うちのクラスの学級委員長、王弟殿下なんですよ~王弟カズンの冒険前夜

 さて、明日は朝から王都へ戻ることが決まり、味噌ラーメンを最後のとうもろこしまで一粒残らず掬い上げ、美味いスープも飲み干したところで。

 ふと、カズンはまた前世の出来事を思い出した。

 そう言うカズンに、ぴたり、とヨシュアとユーグレンが動きを止める。
 すぐにカズンをじっと見つめて、次の言葉を待った。

「確か学校で体育祭のあったときだ。終わった後で、担任の先生が近場のラーメン屋を貸し切って、クラスの生徒たちを全員食べに連れていってくれたんだ」

 そのときは担任が店のおすすめだと言っていた味噌ラーメンを注文していた。
 季節も秋で涼しかった頃だから、熱々の味噌ラーメンが美味い時期だ。

「店で食べるラーメンは、スープがもっともっと濃厚で。最初に麺だけ食べ終わったら、“替え玉”といって追加で新しく茹でた麺を注文して食べられるんだ。体育祭で身体を思う存分動かした後の学生たちだから、皆そうしてお代わりしていたっけ」

 学生証を持っていれば、学生なら替え玉一玉分は無料の店だったことも思い出す。

「そのときカズン様も替え玉を注文されたので?」
「もちろん。腹が減ってたしな。……それで、僕はクラスの中では影の薄い生徒だったからか、僕の分だけ店員に忘れられてしまってて」
「「………………」」

 本人は苦笑しているが、ヨシュアとユーグレンはこの話は慎重に聞くべきだと身構えた。
 以前、ライルも交えてホーライル侯爵領へ小旅行した際にも前世の話を聞いていたが、そのときは前世では虐められるような生徒ではなかったと言っていた。
 けれどカズンが語る話からは、あまり人間関係において恵まれなかっただろうことが節々から伺える。

「それで、お前は麺のお代わりを食べられなかったということか?」
「いいや、それが違うんだ。担任の先生が途中で気づいてくれて、注文し直してくれたんだよな」

 そう聞いて、ヨシュアもユーグレンも内心ホッとした。
 前世で不遇だったカズンを通り過ぎない人物もいたのだ。

「それからしばらくして、忘れた頃に担任に店でのことを軽くたしなめられたんだ。『ああいうときは、ちゃんと淡々と店に文句を言って適切な対応をしてくれるようお願いしないとな』って」

 黒い目を細めて、懐かしい過去世をカズンは想起する。
 胸の辺りが心地よく涼しい。



「ああ言われたのが、前世で一番衝撃的なことだったかもしれない。それまで、担任の先生のことは冷たくてあまり生徒に親身になってくれない人だと思っていたけど。それからは先生みたいな人が、自分の目標になったんだ」

 例えば、その担任教師は日本の六大学という有名な上位の大学の一つの出身者で、在学中は海外に留学もしていたという。

「まずは先生と同じ大学に進学しようと思った。漠然と小遣い稼ぎのためだけだったアルバイトも、それからは進学費用を貯めると明確な目標ができたのはよかった」
「……でも、カズン様はその後……」

 躊躇いがちにヨシュアがカズンを見る。

「そう。冬になって大雪でアルバイト先の看板の下敷きになって死んでしまった。気づいたら異世界に転生していて、超絶美人ママのふかふかの胸に抱かれて、『あたくしの可愛いショコラちゃん♪』とか言われていたわけだ」
「うむ。セシリア様に抱かれて目覚めるとか、大当たりの人生だな。間違いない」



「あれは……4歳ぐらいの頃に一度思い出して、はっきり意識できるようになったのは5歳のときだったか。最初は確かヨシュアと初めて会ってしばらくした頃だ」
「え?」

 カズンは幼い頃にユーグレン派の刺客に呪詛を仕掛けられて、4歳だった当時のことを忘れている。
 ヨシュアとは、翌年、互いに5歳になったときが初顔合わせだと思っているはずだった。

「ん、4歳だ、間違いない。何か今、前世のラーメン屋のことを思い出したら一緒に幼い頃のことも思い出したみたいだ」
「カズン様!」

(ん?)

 感激してヨシュアがカズンに抱き付いた。
 出逢ったばかりの4歳の頃の出来事には、ヨシュアにとって大切な思い出が詰まっている。

「一緒にルシウス叔父様の家の壁を駆け上がったこと、思い出してくれましたか!?」
「思い出した思い出した。その後、迎えに来たお母様からお説教を頂戴してしまったやつだ」
「はい……はい、それです、はは……やった、本当に思い出してくれたんだ、カズン様……!」

 その彼らの周りに何やら不思議なものが見える。

(何だ? カズンの周りに……光の輪?)

