ともあれ、前世記憶と経験を駆使してカレンが発明品を生み出すようになってから、ブルー男爵家の業績が上向き始めた。
 いわゆる“生産チート”や“開発チート”だ。

 最初のヒット商品は花の香りの化粧水だ。
 王都近くとはいえ、郊外のブルー男爵領の冬は乾燥する。
 伝統的に保湿に使っていた精製バターの臭さに耐えかねたカレンが作ったのは、手作り化粧水だった。たまたま、家の薬箱の中に座薬用のグリセリンが入っていたのを見て閃いたものだ。
 グリセリンは多用途に使われる、多くは植物から作られた甘味のあるアルコールの一種で、座薬の他、心臓病の薬などにも使われている。
 グリセリンといえば保湿剤としても有名だ。

 領内の清水にグリセリンと、母親が大切に油と混ぜて使っていたヘアオイル用の薔薇の香油少々。
 もちろん、この世界にも化粧水はあるし、配合も似たり寄ったりだ。

 カレンの工夫はここからだ。化粧水の保存瓶に、今回作ったような冷却機能を付与して、季節を問わず長期保存を可能にした。
 暑い夏はもちろん、冬でも化粧水は冷たい方が肌への浸透が良い。
 冷却機能は氷の魔石を使う。その頃はまだミスリル銀を使わない、魔石中心の構造だった。
 中身の化粧水より保存瓶のほうが高価になったが、中身だけ別売りにして、無くなったら保存瓶持参で来店すれば良い。

「保存瓶のサイズを小さめにして、月に何度も商会の店舗に足を運んでもらうようにしたんですよねえ。ほら、販売機会は多い方が売上も上がるでしょ? 貴族のご婦人やご令嬢はもちろん、一般人の女性たちにその都度おススメ商品を紹介していったわけ」

 それがカレンが七歳の頃のことだという。
 こういった商品販売の知識は、前世の日本ではよく知られていたものだ。そのまま異世界でも流用してみたら効果があったという話。

 鳴かず飛ばずで、細々と領地の畜産品を販売するだけだったブルー男爵家の商会が、少しずつ余裕を持てるようになってきた。



「そのまま順風満帆に進めば良かったんだけどね。その頃、あたしにお兄ちゃんがいたって判明して家の中は大荒れですよーあはは、参っちゃう」

 笑うカレンに、グレンも苦笑している。

「そういや、グレンはブルー男爵の庶子なんだっけか。やっぱり正妻が怒って大荒れってやつ?」
「お母さんは当然怒りましたけど、グレンお兄ちゃんが産まれた経緯を聞いて、お父さんに激おこでした。ね?」

 と話を振られたグレンは、誤魔化せなさそうだと渋々口を開いた。

「僕の母は、ブルー男爵の父の学生時代の恋人だったんです。卒業後は父に政略結婚の話が来て円満に別れたそうなんですが、その後でお腹にボクがいるってわかって」

 グレンの実母はそのまま元恋人のブルー男爵に子供ができたことを知らせず、一人でグレンを産んで育てたそうだ。

「ボクが八歳になる頃に、女手ひとつで育ててくれていた母が体調を崩して働けなくなったので、冒険者として低級クエストで家計を助けることにしたんです。でもその年の冬に流行った風邪を拗らせて死んでしまって……」

 母親は死の前に元恋人のブルー男爵に手紙を書き、自分亡き後の息子グレンを託した。
 ブルー男爵の元に手紙が届いたのは母親が亡くなり、葬儀が終わった後だったそうだ。時間差を作るよう配達指定していたらしい。

「お父さんは隠し子がいた事実とその経緯をお母さんに恐る恐る話したんだけど、なぜもっと早く母子を保護しなかったの! って予想とは違う方向で怒られて、速攻グレンお兄ちゃんを引き取ることにしたのよ」

 グレンがブルー男爵家に引き取られ、男爵家の長男として正妻に認められたのは翌年の春、九歳の誕生日の直前頃。
 正妻のブルー男爵夫人にとって、グレンの存在は正直複雑だが、自分との婚前にできた子供なら母子ともに罪はないという考えだったようだ。



