王家の白い駿馬を飛ばしに飛ばして、馬車で半日かかる距離を休憩もほとんど取らずに二時間ちょっとでユーグレンは目的の避暑地に到着した。
勢いよく木造建築のドアを叩かれ、何事かとカズンたちが外に出てみれば、そこにはいるはずのないユーグレン王子が汗だくで立っていたのである。
「ユーグレン? 何の連絡もなしにどうした?」
「どうしたではないわ、連絡がないから心配して来たのだろうが!」
暑い季節になってきて、カズンの背中に汗疹が出たため、美肌で有名な温泉地に湯治に行ったのだとユーグレンは聞いていた。
しかも家族旅行だ。まだロットハーナの件が未解決のままだから、護衛の任を解かれていないヨシュアも途中から一緒だったと。
両親のヴァシレウスとセシリアは数日で帰ってきたが、カズンは現地で調子を崩したのと、まだ汗疹が消えなかったので、避暑も兼ねてこのままヨシュアと残ることにした、と。
もうそれを聞いたユーグレンはいてもたってもいられなくなった。
ヴァシレウスたちと入れ替わるようにして、王都からカズンたちの滞在先の別荘に急襲してきたというわけである。
馬車だと時間がかかりすぎるからと、いつも学園で側に置いていた護衛のローレンツだけを連れて。
別荘の居間に移動し、ユーグレンにタオルを渡して汗だくの身体を拭ってもらっているうちに、ヨシュアが率先して茶を入れる。
居間も畳敷きで、木製のローテーブルに座布団と座椅子の設えで、旅館風の趣がある。
ユーグレン一人対カズンとヨシュア二人で向き合うなり、非難するような目で睨みつけられた。
「旅行に行くなら、せめて予定くらい教えてほしかったぞ、二人とも」
「一週間で戻る予定だったんだ。帰ってから連絡すればいいかと思ったんだが」
そんな悪びれないカズンの言い訳に、普段温厚なはずのユーグレンが怒った。
「派閥問題はまだ解消したばかりなのだぞ! 夏休みだからといって離れ離れでは周りの目を欺けぬだろうが! それに私は二人のことならどんな小さなことでも知りたい! それを、王都を離れるというのにお前たちときたら!」
「も、申し訳ありません、ユーグレン殿下。まさかそこまでお怒りになられるとは……」
ヨシュアは素直に頭を下げたが、カズンは納得いかないような顔をしていた。
何でそれぐらいのことで怒っているのだ? という表情だった。
それを見て更にユーグレンは激昂した。
「たとえただの友人だったとしても! 行き先も知らせないとは、私に対して誠意が足りぬのではないか、カズン!」
「誠意って、おまえな。要するに何が言いたいんだ?」
カズンからのぞんざいな扱いに、ぐっと詰まってからユーグレンは涙目になって吠えた。
「私ひとりを除け者にして、二人で楽しく遊んでいたのだろう!?」
「「えええっ!?」」
要するにそれが、一番言いたいことだったらしい。
カズンがヨシュアと二人で郊外の温泉地に出かけたと聞いて拗ねているのだ。
「なぜだ。どうせ遊ぶなら私だって混ぜてほしい!」
「いや、遊ぶって、お前なあ」
「一緒に温泉に入ってただけですよ? しかも二人きりじゃないです、ヴァシレウス様も一緒でした」
そんなの子供の頃からやっている。
互いの家にお泊まりするときは、邸宅の浴場だってよく一緒に使っていたものだ。
「だって……そんな……私は、てっきりお前たちはもう……」
カズンとヨシュアは顔を見合わせた。
「殿下。変な心配は不要ですから。ね?」
「う、うむ……」
とりあえずヨシュアが麗しく微笑んでユーグレンの反論を封じた。つよい。
「それはともかく、ユーグレン殿下。派閥のことにしろ、友人としてお付き合いしていくにしろ、とりあえずそれぞれの家族にご挨拶させていただけませんか」
湯飲みに入った緑茶(現地の集落特産品)を啜りながら、ヨシュアが説明してきた。
「我々全員、まだ未成年の子供ですし、王族と貴族です。なのに、互いの家族に挨拶もしてません。必要ですよね?」
「あああ!? 言われてみれば!」
ちなみに昨日、ヨシュアはカズンの父ヴァシレウスには確認を取った。後に母セシリアにも。
「王都に戻ったら、ユーグレン殿下のご両親に一度お会いできればと思います」