 室内なのに明るく光るそれは、一瞬だけユーグレンの目に映って、すぐに消えてなくなった。

 明日、王都に戻ると決めた日の午後、何と別荘にライルとグレンがやって来た。

 夏休みに入って一月ほど見ないうちに、赤茶の髪が特徴のライルは背が伸びて身体にも手脚にも厚みが増し、顔つきも精悍になっている。

 対するピンクブロンドの髪と水色の瞳の美少年グレンも成長期らしく少し背が伸びているが、人形のように愛らしい顔立ちは変わらずである。

 カズンたち仲間内では、ライルのホーライル侯爵領が一番王都から遠い。
 アケロニア王国では侯爵の名称で統一されているが、港のあるホーライル侯爵領はいわば辺境、他国なら辺境伯と呼ばれているところだ。

「冷却魔導瓶の輸送テスト中なんです。ホーライル侯爵領の港で夜明け前に水揚げされた海産物を入れて、王都や他領まで新鮮なまま輸送できるかどうか」

 冷却魔導瓶は、以前ブルー男爵領の生チーズ調達のためグレンの妹カレンが開発したものだ。
 今回、グレンたちはそれを使って、馬車に乗せられるだけ魔導瓶の入りの海産物を運んできたという。
 別荘の居間に移動して、茶を飲みながら話を聞くと、二人はライルの父ホーライル侯爵から冒険者として正式に依頼を受けているらしい。

「カズン様のおうちに連絡入れたら、こちらにいるって教えてもらったので」

 夏休み中、グレンはライルに引き摺られて国内の主要ダンジョンで修行中だったそうだ。
 どうやら二人は順調に仲を深めているようである。

 そして冷却魔導瓶にみっちり詰まっていたものといえば。

「海老か!」
「おう。これでまた美味いもん作ってくれよ、カズン」

 以前、ホーライル侯爵領に小旅行に行った際、調理実験で使わせてもらった車海老や芝海老などの海老だった。

「よし。今日で海老を食い尽くして、明日王都に帰ろう」
「カズン様、海老で何作ってくれるんですかー?」
「よくぞ聞いた、グレン。海老餃子しかあるまい」
「おおー」

 夏休み前、学園の家庭科室で食べた餃子の美味さは記憶にまだ新しい。

「そして、ライルよ」
「お? どうした」

 カズンが黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。
 不敵な笑みを浮かべると、同時に眼鏡のガラス面がキラリと光った。

「喜べ! ついに味噌ラーメンが完成した!」
「おおおおお!」

 ガタァッと勢いよく座椅子から立ち上がりスタンディングオベーションしてライルが両の拳を握り締める。

「海老餃子、味噌ラーメン、そして焼きおにぎり。これを別荘で最後の晩餐にするとしよう」
「焼きおにぎりは外さないんですねえ、カズン様」
「だって好きなんだ! 本当に好きで好きで堪らない!」

 さあ、調理を開始しよう。




 夏休みに入ってからホーライル侯爵領へ向かっていたライルとグレンは、途中ダンジョンに潜って経験値上げをしていたらしい。

「オリハルコンスライムに遭遇したんですよー。見てください、これがオリハルコン!」

 小瓶の中に小さく光る粒がいくつか。

「これだけなのか?」
「これだけですとも。一匹しか遭遇できなかったから、これしか獲れなくて……」

 オリハルコンはアダマンタイトと並ぶレア中のレア金属だ。もっともアダマンタイトは鉱物だが。

「これもカレン嬢の魔導具用の素材にするの?」
「それもいいですし、オリハルコンは魔力を集めるのに向いてる素材なんだそうです。武器に組み込んで魔術発動用の端末にしてみようかなって、ライル先輩と話してて」

 グレンもライルも、魔力値はとても低い。
 攻撃力は自力や武器に依存するから、武器の補強には余念がない。



 そして夕食どき。
 海老餃子も味噌ラーメンも焼きおにぎりも、ライルはもちろん他の面々にも好評だった。
 特に、昼と同じ味噌ラーメンでも快く了解してくれたヨシュアとユーグレンには感謝しかない。

 そして案の定、同じ日本人を前世に持つライルに焼きおにぎり(味噌味)は大ヒットした。

「ぐああ……俺、前世は東北出身だったんだぜえ……味噌塗った焼きおにぎりはソウルフード中のソウルフードなんだ……ううっ、母ちゃん思い出しちまう」
「そうだろうそうだろう。さあライル、もっと食べるが良い……」

 別荘での最後の夜ということもあり、食事はいつもの料理人のオヤジさんに完全お任せだ。
 新たに若者二人が増えて、ますます腕が鳴ると張り切っていた。
 カズンお気に入りの焼きおにぎりも次々出てくる。
 そのバラエティの豊かさにカズンは戦慄した。

「まさかここまで焼きおにぎりに種類があるとは……」
「おいカズン、食い過ぎには気をつけろよ。油断するとすぐお前は食い過ぎる」
「だって……焼きおにぎりが食い納めになると思うと……!」

 切ない。これが文字通り最後の晩餐なのだ。

「坊ちゃんたち。良かったら、戻る途中の昼に食べられるよう、朝焼いて包んでお渡ししましょうか?」
「!」

 オヤジさん、好きだ。

 そんなカズンの呟きにヨシュアが嫉妬したり、ユーグレンがペナルティだと言って自分たちに好きと言わせようとしたり。

 ライルが爆笑して、グレンは呆れたりなど。
 若者五人、思う存分に飲み食いして温泉を堪能し、語り合いながら、和やかに夕食の時間は進む。



 カズンは冒険者ランクを上げたライルとグレンが羨ましかった。
 男ならやはり冒険者として名を上げることに憧れる。ここに王族も貴族も庶民もない。

「夏休みの間、僕たちもダンジョンに入れないだろうか?」
「難しいな。王都近くのダンジョンでロットハーナの術の痕跡が見つかっていただろう? まだ国内に潜伏しているだろうロットハーナの末裔の足取りも掴めていない現状では許可が降りぬ」

