だが、イマージの痕跡を追おうと宙に飛び降りようとしたカズンを、ヨシュアは倒れそうになる自分を叱咤しつつも後ろから抱きつき、必死で引き留めた。
「ヨシュア、離せ!」
「だめ、駄目ですカズン様、行かないで!」
「ヨシュア」
幼馴染みの悲痛な声に、カズンは思わず身動きを止めた。
「オレの幸運値1では手綱の切れたあなたを探し出せない。これが今生の別れになるかもしれない。そんなのは嫌だ!」
円環大陸は広い。その上、国家間に転移の魔術陣は設置されていなかった。
手紙を出しても、端から端に届くまで何年もかかることだってザラだ。荷物だって下手をすると途中で紛失することもある。
そもそも、あの次元の歪みの先はどこに繋がっている? この世界とは限らないではないか。
一度入ってしまった後、出てこれるかもわからなかった。
「ヨシュア。大丈夫だ。だから行かせてほしい」
「……必ず帰ってくるとは、言ってくれないんですね」
「不確実な約束は力を損なう。してはならない」
今のカズンには、それがわかる。
環が教えてくれている。
「ねえ、カズン様。まだオレとユーグレン様と三人で話し合いも何もしてませんよね。……あなたが戻ってくるまで、保留にしておいてもいいですか?」
よりによって、今ここでその話題を出すのか、とその場の誰もが思ったが口には出さなかった。
ヨシュアのカズンへの執着は今では皆が知っていた。
それに、もしかしたらヨシュアの懇願はこのままカズンを引き留めてくれるかもしれない、という僅かな期待もあった。
イマージ・ロットの影から濃厚な虚無魔力をもろに受けたヨシュアは今にも倒れそうだ。
何とか気力だけで意識を保っているだろうことが、見るだけでわかる。
それだけ必死なのだ。
「……仕方のないやつ」
苦笑いしつつもカズンは頷いた。
ふと思いついて、ついでに自分の黒縁眼鏡もヨシュアへと預けることにした。
伊達眼鏡だから自分はなくても困らない。
その麗しの顔に、そっと眼鏡をかけてやる。
「はは。おまえ、結構似合うな」
レンズ越しでもヨシュアの銀の花咲く瞳はよく見えた。
その美しい瞳が零す涙を、今は拭ってやる余裕がない。
「いつまでもあなただけを待っております。……お気をつけて。オレの、大好きなカズン様」
「おまえもな。元気でいろよ、ヨシュア!」
笑って、そのままカズンは屋上から飛び降りた。
情緒も何もない、素っ気ない別れだった。
空間の歪みの中にカズンが消えていく寸前、ユーグレンは見た。
(カズンのステータスが……)
アケロニア王族は血筋特有のスキルとして、人物鑑定スキルを持つ。もちろんユーグレンも。
彼のステータスの称号欄には魔術師、バランサーとある。
そして明滅していた文字は。
(“勇者”か。なるほど、我らアケロニア王族の始祖の称号を受け継いだのだな。カズン)
「カズン! ヴァシレウス様とセシリア様のことは私に任せておけ!」
返事はなかったが、ユーグレンとよく似た端正な顔の口元は笑っていたように思う。
そうして、アケロニア王国の最も若い王族だったカズンは、父の仇であり、古くは始祖から続く因縁のロットハーナの末裔を追って出奔したのである。
「終わった……のか?」
魔法樹脂でギブスのように固められた利き足を引き摺って、ライルが呟く。
「終わったが、後始末が必要だ」
ルシウスが息を整え、自分の腰回りに環を出現させる。
そのまま両手の中に金剛石の魔法剣を一振り生み出す。
元から美しく光るその透明な剣は、ルシウスの環が光を強めると同時に、白く眩く発光してダイヤモンドの上位鉱物アダマンタイトへと材質を変えた。