「わ、わかった……そうだな、それは欠かせぬことだったな」
「で、オレの保護者もいま王都にいるので、よろしくお願いしますね?」
ぴたり、と示し合わせたようにカズン、ユーグレンの動きが止まった。
「る、ルシウス殿に、甥御殿を下さいと言わねばならんのか……!」
「ユーグレン、落ち着け! 結婚の挨拶じゃないのだぞ、『僕たち仲良くなりました』だけで良いんだ!」
「あはは、混乱してますねえ」
甥のヨシュアはもちろん、カズンとユーグレンもルシウスが王都にいる間は子供好きの彼によく遊んでもらっていた。
何はともあれ。
「ようこそ、ユーグレン殿下。後で一緒に温泉に行きましょうね」
にっこり麗しの美貌を輝かせて、ヨシュアが微笑む。
「そ、そうだな。……何だか一人で先走って済まなかった」
ユーグレンはちゃんと己の非を認めて謝れる男だった。
ただし、今回のことでカズンとヨシュア、ふたりにとっての印象はだいぶ変わった。
(ユーグレン殿下、大らかな方だと思ってたけど嫉妬する独占欲強めタイプかあ。……ふふ、かわいいなあ)
こちらはヨシュア。意外なことに好感度が上がったようだ。
(……わかっちゃいたが、本格的なウザ男だった。この調子で僕たち上手くやっていけるんだろうか?)
対して、カズンはこの先への不安が増してしまったのだった。
その後、仲直りを兼ねて三人で温泉に入ったのだが。
浴場に入ったはいいものの、血の気が多かったのかユーグレンが熱い温泉で鼻血を出してしまい、長湯はできなかった。
「しまらない奴だなあ。ユーグレン」
リビングのソファにもたれ掛かってしまったユーグレンに、冷たい水を飲ませたり、熱を冷まさせてやったりと慌しかった。
その日の夜、別荘の管理人に手配してもらった夕食を終えてからは、一休みした後で居間の茶卓で三人で学園の宿題に取り掛かっていた。
取るものもとりあえず王都を出てきたユーグレンは宿題のテキストを王宮に置いてきてしまったので、カズンやヨシュアが課題に取り組むのを眺めて時折助言するだけだったが。
宿題とはいっても、学園入学前にそれぞれの家で家庭教師から既に学んでいた内容が多い。
王都に戻ってから取り掛かっても充分間に合うだろう。
そして時刻は夜の十時を回った。
王都にいたときなら、まだまだ夜はこれからだが、別荘のある集落は人も少なく、外に出れば夜は真っ暗だ。早めに休むほうがいい。
「そろそろ休みましょう」
「……いや、もうちょっとだけ」
宿題に一区切り付けて終わらせようとするたび、カズンが引き留めてくる。
そのわりに、本人はあまりテキストが進んでいないように見える。
「なら、オレはユーグレン殿下のお部屋の準備をしてきますね」
座椅子からヨシュアが立ち上がる。
別荘の管理人に一人増えた分の部屋の準備は頼んであったが、念のため確認しておいたほうがいいだろう。
「ああ……っと、部屋はまあいいのだが、その……」
「カズン様?」
ヨシュアを引き留めて、何やら言いにくそうにしている。
「夜は、三人で一緒に寝ないか?」
「えっ?」
「まさかお前がそういう誘いをかけてくるとは……」
「ちがーう! そうじゃなくて、その……」
ペンを握ったまま、視線がテキストの上に落ちる。宿題の文字列を見てなどいないことは明らかだったが。
「今日からもう、お父様もお母様もいないから、その……側にいてほしくて……。………………くそっ、笑いたければ笑えばいい!」
ふと気づいてしまったのだ。
父母どちらもいない状況で、外でお泊まりするのが初めてだということに。
「屋敷でもこの別荘でも、もうご両親とは別の部屋で寝ていたのだろう?」
学園に入学する前頃までは、ユーグレンもたまに家族で寝ていると知っていた。
「そうだけど、それでも同じ建物の中にいたから……ううっ、お父様、お母様……っ」
茶卓の上に突っ伏してしまったカズンに、ヨシュアとユーグレンは顔を見合わせた。
別荘で一番広い部屋に布団を三組並べて敷いてもらうことになった。
中央にカズン、部屋の奥側にユーグレン。入り口近くは万が一のことに備えてヨシュアが眠ることに。
「んん……カズンがまさか親離れしてないとは思わなかったな」
「そういえば、我が家に泊まりに来たときもヴァシレウス様かセシリア様が一緒でしたね」