 すかさずユーグレンに却下されてしまった。

「あ、それなら、騎士団でランクアップ試験を受ければ良いのでは?」

 とヨシュアが提案する。

 実はこの世界、組織に属さない冒険者と、各国の騎士たち宮仕えの者たちのランクには互換性がある。
 例えば冒険者ランクAの者は騎士ランクAに相当し、逆も然りだ。

 平民で身分の低い者でも冒険者として実績を積んでランクアップすれば、国籍のある国の騎士への転職資格が得られる。

 逆に、騎士を退職した後も、騎士として持っていたランクそのままに冒険者としてランクに応じた依頼がすぐに受注可能となっていた。

 そのため、王族や高位貴族など、身の安全の確保が重要な貴人が鍛錬してランクを上げたい場合は、冒険者としてではなく属する国家の騎士団で試験を受けることが多い。

 もっとも、最近ではそのような区別もなく、貴族でも普通に冒険者登録して腕を磨く者が多いのだが。

 そんな話を聞いて発奮しない男子はいない。

「王都に戻ったら騎士団でランクアップ試験に挑戦する!」

 じゃあ自分たちも、とヨシュアとユーグレンも手を上げた。
 いよいよ長かった避暑地での養生も終わり、夏真っ盛りだろう王都に戻るのは少し気が重いが、まあ仕方がない。

 様々な想いを抱え、五人は明日、朝一で王都へと帰還する。

 夕飯に料理人氏が作ってくれた焼きおにぎりの中には、まだ残っていたヨシュアのリースト伯爵領産の塩鮭も入っていた。
 これもまた、カズンと同じように日本人を前世に持つライルを大いに喜ばせるものだった。

 ふと、自分も塩鮭入りの焼きおにぎりを食しつつ、カズンの脳裏に疑問が浮かぶ。

「なあ、ヨシュア。鮭の身は色々加工してるが、卵はどうしたんだ?」
「え? あれは廃棄に決まってますけど?」

 ヨシュアのリースト伯爵領では鮭が名産品だが、食べるのは身だけで魚卵イクラは捨てていると聞いて、カズンが絶望した。

「イクラ! 焼いた鮭! 山葵に醤油、刻み海苔! ……オヤジさん、オヤジさあん!」

 食べかけの焼きおにぎり片手に厨房へ走った。王都の屋敷なら決して許されないお行儀の悪さだが、ここには口煩い執事や侍従はいない。
 そして案の定、この集落に山葵はあった。
 詳しく話をすると、壮年に見えて既に孫もいる匠の風格の料理人のオヤジさんは、グッと親指を立てて歯を見せて笑う。あるぜ!



 そして翌朝、王都への帰りの馬車に、濡れ新聞紙で包まれた山葵数本が積まれることになるのである。

「カズン様、本気ですか? 魚卵ですよ? 腐りやすいからすぐ捨てちゃうやつですよ???」
「いいから、次に鮭のシーズンになったら魚卵は取り出した後捨てないで僕にくれ。ざっと数匹分でいいから」

 ボウルに山盛りして余りある量を所望した。

「まあ、そう仰るなら手配致しますけど……紅鮭がもう獲れる頃ですから」

 カズンは自分の食べたいものに妥協しない性格だった。
 そしてそれに幼い頃から巻き込まれ続けてきたヨシュアは拒めない。普段が淡々としている反動なのか、勢いと圧が強すぎる。

「鮭とその魚卵か……。どういうものか想像もできぬが。カズン、それが完成したら私にも食させよ。ちゃんと連絡を寄越すのだぞ?」
「えっ。それじゃ連絡入れて予定合わせるまで僕が食べられないじゃないか」

 自分は王族ではあっても、ただの一貴族の子息。
 ユーグレンは国の唯一の王子で次世代の王太子の座が約束されている。
 同じ王族でも、この差はかなり大きい。
 ゆえに、連絡のやり取りは結構面倒くさい。

「カズン。私はお前の何だ?」
「親戚」
「やり直し!」
「………………一応、親友枠に入れておいてやる」
「正解。連絡、待っているからな?」

 馬車の中、カズンを挟んで奥側に座ったユーグレンに肩を抱かれ、頬と頬を合わせてきた。親愛のチークキスだ。
 約束を忘れるなよ? と念押しされながら。

 反対側の馬車の入り口側にはヨシュアが座り、こちらはカズンの左手を取って握り締められている。
「魚卵、待っててくださいね」とニコニコ微笑まれながら。

「暑苦しい。僕だけ反対側に座りたいのだが、いいか?」

 何で六人掛けの馬車の片側だけに三人並んで座らねばならないのか。
 ちなみにライルとグレンは二人で別荘までやって来たホーライル侯爵家の馬車で、カズンたちの後方を付いてきている。

「暑くないように氷の魔石、使って差し上げたでしょう?」
「その通り。ハグしようが何しようが涼しく快適である。大人しく座っていろ」

 ヨシュアとユーグレンが何やら結託したようで、カズンは少しずつ追い詰められていた。

(とりあえず、王都に帰ったら鮭……イクラ……!)

