魔力の消耗で昏倒したカズンが目を覚ましたのは、その日の夜のことだった。

 アルトレイ女大公家の自室だ。どうやら学園で倒れた後、周囲が自宅まで運んで休ませてくれたらしい。

「お目覚めかしら、あたくしの可愛いショコラちゃん」

 甘い妙齢の女性の声とともに、ちょん、と美しく整えられた指先で鼻の頭を突っつかれた。

「お母様。戻られてたのですか」
「あなたが倒れたって聞いて、慌てて帰ってきたのよ。王都までの転移陣を使わせてもらってね。随分やんちゃしたみたいね、カズン」

 カズンの寝ていたベッド脇に座っていたのは、極上のエメラルドの瞳に、輝くような金色の長い巻き毛を軽くポニーテールにまとめた三十代半ばほどの美女。
 シンプルなブルーグレーのワンピース姿の彼女は。

 アルトレイ女大公セシリア。
 カズンの母親だ。

 友人の出産祝いでここしばらく他領へ行って留守だったが、カズンの状況を知らされ戻って来たようだ。
 帰宅して、アップスタイルにまとめていた髪を解きドレスから着替えてからカズンの部屋に来たようで、気楽な部屋着姿だった。



 カズンが目を覚ましたと連絡を受けて、父のヴァシレウスがユーグレン王子を伴って部屋へやって来る。

「カズン、まだ魔力が回復してないな? ヨシュアから魔力ポーションを預かっているんだ、飲めるか?」

 ユーグレンから差し出された瀟洒なデザインの小瓶を受け取り、一気にあおった。
 これは効き目が高い分だけクソまずいやつだ。
 だが、飲んだそばから胃を中心にカッと熱が全身に広がっていく。急激な魔力回復の感覚だ。
 小瓶を握り締めて一息ついていると、ユーグレンが手を差し出してくる。

「? 何か?」
「瓶をくれ。容器にもヨシュアの魔力が入っているから、その」
「………………ヨシュア由来の物品をコレクションしたいんですね。わかります」

 本来なら制作者に返却すべきものだが、まあ必要ならヨシュア自身が何か言ってくるだろう。
 ユーグレンのヨシュア信仰を知っているヴァシレウスは苦笑しているし、セシリアは面白そうに口元を押さえて含み笑いをしている。



 その後、ユーグレンから自分が倒れた後の話を聞くと、ナイサー絡みの事件がなかなか複雑な展開を見せていて驚かされた。

 拘束され収監されたドマ伯爵令息ナイサーは、制服のポケットにある魔導具を潜ませていたという。
 隷属魔法のかかった腕輪だった。ロザマリアから色好い返事を貰えないことに業を煮やしていたナイサーは、これ以上婚約を断り続けるなら魔導具で心身を縛るぞと脅すつもりだったようだ。

 この隷属魔法は驚いたことに、ヨシュアが亡父の後妻とその連れ子に使われかけていたものと同種の魔法だと判明した。

「……何やら陰謀めいた匂いを感じるな」

 関連性が示唆されているが、魔導具の出所は不明のままだった。
 ナイサー本人は、自分の家であるドマ伯爵家が入手した数多の宝飾品のひとつに過ぎないと主張しているそうだ。

 ナイサーの協力者だった取り巻きの生徒たちも、既に拘束されている。
 ほとんどはグレンと同じように、弱みをナイサーに握られて嫌々協力していただけだったようで、詳しい事情聴取の後は解放されるという。



 そしてライルによるロザマリア嬢との婚約破棄騒動には、まだ続報があった。

 女生徒アナ・ペイルに扮していたグレンがホーライル侯爵家の別邸から盗んだ装飾品は、愉快犯による犯行に見せかけるべく、グレンの手によってすべてホーライル侯爵家に送り返されている。

 だが、たった一つだけ、盗まれたまま返って来ていない品があった。
 グレンはてっきり、すべて箱詰めして返却したとばかり思っていたのだが、梱包の隙を突いてナイサーが横取りしていたようだ。



 後日行われた、事件の関係者たちを集めてホーライル侯爵邸で行われた慰労会にて。
 ホーライル侯爵から、このような報告があった。

「魔法樹脂で創られたペーパーウェイトが紛失したままだったのだ」

 魔力の使い方には、魔法と魔術の二種類がある。

 魔法は一から術者の創造力によって物質や現象を、文字通り創り出す。
 創り出された結果は千差万別で芸術的なものが多い。
 魔法を主に使う魔力使いを“魔法使い”と呼ぶ。

