さっそく訪れた己の幸運を、イマージは逃さなかった。

 すぐに屋上から降りて、馬車を停めているスペースに向かった。
 この学園に馬車の駐車スペースは二ヶ所。ひとつは学園生用で校舎側に。もうひとつは来賓用で職員寮側にある。王家の馬車は来賓用スペースに駐車するようだ。

(となると、馬車の中の人物は限られる。現役生徒のカズン君やユーグレン王子ではないな。国王や王太女より、やはりあれはヴァシレウス大王だな)

 密かに馬車のほうを窺うと、馬車自体に護衛が二人居る。
 御者は近くの控室で休んでいるようだ。
 他の人員は見当たらない。まずはこの三人を始末すればいい。

 少し離れた場所で、イマージは自分の虚無魔術を、あたりに転がっていた小石を手で持てるだけ拾い、染み込ませた。
 学生服のズボンのポケットから、自分が冒険者活動で使っている小型のスリングショットを取り出す。
 スリングショットはゴム紐を引っ張って物を飛ばす武器で、異世界ならパチンコと呼ばれることもある。
 子供でも使える簡単な武器で、街中や農村などでは害獣や害鳥を追い払うためによく使われている。
 イマージが持っているこれは、彼の掌の中にすっぽり収まる小型サイズで、折り畳めるからこうしてポケットに入れても大して嵩張らない。
 特に魔導具などではないため、飛距離も最大でせいぜい20メートルほどだろうか。

(だが、虚無魔力を込めた小石なら充分だ)

 まず、小石を全然違う場所に放って、馬車の護衛二人の視線をそちらに向けた。
 間を置かず、すぐに新たな小石をありったけ、スリングショットで彼らに勢いよく放った。
 軍服の上からぶつけただけでは効果が薄い。だが素手の部分や、兜を被っていない顔に少しでも小石が当たって傷がつけばこちらの者だ。
 そこから虚無の魔力は浸透していって、人間を狂わせていく。

 こうなれば、あとは簡単だった。
 イマージ自身が彼らに近づいて、適当に肌の出ている部分をロットハーナの隕鉄のナイフで刺せばいい。

「う、あああああーッ!」

 すぐに護衛たちの輪郭が崩壊していき、後には彼らの軍服と武具、そしてそれらの中に一掴みほどの黄金が残る。

「な、何者だ!?」

 異常を察した御者が、控え室の建物から慌てて飛び出してくる。
 そして馬車の前に散らばる衣服を見て顔色を変えた。

「ま、まさか、ロットハーナ!?」
「おっと。うるさいのは嫌いだよ」

 同じやり方で、御者もまた黄金に変えた。
 あっという間に人体が崩壊して、後に残るのは衣服と多少の黄金のみ。

「うーん。黄金を持ち帰るのだけが手間だよね」

 ひとまず、人目につかないよう、黄金に変えた者たちの衣服と黄金を馬車の中に隠した。

「さて。カズン君のお父さんはいつ頃戻ってくるのかな?」



 そのままイマージは、誰もいなくなった御者の控え室でのんびりお茶を飲んで待っていた。
 そろそろ陽も傾くという頃になって、ようやくお目当ての人物が戻ってくるのが遠目に窓から見えた。

 王弟カズンやユーグレン王子と同じ黒髪黒目のヴァシレウス大王は、職員寮の前で執事を連れた学園長エルフィンと挨拶を交わしている。
 エルフィンは執事と一緒に職員寮側の専用口から外出していった。
 この様子だとやはり夏休み中、職員寮にもほとんど教師たちは残っていない様子。

(ますます好都合じゃないか)

 やることの手順は同じ。馬車までの道には虚無魔力の増幅魔導具を仕込んでおいたから、むしろもっと楽なぐらいだろう。
 ゆっくりとお茶の最後の一口を飲み干して、控え室の建物を出た。



「何者だ!?」

 ヴァシレウス大王の護衛が三人、大柄なヴァシレウスと、イマージの間に立った。

 イマージの容貌は、灰色の髪にペールブルーの瞳。気品のある顔立ちで人に警戒心を抱かせることのない雰囲気を持っていたが、さすがに王族の護衛たちは騙されないようだ。
 ゆっくりとイマージは自分の胸元に手を当て、王族への略式の礼を取った。

「偉大なるヴァシレウス大王にご挨拶申し上げます。ぼくはカズン君のクラスメイトのイマージ・ロットと申します」

 相手はこちらの出方を窺っている。
 護衛たちは馬車を守っていた騎士や御者の姿がないことに気づいて、イマージへの警戒を強めた。

「イマージ・ロットか。愚息から話は聞いている。転校生だとか」
「はい。お恥ずかしながら庶民の貧乏苦学生でして、学園では何かと学級委員長のカズン君に助けてもらっております」
「……そうか」
「彼には何かと世話になりっぱなしで心苦しいのですけどね。……驚きましたよ、こんなチャンスが来るなんて」
「!?」

 おもむろにスリングショットをポケットから取り出して、握っていた拳の中の小石をヴァシレウスたちに向かって放った。
 護衛たちは咄嗟に魔力で防壁を作る。
 防壁のうち、ふたつは魔術で編まれたもの。虚無の魔力を込めた小石は難なく無効化して通り抜け、護衛たちにぶつかっていく。

「うわああああ!」

 小石のぶつかった騎士たちが悶えながら倒れ、喉元から胸元を掻きむしる。無駄だ。一度虚無の魔力に侵食されると、本人がまともであるほど苦しみが大きくなる。
 まだだ。残るひとつの魔力防壁は魔法で作られている。術者の、騎士の魔力で光る防壁に、残りの小石が弾かれる。

「ヴァシレウス様、お逃げください! エルフィン学園長のもとへ……!」
「おっと。逃げられるかな?」

 辺り一帯に仕掛けた、虚無魔力の増幅魔導具のスイッチを入れる。
 魔導具と魔導具の間に簡単な仕切りを作るだけのものだったが、その仕切りが虚無魔力だ。少しでも触れれば普通の人間なら終わりだ。
 そして、魔導具で囲んだ範囲内の人間や物品に対して、虚無魔力の圧力をかける。

「っく……ヴ、ヴァシレウス様、申し訳……」

 そこへ再び、イマージの魔力。込めた小石を浴びせれば、あとは簡単だ。
 魔法で防壁を作っていた騎士が崩れ落ちる。



「もうおわかりでしょう。ぼくはロットハーナの末裔ですよ。王権簒奪者の子孫さん」
「まさか、お前のような者がカズンの近くにいただと?」

 咄嗟にヴァシレウスは魔力で、王族が持つ盾剣バックラーを作り出した。
 通常、バックラーはせいぜい顔を隠す程度のサイズだが、ヴァシレウスのものは縦長の大楯で、メイスやハンマーのような鈍器としても使える仕様になっている。
 攻守をひとつの武具で行えるよう、若い頃から工夫に工夫を重ねて辿り着いた形状だ。

(だが、魔術で生み出したものだ。報告が正しければロットハーナの末裔が使う虚無魔力には太刀打ちできぬ……)

 ヴァシレウスの背筋に冷や汗が流れる。
 だがそんなことはおくびにも出さず、ヴァシレウスは顎髭を撫でる余裕を見せながら、たったひとりの襲撃者に対峙した。