 ひとまず今後のお楽しみを想像しながら、カズンは黒く輝く瞳を閉じた。

 別荘のあった避暑地の集落から王都までは馬車で半日。
 一眠りして起きたら休憩所に2回の休みを挟む。そうしたらもう王都はすぐだった。

 王家にて、女傑イザベラの子孫トークス子爵家を、王族の親戚として認定する決定が下されたあと。
 そのトークス子爵家の令嬢イザベラと、ラーフ公爵家の令息ジオライドとの婚約を双方に打診したのは、王太女グレイシアだった。彼女はユーグレン王子の母親である。

 公爵の位は、通常は王家の男子、特に王子の位にある王族が臣籍降下した際に立ち上げる貴族家である。
 ラーフ公爵家の場合は、元々侯爵家だったのが、過去に王女が降嫁したことで公爵に陞爵された家だ。
 ところが当の王女は、当時の当主との間に子を成さないまま亡くなってしまう。
 結果として今のラーフ公爵家に王家の血は一滴たりとも流れていない。

 そのため、ラーフ公爵家は公爵家でありながら王家との血縁関係のない、名目だけの“遠い親戚”状態が長く続いている。
 王家に王子や王女が多ければ、再び婚姻を結ぶことも可能だったが、ここ数代続けて王家に産まれる子供の数が少なかった。
 先王ヴァシレウスは最初、王女、王子の順で正妃との間に子を儲けていたが、上の王女は同盟国タイアドに嫁していってそれっきりだ。
 もっとも、ヴァシレウスの王女の孫であるセシリアがアケロニア王国に帰化して息子を産んだから、その分だけ二人分、数は増えた。

 残った王子テオドロスは当然王太子となり、現在は即位して王となっている。
 ならばテオドロスにラーフ公爵家から妃をと考えても、こんなときに限ってラーフ公爵家に適当な女子がいなかった。



 王太女グレイシア、その伴侶クロレオ、現ラーフ公爵ジェイラス、その妻ゾエは学園時代の同級生だった。

 元々はグレイシアとラーフ公爵ジェイラスが婚約者で、フォーセット侯爵令嬢だったゾエと伯爵家の次男だったクロレオが婚約者だった。
 グレイシアとゾエは互いの婚約者をトレードした形になる。

「あのとき、クロレオを奪った償いとして、フォーセット侯爵令嬢が嫁したラーフ公爵家に、王族の血を持つトークス子爵令嬢イザベラとの婚約を打診したわけだが。わたくしの厚意を見事に無駄にしてくれたものだ」

 蓋を開けてみれば、そのゾエは夫以外の男との間にジオライドを儲け、こうして混乱を引き起こしている。



 夏休み前、学園の学期末のお茶会で盛大にラーフ公爵令息ジオライドが醜態を晒した後。

 精神的ダメージから何とか立ち直ると、ラーフ公爵ジェイラスは、人物鑑定スキルの特級ランク持ちである学園長ライノール伯爵エルフィンに正式に依頼して、嫡男ジオライドの詳細な鑑定を行ったらしい。
 そして、夫人ゾエの不貞を明らかにして本人に突きつけた。
 すると彼女は肯定も否定もせず微笑むのみで、夫を煙に巻いた。

 数日後、ラーフ公爵夫人ゾエは出奔。不貞相手だった、実家から婚家に連れてきていた専属執事とともに姿を消した。
 元婚約者への暴挙や学園での大失態を犯した息子ジオライドが、謹慎のため領地に送られる前日のことだったという。

 直後、驚くようなことが起きた。
 それまで、高位貴族の令息にあるまじき幼稚で破壊的な言動をしていたジオライドが、正気に戻った。
 本人は自分がイザベラや周囲に対して行なっていた言動をすべて覚えており、血の気が引いて今も罪悪感で動けないという。



「ジオライドの母親はなかなか魔力値が高かったそうですよ。悪意の強い性格が毒を生んで、息子のジオライドを染め上げていたってことなんでしょう」

 まさに、文字通りの毒親だった。

 この劇的な変化に、ジオライドは領地行きをひとまず止めて、王都で更に複数の人物鑑定持ちの魔力使いたちのもと、詳細な人物鑑定を受けることになった。
 すると、バッドステータスの履歴に“虚無の侵食”が発見される。
 しかし、魔力の属性に虚無などというものは聞いたことがない。

 そんなとき、たまたま王宮に来ていてその話を聞きつけたヨシュアの叔父、リースト子爵ルシウスが、ラーフ公爵夫人ゾエの系譜をもっと遡って調べてみてはどうか、と助言した。
 その助言を受けて王家の調査員が調べた結果は、関係者を震撼させた。

「まさかのロットハーナの末裔、発見です。ラーフ公爵夫人ゾエの実家に、ロットハーナの血を引くものがいたんです」

 ロットハーナについて詳しいことがわかったと連絡を受けて、王宮にやってきたカズンは、同じように叔父と呼ばれていたヨシュアから簡単に事情を聞いて驚いた。
 その後、兄の国王テオドロスの執務室で聞いた話も概ね同じ内容で、以降の注意事項を確認して解散した後は、ユーグレンも一緒にサロンで情報交換することにした。

 そう。ついにカズンとユーグレンは、ヨシュアの保護者に報告すべき機会を迎えてしまったのだ。

 リースト子爵ルシウス。

 亡き父の跡を継いでリースト伯爵となったヨシュアの、父方の叔父である。ちなみに独身だ。
 外見はリースト伯爵家の一族に特有の、青みがかった銀髪を耳にかかる程度の短髪に切り揃え、軽く整髪料で前髪が顔にかからない程度に整え額を出している。

