カズンが帰宅すると、屋敷の馬車留めに王家の紋章入りの馬車が留まっている。

 あれは、ユーグレン王子の馬車だ。

 屋敷に入ると、来客用の応接間で父ヴァシレウスとユーグレン王子がボードゲームで遊んでいた。

 ユーグレンはカズンと同年、数ヶ月だけ年上の、“兄の孫”だ。
 カズンの異母兄で、現国王テオドロスの孫にして、今のところ唯一の王子である。

 カズンはれっきとした王族の一員なのだが、王子の身分は持っていない。
 アルトレイ女大公令息であり、先王ヴァシレウス大王第三子というのが公的な身分だ。
 ゆえに、本来なら“殿下”の敬称は定められていない。
 ただ、先王ヴァシレウスの実子で、現国王テオドロスの実弟なので、便宜的に王弟殿下と呼ばれることはある。



 ユーグレンの容姿はカズンとよく似ている。黒髪と黒い瞳の正統派の男前だ。

 ということは曽祖父ヴァシレウスとも似ているということだ。
 カズンの兄、国王テオドロスも含めて、アケロニア王族は黒髪黒目の端正な顔立ちが特徴である。

 背はユーグレンのほうがカズンより高いし、体格にも厚みがある。
 わりと鍛えていて、身体強化なしで大剣を振り回す程度には強い。

(僕、親ガチャ友人ガチャは大当たりだったけど、僕自身はさっぱりなんだよなあ)

 カズン自身は、王族として護身術と多少の武術を覚えたぐらいで、剣などは使えない。たまに学園の授業で触るぐらいだ。

 カズンは密かに同い年の彼の背を追い越すことを野望にしているのだが、なかなか追いつけないのが残念だった。



 カズンが部屋に入るのを見るなり、ユーグレンがすっ飛んできた。

「か、カズン! ヨシュアは、ヨシュアは無事なのか、もう元気になったのか!?」
「落ち着いてください、殿下。ヨシュアは無事です。もう身体を起こして会話もできるまで回復してましたよ」
「そ、そうか……!」

 このユーグレン王子が、ヨシュアの熱烈な信奉者なのである。
 もっとも、ヨシュア本人はそのことを知らないし、ユーグレンも憧れの人になかなか近づけず話しかけることもできないでいた。

(遠くから見てるだけじゃなくて、友人になればいいのに)

 カズンにとってヨシュアは“親友ガチャ”のチュートリアル一回目で引き当てた的な、ウルトラレア級フレンドだったりする。

 確かにあの麗しの容貌は近づき難さがあるが、本人は別に傲慢や高飛車な性格もしていないし、付き合いやすいタイプだとカズンは思っている。
 あの顔だって、数日も一緒にいれば慣れるものだ。

 けれどこの王子は、学園で同じクラスのカズンから『今日のヨシュア』を聞いては悦に浸っているだけのチキン野郎である。



「そんなに心配なら見舞いに行けばいいだろうに」

 ヴァシレウスもすっかり呆れている。
 ユーグレンのこの言動は、彼がヨシュアを初めて見た高等学園一年次から、最終学年となった今年までずっと繰り返されている。
 今は留守中の母セシリアなどは、面白がって喜んでユーグレンの話を聞いてやっているものの。

「だ、だってヴァシレウス様。見舞いに行けるほど親しくないんです、行っても『何でこいつが来たんだ?』みたいな顔をされてしまったらどうします? そんなことになったら私はもう生きていけません!!!」

 本人は必死だが、いくら何でも王子のユーグレンをそこまで粗末に扱うヨシュアではないだろうに。

「う、うむ……青春の悩みであるな……?」
「ファンクラブまで作って会長就任してるくせに、何で個人的に親しくなれないのだか」

 学園では人気の生徒や教員、講師のファンクラブ設立が認められている。
 対象者本人の許可があれば公認ファンクラブとなるし、なければ非公認となる。

 ヨシュアのファンクラブは後者、非公認だ。
 なお、公認だとクラブ活動の一環として学園から予算が出て、非公認だとそれがない。

 以前ヨシュア本人に公認しないのかと聞いたことがあるが、会長が承諾書を持ってきてくれればちゃんと許可するんだけど、とのことだった。

 ちなみにヨシュア自身は、自分のファンクラブの会長が誰かも知らないらしい。
 このチキン野郎が事務的に必要な行動すら起こせていないと知って、カズンは開いた口が塞がらなかったものだ。



 ユーグレン曰く、ヨシュアは尊すぎて無理、駄目、しんどい、だそうだ。

 カズンの前世だった現代日本人の感覚だと、アイドル的な推しを信仰する信者の感覚に近いのかなと思う。

 本人は現在の王家唯一の王子にして、次の立太子が内定している。
 高貴な身分に加えて、全方向的に優秀有能な、同世代随一の傑物なのだが。

 王立学園高等部では最高学年、政治家や文官を目指す個性的な面々の集う上位クラスの3年B組に所属し、今年の生徒会長でもある。

 絵に描いたようなスパダリ様気質の王子なのだが、どうにもヨシュアに弱い。

(『薔薇の花弁を主食にしていそう』などと本気で言っていたからな、殿下は。まあそれを聞いて後日、薔薇ジャムを街で買ってヨシュアに渡したら、好きな味だったようで喜んでスコーンに乗せて食べてくれた)

 で、それをまた後日カズンから聞いたユーグレンが、「ヨシュア尊い……薔薇の精霊か……!」と悶えていた。

 何言ってんだこいつ、正気か? と思うが、本人は至って真面目なのである。

 不調でさえなければ、普段のヨシュアは頭の回転も速く、気の置けない会話が楽しい人物のひとりだ。
 早熟な魔法剣士として、魔法と魔術、剣術に天与の才を持ち、学園の授業では数多の魔法剣を自在に扱う姿は圧巻だった。

 ユーグレンも、信奉者として遠くから眺めているだけでなく、親しく交わればいいのにと思い、何度もヨシュアに紹介しようとしていたカズンだったが、

「無理、絶対ムリだ、彼を前にして冷静に受け答えできる自信がない……!!!」

 寸前になって、いつも逃げてしまうのである。
 これはこれで面白いので、現在ではユーグレンの周囲の人々はヨシュア絡みに限り、すっかり放置状態だった。