ヨシュアの叔父の家にもよく遊びに行っていたが、そういえばお泊まりまではしていなかった。
普段からわりと淡々としていたカズンの意外な弱点だった。
「笑いたければ笑えと言っただろう……」
布団の上で枕に顔を埋めて、猫が“ごめん寝”する姿勢になって、くぐもった声で恨み節を呟いている。
自分でも、まさか両親がいないことにここまでダメージを受けるとは思っていなかったのだ。
幼い頃から箱入りで大事に大事に育てられたことの弊害といえるか。
「別に笑ったりなどせん。寂しいなら早めに帰ったらどうだ」
「一応、肌の湿疹が治ってからとヴァシレウス様たちから厳命されておりまして」
「湿疹? ……どれ」
うつ伏せで蹲っているカズンの寝巻きの上を、ぺろんとめくり上げる。
健康的で滑らかな肌の上に、ぽつぽつと吹き出物の跡がいくつか。あとは腰の辺りに汗疹が薄っすらと出ている。
ともに温泉に入ったときは気づかなかったが。
「これか。何か薬を塗ったりはしなくていいのか?」
「悪い感染症などではないようなので、ここの温泉に浸かっているうちに治るそうです。朝晩、ゆっくり入浴するようにとのことでした」
「ふうむ……そうか」
ナデナデ、ナデナデ。
寝巻きをもとに戻してやって、患部を避けるように背を撫でた。
ヨシュアも反対方向から、枕に抱き着いているカズンの黒髪を後頭部から撫でている。
「カズン、寂しいなら抱いて寝てやろうか?」
「そういうのは要らない。……でも、隣にいてほしい」
(何ともいとけないことよ)
そのまま上から掛け布団をかけてやると、蹲っていた姿勢を解いて仰向けになった。
ヨシュアとユーグレンも布団の中に入る。
部屋の明かりは魔導具の一種だから、寝ながら魔力を飛ばせば常夜灯の薄いオレンジ色の明かりに変わる。
「おやすみ。二人とも」
朝、まだ早い時刻にユーグレンは目を覚ました。
うっすらと目を開けると、隣のカズンが仰向けですーすー寝息を立てている。
更にその隣のヨシュアはカズンに向いて横向きで、こちらもまだ眠っていた。
少し経つと、ヨシュアが起きたようだ。しばらく夢とうつつの間を彷徨っていたようだが、むくりと布団の上に起き出す。
そのままカズンやユーグレンを起こすのかなと、薄目のまま様子を窺っていると。
身を屈めて、カズンの耳元に何やら囁いている。カズンは何やらむにゃむにゃ意味のわからない返事を返していた。
ヨシュアはそのまま寝乱れているカズンの黒髪を優しく撫でている。
カーテン越しの陽光で部屋の中は薄暗い。
それでも、ヨシュアの優美な顔が綻ぶように微笑んでいるのがわかった。
「………………」
彼はしばらくカズンの寝顔を見つめていた。
(君はそんな顔をするのか。ヨシュア)
この世の至福すべてを集めたかのような顔だった。
「君の“推し”はカズンなんだって? ヨシュア」
かけられた声に、ハッとなったヨシュアがユーグレンを見た。
「起きてらしたのですか。ユーグレン殿下」
「今さっきだがな」
「嘘、もっと前に目が覚めてたのでは?」
「バレたか」
「殿下」
強めに銀の花咲く湖面の水色の瞳で睨まれた。
(ああ、敵愾心を込めて睨むその瞳まで君は美しい)
カズンが起きていたら、絶対に見せてくれなかっただろう表情だった。
「趣味悪いですよ」
「まあ、お互い様というやつだ」
「………………」
「んう……お前たち、うるさい」
あれこれ言い合っているうちに、カズンが目を覚ましたようだ。
だがまだ夢とうつつの間にいるらしい。
「カズン様。朝ですよー」
「こら起きろ、カズン」
「もうちょっと、寝る……」
目が開かないようで、むずがるように身体を捩って上掛けの中に潜ってしまった。
「カズンさまー。オレ、お腹が減りました」
「んぐっ」
上掛けの上からヨシュアがカズンにダイブする。
「ねえカズン様。オレ、領地から塩鮭持ってきてるんです。焼いて炊き立てのご飯と合わせるってどうですか?」
「……最高じゃないか。おまえもわかってきたな……」
異世界人ながら、素朴な和食の真髄を。
そこに出汁をきかせた醤油系のタレをかけた温泉卵を加えれば、更に極上の朝定食へ近づく。
