放課後、帰宅しようと学園の馬車留めまでヨシュアやライル、グレンと中庭を歩いていたカズンは、噴水近くで一方的に男子生徒から罵られている女生徒を目撃した。


「貴様のようなデブで不細工な女を婚約者にしてやっているんだ。少しは役に立ったらどうなんだ!」


 いったい何事が起こっているのか? と一同はおしゃべりを止め、声を潜め少し離れた位置から様子を窺う。

 どうやら男子生徒のほうから、授業中の小テストのカンニングに協力しろと、女生徒のほうが詰め寄られている。

 男子生徒のほうは鮮やかな金髪の短髪、青い瞳で身長は178cmほどのユーグレン王子と同じぐらいだろうか。
 整った顔立ちだが、言っている内容が幼稚で、まるで癇癪を起こした幼児のようだ。

「で、ですがジオライド様。違反行為が見つかれば、私だけでなくあなたもただでは済みません!」
「口答えできる身分か? いつでも父に言いつけて、お前の家への融資など打ち切れるのだぞ? 婚約だってすぐに破棄できる。それでいいのか?」
「……っ、し、しかし!」

 容姿や身分の低さを罵倒され、俯いて震えている令嬢を、金髪青目の男子生徒は「相手の顔を見て話もできない無作法者め!」と頬を平手打ちして去って行った。



「………………っ」
「カズン様? どうされましたか」

(!? 何だ?)

 その光景を見て、カズンの心臓が強く跳ねた。
 指先がかすかに震えてくる。
 その指先を見て、ぎゅ、と拳を握り締める。
 彼らの言動が何か、カズンの心の琴線に触れたようだ。

 強く頬を張られた子爵令嬢は地面に倒れ伏してしまったが、相手の男子生徒はその様子を見もせず、校舎へ戻っていった。



「おいおい、何だありゃ……」

 あまりの出来事にライルがドン引きしている。

「しかもあいつら、俺のクラスの奴らだぞ」

 3年C組の生徒たちだ。C組はライルのように卒業後は家を継ぐことや騎士団入団が決まっている者など、主に進路が定まっている生徒が所属するクラスである。

 ライルは即座に女生徒に駆け寄ろうとしたが、グレンは制止した。

「待って、まだ人目がある。先輩たちじゃ大物過ぎて目立つ。ここはボクが行くよ」

 倒れていた女生徒を助け起こし、擦りむいた手の甲の泥をハンカチで拭ってやるグレン。
 遠巻きに様子を窺っていた他の生徒たちも、気になるようだったがそれぞれ校舎へ入っていったり、帰宅していったりした。



 人目がなくなったことを確認してから、グレンは女生徒をカズンたちのところへ連れて行った。
 やって来た女生徒をカズンは知っていた。

「カズン様……何故ここに……」

 女生徒も意外な人物を見たように驚いている。

「久し振りだな、イザベラ嬢。あの光景を見てしまっては、僕としても放置はできない。話を聞かせてくれないか」

 トークス子爵令嬢イザベラ。
 豊かな毛量の暗い茶髪を長い三つ編みにして背中に垂らし、眉や瞳も茶色の地味な印象、そばかすのある頬。胸の豊満な、ややぽっちゃり体型の少女である。
 ちなみに身長はこの年頃の標準ぐらいだろうか。

 ライルと同じ3年C組所属で、卒業後は婚約者との結婚が決まっている令嬢だ。

「ということは、あれは君の婚約者のラーフ公爵令息ジオライドか。随分な扱いを受けていたようだが」
「その……ええ、お恥ずかしいところをお見せしました」



 それで一同、ひとまず風紀委員長でもあるカズンが使える生徒会室で詳しい話を聞くことにしようとしたのだが。

 残念ながらイザベラは頑なに固辞して、結局去っていってしまうのだった。

「どうするんです? カズン様」
「生徒間の暴力沙汰を放置しておくわけにはいかない。僕は風紀委員長だしな。報告しに生徒会室へ向かおう」

 当然、今はカズンの護衛のヨシュアも、乗りかかった船だとライル、グレンも一緒に着いていった。



 生徒会室には、雑務を片付けていた生徒会長と役員数名がいた。

 生徒会長はユーグレン・アケロニア。
 現国王の孫で、先王ヴァシレウスの実子であるカズンにとっては兄の孫にあたる人物だ。とはいえ数ヶ月違いの同い年なのだが。
 現在は、ヨシュアとともに親しい間柄ということになっている。

