「もし、ユーグレン殿下? オレのいないところで何して下さってるので?」
地獄の底から響くような低い声で問いかけられ、思わずビクッとユーグレンは身を震わせた。
振り向くとヨシュアが蓋付きの両手鍋を持って、こちらを睨んでいる。
足音荒く庭へ降りてきてサンダルをつっかけ、こちらも炭火を熾してある野営用の簡易かまどに両手鍋を置いた。
「先に味見させて貰っていたのだ」
「まだ食べるのは料理だけにして下さいね?」
「……ああ。わかっているよ」
(ちょっと「あーん」と食べさせて貰おうと思っただけなのだが。し、嫉妬されてしまったのだろうか!?)
これまで、自分こそがヨシュアの幼馴染みのカズンに嫉妬し続けていた立場だったというのに、立ち位置がすっかり変わってしまっている。
しかしユーグレンのヨシュア愛はこの程度では揺らぎもしなかった。
これまで知ることのできなかったヨシュアの新たな面を発見した喜びがある。
「ヨシュア! 焼きおにぎりが美味いぞ! すごく!」
そんな二人の水面下のやりとりなど気づきもしないカズンは、眼鏡越しの黒い瞳をキラキラと輝かせて、焼きたての醤油焼きおにぎりをヨシュアに差し出している。
「ん、……本当だ。なかなかのものですね」
「だろう!?」
(おおい、二人とも! そっちこそ「あーん」はずるい! あーんは!)
当たり前のようにヨシュアはカズンの手から焼きおにぎりを食べて、カズンも一個丸々ヨシュアが食べ切るまで手を出していた。
数粒指先に残った米粒まで、ヨシュアの唇が挟んですべて食い尽くしている。
「ヨシュア……君こそ狡くないか?」
「何がです? オレはカズン様に食べさせて貰っただけですが?」
「むう……」
陽が暮れて魔石ランプの灯る庭先で、ユーグレンとヨシュアは睨み合った。
と思ったら、そんな二人の間の微妙な空気を読まないカズンが次々焼きおにぎりを焼いて皿に取り分け、差し出してくる。
炭火の火力は強いから焼けるまではあっという間だ。
「今度は味噌味のほうだぞ!」
食べて? 食べて? と期待に満ちた目で見つめられて、ユーグレンとヨシュアはひとまず休戦することにした。
皿ごと受け取って、円盤形の焼きおにぎりを手に取る。
全体に醤油が染みていた先ほどのものと違い、こちらは片面だけに味噌が塗られている。
「「「いただきます」」」
三人、タイミングを合わせて齧りついた。
そして反応が分かれた。
「味噌焼きおにぎりも、うまあ……」
作り手のカズンは至福再びで、幸福感で全身を満たしていた。
「うーむ、さすがに味噌を直接塗った奴はしょっぱいな。私は醤油味のほうが好みだ」
「味噌味自体は大丈夫か?」
「ああ。味はわりと好きなやつだ」
そもそも味噌自体を今回初めて食すユーグレンにとっては、塩気が強すぎたらしい。
「そうか、なら味噌にもみりんや他の調味料を足したほうがいいか」
この集落にはハーブの紫蘇などもある。味噌に混ぜ込んでもいいかもしれない。
そしてヨシュアはといえば。
「ふむ……」
何か心の琴線に触れるものがあったようで、少しずつ口に含んでは味を確認しつつ、考え込んでいる。
そして一個分を食べ終えると、小さく頷いて簡易かまどの火にかけていた両手鍋の元へ向かい鍋の蓋を開ける。
むあっと庭に鍋の蒸気とともに魚の匂いが広がった。
「ヨシュア、それは?」
魚の匂いというか、少々生臭い。
「うちの領地の特産品、鮭の中骨の缶詰を煮ています。王都のタウンハウスに持っていって家の者たちと食べるつもりだったのですが、味噌仕立てのスープなら合うかなと思って」
リースト伯爵領には海はないが川はある。毎年、鮭が産卵のため川を昇ってくるところを漁獲するのは領主一族から領民たちまで関わる一大イベントだ。
味が大変良いのでリースト伯爵領の鮭は人気があり、輸出食材としても国内では重要な位置を占めていた。
が、しかし。
「缶詰の鮭はこの生臭いのがな……」
カズンが渋い顔をしている。
