最近、身体が痛いとヨシュアが溜め息をついている。
 麗しの美貌を陰らせた物憂げな様子に、クラスメイトたちはドギマギしているが本人は気に留めていない。

 今日も授業中ずっと身体の関節が軋んで痛いと、休み時間になるたび小さく唸っていた。
 側にいると、カズンの耳にも微かにみしみし骨が軋む音が聞こえてくる。

 放課後、嫌がる本人を保健室に連れて行くと、「それは成長痛だから問題ない」と保健医に言われ、痛み止め用の初級ポーションだけ貰って追い出されるのだった。

 手首の関節を手のひらで擦っている幼馴染の横顔を、じっと見つめてみた。

「そういえばおまえ、僕より伸びてるな」
「うちは男は代々似たような背格好になるので。まだまだ伸びると思います」

 これまでは、どちらかといえば華奢な体型のヨシュアだったが、最近では制服のブレザーの丈や肩幅をお直ししている。
 まだ成長するなら、そろそろ新しく作り直さなければならない。

「むう……ユーグレン殿下といいおまえといい、……ずるい」

 面白くなさそうな顔をしているカズンの横腹を、ヨシュアは笑って肘先で突っついた。

「王家の皆様はお顔立ちはよく似てるのに、背丈はバラバラですよねえ。ヴァシレウス様は巨体だけど、テオドロス様はそこまでじゃないし。ユーグレン殿下は最近178cmになられたそうで。カズン様は?」
「………………172。で、でもまだ僕だって伸びてる!」

 この身長、実は母セシリアより僅かに足りない。母親がヒールのある靴を履くと更に差が広がる。



 保健室から、荷物を取りに3年A組の教室まで戻ってくる。
 教室のドアを開けようとしたところで、中からこんな声が聞こえてきた。

「カズン様はな~。領地もない名ばかりの大公家の令息なんだよな。先王陛下の七光りってやつ」

 ぴたり、と引き戸の取っ手にかけようとした手が止まる。

 それはカズンにとって痛い指摘だった。
 偉大な先王の実の息子で王弟。母親もこの国の王族の血を引く。血筋だけなら今のアケロニア王国で一番だ。
 しかしカズン自身に力があるかといえば、魔力も少ないし、大したものはないのである。

 “無個性の王弟”が、カズンを揶揄するときの貴族社会での隠語となっていた。

(わかってる。僕はモブ。きっとこの世界の主役はヨシュアだ。もしかしたらユーグレンやライルかも。いや、お父様の可能性だってある……)

 だが、わかってはいてもそれで腑に落ちるかどうかは、また別の話なわけで。

(異世界転生したら、チートスキルを獲得して無双の活躍ができる。そう期待していた頃が僕にもあったのだ)

「……すまん。少し頭を冷やしてくる」
「カズン様!」

 慌ててカズンを追いかけようとするヨシュアだったが、その前に不届き者たちに一言言ってやらねば気が済まなかった。
 勢いよく教室の引き戸を開けて中に入る。



「んでも委員長のお陰でこのクラスは他の貴族から変に絡まれることも少ないしな。なんだかんだで委員長、面倒見いいし」
「それな! 七光り様、万々歳だー!」

「………………」

 どうやら自分たちは、彼らの会話の一部分だけを聞いたため、変な誤解をしてしまったようだ。

「あれ、どうしたのヨシュア君。そんなとこで突っ立って」
「………………」

 さて、ここはどう対応するのが正解か。
 とりあえず、ストレートに指摘してみることにした。

「君たち。普段あれだけカズン様に世話になってるのに、随分なことを言うじゃないか」
「え? どういうこと?」
「……君たちのさっきの会話をカズン様に聞かれてしまったよ」
「へ? 会話?」

 机に座って駄弁っていた男子生徒たちが不思議そうな顔になる。

「『先王陛下の七光りでパッとしない』んだって?」
「あっ、そ、それは!」
「ち、違うって、そんな、悪口とかじゃなくてさ!」
「それを判断するのはご本人だろうね。……はあ、仕方ない。後でちゃんとカズン様に謝って誤解を解くんだよ?」

 全力で頷くクラスメイトたち。
 その様子を確認してから、「約束だからね」と念を押して、ヨシュアは教室を後にした。
 カズンはどこへ行っただろうか。



 教室を出たヨシュアはカズンを探しに出たが、なかなか見つからない。
 まだ彼が離宮にいた頃は、落ち込んだとき隠れる場所といえば自室のベッドの陰や中庭のあずまやの椅子の陰だった。
 が、学園内となると候補が多すぎて検討がつかない。

