目的の人物を拘束できたことで、教室内の張り詰めていた空気が緩み始めている。

 教室の外、廊下には担任教師だけでなく、学園長のエルフィンや、生徒会長のユーグレン王子も待機していた。騎士たちがナイサーを引っ立てて学園を去るところまで見届けるのが彼らの仕事だ。

 だが、ようやく終わったと誰もが思ったところで、油断があった。

「ロザマリアァ! お前が抵抗なんかするからこんなことになったんだッ!」

 ナイサーが騎士たちの拘束を強引に振り解いて、ロザマリアへ向かって突進する。
 その大きな拳がロザマリアに振り翳されるという、そのとき。

「カズン、バックラーを出せ!」

 廊下から教室内に身を乗り出してきたユーグレンの鋭い声に、ハッと条件反射的にカズンは魔力を左手に集中させた。

「ぐっ!」

 左手の中に現れたのはバックラー、丸い盾付の短剣だ。
 盾は円形で、カズンの指先から肘までの長さがある。
 咄嗟にロザマリアとナイサーの間に身を滑り込ませ、ナイサーの拳を盾で受け止めた。
 衝撃でカズンの黒縁眼鏡が外れて床に落ちる。

 すぐに全身に身体強化の魔術を追加し防御力を高める。
 だが圧倒的にナイサーのほうが力が強い。ナイサーもまた身体強化を使って迫ってくる。

 力負けしてカズンの身体が後方に押されていく。次第にバックラーの盾剣も半透明に存在が揺らぎ出す。

「ううっ、何て馬鹿力か……!」
「まずい、盾の強度が足りない! ライル様、騎士様、早くナイサーを捕獲して!」

 ヨシュアが声を上げるまでもなく、ナイサーの左右から騎士たちが、ライルが後方からナイサーの首に腕を回し落としにかかる。
 だが。

「くっそカタ過ぎんだろお前!」

 熊と揶揄されるだけあって、鍛えた筋肉と太い首を持つナイサーの耐久度が半端ない。

「ヨシュアー! お前、魔法剣出せよ、足止めしろォ!」
「こんな狭い場所で魔法剣なんて出したらナイサー以外も細切れです、無茶言わないで!」
「うっそだろォーッ!」

 興奮するナイサーは騎士たちとライルが総出でも、引き摺りかねない勢いがあった。
 バックラーで防御するカズンは何とか踏ん張っているが、窓際まで押されかけている。明らかに力負けしていた。
 背後にはロザマリアを庇っている。これ以上押されるわけにはいかなかった。



「ち、ちょっとユーグレン殿下っ!? 危ないわ下がって!」

 エルフィン学園長の制止を聞かず、廊下にいたユーグレンが教室に駆け込んでくる。

「ライル、そのまま其奴を押さえてろ!」
「了解ーっ!」

 ユーグレンの右手を陽炎のように真紅の魔力が覆う。その右手の平で力いっぱいナイサーのこめかみを叩いた。
 その後もナイサーの頭から手を離さず、纏わせていた魔力を頭蓋の内部へと浸透させていく。
 数秒後、文字通り熊のように暴れていたナイサーは泡を吹いて引っ繰り返り、白目を剥いて後ろ向きに倒れた。

「しばらく昏倒したままのはずだが、念のため拘束具を装着させろ」
「ハッ、かしこまりました!」

 荒縄で手足を縛り、更にその上から鉄の枷を嵌めた。枷は魔導具の一種だ。これはさすがに、ナイサーがどれだけ馬鹿力でも外せない。

 ナイサーはそのまま騎士団員たちによって運ばれていった。行き先は騎士団本部の管轄下にある牢獄だ。



「無事か、カズン」
「ちょっと……いいところを持って行き過ぎじゃないですか、殿下……」

 力なく抗議するが、正直助かった。
 身を守る盾剣バックラーを魔力で作るのは、王族の必須スキルだ。
 だが、一般的な貴族と比べてもカズンの持つ魔力はそう多いとは言えない。

 ましてや、魔力で武具を作るのは相当量の魔力消費を必要とする。
 その上、ナイサーの剛力に耐えきれず、盾はほとんど消えかけていた。

「カズン様!?」

 ヨシュアの悲鳴が聞こえるも、どこか遠かった。
 意識が薄れていく。
 なけなしの魔力を消耗しすぎた。
 床に崩れ落ちる前に、身体を受け止められる感触があった。

「無理をさせたな。後は任せて、ゆっくり休むといい」