはり、学園で見た男女二人の揉めごとの話になっていく。
トークス子爵令嬢イザベラがラーフ公爵令息ジオライドに罵られていた光景を思い出すと、カズンの胸が痛んだ。
比喩でなく、本当に胸部が押さえつけられたかのように痛い。
また、喉元が詰まる感覚も出ていた。
正直、偏頭痛まで出てきていて、つらい。
こめかみを指先で押さえて眉を顰めているカズンを、ヨシュアが心配そうに見つめている。
「彼女が気になりますか。カズン様」
「まあ、な。誰であれ、ああいう一方的に虐げられている姿は見たくないものだ」
あのように、人目のあるところでとんでもない騒ぎを起こしている貴族がいることも、信じられなかった。
「ライル様はあの二人と同じクラスなのですよね。普段のあの二人はどのような様子で？」
「んー……。席も離れてるし、挨拶以外で話したことはあんまりねぇな。選択授業も別だしさ。俺は空き時間があれば武道場行くことが多いから、教室であいつらが普段何話してるかもほとんど知らねえわ」
その授業の空き時間も、最近では１年のグレンの教室へ行ってしまうから、ますます教室にいる時間は少ない。
「一応、学園内で身分差別は禁じられてますけど、建前だけですもんねえ」
「外でだって普通はやらねえよ。みっともねぇったら。あんな態度を普段から取ってたら、周りは敵だらけになんだろが」
気分が悪いと言いたげにライルが吐き捨てる。
貴族令息が令嬢に暴力を振るうなど、紳士教育がなっていないにも程がある。
彼も侯爵家嫡男として高位貴族の一員だが、相手の身分であからさまに差別するような言動は少ない。
以前ホーライル侯爵領へ小旅行に行ったときも、ライルは港町で庶民の店の店員などにも、気さくな態度だった。
「処世術のなってない男でしたよね。本人が公爵令息だから、周囲も注意しにくいのでしょう」
「まあ、お山のバカ大将ってやつだな」
このアケロニア王国では、先王ヴァシレウスの代に、王侯貴族制の国でありながら平民の参政権を認めた。
これにより、優秀でありながら平民というだけで活躍を阻害されていた国民に、多くの新たな可能性を拓くことになる。
結果、五十年と経たずにアケロニア王国は大いに繁栄し、国力を増した。
アケロニア王国は『魔法魔術大国』と呼ばれているが、実際には円環大陸では中規模国家で決して大きな国ではなかった。
しかし、その繁栄は現在どの国も無視できないほどである。
今では王宮で働く官吏の中にも、多数の平民出身者がいる。
ユーグレン王子の側近候補にも平民層の者が選抜されていた。
カズンたちが通う王立学園で、身分差別が禁止されたのも、その流れによるものだ。
学園で学ぶ平民の中には、適切な教育を得たことで、下手な貴族の子息子女たちより優秀な才能を開花させた者が少なくない。
卒業後、もしかしたら高級官僚として貴族たちを統括する立場に立つ者が出るかもしれないし、実際、既に先例がいくつもある。
貴族家の生徒たちはそれを知っているから、賢明な者ほど、平民だからと言って見下し、マウントを取るような言動は慎む。
たとえ、己の血筋の尊さを誇りに思い、平民と机を並べることを貴族の矜持が許さなかったとしても、表面に出すことは滅多にない。
それが今の、貴族たちの“処世術”のはずなのだが。
◇◇◇
それから、カズンが目に見えて不調に陥った。
魔力を使う授業では、コントロール不能になって組んだ生徒に怪我を負わせる寸前だった。相手も貴族で、防御魔術を使える生徒だったから何とか大事にならずに済んだ。
今日も、何もないところで足を取られて転びそうになった。
隣にいたヨシュアが支えてくれなければ、床にキスしていたところだ。
教室では机の角にぶつかってつんのめり、眼鏡を落とす始末。レンズが割れなかったことだけが幸いだ。
そんな話を食堂でして、溜め息をついていた。
「ラーフ公爵令息の毒気に当てられたんじゃないですか？ あんなに酷いのは、ボクも滅多に見ないですし」
「……そうかもしれない」
自分が箱入りだなあと思うのは、こんなときだ。
両親に守られて、貴族社会なら当たり前にある悪意にあまり触れないまま、今日まで来た。
自分が王族で、いるだけで他者が敬意を払ってくれる存在ということもある。
先日の中庭で見たジオライドとイザベラのことを思い出すと、やはり胸が実際に痛むし喉も苦しい。
ヨシュアたちにも言っていなかったが、手の指先が冷たくなって、かすかに震えも出ていた。
(僕は怖いのだろうか？ 自分もイザベラ嬢のような目に遭うかもと思っている？ いや、今の僕の立場でその可能性は低い……)
異世界に転生したカズンは、チートな能力こそなかったが、いわゆる親ガチャや環境ガチャは超レア級を引き当てている。
王家に生まれて、周囲から無条件に尊重されるありがたい立場なのだ。
なのに、何度も何度も同じ光景が想起されては、脈が不規則に乱れる。少ない魔力も不安定になっていた。
そうして不調続きのカズンを、周囲はとても心配していた。
数日経ってもその調子だったので、落ち込んでいるカズンを励まそうと、ライルが領地から食材を調達してくれた。
「まあこれでも食って元気出せ、カズン」
「こ、これは……！」
ライルが食堂に持参していた紙袋から、瓶を差し出してくる。
手のひらよりやや大きいサイズの遮光瓶に入っていたのはカニ肉だった。
この世界でもカニは高級食材のひとつだ。
しかもほぐし身ではなく、脚肉のほうだ。それが瓶の中いっぱいに、みっちり詰まっている。
「いいのか！？」
「もち。それでまた美味いもん作ってくれよ」
「任せろ！」
満面の笑みを浮かべて意気揚々と家庭科室の使用許可を取りに職員室へ向かうカズン。
慌てて追いかけるヨシュア。
翌日はまた３年生は午前中で授業が終わるから、放課後、昼以降の使用許可を得た。
