そしてついに、念願の味噌ラーメン開発への調理実験がスタートした。

「残りの滞在中に完成できるだろうか……いや、してみせる!」

 黒縁眼鏡のブリッジを中指でしっかり押し上げ、服が汚れないようエプロンも装着し、準備万端でカズンは厨房で宣言した。
 おおー! と後ろから二人の声援と拍手が上がる。
 ヨシュアとユーグレンは補助要員だ。というよりカズンが作っている様子を見ているほうが面白い。

 そして一時間後。
 実に至極あっさりと味噌ラーメンは完成していたのだった。



「……まさか、この集落に味噌ラーメンのレシピまで伝わっていたとは……このカズン、不覚を取った!」

 王都にいたとき、学園で調理スキル上級持ちの学園長エルフィンの協力を得てさえ、醤油ラーメンのときは開発まで三ヶ月以上を要した。
 それが今回はたったの一時間。

 来てる。何か運気的なものが。いい感じに。

 そう、何と今回の滞在中の食事の世話になっている村長宅から派遣されている料理人のオヤジさんが、まさかの調理スキル特級持ちであった。
 材料を揃え、下拵えを済ませ、そして調理を開始しようとしたところで、厨房で様子を見守ってくれていた彼からふと、何を作るのかと聞かれたのだ。
 味噌ラーメンですと答えると、集落特産の味噌ならどの種類が良いかや配合、適切な分量などをアドバイスされて驚愕して今に至る。
 その料理人氏の監修の元、完璧な味噌ラーメンが出来上がってしまった。

「研究する余地もありませんでしたねえ」

 とスープのベースになる鶏ガラの濃縮スープを領地から持ってきてくれたヨシュアが食卓で微笑んでいる。
 彼のリースト伯爵領の畜産物は鶏など鳥類なのだ。鮭だけではなかった。
 以前、醤油ラーメン開発のときから鶏ガラスープの商品化を進めてもらっていたものが、最近になってようやく実用化のめどが立ったとのことで、この別荘に来るとき馬車にいくつか瓶詰めにしたものを持参してくれたのだ。

「なるほど、確かにしょっぱい味噌と合わせるなら鶏ガラスープはご指示通り、塩味を付けないままのほうが適切でしたね」

 とスープ作りの一部始終を見ていたヨシュアが頷いている。



 味噌ラーメン作りの手順は、こうだ。

 まず、材料はあらかじめ揃えて、切るものがあればすべて切っておく。
 リーキ(ネギ)は縦半分に切ってからみぎん切り。大量に。
 ニンニクと生姜は同量をすり下ろしておく。
 味噌は一人当たりテーブルスプーン3を目安に。
 そして味噌に似た、だが唐辛子の入った別の豆味噌、豆板醤なるものも小さじ1と少々。
 これらを鍋に入れ、豚ひき肉を一人当たり50g程度を一緒に加えて、焦げないよう炒めていく。

 そこに、ヨシュアがリースト伯爵領から持参した濃縮鶏ガラスープを入れて適量の水を足す。
 更に醤油、みりん、塩を味を確認しながら足していき、煮込む時間は5分少々といったところだ。
 仕上げに鶏油をティースプーンに一人分当たり軽く一杯。

 同時に、別の大鍋では湯を沸かし、重曹を少々。こうしてアルカリ分を足した湯で茹でると、麺に強いコシが出る。
 麺はスパゲッティの乾麺を水で戻しておいたものを使って、1分少々茹でて湯を切り、先に味噌スープを入れておいた大振りのスープ腕へと一人前ずつ入れて、スープと馴染ませる。
 あとは白髪ネギ、炒めた豆の芽もといモヤシ、煎った白ゴマ、茹でたてコーンをたっぷり、ラー油もとい唐辛子油とバターはお好みで。

 まだ少し昼食の時間には早かったが、出来上がってしまったので食堂に移動して実食することにした。



「……しみじみ、美味いな」

 まずは大匙でスープを一口啜った、会食で高級料理を食い慣れているユーグレンの一声に、カズンは隣の席のヨシュアと思わずハイタッチしてしまった。

「ユーグレン様の“美味い”、いただきましたね、カズン様!」
「いただいたとも! わはははは!」

 その後両手を握り締め合い、更にハグし合うカズンとヨシュアを前に、ユーグレンは己の目元がスープ皿の中で蕩けていくバターの如く緩んでいくのがわかった。

(ふたりとも可愛いらしいことよ)

 願わくばそのハグの中に自分も入れてほしいのだが、生憎と食卓はユーグレンとカズン・ヨシュアの一対二で対面で座ってしまったので、叶わないのが残念だった。

「いや、これは本当に美味いぞ。味噌汁もまあそれなりだったが、複雑なのに味噌がすべてを調和させて旨みがすごい。あれだけニンニクを入れていたから臭みが出るかと思えば、いい具合に旨みに溶け込んでいるし。麺とスープの絡みも良い、口当たりもなかなか……これはあれだな、学園でお前が作った炒飯と餃子に並ぶんじゃないか?」
「いいところに気づいた、ユーグレン」

 キラリ、とカズンの眼鏡が……今回は光らなかった。
 なぜなら、ラーメンのスープの湯気で曇っていたからだ。
 苦笑しながら、隣からヨシュアが手を伸ばして眼鏡を外し、食卓のナプキンで湯気を拭き取ってやっている。

「ラーメン、餃子、炒飯……この三つは僕の前世がいた国では、大人気の定食セットの組み合わせだった」
「炭水化物ばっかりですねえ。肉体労働者向けの食事ですかね?」
「……デブ活へまっしぐらなのは認める。だが大丈夫だ、僕たちはまだ若いからな!」

 渾身のドヤ顔を決められて、ヨシュアもユーグレンも笑いを堪えきれない。
 しかしこの発言は女性がいるときは控えたほうがいいだろう。

「午後はまた身体を動かしましょう。山の方に行って泉まで散策してもいいでしょうし」

 標高の高いここも昼間は暑いが、山に入れば木々が強い夏の陽射しを遮って涼しい。山の中腹にある泉まで歩いて、そこで休みがてら水浴びをしてもいい。
 それに山歩きは足腰が鍛えられて、剣や体術とはまた違った部位の筋肉に負荷をかけることができる。
 王都の騎士団では定期的に山歩きが基本訓練に入っているぐらいだ。



 結果からいえば、味噌ラーメン作りは大成功だった。
 あえてこれ以上の工夫を加える必要もないぐらいの完成度で、仕上がってしまった。

 しかし、今日に限ってはそれだけでは終わらなかったのである。