その聖者ルシウス唯一の魔法剣“聖剣”を構え、目の前の空中を横一直線に切る。
フ、と瞬時に屋上を満たしていた不快な感覚が消え、一同は身体が軽くなるのを感じた。
アダマンタイトは、この世界では究極の浄化作用を持つ鉱物だ。
元から比類なき旧世代の魔法剣士だった彼が環に覚醒することで得たものこそが、リースト伯爵家の一族悲願の『金剛石の魔法剣をアダマンタイトに進化させる』ことであった。
戦いの跡地を浄化し、次いでルシウスは虚無魔力の被害を受けたヨシュア、ユーグレン、ライルにも聖剣を通じて浄化をかけた。
ルシウスならばカズンを追ってともに行くこともできたが、さすがに甥のヨシュアや、この虚無魔力の残滓を放って向かうことはできなかった。
最後の最後まで浄化しきる前に、彼は三人に対してこう問いかけた。
「残りの虚無を自分で処理できるようになれば、お前たちには環が発現する可能性が高い。どうする?」
「えっ、俺はもう出せるけど、どうなんですかルシウスさん」
「より力が強くなる」
ルシウスの回答に、少し考えてライルは虚無魔力の侵食を抑えるため魔法樹脂で固められた自分の脛を木刀の先で軽く叩いた。
「今は自分で頑張るより、浄化して楽になりてえです。浄化、お願いします」
ライルは速攻で自己処理を諦める判断をした。
彼の傍らに来ていたグレンが、その答えにホッと胸を撫で下ろしている。
ルシウスは頷いて、彼の身体から虚無の痕跡を浄化した。
「お前たちは?」
促されて、ユーグレンとヨシュアは顔を見合わせた。
何となく、考えていることは二人とも同じな気がした。
「願ってもないことです。必ずや虚無に打ち勝って見せます」
「ああ。このような好機、二度は訪れぬだろうから」
できなければ、そのまま虚無に飲み込まれてロットハーナと同じようなものになる。
けれどふたりとも、やり通してみせる、と心の中で消えていったカズンの面影に誓っていた。
「ヨシュア、離せ!」
「だめ、駄目ですカズン様、行かないで!」
「ヨシュア」
幼馴染みの悲痛な声に、カズンは思わず身動きを止めた。
「オレの幸運値1では手綱の切れたあなたを探し出せない。これが今生の別れになるかもしれない。そんなのは嫌だ!」
円環大陸は広い。その上、国家間に転移の魔術陣は設置されていなかった。
手紙を出しても、端から端に届くまで何年もかかることだってザラだ。荷物だって下手をすると途中で紛失することもある。
そもそも、あの次元の歪みの先はどこに繋がっている? この世界とは限らないではないか。
一度入ってしまった後、出てこれるかもわからなかった。
「ヨシュア。大丈夫だ。だから行かせてほしい」
「……必ず帰ってくるとは、言ってくれないんですね」
「不確実な約束は力を損なう。してはならない」
今のカズンには、それがわかる。
環が教えてくれている。
「ねえ、カズン様。まだオレとユーグレン様と三人で話し合いも何もしてませんよね。……あなたが戻ってくるまで、保留にしておいてもいいですか?」
よりによって、今ここでその話題を出すのか、とその場の誰もが思ったが口には出さなかった。
ヨシュアのカズンへの執着は今では皆が知っていた。
それに、もしかしたらヨシュアの懇願はこのままカズンを引き留めてくれるかもしれない、という僅かな期待もあった。
イマージ・ロットの影から濃厚な虚無魔力をもろに受けたヨシュアは今にも倒れそうだ。
何とか気力だけで意識を保っているだろうことが、見るだけでわかる。
それだけ必死なのだ。
「……仕方のないやつ」
苦笑いしつつもカズンは頷いた。
ふと思いついて、ついでに自分の黒縁眼鏡もヨシュアへと預けることにした。