「ヨシュア? どうしたんだ、そんなに慌てて」

 ちょうど一階の職員室から3年のフロアに上がる階段で、ユーグレンとその護衛の生徒と出くわした。
 彼はカズンと同じ黒髪黒目だ。一瞬だけカズンと見間違えて残念な気分になったのは内緒である。
 簡単に事情を話すと、考える素振りを見せてユーグレンは、

「少し、話をしようか」

 と生徒会室へ促してきた。

 護衛の生徒には生徒会室の外で待機するよう命じ、自分は給湯室でティーバッグと湯を注いだ紙コップを二つ持ってきて、片方をヨシュアに差し出す。
 学園では学長室での来客用以外はすべてリーズナブルな紙コップ使用だ。王族で王子のユーグレンも例外ではない。

 詳しい事情を聞いて、ユーグレンは年下の大叔父カズンとよく似た顔で苦笑した。

「なるほどな、カズンをヴァシレウス様の七光り頼りと呼ぶか。それを言うなら私なぞ、“ヴァシレウス大王の劣化版王子”だぞ」
「殿下、そのようなこと……」

 さすがに不敬にも程がある。
 口さがないものはどこにでもいる。カズンもユーグレンも、先王ヴァシレウスが偉大すぎて小粒に見えてしまうのは仕方のないことだった。

 ヴァシレウスは“大王”の称号持ちであるが、何せ本人が百歳近い長寿者だ。
 百年も生きていれば業績は年数ごとに積み上がり続ける。たかだか17、8年生きたぐらいのユーグレンたち若人が敵うはずもない。

「話を聞く限り、クラスメイトたちとの誤解も解けよう。どうする、私も一緒にカズンを探そうか」
「……いえ。教室にはカズン様も鞄を残してますし、しばらくすれば戻って来られると思うので大丈夫です」
「そうか。なら、茶を飲む間くらい付き合ってくれるかな。ヨシュア」

 それから何とはなしに、あれこれと二人で話をした。



「そういえば君に訊いておきたかったんだが。ヨシュアは卒業後はカズンの側近となるのか?」

 ヨシュアはじっとユーグレンを見つめた後、「わからない」と俯いた。
 自信のなさそうな仕草は、普段マイペースで掴みどころのない雰囲気を持つヨシュアには珍しい。

「オレはもう、能力的に伸びる余地がありません。これから様々なことを経験して成長していかれるカズン様のお側にいて良いものか……」

 若年のうちから魔法剣士として完成してしまっているヨシュアの、余人には窺い知れない苦悩だった。

 ステータスオープン、と呟いてヨシュアは自分のステータスをユーグレンにも見えるよう空中に表示した。
 一定以上の魔力量を持つ者なら、特定のテンプレートに応じた自分のステータスを可視化できる。

 今回ヨシュアが利用したステータス・テンプレートは、最も一般的に使われている10段階評価のものだ。
 簡易な身分表記と、能力値が数字で出る。
 能力値の平均値は5となる。


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ヨシュア・リースト
リースト伯爵、学生

称号:魔法剣士、竜殺し

体力   6
魔力   8
知力   7
人間性  6
人間関係 3
幸運   1

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「見てください。オレの今のステータスはほとんど亡き父と同じです。その父も祖父と同じだった。……リースト伯爵家はここ何代もずっと、これ以上のステータスに上がったことがないんです」

 リースト伯爵家は家伝の魔法剣を金剛石にするまでが精一杯で、能力的に打ち止めだった。
 本来ならレア鉱物のアダマンタイトまで進化させたかったのだが、魔力が足りなかった。

 それでもリースト伯爵家出身というだけで、アケロニア王国でも屈指の魔力量を誇る一族のため、周囲に期待され続けている。



 悲しげに胸の内を語るヨシュアに対し、ユーグレンの胸の内は燃えていた。

(まさかステータスを見せてくれるとは。そこまで私に心を許してくれたと思って良いのだろうか、ヨシュア……っ!)