リースト伯爵領名産品のひとつである鮭は高級品だ。ヨシュアはいつも気軽に持ってきて食べさせてくれるが、現地以外だと一尾あたり大金貨一枚(約20万円)近くすることもある。
ちなみにカズンの父ヴァシレウスはリースト伯爵領産のスモークサーモンが大好物だ。
「おまえが僕の幼馴染みでよかった……塩鮭をあいしてる……」
「えええ。好きなのは塩鮭だけですかあ?」
「しゃけすき。ヨシュアはさけのひとー」
「もうっ、まだ寝ぼけてますね、カズン様ったら!」
寝ぼけてないもん……とどこか幼い口調で言い返しているが、どこからどう見ても寝ぼけている。
「何とまあ、可愛らしいことよ」
くつくつユーグレンが笑っていると、ヨシュアにのし掛かられながらも、カズンが朝食メニューをピックアップしている。
寝ぼけながらも食いしん坊は健在のようだ。
「そのラインナップには、やはり味噌汁が欲しい……味噌……うわぁっ!?」
ヨシュアの更に上からユーグレンもダイブした。
「お、重……っ」
「味噌というのは豆を発酵させた塩辛い調味料だったか。同じものかはわからないが、この避暑地のある集落に似たようなものがあるそうだぞ」
「何だと!?」
カッと黒い眼を見開いて、上に乗った重石二体分を一気に跳ね除ける。
眠気もついでに吹き飛んだ。
「確かこの地は、酒の醸造が盛んだったと記憶している。その一環で、きれいな空気と水のある地ならではの発酵食品があるんだ」
王太子教育として、ユーグレンは国内の小さな集落でも場所や名前、特徴や名産物などを把握している。
ということは、間違いない。
「とりあえず朝飯だ。その後は味噌探しに出かけるぞ!」
「「おー!」」
そうして、避暑地での一日がまた始まるのだった。
そして味噌が見つかるまでに数日を費やした。
集落は小規模とはいえ山間部にあるため、全体を回るまでは少し時間がかかった。
無事に小さな樽ひとつ分をゲットした日の昼食には、念願の味噌汁を作ることができた。
生憎、出し汁のもとになる鰹節や昆布などはなかったから、近隣で採れる山菜や茸などを上手く活用してみてのこと。
「これが……カズン様の魂の故郷の味……」
ヨシュアが感慨深そうに味噌汁をスプーンですくって飲んでいる。
残念ながら味噌汁椀はないので、スープを飲むような食べ方になってしまっているが。
予想していたような豆の味はさほどしない。
むしろ、複雑に旨味が組み合わさった妙味がある。
「わりと美味い。塩気が濃いのも夏に合う味だ」
ユーグレンも苦手な味ではなかったようで、興味深げに味わっていた。
「これで味噌ラーメンが作れる。別荘にいる間に色々試してみねば」
「あ、オレもこの調味料で試してみたいものがあります」
「味見係は多いんだ、沢山試してみよう」
そう、リゾート地で養生するカズンの邪魔をしないよう姿が見えないところに控えているが、カズンたち三人それぞれ家人や護衛を連れてきている。
賄いを兼ねて味見を頼めば喜んで食してくれることだろう。
実際、今回の味噌汁もカズンたちが食べる以外に大鍋にも作って護衛たちに提供している。
午後になると毎日、集落の村長の家の老夫婦が朝採れの野菜や果物などを持ってきてくれた。
先代の村長夫妻だ。今日は夏が旬のとうもろこしを蒸してくれた。
縁側に腰を下ろし、籠に山盛りになった蒸しとうもろこしにかぶりつきながら、老夫婦の昔話を聞いていた。
カズンが聞きたがったのは、父の昔の話だ。老夫婦が言うには、少年時代、まだ王子だった頃のヴァシレウスは年に数回、お忍びでやって来ては村長宅に泊まって温泉を堪能していたようだ。
その頃、今は老いたこの老夫婦もまだ幼い子供で、もちろん結婚などしていない。
それでも幼馴染み同士だったから、夫人は村の子供だと紹介してもらい、ヴァシレウスの膝の上に乗せられ遊んでもらったこともあるらしい。
「本当に格好よくってねえ。村の娘っこたち皆、目を潤ませて見つめてたもんですよ」
国王に即位してからは多忙から足が遠のいていたが、それでも数年に一度は訪れていたようだ。
そしてカズンが生まれる数年前に大病をして、王都に一番近いリゾート地でもあることから保養施設を兼ねた別荘を建てて湯治場として使うようになり現在に至る。
