すべての茶碗蒸しが蒸し上がった頃、ライルがグレンを連れて家庭科室までやってきた。

「ここ来る途中で見かけたから連れてきたぜー」
「もう、ライル先輩! 1年のボクは午後も授業があるんだって言ったのに!」

 ライルに肩を抱かれながら教室に入ってきたピンクブロンドの髪に水色の瞳の後輩が、ぷりぷり怒っている。
 もっとも、愛らしい容貌の美少年なので、怒っても小動物が暴れているようで可愛いだけなのだが。

「グレン、昼食はもう済ませたのか? 生憎、今作ったものはちょっとした軽食になる程度のものなんだが」

 一応、茶碗蒸しは3種類作るので、それで足りなかったらヨシュアらと食堂に移動して追加で食事を取る予定だった。

「はい、簡単にいつもの自家製サンドイッチで。……わ、プリンですか? ハーブ入りなんて珍しいですね」

 蒸し器の中を覗き込んで、湯気の中に並ぶプリンカップを指差す。

「残念ながらスイーツじゃない。茶碗蒸しといって、具入りの塩味プディングだな」
「塩味? 想像もつかないなあ」

 鍋つかみで蒸したての茶碗蒸し、一番の自信作の合わせ出汁バージョンをソーサーに載せ、スプーンを添えて渡してやる。

「あ、おいしい。これ好きな味です、カズン先輩」

 一口スプーンですくって、ふうふうと息を吹きかけて冷まして食べて驚いて、また同じように熱々を一口。
 柔らかな食感と、旨みの強い、だが優しい味に相好を崩している。

「初めて食べます、こんなの。どちらの地方の料理なんですか?」
「これは僕の前世でよく食されていた料理だ。大人も子供も、大抵は好きだったと記憶している」
「えっ。じゃあ、“ニホン”の料理ですか」

 まじまじと、プリンカップの中の茶碗蒸しを見つめる。



「あの。これ、もし数に余裕があったら一個分けてもらえませんか。妹も食べたがると思うんで」

 グレンの妹カレンも、カズンやライルと同じ、日本人を前世に持つ異世界転生者だ。魂の故郷の料理を食べさせてやりたいと思ったのだろう。

「それは構わないが、グレンはこの後まだ授業で、帰宅するのは夕方だろう? これは熱いうちに食す料理だから、冷めてしまうと味が落ちる」
「それにこの季節はまだ夏には早いとはいえ、傷みも心配ねえ」

 まだ四月始まりの一学期の五月末だ。そろそろ雨季も近く、家庭科教師としてエルフィンが注意を入れた。

「あ、それなら」

 と会話の外で一種類ずつ茶碗蒸しを堪能していたヨシュアが手を挙げた。

「“魔術”樹脂で、茶碗蒸しを封入してあげる。家に帰ってカレン嬢に渡すまで半日もかからないよね。そのぐらいなら状態保存の魔術込みで封入できるよ」

 ひょいひょいっと、素早く素手で蒸し器の中から一種類ずつカップ三つを取り出し、作業台の上のトレーの上に横並びに並べていく。
 カズンが鍋つかみを渡す間もない。手にはめるのが面倒くさくて指先に魔術で熱防御をかけたようだ。
 そして、すぐ魔力を編んで、魔術で透明な樹脂に三つの茶碗蒸しを封入した。

「カレン嬢が魔力を流せばすぐ術が解けるようにしておいたよ」
「あっ、ヨシュアおまえ、カップごと封入したな!?」

 はい、とブロック状になった茶碗蒸し入りの魔術樹脂をグレンに渡すヨシュア。
 それを見て、カズンは頭が痛い思いをした。

「カップは学園の備品だから、明日ちゃんと返しに来てね? グレン君」
「はーい」

 良い子のお返事をしながら、受け取った茶碗蒸し入り魔術樹脂を腕の中に抱え込む。

「待て待て、それ人目に晒しちゃまずいやつだろ。エルフィン先生、何か袋とかねえの?」
「あるわよー。ちょっと待ってて」

 それで家庭科準備室からエルフィンが持ってきたのが、ドワーフの髭顔柄の包み紙なのだった。

「なぜドワーフ……?」
「これ、何年か前の家庭科部員たちのプレゼント交換会に使おうと思って買ったんだけどぉ。ドワーフの模様が写実的過ぎて怖いからって、誰も使ってくれなかったのよう」