 瞳はヨシュアのようなアースアイではないが、色は同じ湖面の水色だ。

 全体的に甥のヨシュアと非常によく似た外見をしている。むしろヨシュアがこのまま大人になった姿といっても差し支えない。

 違うところがあるとすれば、年齢とすらりと高い背と正装の上からでもわかる、美しくバランスよく鍛えられた肉体だろうか。

 全体的に、大変な美男子といっていい。
 しかし彼の真価は、その外見にはない。
 極めて有能、そして万能、しかし深い情熱を持った傑物なのだ。
 現在のアケロニア王国を代表する、多方面における実力者のひとりだ。

 王宮内のサロンへ移動し、侍女たちがティーセットを配膳し下がるや否や。
 そのルシウスに、顔を合わせるなりじっと凝視されて、三人はそれぞれ固まった。
 対面しているだけで圧がすごい。この迫力こそが彼の一番の特徴だ。

「叔父様、何か……?」
「……ふむ、派閥問題だなんだとふざけたことを仕出かして、説教する気満々だったのだが。お前たち全員、単独でいるより三人でいたほうがステータスのバランスが取れている。これでは叱るに叱れぬ」
「「「はい!?」」」

 腰に響くような美声で嘆息されて、三人は緊張したまま飛び上がった。

「まず、ユーグレン王子」
「は、はい」
「あなたは元々、非常に調和した基本ステータスの持ち主だが、三人でいるとより安定する。他の二人との交流を通じてより人間的に成長していかれるものと思う」
「はい、助言ありがとうございます!」

「次に、カズン様」
「はい、ルシウス様」
「あなたは三人でいるとき、元の値より幸運値が上がっている。元々、魔力値以外は問題ないのだから、幸運を生かして様々なことを経験されるとよい。
「心得ます」

「そしてヨシュア。お前は……幸運値1は変わらずか。相変わらず不憫な子よな」
「叔父様あ……それのどこが『バランスが取れている』なのですか!」

 隣に座る甥の頭をぽんぽんと慈愛に満ちた手つきで軽く叩くも、憤慨したヨシュアに振り払われてしまっている。

 だが、てっきり長時間の説教をされるものと思っていたから、三人はそれぞれホッと息をつくことができたのだった。




 とはいえ、まだ話はあると、ルシウスは話を続けた。
 彼が自分でも独自に手を回して調べていた、旧王族ロットハーナ一族についての話だ。

「ラーフ公爵令息ジオライドの母親ゾエの実家、フォーセット侯爵家がかつて奴隷売買を大々的に行なっていた黒幕だったというのは、トークス子爵家が独自に掴んでいた情報だ。それが今回、人物鑑定で確証を得たわけだな」

 鑑定スキルで鑑定したからといって、何でもかんでも読み取れるわけではない。
 今回は、特級ランクの人物鑑定によって判明した偶然による結果だった。
 まず、ジオライドの母親ゾエの数代前の人物の出自に、“国際的奴隷売買組織オーナー”と表示されていた。それがロットハーナの件より先の問題だ。

「既に五十年以上前に、女傑イザベラによって違法な奴隷売買は法によって禁じられ、表向きは解決したとされる。だが、被害に遭った家やその家族たちはまだ忘れていない」

 過去、アケロニア王国内で横行した奴隷売買と誘拐は、平民だけでなく貴族たちも少なくない数が被害に遭っている。
 特に魔力を多く持つ家の者ほど狙われた。

 ヨシュアやルシウスの出身であるリースト伯爵家も例外ではなかった。

 魔法樹脂を使うリースト伯爵家には、一族の重要人物が不慮の事故に遭ったときに自動発動して、透明な樹脂の中に封印する術式が伝えられている。

 そうして魔法樹脂の中に封印されたまま、解術されていない人物が数名残っていて、領地の本宅の地下で大切に保存されている。

 その中の一人が、かつて奴隷売買組織に誘拐され、身を穢される寸前に魔法樹脂の術式を発動させた一族の若い女性だった。

「我が一族は、青みがかった銀髪と湖面の水色の瞳が特徴で、麗しく美しい。彼女も一族特有の容貌で生まれた、大変美しい女性でした」

 とヨシュアが補足する。
 リースト伯爵家の一族だから、魔力量は文句なしに多い。その上、これ以上ないくらい美しいときて、奴隷商に目を付けられてしまった。

「記録によると、誘拐されて他国で人身売買オークションにかけられ、落札された先で慰み者にされる直前に術を発動したようです」

 透明な魔法樹脂の中で、青みがかった腰まである長い銀髪を大きく背後に散らし、緑色のドレスの胸元が破られ、慎ましい胸が片方、乳首まで剥き出しになっている。
 ドレスの裾も破れていて、太腿にも鞭で叩かれたような赤いミミズ腫れがあった。
 明らかに陵辱寸前とわかる状態だ。
 それでも透明な樹脂の中の彼女に絶望した様子は見えず、湖面の水色の瞳は冷徹に目の前を真っ直ぐ見据えていた。

 長らく行方不明だった彼女が再発見されたのは、ほんの三十年ほど前のこと。
 アケロニア王国から遠く離れた国での芸術品オークションにオブジェとして出品されていたものを、たまたま現地に出張していたアケロニアの商人がカタログの中に見つけた。