「ユーグレン殿下、ちょっといいでしょうか」

 生徒会室の奥には給湯設備がある。
 お茶を入れて飲みながら話をすることにした。

 先ほどカズンたちが中庭で目撃した男女の生徒の諍いを話すと、事情通の生徒会役員の男子生徒が彼らの詳細を知っていた。

 金髪青目の男子生徒は、ラーフ公爵令息ジオライド。
 ラーフ公爵家の嫡男で、その身分の高さから、校内では一目置かれている人物の一人だ。

 暗い茶髪に、茶色い瞳の女子生徒は、トークス子爵令嬢イザベラ。

 ジオライドは、自分と比べると貴族としての身分が低く、容姿もパッとしないイザベラを毛嫌いしている。

 二人は3年に進級する直前頃、互いの家同士の思惑による政略によって婚約している。

 二人の婚約は、イザベラのトークス子爵家が大災害で壊滅寸前になっていたのを、子爵と学生時代の同級生で懇意にしていた公爵が、支援名目で持ちかけたものだそうだ。
 災害復興には国からも大きな支援をしていたのだが、足りなかった。

 国以外の貴族がただ支援するだけだと、支援金には国の税金が課税される。
 反面、婚姻に紐付く支援ならば、一定金額までは非課税になる。そのための婚約だと思われる。



「話は理解した」
「ユーグレン殿下」

 書類に目を通しながら話を聞いていたユーグレンが、顔を上げた。

「トークス子爵家といえば、奴隷解放と身分差別の撤廃運動の女傑イザベラ夫人の家ではないか」

 女傑イザベラは、先々王の御代に活躍した貴族夫人だ。
 元々、貧民層出身の賎民でありながら、貴族のトークス子爵に見染められて結婚した女性である。
 現在では、貴賤結婚、女性の成り上がり物語の代名詞にもなっている人物だった。

「……ここにいる者に注意しておく。これは公式発表があるまで他言無用にしてほしいのだが」

 生徒会室にいる全員の顔を見回す。
 一同がすべて頷いたことを確認した上で、カズンは説明していった。

「僕の父、先王ヴァシレウスから、イザベラ嬢が王家の親戚筋にあたる女性だと聞いている」
「そう……なのか? 私は初めて聞いたぞ」
「ええ、殿下。僕のほうが情報が早いのは、やはり父の広い情報網ゆえです。王家ではこの情報をいつ頃発表するか、頃合いをはかっている状況だと聞いています」



「トークス子爵家のイザベラ嬢が王家の親戚だったとは。以前からどこか見覚えのある容姿だと思っておりました」
「ん? そうか?」

 ヨシュアが納得したような表情になっている。

「ええ。幼い頃のカズン様と似てるんです。あの頃のあなたも、ふくよかで。パッと見たときの印象が当時のカズン様そっくり」

 だから、ジオライドが彼女をデブだの不細工だのと罵っているのは、非常に不快だった。

「髪や目の色が違うし、今のカズン様とは性別や体型が違うので、気づく者は少ないでしょう。しかし、王家の血を引くと明らかになれば、これまで彼女を見下していた者たちは立場が危うくなるでしょうね」
「しかし、王家の血を引く者ならば、ラーフ公爵令息の言動はおかしくないか? 婚約の際、彼女の家トークス子爵家とて当然、ラーフ公爵家に事情を話しているはずだ」
「さあ、そこまではオレもわかりません」

 カズンやユーグレン、ライル、ヨシュアや、学年は違うがグレンもイザベラのことを気に掛けておくということで、ひとまず解散することにした。

 イザベラとジオライドの件は、一部ではジオライドの暴言で有名らしい。
 他の生徒会役員たちも、何かあれば報告を上げると受け負ってくれたのだった。