 対して魔術は、魔力の作用の仕方である魔術式というプログラムを理解して、その魔術式を起動させられるだけの魔力量があれば、誰でも同じ結果が得られる合理的な魔力の使い方だ。

 魔術式さえ理解し構造を把握できていれば、常に再現性のある魔術の行使が可能である。
 生活に必要な魔力の使い方は、生活魔術として円環大陸全土に普及している。

 魔術を主に使う魔力使いは“魔術師”だ。

 魔法樹脂は創成する術者の設定によって、内部に文字や音を記録することができる。
 ホーライル侯爵家別邸から盗まれたペーパーウェイトもこの類いだった。
 現在では、魔法樹脂に音声記録機能を付与できることは、秘伝と呼ばれあまり知られていない。
 だがホーライル侯爵家には実物が宝物としてあったため、侯爵本人も知っていたというわけだ。



 ここに至るまでの経緯は、こうだ。

 盗品を持ち込まれた雑貨屋が、品物を預かって物品鑑定を施したところ、ホーライル侯爵家の紋章と、創り手の魔法使いの声で魔法樹脂のペーパーウェイトを創り出した経緯が保存されていることが判明した。

 ホーライル侯爵家ゆかりの物品であることから盗難品と判断し、持ち込んだ人物には今手持ちの現金が少ないからと少額の手付金だけ渡して、残りは半月後にまとめて渡すと約束してペーパーウェイトを預かった。

 その間に、王都騎士団に貴族家からの盗難品持ち込みがあったことの相談に駆け込んできたというわけである。

 グレンの件といい、関連する物事すべてが実に良いタイミングで次々起こったといえる。



「俺はあまり魔力がなくてな。リースト伯爵、このペーパーウェイトに魔力を流してみてくれるか」
「了解です、では」

 ホーライル侯爵から手渡された生花の封入されたペーパーウェイトに、ヨシュアの魔力が流される。
 すぐにペーパーウェイトは魔力に反応して一瞬光を発し、音声を再生し始めた。


『私の名前はエレン・ホーライル、七歳。ホーライル侯爵家の末っ子よ』


 勝ち気な印象の、幼い少女の声が鮮明に流れる。


『今年、お兄様が成人して騎士団に入団されるの。私、お兄様に礼装用のマント留めをプレゼントしようと思ったのよね』

『お兄様の赤茶の髪の毛には純白がよく似合うわ! お庭で育てている純白のマーガレットを使って、習ったばかりの魔法樹脂でマント留めの飾り部分を作りました!』

『でも酷いのよ、お兄様ったら、「よくできたペーパーウェイトだ、大事に使わせて貰うぞ」ですって。もうもうもうっ、そんなこと言われたら今更それはマント留めに加工するんですとは言えないじゃない?』

『そういうわけで、これはマント留めになり損ねたペーパーウェイトです。お兄様はお嫁様と暮らす予定の別邸で使って下さるそうよ』

『あーあ、思い通りにいかなくて残念! ちょっとだけ悔しかったから、魔法樹脂に愚痴を残しておきます。この声を聴けるのは私と同等かそれ以上の魔力の持ち主だけに設定しておくわね!』



「エレンって確か、四代前のホーライル侯爵の妹だよな。当時の王女サマの側近として活躍した……だったか? 親父」
「ああ。そして当時の王都騎士団の団長に見初められ、その縁で我がホーライル侯爵家は現在も騎士団の要職に就いているわけだ」

 実際、ライルの父・ホーライル侯爵カイムは王都騎士団の副団長で、順当にいけば次の団長となる人物だった。
 ライルも学園を卒業後は騎士団に入団して、剣の腕を磨くつもりでいる。



 少し間が空いて、今度は若い男の声が再生される。


『ゲイル・ホーライル。エレンの兄だ』

『参ったなあ。エレンのやつ、よりによってユーリナと同じマント留めをくれようとしてくれちゃって。来月結婚するユーリナのほうを優先してしまった。許せエレン! お前のプレゼントを誤魔化した罪は、好物の砂糖漬けの詰め合わせで許してほしい!』

『愚痴はしかと受け止めよう、エレン。このペーパーウェイトは大事にする。純白のマーガレットを見るたび、この花が好きだった亡くなられた母上とエレン、二人を想うよ』


 愛してる、と家族への情に満ちた声を最後に、音声は終わった。

 しぃん、と室内には沈黙が降りる。
 ホーライル侯爵はペーパーウェイトを指先で優しく擦った。

「このペーパーウェイトこそが、我が家の別邸で最も高価で貴重な物だった。無事に戻ってきて良かった」
「………………」

 既に許され示談も成立しているとはいえ、グレンは申し訳なさで深く頭を下げた。