 エルフ柄のほうは大人気ですぐ使い切ったというから、何とも対照的である。

「その年で魔力の樹脂を作れるのも凄いけど、状態保存機能まで付与するなんて。さすがはリースト伯爵ってことかしら、ヨシュア君」
「お褒めに預かり光栄です、学園長。でも、オレなんてまだまだですよ」
「またまたあ。ヨシュア君みたいな天才がまだまだなら、他の生徒たちはどうなっちゃうのよう」

 だが本当に、ヨシュア自身は特に自分の術が凄いとも何とも思ってなさそうな態度だった。
 本人はまだ魔力に余力があるようだし、日常使いぐらいの感覚なのだろう。



 ところで、何でカズンが調理実験に精を出しているかといえば。

「我がアルトレイ女大公家の代表料理を模索しているんだ。母が女大公に叙爵されたのはここ数年のことだし、アルトレイ家は母と僕を王族に留めておくためだけの家だから、領地もない。せめて他の貴族家と同じように家を代表する料理を開発しようかと」

 父ヴァシレウス個人の資産としてなら、王族の直轄地として多少の領地と莫大な宝物や金塊がある。
 だがそれをセシリアやカズンが得るとしても、ヴァシレウスの死後、相続するときになる。
 何かアルトレイ家らしい特色を出そうと考えたとき、国王の兄テオドロスから提案されたのが、家の名物になる代表料理の開発だった。

「単品だけ考えればいいんだが、なかなか上手くいかなくてな。実際、客人に饗するときはコース料理のうちの一品になるから、アケロニア王国の食文化に馴染むものがいいし」
「ラーメンじゃダメなのかよ?」
「……来賓を招いての食事会に出すには、どうもな。全員にサーブするまでに麺が伸びてしまう」
「あーそりゃ確かに」

 それにラーメンは、貴族家の料理というより庶民の食べ物だ。もっと格式ばった雰囲気が必要なのである。
 しかし開発して学園の食堂の通常メニューに組み込まれて以来、着実にファンを増やしているのも事実だった。
 たとえば、こんなふうに。

「ラーメン美味しいわよねえ。飲んだ後に食べたくなる感じで」
「おっ、学園長わかってるじゃん!」

 ここでもラーメン愛好家の輪が広がりつつある。
 ライルは今では週に3回は昼食にラーメンを注文している。この様子ではエルフィンもたびたび食しているに違いない。

「……着実に腹回りが育ちますよ、エルフィン先生」
「いやあああっ、それは言わないお約束!」

 それとなく釘を刺すカズンなのだった。



「あー……っと、それじゃボクは昼休みも終わるので、失礼しますね。カズン先輩、ヨシュア先輩。茶碗蒸し? ありがとうございました」

 軽く頭を下げて、グレンが家庭科室を出て行こうとしたのを、ヨシュアが軽く引き留めた。

「ねえ、グレン。近いうち、君のとこのブルー商会に遊びに行ってもいいかい?」
「もちろんです! 商会はボクがいなくても午後なら妹が受付にいるので、色々魔導具について聞けると思いますよ。普通に店開いてる時間帯なら先触れも要らないですから」
「了解。カレン嬢によろしくね」

 再び頭を下げてグレンがその場を辞し、家庭科室を出ようとしたところで。

「ゆ、ユーグレン殿下!? すみません、ぶつかりそうになりました」
「ああ、かまわない。気をつけて」
「はい、では失礼します」

 ちょうど家庭科室へやって来たユーグレン王子と教室の外で出くわしたようだ。



「やあ、遅れてすまない。何か美味いものを食わせてくれるんだって? ……ん、どうした、皆黙り込んで」

 家庭科室で蒸し器を囲んでいる4人に、ユーグレンは黒い瞳を瞬かせ首を傾げた。

「いや、その、な……。グレンのことなんだが」

 頷いて、カズンは蒸し器から茶碗蒸しを取り出し、ソーサーに載せてユーグレンにスプーンと一緒に差し出した。
 だがその後の言葉が続かない。

「彼、まだ何か隠してると思うのですよ。ドマ伯爵令息の件で」

 ヨシュアが補足する。グレンを連れてきたライルも、普段の気安い雰囲気を押し殺したように唇を噛み締めている。

「ドマ伯爵令息は多数の暴力事件に関わっていたことが判明してるの。その、ね……」

 エルフィンが言い淀む。そこまで言うと、さすがにユーグレンも内容を理解する。

「ブルー男爵令息もその被害に遭っている可能性が高い、というわけか」

 誰も頷かない。だが沈黙こそが答えだった。