グレンたちとミスリル銀調達のためブルー男爵領近くのダンジョンに潜ったカズンは、翌日は一日自宅でゆっくり休んでいた。
 父のヴァシレウスは朝から王宮へ向かっていたが。何やら本格的に、あの第4号ダンジョンで見つけたものは不味い代物だったらしい。

 更に翌日の翌週、学園に登校してすぐ、朝一でカズンは家庭科室へ向かった。
 家庭科の教師からは、家庭科室を使う許可は事前に得て、鍵も預かっている。
 棚から適当な蓋付きの鍋を取り出し、水を入れておく。
 そして持参した学生カバンの中からノートサイズの紙袋を取り出し、中身を手に取った。

 乾燥昆布である。正確には昆布に似た海藻の一種。
 備品の清潔な布巾を水に濡らし、かたく絞ってから薄い板状の昆布の表面を裏表くまなく拭き取っていく。特に目立った汚れなどは付着していないようだ。
 その昆布を鍋の水の中に入れ蓋をしてから、家庭科室に隣接した奥の準備室へ持っていく。

「『放課後使うのでそのままにしておいてください。カズン』……っと」

 メモにさらさらと書きつけて、鍋の下に挟んでから家庭科室を後にした。
 もちろん、使った備品はきちんと片付けておいた。



「ドマ伯爵令息ナイサーの件は助かったわあ。彼、グレン君以外の生徒へも恐喝してたみたいで、調べたら余罪が出るわ出るわ」

 シャカシャカとホイッパーで音をたてながら、金属ボウルの中に割り落とした卵を攪拌しつつ、家庭科教師がそう礼を言ってきた。

 家庭科教師ことライノール伯爵エルフィン。
 この王立高等学園の学園長である。
 エルフの血を引く彼は長命で、年齢も二百を超えると言われている。
 そんなエルフィンは全教科の指導資格を持つが、ここ数年は指導教員の不足する家庭科を担当することが多い。
 家庭科の調理実習時に使う白い割烹着に白い三角巾を身につけると、これまた白い髪と肌の持ち主なだけにスノーマンのような出で立ちになる。
 そこにネオンカラーのブルーグリーンの瞳だけが色を持って輝いているので、何も知らない者が見ると雪の妖精のように見える。らしい。
 少なくとも彼のファンクラブ会報にはそう書いてある。

 本人はこの格好で食堂の厨房にいることもある。
 料理を受け取った生徒が「食堂のおばちゃん、ありがとうー」とお礼を言うと、「あらやだ、お礼なんていいのよう」と男の美声が返して、驚かれるのが楽しいらしい。
 本人は厨房から見える生徒たちの姿をチェックしていると言っているが、純粋に調理自体が好きでもあるようだ。

 なお、なぜ女言葉で話すかといえば、単純に女避けらしい。
 エルフの血を引くだけあって、エルフィンの容貌は幻想的な美しさを誇る。
 外見だけに惹かれて寄ってくる女性たちからの誘いに辟易として、百余年前に伴侶が亡くなった後からの実践らしい。
 口調は亡き妻のものを模していると、これもファンクラブの会報情報だ。



「エルフィン先生、卵は泡立てず黄身と白身を切って混ざる程度にしてください。……それで、グレン以外の被害者はどうなりました?」

 と横からホイッパー使いを指示するカズン。
 こちらはビリジアングリーンのジャケットを脱いで、白いシャツの上から家庭科室で使う紺色のエプロンを付けている。

 今日の3年生は午前中で授業が終わりなので、放課後は昼食作りを兼ねて家庭科室を借りることにしたのだ。
 クラスメイトのヨシュアも同行している。他クラスの友人ライルは、武道館で少し剣を振って汗を流してから合流するそうだ。
 それで自分も午後は授業がなく空いているからと、エルフィンもやって来たというわけである。

「被害者側の聴取は、ほぼ完璧に集まった感じみたい。でもナイサー君自体が殺害されて亡骸も行方不明中でしょ? 加害者側の聴取ができなくなった分が多少考慮されそうだけど、やらかしたことが犯罪そのものだものね……」

 しかしナイサーはまだ未成年だったこともあり、仕出かした犯罪の後始末には父親のドマ伯爵が追われているようだ。

「今年は生徒間のトラブル多くて参っちゃう。あんまり学則を厳しくしたくもないし、どうしたものかしらね」

 こう見えてエルフィンは学園内の雰囲気に敏感だ。
 ナイサーへも直接、呼び出して忠告や警告を下したことは幾度もある。それを聞かずに破滅していったのはナイサー自身の責任だろう。

 学園は国立の教育機関のため、校内の問題は学園長のエルフィンの責任において、すべてアケロニア王国側に報告を上げてある。
 学園内で暴力事件を起こしてクラスメイトに怪我をさせた時点で、エルフィンはナイサーを一度、一週間の停学処分にしている。
 そしてあと一回問題を起こせば、退学の警告を。そこから更に一回やらかしたら退学確定だと事前に通告していた。

 今回の件で、エルフィンは当然、学園の内外から学園長としての責任を問われた。
 が、少なくともナイサー絡みの件ではその時々で適切な対応をしているし、必要な証拠書類も揃えて保存し、国側に報告書も上げ、控えもしっかり保存していた。
 結果的に学園長本人としては充分な責任を果たしていたと認められ、国側からは注意を受けるだけで済んだという。



「他にトラブルというと、どんなものがありますか? エルフィン先生」

 別のボウルに慎重にひとつひとつ卵を割り入れていたヨシュアが、ひと段落ついたようで顔を上げてそう訊いた。
 こちらも制服のジャケットを脱いで腕まくりし、シャツの上から紺色のエプロンを着けている。

「3年生だと、貴族同士の婚約関係でいくつかトラブルが出たみたい。ほら、ホーライル侯爵令息の件もそうだったでしょ」
「ああ~」
「まあ、彼の件も辿ればドマ伯爵令息のせいだったみたいだけど」

 友人のライルその人である。
 ライルはシルドット侯爵令嬢ロザマリアに数多の生徒たちの前で婚約破棄を突きつけ、自分側の有責で婚約破棄となった。
 その後は、結婚相手はもう自分で見つけろと父親のホーライル侯爵から放置されているらしい。

「あとは格差婚約で仲の悪い男女が数組。そのうち一組は、女生徒が殴られているって匿名の手紙が学長室のドアに挟まれてたわ……」
「女性を殴るとは、穏やかではありませんね」
「現場を教師の誰かが押さえられればいいんだけどね。なかなか難しいわ」

 ちょうど、そこで卵を攪拌し終えた。