「ん……僕の場合は、ライルほどドラマチックではないのだが」

 カズンは躊躇ったが、同じ転生者のライルが語って、自分は黙したままというのもフェアじゃない。
 さて、何から話せばいいものやら。

「僕もライルと同じ日本という国にいた。時代はライルの昭和の次、平成という時代だ。そこで高等学校……高校の生徒だった。庶民の家庭に生まれて、両親は共働き。下に弟が一人の4人家族だった」

 標準的な、何不自由ない生活をしていたとカズンは言う。
 ただし、

「僕には親しい友人がいなかった。……ああ、いじめなどに遭っていたわけではない。学校では互いの家に行くほど親しい友人はできず、アルバイト先……短時間労働のファミレス……飲食店では、一人だけ年末のクリスマスパーティーに呼ばれなかった、そんな立ち位置だ」

 あるいは、バイト仲間の誕生日にプレゼントを渡しても、いざ自分の番になるとプレゼントどころか誰も誕生日を覚えていない。
 そんなポジションにいた少年だったという。

 ざわ、とカズン以外の3人がどよめく。
 偉大な先王と女大公の母親の間に生まれ、日々をほのぼの過ごしている今のカズンからは想像もできない姿だからだ。

「死因は、……僕も雪の季節だな。都市部に住んでいてそうそう雪なんて降らない地域だったのだが、その年は例年にない大雪で。労働先のレストランから帰宅しようとしたところで、雪の重みで店の看板が落ちてきたんだ」
「えっ、もう死ぬシーンかよ!?」
「……だって、本当に特筆すべきもののない人生だったのだ。年もまだ十代半ばくらいで、ライルほど社会経験があったわけでもない」

 そうして、落ちてきた大きな看板が頭部を直撃。頭蓋損傷による重傷だった。

「看板が落ちたことにすぐ店の者たちが気づいて、救急車……この国なら医療軍人たちだな。それを呼んでくれていた。だけど僕は負傷が頭部だったし、血も大量に流れ出ていて、自分はもうこのまま助からないと思ったよ」

 倒れて救急車が来るまで、そして自分が息を引き取るまでに、多少の時間があった。

「店での同僚や上司が、必死に呼びかけてくれていた。痛みが薄れてボーッとしてくる意識の中で、もし次に生まれ変われるならもっといい環境がいいなと思っていた」
「……それは、まあ、そのような死に方をしたなら当然思うだろうな」

 言葉を選びつつ、ユーグレンが同意する。

「うむ。それで僕が思ったのは、次があるなら、当時好んで読んでいた青春小説みたいな人生がいいなあ、ということだ」

 前世ではライトノベルやWeb小説と呼ばれていた作品のような、反則的に強いチート能力持ちの主人公になったり、異世界転生したりなどだ。

「イケメンの王子様に生まれて、イケオジの父親と美女の母親がいて。気の置けない友人がいて……こんな不運で死んでしまう取るに足らない存在でなく、『誰かにとって大切な存在』になりたいと強く思った」

 死に際の思念が天に通じたのかどうか。
 今、カズンは王弟として、偉大な父と美しい母親の元に生まれた。
 父母や兄とその家族から大いに愛され、親しい友人もできて恵まれた人生を送っている。

 生憎と、チート系能力の保持者にはなれなかったようだが。それだけが残念である。

(むしろチートは周りにいるのだよなあ)

 竜殺しの魔法剣士、伯爵ヨシュア。
 学生の身でありながら剣豪と呼ばれている、次期侯爵のライル。
 次期王太子で次世代の国王が確定している王子ユーグレン。

 そもそも、父親からして大王の称号持ちの先王ヴァシレウスで、母親は人物鑑定スキル特級ランク持ち。

(この中に混ざると、僕はだいぶ霞む)



 幼少期、4歳くらいの頃に前世の記憶を思い出した。
 当時、両親と暮らしていた離宮の自室の隅で蹲って泣いていたところを乳母に発見され、慌てて両親の元に連れて行かれた。

「あのね、おうちにかえっても、ごはんがないの」

 ポロポロと涙を流しながら言う息子に驚いた父ヴァシレウスと母セシリアは、慎重に、根気よくカズンから話を聞き出した。

 そうして、カズンが異世界の前世を持つ異世界転生者であることが判明する。
 『家に帰ってもご飯がない』とは、学生で放課後、アルバイトをして帰宅したとき、家族が自分の分の夕食を残しておいてくれなかったときの記憶らしい。

