それから、ユーグレンの側近候補の宰相令息エルネストからは幾度か手紙が来た。

 内容だけ確認して、ヨシュアは返事を一切書かなかった。
 そもそも、現役の伯爵であるヨシュアに対して、王子の側近“候補”如きが随分と舐めた真似をしてくれたものだ。

 エルネストの接触があってから、ユーグレンが体調不良で学園を休んでいる。
 後から来た彼の手紙によれば、自分の気持ちを知られたことにショックを受けて寝込んでいるとか。

 その手紙を無視していると、次の日また新たな手紙が届いていた。
 丁寧な謝罪の言葉と、ユーグレン王子を励ましてくれないかという依頼。

 それも無視していると、更に翌日、再び学園の小会議室に放課後来てくれないかとの呼び出しが、手紙に書かれていた。
 当然無視して、放課後はいつも通りカズンを見送った後、普通に自宅まで帰宅した。

(今頃、グロリオーサ侯爵令息は生きた心地がしないだろうな。殿下の側近候補の座も危ういのではないか)



 とはいえ、この辺が頃合いだろう。

 少し考えて、ヨシュアはユーグレンと二人きりで会える機会を作ってもらうことにした。

 具体的にはカズンに頼んで、ユーグレン宛の手紙を渡してもらった。
 近いうちに、リースト伯爵家まで会いに来てくれないか、と。
 臣下の身で王子を呼びつけるのは不敬に当たるが、最近ではヨシュア自身もユーグレンと親しくなってきている。
 何より彼自身がヨシュアを崇拝しているというなら断らないはずだった。

 直接リースト伯爵家に呼ぶと、またユーグレン派閥の者たちが鬱陶しく妨害してくるに違いない。
 手紙には、それとなく中立派の護衛を付けて、他家を経由してから来訪するよう示唆した。

 返事は当日中に届いた。
 今度の週末、午後にリースト伯爵家を訪れる、と。



 そして休日の週末、お忍びで護衛一人だけを連れ、王家の紋章のない馬車でユーグレンがリースト伯爵家へやって来た。

 場所は応接室やサロンでも良かったが、ユーグレンの立場を考慮して、ヨシュアは自分の部屋へと招いた。
 リースト伯爵家の当主の部屋には、専用のリビングがある。

 二人だけで話したいからと、護衛には部屋の外で待機していてもらうことにした。
 執事がティーセットの準備を整え、それぞれテーブルを挟んでソファに対面したところまで、双方黙ったままだった。

 互いの間の空気は、とても気まずかった。
 先手を切ったのはヨシュアのほうだ。

「ユーグレン殿下。先日、グロリオーサ侯爵令息から、あなたがオレに好意を寄せていると教えられました」
「……ああ。間違いない。他人の口から伝わるとは思っていなかったが……」

 すっかり憔悴しきっているユーグレンだったが、それでもその黒い瞳でしっかりとヨシュアの瞳を見つめ返してきた。

「殿下。オレはカズン様派閥の家の者なので、殿下のお側に侍ることはできません」

 側近にはなれないし、ユーグレン派閥の主要人物たちも許さないだろう。

「それでもオレを望まれるのでしたら、王族の権威をもってお命じ下さい」

 そう、『己の側にいろ』と。
 側近でも護衛でも、魔力や剣の指南役としてでも、何の形でも構わない。

「私は……そんな、打算めいた思惑で君を手に入れようとは思わないよ、ヨシュア」
「では、何もなかったということで、お互い納得しましょう。それが最善ではありませんか?」

 つまり、ヨシュアを諦めろと。



 本人から突きつけられて、ユーグレンは胸が詰まりそうになった。
 これまで何度も想像してシミュレーションを繰り返してきたシーンのうちの、ひとつだ。
 いっそ殺してくれと内心で叫びながら、

「……決断を下す前に、君に近づいてもいいだろうか?」
「? ええ、構いませんが」

 ありがとう、と言って腰を上げ、テーブルを挟んだ向かい側に座っていたヨシュアの元へ近づく。
 座ったままのヨシュアの側に膝をついて、横から白い手をそっと取った。

「1年のとき、竜を屠ったあの鮮烈な勇姿を見たときから、私の心は君に奪われている。ただ、君を見ているだけで満足してしまうほどに」
「そうでしたか。では今後の関係も今まで通りということで」
「い、いや、それは、その……」

(手が熱い。汗もすごいな。そんなに緊張するものなのか)

 自分が優位にあるからか、不思議なくらい余裕でいられたヨシュアだった。

 が、その余裕が次の瞬間、一気に吹っ飛ぼうとは。



「おーい、ヨシュア! ユーグレン殿下がいらしてるんだって?」

 とそこへ、前触れなくカズンがリースト伯爵家へやってくる。
 ヨシュアもユーグレンも、二人揃ってビクッと身体を大きく震わせた。

 恐る恐る扉のほうを向くと、ノックとほとんど同時に開かれたドアの前に私服姿のカズンが立っている。
 後ろのほうからは、ユーグレンの護衛が申し訳ないというジェスチャーで頭を下げている。

「カズン?」
「か、カズン様!?」

 ユーグレンに手を取られているヨシュアを見て、ポンと手を叩く。

「む? 仲良くなったようだな?」
「お前な……何というタイミングで来るんだ」

 項垂れて、ユーグレンは立ち上がり、ソファへ力無く腰を下ろした。

「カズン様、何かオレにご用があったのでは?」
「あ、ああ。次の調理実験で使う道具の型を魔術樹脂で作ってもらえないかと相談に来たのだが……先客がいるようだし、出直そうか」

「いいや。その必要はない」

 答えたのはユーグレンだった。
 その端正な顔は強張っている。