お騒がせ男女二人を見送り、足音が聞こえなくなったことを確認した時点で、学級委員長カズンは教壇に残っていた教師を振り返った。
「ロダン先生、封筒と便箋があればいただけますか。今の出来事を関係各所に知らせねばなりません」
「あ、うん、それは構わないけど……ちなみに、どこに、どんな手紙を書くつもりなんだい?」
中年の担任教師はレターセットを教壇の引き出しから取り出し差し出しながら、素朴な疑問を口にした。
「決まってます。まずはロザマリア嬢のシルドット侯爵家へ、彼女が婚約者から事実無根の糾弾を受けた経緯を」
「……わたくしを信じて下さるのですか、学級委員長」
驚いたようにロザマリアが目を見開く。
「もちろんだ。クラスメイトの諸君も同じだろう?」
静まり返っていた教室内を見渡す。
ほぼ満場一致で肯定が返る。
「ロザマリア嬢が品行方正な淑女であることは、クラスメイトは皆わかっていますよ。というより、この場合は相手が異常過ぎるので、あちらを警戒するほうが先です」
頼まれた便箋と封筒を差し出しながら、ロダン教師も苦笑して頷いた。
「まあねえ。『1年F組、平民のアナ・ペイル』って意味がわからないし」
教室内の生徒たちのうち、二割程度は納得して首肯し、残りはよくわからないという顔になった。
カズンは担任からレターセットを受け取って、ス……と黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
キラリンと眼鏡のガラス面が光る。
「ひとつ、この学園にF組は存在しない。ふたつ、この学園に入学できるほどの平民は成績優秀な特待生だから、組分けは上位クラスのA組かB組に限定される。みっつ、よってあのペイル嬢なる者は己の身分や学籍を偽った上でホーライル侯爵令息にすり寄っている」
「まあそういうこと。だから、あのペイル嬢がシルドット侯爵令嬢にいじめられたなんて訴えも虚言か、何かしらの謀略じゃないかと簡単に判断できるわけ」
補足する担任に、なるほど、と生徒たちが頷く。
「あれ、でもそれなら、アナ・ペイルに騙されてるホーライル侯爵令息はどうなるんだ?」
首を傾げたのは、クラスメイトの一男子生徒だ。
「うむ。ひとまず、彼の家に手紙で先触れを出そうと思う。僕はこのまま彼の家に向かって、ご両親か家人に事情を説明してくるよ」
手紙を書きながら返事する。
やがて学級委員長カズンは二通の手紙を書き上げた。
担任が封蝋を魔法で溶かし封筒に垂らしてくれたので、自分の筆箱から家紋の印を押し付けて封印する。
「一通はロザマリア嬢のシルドット侯爵家へ。お父上に渡してくれるかい」
「承りました。お手数おかけ致します」
たおやかな細く白い手が、封筒に入った手紙を受け取る。
「一応、今起こった出来事のあらましを書いておいたけど、詳細が知りたいなら僕の家宛てに連絡を寄越してくれれば説明に参上しよう」
「はい」
二通目の手紙を持ったまま、カズンは教室内を見回した。
「ホーライル侯爵令息のご近所さんはいるか? 帰りにホーライル家に届けて欲しい。ついでに、僕がすぐ説明に上がると言づてを頼む」
これには、また別の男子生徒が請け負ってくれた。伯爵家の令息だ。
「よし、では今日はこれで解散」
軽く手を打つと、緊張していたクラスメイトたちは息を吐いて、各自下校の準備を始めた。
「カズン君、私も一緒に行くかい?」
「先生。ひとまず僕が行きます。僕の手に負えないようなら助けを求めますので」
教科書や筆記具をまとめ、下校していくのだった。
(口も身体も自然に、当たり前のように動く。これは前世では考えられなかったことだ。前の僕は口下手だったから)
学園の馬車留めに向かいながら、ふと前世との違いに気づいた。
不思議と最近、以前はあまり意識していなかったはずの前世のことを思い出している。
この手の話題は幼馴染みの叔父が詳しくて、幼い頃からよく相談していたものだ。
久し振りに連絡を取りたかったが、ここ数日は幼馴染みが学園を休んでいてそれも叶わない。
いつもなら、放課後はその幼馴染みと街を散策して、ちょっとした買い食いを楽しんでから帰宅するのだが、いないものは仕方がない。
それに今日はこのまま、ホーライル侯爵家へと向かわなければ。
「それにしても、不思議なことだ。ライル君はあんな男ではなかったと思ったが」
先ほど、教室でロザマリア嬢を怒鳴りつけていた同級生に首を傾げる。
彼らは親が決めたとはいえ、それなりに仲の良い婚約者同士だったはずだ。
ロザマリアに会いによくカズンの教室に来ていたから、親しく会話している姿も頻繁に見ていたのだが。
これが、後から思い返してみれば、平穏でほのぼのしたカズンの日常で最初に起こった“異常”だった。
