「そろそろ、事件を隠し通すのも難しくなってきたな……」

 昼時の学園の食堂で、ユーグレンが箸を片手に嘆息している。

 目の前のトレーには、ボウル皿に入った醤油ラーメンがある。
 カズンたちがたびたび食しているのを見て、今回ようやく挑戦する気になったようだ。
 隣に座ったヨシュアから箸の使い方のレクチャーを受けて、何とか麺を掴めるようになったところだった。

 ナイサーの被害者たちが受けた暴行に関しては、関係者に箝口令が敷かれているため、まだどこからも漏れて騒ぎになっていない。
 しかし、ナイサーと取り巻き二人の合計三名全員が行方不明となってしまった。さすがにこれをいつまでも世間に隠し通しておくのは難しい。

 というより、さすが情報の早い貴族社会。学園内でも情報通の貴族家の子息子女たちは事件概要を把握している様子が見て取れる。
 お陰でというべきか、こうして耳目の多い食堂で会話していても、すっかり今さら感が漂っている始末。

 今日はまだライルやグレンの顔を見ていない。
 いつもなら、ランチタイムの食堂で合流するのだが。



「おい、グレン見なかったかー?」

 と思っていたら、ライル本人が食堂にやってきた。
 いつものテーブル席にカズンたちがいるのを見つけて寄ってくる。

「今日は食堂に来てないぞ」
「わかった。探してくる!」

 また勢いよく食堂を出て行った。

「カズン。ライルはどうしたというのだ?」

 ユーグレンが首を傾げている。

「学園長に頼まれて、しばらくグレンのボディガードをするようです」
「ああ、なるほど。なかなか良い手だ」

 またグレンが余計なトラブルに巻き込まれるのを避けるためにも。

「最近は休日になると一緒にダンジョンに潜ってるらしいですね」
「随分と親しくなったようだな」

 ランチプレートを持ってきたヨシュアが補足した。

「ここにはまだ友人になれたかも怪しい男がいるのに。ねえ、ユーグレン殿下?」
「……お前は余計なことを言うな、カズン」

 ずず、と小さく音を立てて恐る恐る数本ずつラーメンの麺をすするユーグレン。思いの外旨かったようで、目を輝かせて次々口に運んでいく。

「ふふ、自分の気持ちに嘘をつけないライル様、なかなか格好いいですよね。二人が上手くいくといいなあ」

 とこちらもラーメンを前に笑顔のヨシュアだ。最近になってようやく箸使いを覚え、カズンやライルと同じ様に普通に麺を食べられるようになった。



「……まあ、仲が良くて悪いことは何もないな」

 レンゲ代わりの木の大匙で醤油味のスープをすくい、ユーグレンが呟く。

「ええ。他の者なら、ずっとグレンを見守って先輩後輩の立場を崩せなかったと思います。やはり行動できるというのは、すごい」

 ヨシュアの口調に、僅かに羨ましげな色が混ざる。

「まあ例えばですよ? オレが誰かと友情なり愛情を育みたいと思ったとして。オレがやるなら、相手が逃げる前に、周りから逃げられないよう囲い込みますけどね。グレンのクラスメイトに根回しして情報収集して……」
「え?」

 意外だとカズンもユーグレンも驚いた。
 ヨシュアが人間関係に興味を示すのはとても珍しい。普段は親しい人たち以外など興味もありませんというような涼しい顔をしている男なのだが。

「それで周囲から自分の良い評判をそれとなく、本人の耳に入るよう動いてもらって」
「………………」
「あとは、自分以外の人間が相手に手を出さないよう、監視を付けると思います。横取りなんてされないよう、慎重に排除するでしょうね」
「……案外、策士なのだな。ヨシュア」

 内心の驚愕をおくびにも出さず、ユーグレンが言う。

「だって、絶対に失敗したくないじゃないですか。これだ、と決めた相手は必ず手に入れたいですから」

 ね? と相変わらずの麗しの美貌で微笑んでいる。

「……もしや、既にそれだけの情熱を注ぐ……令嬢でも?」

 そう訊くユーグレンが、腹の底から勇気を振り絞っていることにカズンは気づいた。
 ヨシュアの返答次第では、以後ユーグレンは廃人待ったなしの展開となる。
 そしてヨシュア・ファンクラブ会報の誌面は荒れるだろう。

「あ、いえ、そのようなことは。……もしオレだったらって考えただけですよ」

 ハッと我に返り、ばつの悪そうな顔になってヨシュアはまだ食事中のラーメンに箸を伸ばした。
 どうにも話しすぎた。



(これは放課後、またユーグレンが家に突撃しに来そうだな……)

 本当にヨシュアに意中の人がいないのかどうか、幼馴染みのカズンに念入りに確認させそうでもある。

 とはいえ、ヨシュアにはまだ、特定の相手がいないのは間違いない。
 幼い頃から魔力の使い方や剣術の修行に明け暮れていたヨシュアに、積極的な社交を行う余裕などなかったことをカズンはよく知っていた。
 趣味嗜好の不一致から見合い相手にことごとく断られていても、本人は大して気にしていないし、本腰を入れる気配もない。

(まあそれは僕も同じか)

 家に届き始めた釣書を思い出す。
 カズンはまだ将来の進路も定まらない。
 兄王や、将来の王であるユーグレンの役に立ちたいと思っているが、具体的なイメージとなるとまだ鮮明なものが浮かばない。

 このままでいけば、女大公の母セシリアの跡を継いで大公となる。王族籍と王位継承権を有する臣下筆頭の立場だ。
 王太子となるユーグレンの相談役なら、今と立ち位置的に大して変わらない。政治など高度な話題が増えるにせよ。

 こういうとき、前世の記憶も役立たずなのが歯痒いところだった。

(前世は庶民モブ、今世は生まれが良いだけのモブ。やはり能力ガチャにも当たりたかったなあ)

 ないものねだりをするるつもりはないのだが、少しだけ悔しい思いをしている。