伊達眼鏡だから自分はなくても困らない。
その麗しの顔に、そっと眼鏡をかけてやる。
「はは。おまえ、結構似合うな」
レンズ越しでもヨシュアの銀の花咲く瞳はよく見えた。
その美しい瞳が零す涙を、今は拭ってやる余裕がない。
「いつまでもあなただけを待っております。……お気をつけて。オレの、大好きなカズン様」
「おまえもな。元気でいろよ、ヨシュア!」
笑って、そのままカズンは屋上から飛び降りた。
情緒も何もない、素っ気ない別れだった。
空間の歪みの中にカズンが消えていく寸前、ユーグレンは見た。
(カズンのステータスが……)
アケロニア王族は血筋特有のスキルとして、人物鑑定スキルを持つ。もちろんユーグレンも。
彼のステータスの称号欄には魔術師、バランサーとある。
そして明滅していた文字は。
(“勇者”か。なるほど、我らアケロニア王族の始祖の称号を受け継いだのだな。カズン)
「カズン! ヴァシレウス様とセシリア様のことは私に任せておけ!」
返事はなかったが、ユーグレンとよく似た端正な顔の口元は笑っていたように思う。
そうして、アケロニア王国の最も若い王族だったカズンは、父の仇であり、古くは始祖から続く因縁のロットハーナの末裔を追って出奔したのである。
「終わった……のか?」
魔法樹脂でギブスのように固められた利き足を引き摺って、ライルが呟く。
「終わったが、後始末が必要だ」
ルシウスが息を整え、自分の腰回りに環を出現させる。
そのまま両手の中に金剛石の魔法剣を一振り生み出す。
元から美しく光るその透明な剣は、ルシウスの環が光を強めると同時に、白く眩く発光してダイヤモンドの上位鉱物アダマンタイトへと材質を変えた。
その聖者ルシウス唯一の魔法剣“聖剣”を構え、目の前の空中を横一直線に切る。
フ、と瞬時に屋上を満たしていた不快な感覚が消え、一同は身体が軽くなるのを感じた。
アダマンタイトは、この世界では究極の浄化作用を持つ鉱物だ。
元から比類なき旧世代の魔法剣士だった彼が環に覚醒することで得たものこそが、リースト伯爵家の一族悲願の『金剛石の魔法剣をアダマンタイトに進化させる』ことであった。
戦いの跡地を浄化し、次いでルシウスは虚無魔力の被害を受けたヨシュア、ユーグレン、ライルにも聖剣を通じて浄化をかけた。
ルシウスならばカズンを追ってともに行くこともできたが、さすがに甥のヨシュアや、この虚無魔力の残滓を放って向かうことはできなかった。
最後の最後まで浄化しきる前に、彼は三人に対してこう問いかけた。
「残りの虚無を自分で処理できるようになれば、お前たちには環が発現する可能性が高い。どうする?」
「えっ、俺はもう出せるけど、どうなんですかルシウスさん」
「より力が強くなる」
ルシウスの回答に、少し考えてライルは虚無魔力の侵食を抑えるため魔法樹脂で固められた自分の脛を木刀の先で軽く叩いた。
「今は自分で頑張るより、浄化して楽になりてえです。浄化、お願いします」
ライルは速攻で自己処理を諦める判断をした。
彼の傍らに来ていたグレンが、その答えにホッと胸を撫で下ろしている。
ルシウスは頷いて、彼の身体から虚無の痕跡を浄化した。
「お前たちは?」
促されて、ユーグレンとヨシュアは顔を見合わせた。
何となく、考えていることは二人とも同じな気がした。
「願ってもないことです。必ずや虚無に打ち勝って見せます」
「ああ。このような好機、二度は訪れぬだろうから」
できなければ、そのまま虚無に飲み込まれてロットハーナと同じようなものになる。
けれどふたりとも、やり通してみせる、と心の中で消えていったカズンの面影に誓っていた。