先日、王宮から緊急招集をかけられた日以降、ユーグレンが使い物にならない。

 崇拝するヨシュアが結局、年下の大叔父カズンに仕える気満々なことを察してしまった。
 ということは、ヨシュアを自分の臣下として召し抱える可能性は潰れてしまったということ。つらい。

「カズンか……まあ、そうだろうなとは思っていたが……」

 元々幼馴染み同士で、仲の良い親友であるとカズンからずっと話は聞いていたのだ。
 だが蓋を開けてみたらどうだ。
 ヨシュアからカズンに向ける想いのベクトルはちょっと深すぎ重すぎやしないのか!?
 手を取って甲に口づけるって、それは騎士が貴婦人にやる忠誠の示し方では!??

(いや確かに我ら王族はそういう形で忠義を捧げられることも多いけれど! でも、でもおおおっ!)

 実は空想したことがある。
 ヨシュアが、以前王宮の庭園で見たようにリースト伯爵家のネイビーのライン入りの白い軍服姿で己の前に跪き、手を取って甲に唇を寄せてくれる姿を。


『ユーグレン様。このリースト伯爵ヨシュアの忠誠をあなたに』


 自室でひとり想像して、あまりの恥ずかしさに身悶えしてしまった。
 だが、幾度か繰り返し想起していた、そんな空想、いや妄想だった。
 そう、現実になり得ない妄想だ。

「はは……本当に、まったく、ヨシュアは私のことなど見てもいなかったのか……私は何という道化だ」

 すっかり燃え尽きて、意気消沈してしまっている。
 祖父王テオドロスに叱責されても、落ち込んだまま浮上する気配すらない。

 そんなユーグレンの様子に心を痛め、ヨシュアに対して憤った側近候補の一人が独断で動き始めた。



◇◇◇



 カズンに護衛が付くぐらいだから、元々護衛のいたユーグレンには更に人員が追加されている。

 そのうちの一人が、宰相令息のグロリオーサ侯爵令息エルネストだった。
 ヨシュアの青みがかったものと違い、彼は混じりのない銀色の髪をしている。
 長めの前髪を中央でサイドに分けて形のいい額を出した、銀縁眼鏡のインテリ風の印象がある人物だ。

 順当にいけばユーグレンが即位した御世の宰相となると言われている。

 その彼に放課後の小会議室に呼び出され、開口一番こう言われた。

「リースト伯爵。いいかげん、ユーグレン殿下を弄ぶのはやめていただきたい」
「は?」

 意味がわからない。
 本気でヨシュアが困惑していると気づいた宰相令息エルネストは、予想しなかった反応に戸惑っていた。

「殿下はあなたをお慕いしている。まさか知らなかったなどとは申しますまい?」
「いや……申し訳ないが、今言われて初めて知りました」
「え?」
「そのですね、まさかユーグレン殿下がオレをって……嘘ですよね?」

 ということは、エルネストはユーグレンの知らないところで彼の憧れの人ヨシュアに本心を告げてしまったことになる。
 見る見るうちに、エルネストが青ざめていく。

(なるほど、先走って失敗したのか)

「聞かなかったことにしましょう。お互い、ね」

 ここで『貸し一つだぞ』などと念押しする必要はない。
 言われた本人がよく理解しているだろうから。
 そして、ユーグレン本人が秘して黙していたものを、他人が本人に伝えてしまうことの愚。

(この男、政治的な駆け引きには向かないな。殿下の御世の宰相候補からは遠くないうちに外れることになるんじゃないか?)

 そもそも、現段階でヨシュアは王弟カズン、ユーグレン王子の双方と“友人”なのだ。 
 カズンとは親友とさえ言えるほど深い関係である。
 それを、他者が横から何を好き勝手言うのだ。



 直系王族が少なく、その王族同士の仲が良いアケロニア王族に対して無意味に思えるが、なぜか国内の貴族の間にはユーグレン王子派と王弟カズン派の派閥が対立している。

 カズンの幼馴染みであるヨシュアは、当然、王弟カズン派に属す。
 そのため、まさか敵対派閥の御輿であるユーグレンが自分に好意を持つなど、夢にも思わなかったヨシュアだ。

 だが、言われてみると色々と思い当たる節はある。
 父カイルの葬儀関連で世話になった頃から交流するようになって、自分のファンクラブの会長でもあるというユーグレン王子。
 ヨシュアに対して、とても丁寧で親切な対応をしてくれているなとは思っていた。
 それは、ヨシュアがカズンの友人だからだとばかり思っていたのだが。