「お父様が若い頃かあ……」
「王宮に即位される前の肖像画があるが、あれは……すごかったよな……」
王都の王宮には代々のアケロニア王族の肖像画が飾られた大広間がある。
先々王の家族の肖像画とは別に、ヴァシレウス単体の肖像画はいくつかある。そのうち、即位前の少年時代のものは、確かにすごかった。
まず、椅子に座って無造作に足を組み、アケロニア王族の貴色である黒の軍服をまとって、頬に手を当てて小首を傾げつつも無表情で、低い位置を見下ろしている姿勢のものが、ひとつ。
二つ目は、同じ椅子に座ったままの別ポーズで、左側やや上に目線を向けて傲岸不遜な笑みを浮かべているもの。
どちらもそれを見た令嬢たちを腰砕けにさせた逸品である。即ち、『見下されたい』『その流し目の先にいたい』と。
どちらも溢れんばかりの覇者のオーラと色気に満ち満ちていた。
今のヴァシレウスは晩年ということもあり、快活で大らかな印象を与える人物で現在は唯一の伴侶セシリア一筋だ。
しかし中年期までは数多くの浮名を流したことで知られている。
それでもいまだに多くの婦女子たちから熱い眼差しを送られているのだから、さすがという他ない。
「確かこんなポーズだったよな」
縁側に腰掛けたまま足を組んで、頬杖をついてみるユーグレン。
「あれま、王子様もなかなかの男っぷりですね!」
老夫人には大いに受けた。
「おまえが王太子になったときの絵姿、同じポーズで描いてもらったらどうだ?」
「やめてくれ、比べられたらきつい!」
口さがない者は、ユーグレンを“ヴァシレウス大王の劣化版”と呼ぶ。
ユーグレンが偉大な曾祖父とよく似た顔立ちでありながら、彼ほど強い個性を持たないことを揶揄して。
それをいえばカズンも同じなのだが、カズンの場合はヴァシレウスの実子であり、溺愛されていることが知られているから案外当たりはきつくない。
ただし、ユーグレン王子派閥にとっては面白くない状態だろう。
王都では、カズンが幼馴染みのヨシュアとともにユーグレン麾下に入ったことが知られ始めている。
夏休みの間は社交パーティーの類は少ないからまだ騒ぎになっていないが、王都に戻ったらそれなりにうるさくなるかもしれなかった。
その日の夕食は、あらかじめ村長宅から派遣されてくる料理人のオヤジさんに頼んで、炊いた米を三角形や円盤形に握ってもらっていた。
今回は作りたいものがあったので、カズンは庭に炭火や鉄板焼きの準備を整えてもらっていた。
これなら、護衛や使用人たちも交えて料理の感想を聞いたり、料理を食べているときの反応を直接確認できる。
あまり、王族や貴族と使用人が馴れ合うことはアケロニア王国でも好ましくないとされている。
だが、カズンが調理スキルを持っていて、アルトレイ女大公家の名物料理を模索中であることは皆了解している。
外部の人目がないところでは、わりと和気藹々とした交流をしていた。
夕飯は庭で調理したいと朝のうちに管理人に伝えてあった。
夕方になると、庭では別荘の管理人主導で、虫除けの防虫香や、魔石のランプなどを配置し始めた。
いつものように建物内の食堂で食事すればそのような手間をかけさせずに済んだのだが、カズンはどうしても庭で焼き物を作りたかったのだ。
厨房でヨシュアと簡単に食材の下拵えを行った。
「豚肉をタレに漬けて焼くんですね。付け合わせはどうしましょうか」
「キャベツの千切りが合うが……野菜カクテルを沢山用意してもらっているから、各自好きに取ってもらおう」
昼間食べたとうもろこしや、夏が旬の胡瓜、トマト、色鮮やかで紫色の美しい紫大根やラディッシュなどをスティック状にカットして様々なドレッシングで食す野菜カクテルは、この別荘に来てから毎食出ている。
各自、ガラスのグラスに好きなだけ取って、別添えのドレッシングで食す。
ドレッシングがまた、濃厚なものからあっさりしたものまで多様で美味い。カズンのお気に入りはチーズ風味のものと、レモンをきかせたマヨネーズベースのものだ。
ヨシュアとユーグレンは燻製ナッツを使ったクリーミーで濃厚タイプのものを気に入ったようである。
それぞれ、王都に戻るとき瓶詰めにして持ち帰ろうと思っている。