前世でモブの男子高校生だったカズアキが転生したのは、間違いなくファンタジー世界だったのである。
「ロダン先生、封筒と便箋があればいただけますか。今の出来事を関係各所に知らせねばなりません」
「あ、うん、それは構わないけど……ちなみに、どこに、どんな手紙を書くつもりなんだい?」
中年の担任教師はレターセットを教壇の引き出しから取り出し差し出しながら、素朴な疑問を口にした。
「決まってます。まずはロザマリア嬢のシルドット侯爵家へ、彼女が婚約者から事実無根の糾弾を受けた経緯を」
「……わたくしを信じて下さるのですか、学級委員長」
驚いたようにロザマリアが目を見開く。
「もちろんだ。クラスメイトの諸君も同じだろう?」
静まり返っていた教室内を見渡す。
ほぼ満場一致で肯定が返る。
「ロザマリア嬢が品行方正な淑女であることは、クラスメイトは皆わかっていますよ。というより、この場合は相手が異常過ぎるので、あちらを警戒するほうが先です」
頼まれた便箋と封筒を差し出しながら、ロダン教師も苦笑して頷いた。
「まあねえ。『1年F組、平民のアナ・ペイル』って意味がわからないし」
教室内の生徒たちのうち、二割程度は納得して首肯し、残りはよくわからないという顔になった。
カズンは担任からレターセットを受け取って、ス……と黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
キラリンと眼鏡のガラス面が光る。
「ひとつ、この学園にF組は存在しない。ふたつ、この学園に入学できるほどの平民は成績優秀な特待生だから、組分けは上位クラスのA組かB組に限定される。みっつ、よってあのペイル嬢なる者は己の身分や学籍を偽った上でホーライル侯爵令息にすり寄っている」
「まあそういうこと。だから、あのペイル嬢がシルドット侯爵令嬢にいじめられたなんて訴えも虚言か、何かしらの謀略じゃないかと簡単に判断できるわけ」
補足する担任に、なるほど、と生徒たちが頷く。
「あれ、でもそれなら、アナ・ペイルに騙されてるホーライル侯爵令息はどうなるんだ?」
首を傾げたのは、クラスメイトの一男子生徒だ。
「うむ。ひとまず、彼の家に手紙で先触れを出そうと思う。僕はこのまま彼の家に向かって、ご両親か家人に事情を説明してくるよ」
手紙を書きながら返事する。
やがて学級委員長カズンは二通の手紙を書き上げた。
担任が封蝋を魔法で溶かし封筒に垂らしてくれたので、自分の筆箱から家紋の印を押し付けて封印する。
「一通はロザマリア嬢のシルドット侯爵家へ。お父上に渡してくれるかい」
「承りました。お手数おかけ致します」
たおやかな細く白い手が、封筒に入った手紙を受け取る。
「一応、今起こった出来事のあらましを書いておいたけど、詳細が知りたいなら僕の家宛てに連絡を寄越してくれれば説明に参上しよう」
「はい」
二通目の手紙を持ったまま、カズンは教室内を見回した。
「ホーライル侯爵令息のご近所さんはいるか? 帰りにホーライル家に届けて欲しい。ついでに、僕がすぐ説明に上がると言づてを頼む」
これには、また別の男子生徒が請け負ってくれた。伯爵家の令息だ。
「よし、では今日はこれで解散」
軽く手を打つと、緊張していたクラスメイトたちは息を吐いて、各自下校の準備を始めた。
「カズン君、私も一緒に行くかい?」
「先生。ひとまず僕が行きます。僕の手に負えないようなら助けを求めますので」
教科書や筆記具をまとめ、下校していくのだった。
(口も身体も自然に、当たり前のように動く。これは前世では考えられなかったことだ。前の僕は口下手だったから)
学園の馬車留めに向かいながら、ふと前世との違いに気づいた。
不思議と最近、以前はあまり意識していなかったはずの前世のことを思い出している。
この手の話題は幼馴染みの叔父が詳しくて、幼い頃からよく相談していたものだ。
久し振りに連絡を取りたかったが、ここ数日は幼馴染みが学園を休んでいてそれも叶わない。
いつもなら、放課後はその幼馴染みと街を散策して、ちょっとした買い食いを楽しんでから帰宅するのだが、いないものは仕方がない。
それに今日はこのまま、ホーライル侯爵家へと向かわなければ。
「それにしても、不思議なことだ。ライル君はあんな男ではなかったと思ったが」
先ほど、教室でロザマリア嬢を怒鳴りつけていた同級生に首を傾げる。
彼らは親が決めたとはいえ、それなりに仲の良い婚約者同士だったはずだ。
ロザマリアに会いによくカズンの教室に来ていたから、親しく会話している姿も頻繁に見ていたのだが。
これが、後から思い返してみれば、平穏でほのぼのしたカズンの日常で最初に起こった“異常”だった。
前世でモブの男子高校生だったカズアキが転生したのは、間違いなくファンタジー世界だったのである。