 自分のステータスを見せるのは、一般的には家族や親しい友人、恋人や職場の上司などだ。
 いつか見たいと思っていたヨシュアのステータスを見ることができて、ユーグレンの心は浮き立つ。

 さすがの魔法剣士だけあって、魔力値8はトップクラスといえる。

 だがこのとき、ユーグレンはもっとヨシュアのステータス内容に注意を払うべきだった。

 幸運値1。
 魔力量が多く、また名門貴族家の当主として有り得ないこの数値は、異常だった。



 何となく話の流れで、互いのカズンとの出会いの話になる。

 ヨシュアは幼い頃、魔法魔術騎士団の所属だった実父に連れられて王宮へやってきたとき、同い年だからと当時は離宮住まいだったカズンを紹介されたのが最初である。

「そうですね、ちょうど4歳くらいのときでした」

 不思議と馬が合い、以来ずっと現在まで親しい遊び友達だ。



 対してユーグレンは、やはり4歳のとき先王ヴァシレウスを交えて、カズンの母セシリアと一緒に紹介されたのが最初である。
 このとき、カズンとセシリアは正式に王族の一員として王統譜に名前が記されることになった。

「自分とよく似た、ふくふくとして可愛らしい子が、まさか年下の大叔父殿だったとはなあ」
「カズン様、幼い頃はふっくらした体型でしたよね。食いしん坊だったし。よく動くから肥満というほどではなかったですが」
「はは。初めて会ったとき、もしやこの子が自分の婚約者なのだろうかと胸が高鳴ったのを覚えている。ヴァシレウス様に抱かれて、フリルやレースの多い子供服を着ていたから女の子に間違えたんだ」

 もっとも、ヴァシレウスの膝の上に座り直したとき、カズンの身に付けているのが自分と同じ半ズボンだったことで誤解はすぐに解けたのだが。



 一方、カズンは。

「親の七光りでパッとしない、か……言ってくれるな……」

 痛いところを突かれた気分だった。
 頭を冷やそうと、一階の売店まで飲み物を買いに行こうとした。冷たい飲料を飲んで気分転換しようとしたのだ。
 が、途中の下駄箱付近で頭痛を覚え、立ち止まり廊下の壁に腕をついて、身体を支えた。

「……ぐっ」

 胸元も痛い。最近よくある、原因不明の痛みだった。

(僕のこれは成長痛じゃない。家にあるポーションを飲んでも解消しなかったし……くそ、考えがまとまらない)



「君、大丈夫?」

 ぽん、と軽く背中を叩かれて、ハッと前屈みになっていた身体を起こした。

 後ろを振り向くと、見たことのない同年代の青年がいる。
 学園の制服は身につけていない。白いワイシャツとネイビーのネクタイ、薄いグレーのスーツの上下に茶の革靴。外部からの来客だろうか。

「え……?」
「あ、ごめん。何だか具合が悪そうに見えたから、つい声をかけてしまった」

 初めて見る顔だ。記憶を探っても同じ顔に見覚えはない。
 薄い灰色の襟足長めのウルフカットの髪に、ペールブルーのやや奥二重の瞳。
 全体的に品の良さを感じさせる顔立ちをしており、カズンより頭半分ほど背が高い。

「見ない顔だが……どちら様で?」
「ああ、ぼくは転校生なんだ。来週から3年A組に転入するんだけど、職員室に挨拶に来たんだ。そしたら君がいてね」

 再び、ぽんぽんと、今度は肩を軽く撫でるように叩かれた。

(!? 何だ!?)

 叩かれたところから、スーッと体内で荒れ狂っていた感情や、先程まで感じていた偏頭痛や心臓付近の痛みが沈静していくのがわかった。

「勝手に触れてごめんね。見たところ、体内の魔力の流れが乱れてるみたいだったから、少しだけ関与させてもらった。ぼくの魔力は興奮状態を抑えるから。楽になったんじゃないかな」
「あ、ああ……助かった」

 彼を職員室に案内がてら、簡単な自己紹介をし合った。

「ぼくはイマージ・ロット。ミルズ王国から留学してきたんだ」
「カズン・アルトレイだ。ちょうど3年A組在籍で学級委員長をしている。転入後はしばらく世話役を任されるだろうから、頼ってくれて構わない」
「へえ。偶然とはいえクラスメイトに会えてよかった」

 聞くと、イマージは特に魔法使いや魔術師ではなく、魔力に沈静作用を持つ血筋の家系出身とのこと。

 実家のある本国では、沈静作用は上手く使えば元気一杯の幼い子供たちを適切に管理できるため、教師となることが多い一族だそうだ。

 とはいえ、イマージはさほど力が強くなく、アケロニア王国のこの学園には純粋に遊学目的の転校ということだった。