 青みがかった銀髪と湖面の水色の瞳の組み合わせは、リースト伯爵家の一族に特有の特徴だった。
 商人はそれを知っていたから、慌てて母国のリースト伯爵家に緊急連絡を入れた。
 連絡を受けたリースト伯爵家の当時の当主は現地に飛び、金に糸目をつけず、出品されていた一族の娘、出品名“拒絶の乙女”を落札し祖国へと戻した。

「リースト伯爵家の男子は、年頃になると彼女を紹介され、そのエピソードを教えられます。そしてその扇情的な様子に初めての性の兆しを覚えてしまうんですよねえ……」

 魔法樹脂の中の彼女“オデット”の年齢は、まだ16歳。
 彼女を解術して自分のものにしたいと望む男は多かったが、まだ誰も成し得ていない。
 術を発動させた本人が、解術コードを誰にも残せない状況だったためだ。
 魔法でなく“魔術”樹脂ならば、彼女を上回る魔力を持つ術者であれば解術の可能性があるが、独自の術式を構築する魔法ではそれも難しい。
 とはいえ、魔法樹脂は永遠に生物を封入しておけるほど高機能な魔法でもない。
 あと数十年、あるいは数百年か、いつかは術が解けて、凌辱寸前だった娘は再びこの世に甦る。

 その“拒絶の乙女”を誘拐した者や組織を、いまだリースト伯爵家は許していない。



 学園の一学期末のお茶会の場で、ラーフ公爵令息ジオライドの出自を鑑定した学園長エルフィンは、彼の母方の祖先に“国際的奴隷売買組織オーナー”がいるのを見つけた。
 それだけではない。同じ母方を更に遡っていくと、何と旧王家ロットハーナ一族の末裔の者がいることが判明した。

「今、国内にロットハーナの者が入り込んでいることはエルフィン先生も知っているからな。それで内密にフォーセット侯爵家の者たちを鑑定したところ、確定した」

 その後、夫に不貞を咎められたラーフ公爵夫人ゾエの出奔から程なくして、フォーセット侯爵家に当主を始めとして行方不明者が続出。
 部屋に衣服だけが残されたり、血痕が残っていたりなど、他のロットハーナによる事件と手口が共通だった。

「……つまり、ロットハーナの末裔は国外からやってきたのではなく、国内貴族の中に紛れていたというわけか」

 何らかの要因によってロットハーナの邪法に目覚めたラーフ公爵夫人ゾエが、実家のフォーセット侯爵家を食い物にして黄金に変え、資金を手にして逃亡しているものと思われる。

 さすがにこの件はこれまでのように、王家のところで止めておくわけにはいかなかった。
 国民へ注意喚起とともに、逃亡中のラーフ公爵夫人ゾエは指名手配されることになったという。

 ラーフ公爵夫人ゾエがロットハーナの末裔であり、祖先と同じ邪法を駆使して逃亡したことは、国内の主要新聞各紙で公表された。

 夏休み前にアケロニア王国、王都の学園に転校してきたばかりのイマージ・ロットも、新聞でその話を知った口だった。
 そこで初めてイマージは、自分が探していた人物が実際存在していたことを知る。



 襟足長めのウルフカットの灰色の髪とペールブルーの瞳を持つ、品の良い青年イマージ・ロットは、他国で金融業を主に営む商会の息子として生まれた。
 幼い頃は家もまだ豊かだったが、年々経営が厳しくなり、近年は定収の見込める学校など教育機関の教師になる家族や親戚が多かった。
 やがて成長したイマージも家から出て働きに出ざるを得なくなった。

 アケロニア王国へ来たのは、祖先がこの国の古い王朝の王族だったと、幼い頃に一族の老人から聞いたことを覚えていたからだ。
 家を出る前、まだ存命だったその老人を訪ねると、彼は祖先から受け継いでいるという隕鉄でできたナイフを餞別としてくれた。
 他、いくつか先祖伝来の品を頂戴し、アケロニア王国の王都の学園に転入を果たす。

 学園では、前の王家のことを詳しく知っている者はいなかった。
 もちろん日常の学園生活の中で口にする者もほとんどいない。
 そんな中、図書室で資料を探って先祖ロットハーナ一族のことを知ったときには驚愕した。

(そうか。ぼくの祖先は滅ぶべくして滅んだのだな)

 イマージの祖先は人間を黄金に変える邪悪な錬金術の使い手だったらしい。
 だが、子孫のイマージにはそんな術など使えないし、方法もわからない。

 祖先が王族として支配していたアケロニア王国へ来れば、自分にも何か良い影響があるのではないかと期待していた。

 だが実際はただの貧乏苦学生だ。
 成績は良かったから学園には成績優秀者として奨学金を貰えたが、生活費は自分で稼がねばならない。
 祖国に残っていたら、元いた学校を退学せねばならないほど家庭の経済状況は悪かったから、それに比べれば学費負担がないだけはるかにマシだったが。



 そして夏休みに入ったある日、イマージはアルバイト先の貴族御用達パーラーで、ロットハーナの噂を耳にするようになった。

(あのラーフ公爵令息ジオライドの母親が、ロットハーナの末裔……?)