「そんなわけで、ボクと義母、異母妹との関係はまあまあ良好です。先輩がた、ご心配には及びません」

 一通り聞いて、カズンたちは一安心だ。
 カレンの様子から家族仲は悪くないと感じていたが、貴族社会で庶子となると厳しい境遇に置かれていることも多い。
 カズンはもちろんだが、特にライルがグレンを心配していた。

「引き取ってくれた男爵家に恩返ししなきゃって思って、学園ではできるだけ大物の貴族令嬢と結婚できるよう婚活を頑張ろうと思っていたんだけど……そこをナイサーに付け込まれちゃったんですよねえ……」

 溜め息をついている兄に、妹が追い討ちをかける。

「この間のドマ伯爵令息の事件では、お兄ちゃんめちゃくちゃお母さんに怒られてたもんね。あの合理的なお母さんに三時間もネチネチ言わせるなんてよっぽどよ」

 ブルー男爵夫人は子爵家出身者で、実家も商会経営して運営方法に熟知していることからブルー男爵家に嫁いできた女性だ。
 合理的でサバサバした性格の持ち主で、無駄を嫌う。
 事情を鑑みて夫の庶子をすぐ認めたことといい、賢妻なのは間違いない。

「まあ、ホーライル侯爵家の寄り子になれたことは喜んでましたけどね。うちみたいな男爵家が格上の貴族家と縁を持てるなんて滅多にないことですし」

 これに関しては、グレンは本当にライルに対して頭が上がらない。
 女生徒に変装してハニートラップに嵌め、婚約破棄までさせて彼の名誉を地に落とした。
 本人はもう気にするなとグレンに笑いかけてくれるが、グレンにはライルとホーライル侯爵家に返しても返し切れない恩があった。



 まだヴァシレウスやブルー男爵が戻ってくるまで、少し時間がかかるようだ。
 ならばとカレンが持ってきたのが、ブルー商会の売れ筋商品だった。

「さすがに香油は別の地域からの取り寄せですけどね。薔薇の香りシリーズはブルー商会のロングセラーですよ」

 たとえば、と出してきたのは手のひらサイズの小瓶。中には半透明でジェル状のクリームが入っている。

「これなんかは、潤いと保湿力を高めた自信作! 是非夜に使ってみてくださいね!」
「あ、ああ……夜ということは、寝る前に塗ればいいのか?」
「はい! ベッドに入ったらお相手に使ってください。もちろん、お相手に渡してもOKです!」
「んん?」

 何かがおかしい。どうも互いの認識に食い違いがあるようだ。

「顔や手に塗って保湿するのだよな?」
「えっ? 何言ってるんですか、大事なところが傷つかないよう保護するための保湿保潤ジェルですよ?」
「えっ?」
「えっ!? 寝室での夜の営み用の保湿保潤ジェルですってば?」
「あ、ああー! そっちの用途か!」

 つまり閨で使う潤滑剤ということだ。

「か、カレン? お前、そろそろいい加減にしようか!?」

 可愛らしい顔から出してはいけないような低い声で、グレンは妹の肩を掴んだ。
 カズンたち同年組は全員、顔を真っ赤に火照らせている。

「まさか皆さん、その……未経験?」

「「「の、ノーコメントで……」」」

 何とかそれだけ言えたカズンだったのだが、カレンは容赦なかった。

「うっそー! 王族や高位貴族の皆さんって閨房術習ったりしないのー!?」
「……カレン嬢、君ちょっとロマンス小説の読みすぎ。しかもまだ読めない年齢指定付きのやつ読んでない?」

 頬を染めながらも、ヨシュアが突っ込んだ。
 カレンはグレンより一歳年下の今年15歳。性的な要素の入る年齢指定小説は最低でも十六歳になってからだ。

「ちなみにサンプルありますけど、いる?」
「「「………………」」」

 無言で全員、手を差し出した。
 にんまり笑って、カレンが試供品用の小さなチューブをひとつずつ手のひらに置いていった。
 経験はなくとも、興味はあるお年頃なのである。