豚肉は、厚めにスライスしたものを、玉ねぎと生姜のすりおろしに多少のニンニクを加え、醤油とみりんに似た甘い調味料で味付けしたタレに漬け込んである。
これは、この別荘のある集落で伝統的に食べられている料理だという。昼間、前村長夫婦がタレを分けてくれたのでありがたく使わせてもらうことにする。
カズンが前世で食べていた生姜焼きとほぼ同じだ。ということは間違いない味だろう。
汁物はヨシュアが任せて欲しいと言うので任せ、カズンは本命に取り掛かることにした。
大量の白い握り飯は大きなザルにのせて、風通しの良い日陰で表面を少し乾燥させておいてある。
これから作るのは、カズンが前世で好物だった焼きおにぎりだ。今回は醤油と味噌、二種類を作る。
醤油も味噌も、この集落で生産されているものだ。
醤油は王都にも出荷されていたが、味噌は国外に輸出するのが大半のため国内に流通していないということだったらしい。
カズンは定期的に王都の実家へ味噌を卸してもらう約束を取り付けた。
もし味噌を使う料理が王都でも受け入れられそうなら、販路開拓を積極的に請け負うつもりでいる。
「炭火で焼きおにぎりとは、何と贅沢なことか……ふふ、ふははは……!」
炭に細かい枯れ木を使って着火しながら、カズンのテンションは上がりっぱなしである。
上がった火がカズンの黒縁眼鏡のレンズを赤く染め上げている。
「野営飯みたいなものか? 随分楽しそうだな」
調理スキルなど持ってないユーグレンは、カズンの反対側から火かき棒を持って炭火の調整をしてやっている。
カズンは大型の長方形の角形七輪的なものに炭を突っ込み、金網を乗せて握り飯を焼いていく。
軽く焦げ目が付いたらトングで手早く引っ繰り返して、裏面も焼いていく。
両面に焦げ目が付いたら、まず三角形に握ったほうにはハケで醤油を塗っては引っ繰り返す。
円盤形に握ったほうには、ヘラで片面だけに味噌をうすーく塗り付け、味噌にも軽い焦げ目が付くまで焼いた。
「できた!」
「ヨシュアがまだ厨房から戻ってきてないぞ?」
「待てない。焼き立てだぞ? 味見しよう!」
取り皿を持ってくる前に、まずはと醤油味の方をユーグレンと半分こすることにした。
カリッと炭火で焼いて焦げ目の付いた焼きおにぎりを割ると、ふわっと湯気と醤油の香りがする。
正直、焼きながら堪らなかった。
「熱ッ、……お、美味いな」
香ばしい表面は、どこかスナック風の食感だった。
そして口の中でほろりと崩れていく米の旨味と甘さ、醤油の香り。
米はアケロニアでも主食のひとつだが、普段はピラフやリゾットにしたり、料理の付け合わせに添えるぐらいで、こうして握って食べることはない。
(焼いて調味料を塗るだけで、こうも口当たりの良い料理になるのか。面白い)
「うま……」
カズンはといえば、何やら恍惚の表情で呟いている。
「米は正義。焼きおにぎりは至高……」
「お前は贅沢しないところが良いな。カズン」
王弟で偉大なるヴァシレウス大王の嫡男なら、どのような贅沢も許される身というのに。
米を握って焼いただけのもので、これほど幸せになれる素朴さがユーグレンには好ましく感じられた。
「ほら、付いてるぞ」
「あ、すまん」
口元の米粒を指先で取ってやり、そのままユーグレンは口に含んだ。
嬉しそうに残りの焼きおにぎりを口に運んでいる姿が、何とも微笑ましい。
「カズン、もう一口」
くれないか、とカズンに身を寄せて口を開けたところで、背後から物騒な魔力が漂ってきた。
「殿下? 少しカズン様と距離が近すぎるのでは?」
「もし、ユーグレン殿下? オレのいないところで何して下さってるので?」
地獄の底から響くような低い声で問いかけられ、思わずビクッとユーグレンは身を震わせた。
振り向くとヨシュアが蓋付きの両手鍋を持って、こちらを睨んでいる。
足音荒く庭へ降りてきてサンダルをつっかけ、こちらも炭火を熾してある野営用の簡易かまどに両手鍋を置いた。
「先に味見させて貰っていたのだ」
「まだ食べるのは料理だけにして下さいね?」
「……ああ。わかっているよ」
(ちょっと「あーん」と食べさせて貰おうと思っただけなのだが。し、嫉妬されてしまったのだろうか!?)