 ヨシュアのファンクラブは、自分たちが1年生のときユーグレンが有志を集めて発足させたという。
 学園の図書室に会報誌のバックナンバーがあると聞いて、創刊号から全部貸し出しを受けて、自宅で一通り目を通してみた。
 刊行は不定期で、だいたい三ヶ月に一回程度の発行のようだ。一冊あたり12ページほどでページ数はそう多くない。

 毎号、表紙はヨシュアの絵姿だったり、魔術で撮影された写真のうち、公式発表されたものの転用だったりと様々。
 写真は、校内の新聞部が魔導具で撮影したものが毎回、各ページに最低一枚掲載されている。

 創刊号では、ヨシュアの出自や経歴などがまとめられている。
 ステータスも、公表しているものがそのまま掲載されていた。

 スキルも、家族とカズンや一部の友人しか知らないはずの調理スキル初級が記載されている。これの情報提供者はカズンだろう。

 校内のヨシュアの行動や、ファンクラブ会員らによる賞賛がびっしり書き込まれている。よくここまでヨシュアの日常を網羅できたな、と感心するほどだ。
 最も大量の記事を執筆しているのは、会長のユーグレンだった。

「……なるほど。確かにこれを見たら、殿下がオレを好きなことは誰にでもわかる」

 というより、ここまで自分が他者に強い感情を寄せられることがあるとは、思いもしなかったヨシュアだ。

 リースト伯爵家の男子は、特有の青みがかった銀髪と、湖面の薄い水色の瞳、奇跡のような麗しの美貌がほとんど全員共通している。
 誰も彼も外見と、高い魔力使いの能力ばかりを見て賞賛してくるが、深く心を通わせようとする者は少なかった。

(ユーグレン殿下はどうなのだろう。この表面の皮一枚を好んでいるだけか。それとも……)

 リースト伯爵家には家訓がある。
 容姿だけを見る者は利用せよ、心を通わせられる相手とは信頼と信用を築いて大事にしろ、だ。
 代々の当主によって多少表現が異なるが、だいたい似たような言葉で訓戒を残している。
 先祖の苦労が忍ばれる家訓だなと、しみじみ思う。

 総じてリースト伯爵家はハイスペックな能力を持つ一族で、顔の良さで優遇されることも多いが、顔だけで余計な邪推をされ足を引っ張られることも多かった。

 亡くなった父や祖父、それに叔父も容姿のことでは随分と苦労したと聞く。

「だから、顔以外の良いところを見てくれる人に弱いんだ」

 ヨシュアの場合は、たまたまそれが王弟カズンだったわけで。



◇◇◇



 側近候補の宰相令息エルネストが己の失態を上司、要するにユーグレン王子に報告したのは、その日の夜のことだった。
 いつも冷静な立居振る舞いを崩さないはずのエルネストが、憔悴している。

「申し訳ありません、殿下。このエルネスト・グロリオーサ、如何なる罰も受ける所存です」

 自分の執務室の机の前に座ってはいても気の抜けたままのユーグレンは、最初ろくにエルネストの話を聞いていなかった。
 だが、側近候補の言葉の中に“リースト伯爵”の名が出てきたときは、反応を返した。

「ヨシュアが……何だって?」
「殿下を翻弄していることに苦言を呈しました。その過程で、……殿下が彼をお慕いしていることを告げてしまいました。誠に申し訳ございません!」

 土下座する勢いで深く頭を下げたエルネストに、ユーグレンは黒い瞳を瞬かせる。

「何だと?」

 よく意味がわからない。というよりまだ頭がよく働いておらず、理解が追いつかない。

「あー……殿下、こいつはですね、殿下がリースト伯爵を好きなことバラしちまったんですよ。つまり、リースト伯爵は殿下の気持ちを知りながらわざと無視してるって勘違いしてたんですね。でも実際、ほんとにリースト伯爵は自分が好かれてることを知らなかったんですよ」

 事前にエルネストから相談を受けていた、護衛兼側近が苦笑しながら補足した。

「エルネスト。私は、そのようなことをお前にやれと命じたか?」
「いいえ。私の独断です。本当に、申し訳ございません、殿下……!」

 ヨシュアは『聞かなかったことにしよう』と言って、大事になることを避けてくれたようだ。
 経緯を聞かされて、ユーグレンは口から魂が抜け出そうになった。

「つまり……彼は……私が、彼を慕っていることを……」

 知ってしまったのか。
 しかも、自分からでなく、他人の口を通して。
 ようやく、学園ではランチを、余暇にはお茶をする仲までこぎつけたところだった。
 少しずつ段階を踏んでいく計画がパアである。

「これからどのような顔をして、彼と会えばいいのだ……」

 もはや既に執務どころではない。
 生ける屍と化したユーグレンは、なけなしの気力まで失って、数日寝込むことになる。