 その直後、新聞各紙でも大々的に報じられ、確認することができた。
 本人は婚家のラーフ公爵家を出奔し行方が掴めなくなっているという。
 そして今日もまた、貴族の客たちはロットハーナの話題に熱中している。

「西への国境沿いに行方不明者が続出しているらしい。もしかしたらラーフ公爵夫人はその辺りに潜伏して、ロットハーナの邪法を使って人間を資金に変えているかもしれないぞ」
「何と恐ろしいことを。西の国境沿いといえば、ホーライル侯爵領の管轄ではないか。騎士団の副団長閣下が動かれるだろうな」

 ラーフ公爵夫人ゾエはロットハーナの邪法を使って人々を黄金に変え、その資金でいとも容易く逃亡生活を続けているということか。
 腐っても公爵夫人だ。魔力を持つ貴族たちとの縁が多い。その縁を利用して次から次へと人々を己の財に変えているようだ、と客たちは話している。



 パーラーのフロアで客たちの噂話を聞きながら、イマージはふと己の手をじっと見つめた。
 日々の労働でカサついた皮膚。短く、端が少しヒビ割れている爪。

「……同じロットハーナの末裔なのに」

 片や逃亡していても華麗に、片や貧しく惨めに。
 この差はいったい何なのだろう。

 その後、夏休み前半中にある程度の生活費を稼いだイマージは、残りの夏休み期間中は宿題に取り掛かりたいからと言ってアルバイトを辞めた。
 パーラーの支配人は学園の卒業生だ。後輩に当たるイマージの事情に理解を示し、途中での退職を快く認めてくれた。
 それだけでなく、「少しは若者らしく遊びなさい」と小遣いまでくれたのだから、ありがたい。



 イマージが故郷で親戚の老人から譲り受けた先祖伝来の品のひとつに、便利なものがあった。
 同じ紋章の入った魔導具を持つ者を探索する、方位磁石に似た魔導具だ。
 それを使ってイマージは逃走中だというラーフ公爵夫人を探すことにした。
 ロットハーナの邪法を使っているというなら、何かしら紋章の入った魔導具を持っている可能性が高いだろうと考えたのだ。

 馬車でまずはホーライル侯爵領まで。
 路銀は心許なかったが幸い夏だ。装備さえ整えれば野宿もそう難しくない。
 途中の街の冒険者ギルドで冒険者登録をして、簡単な依頼をこなして資金を確保しながら数日かけて目的地へと辿り着いた。



 ホーライル侯爵領は港のある海に面した領地として知られているが、辺境伯としてのホーライル侯爵の治める地でもある。
 海とは反対方向には山脈があり、山を越えれば隣国への道がある。

 イマージは探索の魔導具を起動させた。
 反応がある。間違いなくこの地にラーフ公爵夫人はいる。



 突然前触れもなくやってきた灰色の髪にペールブルーの瞳の青年を、逃走中のやつれなどまるでないラーフ公爵夫人ゾエは微笑みながら出迎えた。
 アルカイックスマイルを浮かべた淑女は、罪など知らぬというような典型的な貴種の見た目の貴婦人だった。

 顔を合わせた瞬間、互いに血の繋がりがあることはすぐにわかった。
 公爵夫人もイマージと同じ髪色と目の色なのだ。
 即ち、灰色の髪とペールブルーの瞳を持っていた。

「お前がロットハーナの末裔ですか。証拠はあるのでしょうね」
「はい、奥様。先祖から受け継いだ魔導具がいくつか。こちらをどうぞ」

 と一番わかりやすい、ロットハーナの紋章入りのブローチを献上した。
 ブローチの宝玉部分は透明な魔法樹脂だ。魔力を通せば何らかの魔法が発動されるはずだが、起動に必要な魔力量が大きすぎて、イマージの一族の者は誰も術の発動も解術もできていなかったものだ。
 公爵夫人の魔力でも不可能なようで、ブローチはイマージに返された。

「間違いないようですね」



 それから執事が茶の準備をして、ゾエ夫人と話をした。
 彼女はまず、フォーセット侯爵令嬢だった婚前の過去をイマージに語った。
 元々は、現在王太女の伴侶となったクロレオは彼女の婚約者だったという。
 今の夫、ラーフ公爵が本来の王太女の婚約者だったのだ。
 王太女がクロレオに横恋慕して奪い、結果として互いの婚約者を交換した形になる。
 少なくともゾエ夫人はそう思っている。

「あの頃から、わたくしは王家が大嫌い」

 王家の血筋だと判明したトークス子爵令嬢イザベラと息子の婚約を王家から打診されたが、とんでもないことだった。
 かつての償いのつもりなのだろうか。
 しかも、イザベラはゾエからクロレオを奪った憎き王太女グレイシアとよく似た顔立ちだった。

「とことん、この子を潰してやろうって思ったの」

 うっそりと笑うゾエ夫人は、それでも貴族的で美しかった。



 どうやって人々を黄金に変えたのか、とイマージは訊ねた。
 するとゾエ夫人は、実家に伝わる魔導具を使うと対象者の魔力を削ぎ無力化できることをイマージに教える。
 彼女が使っていたのは、イマージが持っているものと同じ隕鉄製の、こちらは短剣だった。
 実家から連れてきた、愛人でもある忠実な執事に実験を繰り返させてデータを集めてきた。