 “ピザ”という、アケロニア王国にもある小麦粉を水で捏ねて薄く延ばした生地にトマトソースと具材、シュレッドしたチーズを載せて焼いた料理がある。
 その日、家族はピザを自宅に配達して貰っていたようなのだが、アルバイトを終えて帰宅した前世のカズンの分を考慮せず食べきってしまったようだ。
 というのも、カズンの職場はレストランで、仕事終わりに希望すれば廉価で賄い料理が食べられるからだ。
 家族は前世のカズンが賄いを食べて帰って来るとばかり思っていた。だから夕食分を残して置かなかった。

 けれど前世のカズンはピザが好物で、自分にも数切れ残しておいてくれると思っていた。
 だからアルバイト先で賄いを食べずに楽しみに帰ってきたのだが、残っていたのはピザ入っていた空き箱だけ。

 話を聞いて、ヴァシレウスもセシリアも胸が締め付けられるような悲しい気持ちになった。
 前世のカズンは、決して家族から虐げられていたわけではない。衣食住はきちんと整えられていて、毎度の食事も用意され、洗濯だって母親が毎日洗って畳んで部屋まで持ってきてくれていたという。

 そんな恵まれた生活の中、些細であっても、優しい気持ちが傷つく経験を沢山していたらしい。

 それから泣き止まぬカズンを抱き締め、両親は時折うなされる息子と共に眠ることが多くなった。



「だが、僕自身はこの前世の記憶に少々疑問を持っている」
「疑問?」

 ああ、と頷く。

「他の記憶では、普通にちゃんと衣食住を整えてくれる家族だったんだ。それに、労働先から自宅への帰路にはピザが食べられる飲食店がざっと6店舗はあった。正直、配達されるピザよりずっとリーズナブルで美味なものだったと記憶している」
「だけどよ、悲しくてご両親と一緒に寝ないと泣いちゃうぐらいだったんだろ?」
「それは……まあ、そうだな。幼い頃は前世の記憶を思い出すたびに涙が止まらなかった」

 ライルに突っ込まれるものの、それでもやはりカズンとしては納得できていなかった。

「今の僕が客観的に思い返してみても、別に何てことのない記憶ばっかりなのだ」
「案外、核心的な記憶は思い出されてないのかもしれませんね。『家に帰ってもご飯がない』など、ちょっと聞いただけでは虐待かと思えますけど」
「それは今の父や母も言っていた。だが、同じような出来事の記憶は他にもあるが、前世の僕は本当に堪えてないんだ。ただ、……どうにもスッキリしない」

 それから誰も言葉を発しない。
 カズンの前世はあくまでも彼だけのもの。話を聞くだけで、あれこれ深いコメントができるわけでもなかった。



「なるほど、その前世とやらの記憶があるから、お前はずっと心配したヴァシレウス様やセシリア様と寝ていたのだな」
「え?」
「ふ。私は知っているぞ。カズンが高等学園に入学する頃まで、ご両親の部屋で寝ていたことを!」
「!?」

 突然、ユーグレンからの暴露話が来た。

「な、なぜそれを知っている……?」

 そう。実はカズンは高等学園に入学する前まで、週の半分は両親と寝ていた。
 幼少期、最初に前世の記憶を思い出して泣きじゃくったときから、ずーっとだ。
 王侯貴族の子供は、物心つく頃には一人部屋で一人で寝るのが習わしだ。それからするとかなり異例のこととなる。

「なぜって。ヴァシレウス様ご本人から伺ったに決まってるだろう」

 いつもカズンに口先でやり込められているユーグレンの反逆か、とカズンは警戒したが、意地の悪い意図があるわけではないようだ。

「……昔、私たちが6歳ぐらいのことだったか。ヴァシレウス様たちが公務で国外に出て留守にしたとき、お前を離宮ではなく王宮で預かっただろう。昼は私と同じ部屋で勉強していたが、夜は祖父王の部屋に入って行った。あれがずっと不思議だったんだ」

 で、祖父王テオドロスと先王ヴァシレウスが酒を飲む場に同席したとき訊ねてみたところ、二人ともあっさり教えてくれたというわけだ。

「くっ……父のみならずお兄ちゃままでバラしてるのか……っ」

 恥ずかしくて顔が熱くなってくる。
 カズンは眼鏡を外して天井を仰いだ。

「ふふ、ヴァシレウス様の伝記がまた厚くなりますねえ。末っ子の王弟殿下に添い寝する先王陛下。微笑ましいエピソードです」
「そ、それだけは勘弁願いたい……っ」

 これには全員が笑った。
 偉大なヴァシレウス大王は退位後に本人監修の伝記が刊行されている。
 現王への譲位後の業績は番外編としてまとめられているが、カズンとのエピソードはその中に加えられそうだ。

 まだ夜は長い。少年たちの談笑する声は、ホーライル侯爵邸で穏やかに響いていった。