鮭は好きだが、この中骨、胴体を背骨ごとぶつ切りにして圧力鍋で柔らかく加工したものは、いまいち好きになれなかった。ヨシュアには悪いのだが。
鮭自体が脂の多い魚で旨味の素でもあるのだが、加熱して加工するとその脂にどうしても多少の生臭みが出てしまう。
焼いたり燻製にしたりしたものは好きでも、中骨缶詰めは苦手だという者がわりと多い。
「まあ、どうしても駄目なら捨てても良いので、試すだけお願いします。ね?」
「もちろん、そこまで言うなら私はいただこう」
「えええ。ユーグレン、チャレンジャーだなおまえ……」
そうだった、この男はヨシュアが食うなら虫でも何でも食せる自信のある奴だった。
「具は中骨だけか?」
「じゃがいもと、臭み消しにリーキ(ネギ)を入れました。あ、カズン様、味噌下さい」
求められるまま容器ごと味噌を渡す。
ヨシュアはそれをテーブルスプーンで無造作にすくっては鍋に放り込んでいた。
「分量はわかるか?」
「ええ、大雑把ですけど。塩分濃度2パーセント少々に調整すればいいはず」
調理スキル持ちは初級でも、適切な調味料の配合比率を弾き出せるので便利だ。
味噌を投入した後は、木製のお玉で具を崩さないよう溶かしていく。
そして粗方溶かし終わった辺りで、鍋から漂う匂いが変わった。
「お?」
魚の生臭さに味噌の香りが加わって、今度は食欲をそそる匂いになった。
味噌汁用の木の椀に、乱切りのじゃがいもと斜め切りのネギ、そして鮭の中骨を皮ごと一欠片。
木のさじと一緒に、他の二人へ椀を差し出した。
「どうぞ。無理はしなくていいですからね」
そう言って自分も椀を持ちながらも、緊張した面持ちでカズンとユーグレンを見つめてくる。
「いや、これならもう……」
熱々に、ふーふー息を吹きかけて少し冷ましてから、一口汁を啜る。
最初に来たのはネギの香味だ。少し遅れて鮭の風味。確かに少し魚臭いが、味噌と合わさったことでそれが旨味に上手く変換されている。
「保存食のまま食うよりいけるな、ヨシュア。これは領地で広めてもいいんじゃないか?」
「やはりそう思われますか、カズン様! 最初に味噌汁を飲んだとき、鮭と合うなと思ったんです」
中骨も柔らかく加工されていて、かしゅっと歯で噛み締めるとすぐ崩れていく食感が楽しい。
「缶詰でこれだけの味が出るなら、鮭の旬にはもっと美味いだろうな」
「ですよね、殿下!」
先ほどまでカズン相手に抜け駆けするなと圧を飛ばしていたとは思えぬほど、朗らかにヨシュアが笑う。
(あああ。そんな変わり身の早いところも君らしい。好きだヨシュア……)
もうすっかりユーグレンの信仰は末期状態だった。
(この笑顔を見るためなら、私はきっとどんなことでもするだろう)
地獄の底から響くような低い声で問いかけられ、思わずビクッとユーグレンは身を震わせた。
振り向くとヨシュアが蓋付きの両手鍋を持って、こちらを睨んでいる。
足音荒く庭へ降りてきてサンダルをつっかけ、こちらも炭火を熾してある野営用の簡易かまどに両手鍋を置いた。
「先に味見させて貰っていたのだ」
「まだ食べるのは料理だけにして下さいね?」
「……ああ。わかっているよ」
(ちょっと「あーん」と食べさせて貰おうと思っただけなのだが。し、嫉妬されてしまったのだろうか!?)
これまで、自分こそがヨシュアの幼馴染みのカズンに嫉妬し続けていた立場だったというのに、立ち位置がすっかり変わってしまっている。
しかしユーグレンのヨシュア愛はこの程度では揺らぎもしなかった。
これまで知ることのできなかったヨシュアの新たな面を発見した喜びがある。
「ヨシュア! 焼きおにぎりが美味いぞ! すごく!」
そんな二人の水面下のやりとりなど気づきもしないカズンは、眼鏡越しの黒い瞳をキラキラと輝かせて、焼きたての醤油焼きおにぎりをヨシュアに差し出している。
「ん、……本当だ。なかなかのものですね」
「だろう!?」
(おおい、二人とも! そっちこそ「あーん」はずるい! あーんは!)