これまで、自分こそがヨシュアの幼馴染みのカズンに嫉妬し続けていた立場だったというのに、立ち位置がすっかり変わってしまっている。
しかしユーグレンのヨシュア愛はこの程度では揺らぎもしなかった。
これまで知ることのできなかったヨシュアの新たな面を発見した喜びがある。
「ヨシュア! 焼きおにぎりが美味いぞ! すごく!」
そんな二人の水面下のやりとりなど気づきもしないカズンは、眼鏡越しの黒い瞳をキラキラと輝かせて、焼きたての醤油焼きおにぎりをヨシュアに差し出している。
「ん、……本当だ。なかなかのものですね」
「だろう!?」
(おおい、二人とも! そっちこそ「あーん」はずるい! あーんは!)
当たり前のようにヨシュアはカズンの手から焼きおにぎりを食べて、カズンも一個丸々ヨシュアが食べ切るまで手を出していた。
数粒指先に残った米粒まで、ヨシュアの唇が挟んですべて食い尽くしている。
「ヨシュア……君こそ狡くないか?」
「何がです? オレはカズン様に食べさせて貰っただけですが?」
「むう……」
陽が暮れて魔石ランプの灯る庭先で、ユーグレンとヨシュアは睨み合った。
と思ったら、そんな二人の間の微妙な空気を読まないカズンが次々焼きおにぎりを焼いて皿に取り分け、差し出してくる。
炭火の火力は強いから焼けるまではあっという間だ。
「今度は味噌味のほうだぞ!」
食べて? 食べて? と期待に満ちた目で見つめられて、ユーグレンとヨシュアはひとまず休戦することにした。
皿ごと受け取って、円盤形の焼きおにぎりを手に取る。
全体に醤油が染みていた先ほどのものと違い、こちらは片面だけに味噌が塗られている。
「「「いただきます」」」
三人、タイミングを合わせて齧りついた。
そして反応が分かれた。
「味噌焼きおにぎりも、うまあ……」
作り手のカズンは至福再びで、幸福感で全身を満たしていた。
「うーむ、さすがに味噌を直接塗った奴はしょっぱいな。私は醤油味のほうが好みだ」
「味噌味自体は大丈夫か?」
「ああ。味はわりと好きなやつだ」
そもそも味噌自体を今回初めて食すユーグレンにとっては、塩気が強すぎたらしい。
「そうか、なら味噌にもみりんや他の調味料を足したほうがいいか」
この集落にはハーブの紫蘇などもある。味噌に混ぜ込んでもいいかもしれない。
そしてヨシュアはといえば。
「ふむ……」
何か心の琴線に触れるものがあったようで、少しずつ口に含んでは味を確認しつつ、考え込んでいる。
そして一個分を食べ終えると、小さく頷いて簡易かまどの火にかけていた両手鍋の元へ向かい鍋の蓋を開ける。
むあっと庭に鍋の蒸気とともに魚の匂いが広がった。
「ヨシュア、それは?」
魚の匂いというか、少々生臭い。
「うちの領地の特産品、鮭の中骨の缶詰を煮ています。王都のタウンハウスに持っていって家の者たちと食べるつもりだったのですが、味噌仕立てのスープなら合うかなと思って」
リースト伯爵領には海はないが川はある。毎年、鮭が産卵のため川を昇ってくるところを漁獲するのは領主一族から領民たちまで関わる一大イベントだ。
味が大変良いのでリースト伯爵領の鮭は人気があり、輸出食材としても国内では重要な位置を占めていた。
が、しかし。
「缶詰の鮭はこの生臭いのがな……」
カズンが渋い顔をしている。
鮭は好きだが、この中骨、胴体を背骨ごとぶつ切りにして圧力鍋で柔らかく加工したものは、いまいち好きになれなかった。ヨシュアには悪いのだが。
鮭自体が脂の多い魚で旨味の素でもあるのだが、加熱して加工するとその脂にどうしても多少の生臭みが出てしまう。
焼いたり燻製にしたりしたものは好きでも、中骨缶詰めは苦手だという者がわりと多い。
「まあ、どうしても駄目なら捨てても良いので、試すだけお願いします。ね?」