 結果わかったのは、伝承にある通りロットハーナの血筋の者なら人間を黄金に変える錬金術が使える。
 ただし、既に血は薄くなっているため、魔導具が必要であると。

 ロットハーナ伝来の魔導具は、まず武器で相手に攻撃しながら魔石部分に触れる。
 その後、ロットハーナの血筋の者が自分の魔力を流すと、相手に虚無という属性の魔力を作用させて抵抗を削げる。
 そのまま魔導具を相手に触れさせ魔力を流し続けると、黄金錬成の出来上がりだった。
 短剣を突き刺された相手は黄金へと姿を変える。
 その量は相手の魔力量が多ければ多いほど、大量の金となる。

「だからターゲットとなる人間は魔力があればあるほど良いのね。……ふふ。試しに、ダンジョンで普通の冒険者相手に魔導具を使わせてみたのだけど、砂金ほどの黄金にしかならなかったわ。これだから平民は駄目ね」

 魔力量の多い貴族だと、そこそこの量になったそうだ。
 ゾエ夫人は当初、婚家のラープ公爵家を出奔した後、まず実家のフォーセット侯爵家へ一度戻っている。
 だがゾエ以外の実家の両親や兄弟は誰一人、自分たちがロットハーナの末裔であることを知らなかった。
 そのため、ゾエがロットハーナの邪法を使うことを当然のように非難してきた。

「だから、お父様もお母様も。お兄様たちもみぃんな、黄金に変えてしまったわ。ふふ、やり過ぎてしまったかしら」

 黄金に変えた家族はそのままこの別荘まで持ち込んでいるという。

「本当なら、イザベラ。あの娘もジオライドと結婚させた後、程々のところで黄金に変えるつもりだったのよ? そうしたら行方不明扱いにして、また一年も経ったらジオライドに別の良い令嬢を当てがおうかなあって」

 それからゾエ夫人は機嫌良くイマージの質問に答えていった。

 例えば、新聞にもロットハーナの末裔が関与した可能性が高いと書かれていた、リースト伯爵家の簒奪事件。
 イマージの在籍する学園の3年A組には当のリースト伯爵ヨシュアがいる。彼はイマージも転校当初から世話になっている学級委員長カズン・アルトレイの友人だ。

 前リースト伯爵カイルの後妻ブリジットは、前の婚家から離縁される前から、ラーフ公爵夫人の取り巻きの一人だったという。
 その後妻、最初は再婚相手のリースト伯爵カイルに尽くし家政に張り切っていたが、そこへラーフ公爵夫人だったこのゾエが入れ知恵をした。
 即ち、婚家と血の繋がらない自分の連れ子を、再婚相手の跡継ぎにする方法をだ。



 まず、リースト伯爵家には嫡男のヨシュアがいるが、彼を何らかの理由によって失脚させる。
 また、ヨシュア自身のサイン付きで、連れ子に爵位継承権を譲渡する旨、契約書を書かせればよい。

 連れ子にはリースト伯爵家の血は一滴も流れていないから、もちろん貴族社会の目は厳しくなるだろう。
 だが、貴族家最高位のラーフ公爵夫人のゾエが後押ししている。
 しかる後にリースト伯爵家の一族の娘を娶れば、生まれた子供が伯爵位を継承するまでの間、連れ子が代理伯爵となることはじゅうぶん可能である。
 そのように、後妻をそそのかした。

 リースト伯爵令息ヨシュアはその頃から既に優秀な魔法剣士として知られていて、付け入る隙はほとんどなかった。

 だがそれにも、ラーフ公爵夫人は特殊な魔導具や毒、隷属魔術のうち、多少でも魔力があれば使える術の方法などを授けることで、抵抗を削ぐ術を与える。
 そうしたものが、今はほとんど知られなくなった前王家ロットハーナのものだったのである。



「奥様。ひとつだけ教えていただきたいのです。あなたのご子息ジオライド君は、なぜあれほど問題のある人物になってしまったのですか?」
「まあ。お前、良いところに気づいたわね」

 ロットハーナの血筋の者は、覚醒すると独自の魔力を持つ。
 その魔力の属性を“虚無”という。

「虚無、ですか……。しかも覚醒とは、いったい」
「難しいことはないのよ。何か一つでも、ロットハーナの術を使えば身に付くの。わたくしは娘時代に実家の宝物庫でロットハーナの遺物を見つけて、それで家にいたメイドの一人を黄金に変えてみた。そうしたら使えるようになっていたわ」

 この力は意図的に後世に伝える必要がある、と夫人は思ったという。

「だからね、息子に虚無の力を継承させようと少しずつ、わたくしの魔力を馴染ませていったの。そうしたら自制のきかない子になってしまったのよね」

 ジオライドは難産でようやく産んだ子供だったから、ゾエもそれなりに愛着のある息子だった。
 だから息子が思うようにならないことがわかってからも、彼女なりの歪んだ愛情を注ぎ続けた。
 その結果があの、幼稚で破滅的な言動の男だったというわけだ。

「元は、氏より育ちってやつでね。私や実の父より、育ての父親の性格に似てしまったのよね。お金儲けがとにかく上手で、実利的な思考。でもわたくしはもっと深みのある男になってほしかったのに」

 この頃にはイマージも理解していた。

(この人は、頭のおかしい人間だ)

 今のアケロニア王国の王太女、その伴侶となった男クロレオが彼女の元々の婚約者だったという。
 彼がこのゾエを捨てて王太女グレイシアを選んだというなら、それは大した英断だったように思う。