当たり前のようにヨシュアはカズンの手から焼きおにぎりを食べて、カズンも一個丸々ヨシュアが食べ切るまで手を出していた。
数粒指先に残った米粒まで、ヨシュアの唇が挟んですべて食い尽くしている。
「ヨシュア……君こそ狡くないか?」
「何がです? オレはカズン様に食べさせて貰っただけですが?」
「むう……」
陽が暮れて魔石ランプの灯る庭先で、ユーグレンとヨシュアは睨み合った。
と思ったら、そんな二人の間の微妙な空気を読まないカズンが次々焼きおにぎりを焼いて皿に取り分け、差し出してくる。
炭火の火力は強いから焼けるまではあっという間だ。
「今度は味噌味のほうだぞ!」
食べて? 食べて? と期待に満ちた目で見つめられて、ユーグレンとヨシュアはひとまず休戦することにした。
皿ごと受け取って、円盤形の焼きおにぎりを手に取る。
全体に醤油が染みていた先ほどのものと違い、こちらは片面だけに味噌が塗られている。
「「「いただきます」」」
三人、タイミングを合わせて齧りついた。
そして反応が分かれた。
「味噌焼きおにぎりも、うまあ……」
作り手のカズンは至福再びで、幸福感で全身を満たしていた。
「うーむ、さすがに味噌を直接塗った奴はしょっぱいな。私は醤油味のほうが好みだ」
「味噌味自体は大丈夫か?」
「ああ。味はわりと好きなやつだ」
そもそも味噌自体を今回初めて食すユーグレンにとっては、塩気が強すぎたらしい。
「そうか、なら味噌にもみりんや他の調味料を足したほうがいいか」
この集落にはハーブの紫蘇などもある。味噌に混ぜ込んでもいいかもしれない。
そしてヨシュアはといえば。
「ふむ……」
何か心の琴線に触れるものがあったようで、少しずつ口に含んでは味を確認しつつ、考え込んでいる。
そして一個分を食べ終えると、小さく頷いて簡易かまどの火にかけていた両手鍋の元へ向かい鍋の蓋を開ける。
むあっと庭に鍋の蒸気とともに魚の匂いが広がった。
「ヨシュア、それは?」
魚の匂いというか、少々生臭い。
「うちの領地の特産品、鮭の中骨の缶詰を煮ています。王都のタウンハウスに持っていって家の者たちと食べるつもりだったのですが、味噌仕立てのスープなら合うかなと思って」
リースト伯爵領には海はないが川はある。毎年、鮭が産卵のため川を昇ってくるところを漁獲するのは領主一族から領民たちまで関わる一大イベントだ。
味が大変良いのでリースト伯爵領の鮭は人気があり、輸出食材としても国内では重要な位置を占めていた。
が、しかし。
「缶詰の鮭はこの生臭いのがな……」
カズンが渋い顔をしている。
鮭は好きだが、この中骨、胴体を背骨ごとぶつ切りにして圧力鍋で柔らかく加工したものは、いまいち好きになれなかった。ヨシュアには悪いのだが。
鮭自体が脂の多い魚で旨味の素でもあるのだが、加熱して加工するとその脂にどうしても多少の生臭みが出てしまう。
焼いたり燻製にしたりしたものは好きでも、中骨缶詰めは苦手だという者がわりと多い。
「まあ、どうしても駄目なら捨てても良いので、試すだけお願いします。ね?」
「もちろん、そこまで言うなら私はいただこう」
「えええ。ユーグレン、チャレンジャーだなおまえ……」
そうだった、この男はヨシュアが食うなら虫でも何でも食せる自信のある奴だった。
「具は中骨だけか?」
「じゃがいもと、臭み消しにリーキ(ネギ)を入れました。あ、カズン様、味噌下さい」
求められるまま容器ごと味噌を渡す。
ヨシュアはそれをテーブルスプーンで無造作にすくっては鍋に放り込んでいた。
「分量はわかるか?」
「ええ、大雑把ですけど。塩分濃度2パーセント少々に調整すればいいはず」
調理スキル持ちは初級でも、適切な調味料の配合比率を弾き出せるので便利だ。
味噌を投入した後は、木製のお玉で具を崩さないよう溶かしていく。
そして粗方溶かし終わった辺りで、鍋から漂う匂いが変わった。
「お?」
魚の生臭さに味噌の香りが加わって、今度は食欲をそそる匂いになった。
味噌汁用の木の椀に、乱切りのじゃがいもと斜め切りのネギ、そして鮭の中骨を皮ごと一欠片。
木のさじと一緒に、他の二人へ椀を差し出した。
「どうぞ。無理はしなくていいですからね」
そう言って自分も椀を持ちながらも、緊張した面持ちでカズンとユーグレンを見つめてくる。
「いや、これならもう……」
熱々に、ふーふー息を吹きかけて少し冷ましてから、一口汁を啜る。
最初に来たのはネギの香味だ。少し遅れて鮭の風味。確かに少し魚臭いが、味噌と合わさったことでそれが旨味に上手く変換されている。
「保存食のまま食うよりいけるな、ヨシュア。これは領地で広めてもいいんじゃないか?」
「やはりそう思われますか、カズン様! 最初に味噌汁を飲んだとき、鮭と合うなと思ったんです」
中骨も柔らかく加工されていて、かしゅっと歯で噛み締めるとすぐ崩れていく食感が楽しい。
「缶詰でこれだけの味が出るなら、鮭の旬にはもっと美味いだろうな」
「ですよね、殿下!」
先ほどまでカズン相手に抜け駆けするなと圧を飛ばしていたとは思えぬほど、朗らかにヨシュアが笑う。
(あああ。そんな変わり身の早いところも君らしい。好きだヨシュア……)
もうすっかりユーグレンの信仰は末期状態だった。
(この笑顔を見るためなら、私はきっとどんなことでもするだろう)