「もちろん、そこまで言うなら私はいただこう」
「えええ。ユーグレン、チャレンジャーだなおまえ……」
そうだった、この男はヨシュアが食うなら虫でも何でも食せる自信のある奴だった。
「具は中骨だけか?」
「じゃがいもと、臭み消しにリーキ(ネギ)を入れました。あ、カズン様、味噌下さい」
求められるまま容器ごと味噌を渡す。
ヨシュアはそれをテーブルスプーンで無造作にすくっては鍋に放り込んでいた。
「分量はわかるか?」
「ええ、大雑把ですけど。塩分濃度2パーセント少々に調整すればいいはず」
調理スキル持ちは初級でも、適切な調味料の配合比率を弾き出せるので便利だ。
味噌を投入した後は、木製のお玉で具を崩さないよう溶かしていく。
そして粗方溶かし終わった辺りで、鍋から漂う匂いが変わった。
「お?」
魚の生臭さに味噌の香りが加わって、今度は食欲をそそる匂いになった。
味噌汁用の木の椀に、乱切りのじゃがいもと斜め切りのネギ、そして鮭の中骨を皮ごと一欠片。
木のさじと一緒に、他の二人へ椀を差し出した。
「どうぞ。無理はしなくていいですからね」
そう言って自分も椀を持ちながらも、緊張した面持ちでカズンとユーグレンを見つめてくる。
「いや、これならもう……」
熱々に、ふーふー息を吹きかけて少し冷ましてから、一口汁を啜る。
最初に来たのはネギの香味だ。少し遅れて鮭の風味。確かに少し魚臭いが、味噌と合わさったことでそれが旨味に上手く変換されている。
「保存食のまま食うよりいけるな、ヨシュア。これは領地で広めてもいいんじゃないか?」
「やはりそう思われますか、カズン様! 最初に味噌汁を飲んだとき、鮭と合うなと思ったんです」
中骨も柔らかく加工されていて、かしゅっと歯で噛み締めるとすぐ崩れていく食感が楽しい。
「缶詰でこれだけの味が出るなら、鮭の旬にはもっと美味いだろうな」
「ですよね、殿下!」
先ほどまでカズン相手に抜け駆けするなと圧を飛ばしていたとは思えぬほど、朗らかにヨシュアが笑う。
(あああ。そんな変わり身の早いところも君らしい。好きだヨシュア……)
もうすっかりユーグレンの信仰は末期状態だった。
(この笑顔を見るためなら、私はきっとどんなことでもするだろう)
主菜の生姜焼きも食し、箸休めに野菜カクテルを齧っていた頃。
序盤のうちにカズンが作った焼きおにぎりを見て、なるほどと一つ頷いて厨房に戻っていた壮年の料理人のオヤジさんが庭へ戻ってきた。
手に持った大皿の上には、三角の握り飯が山と積み上げられている。
「坊ちゃんたち育ち盛りだから、こういうのも好きかなって思って」
まだ炭火の残っていた長方形の七輪、金網の上に次々と握り飯を乗せていく。
「あっ。これは……」
ずっと庭に漂っていた醤油の匂いに新たに混ざるこれは。
「醤油バター……だと……」
「え。その組み合わせってアリなんですか?」
これまでカズンの数々の調理実験に付き合ってきたヨシュアも、まだ試したことのない組み合わせだった。
カズンが良い顔をしているから不味くはないだろうが。
「間違いない……間違いない組み合わせだ……」
黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、カズンが力強く保証した。
まずはと、料理人から渡された焼きおにぎりを王族二人がいただく。
三角形の頂点からかぶりつくカズン、慎重に一度割ってから口に運ぶユーグレン。同じ王族でも食べ方に性格が表れている。
「おおお……」
「鮭か。バターと醤油と鮭。すごく美味い」
え、とヨシュアが驚いて自分もひとつ受け取る。
熱々を齧って、中から出てきたものに銀の花咲く湖面の水色の目を見開いた。
「うちの塩鮭使ってくれたのですか! ありがとうございます」
醤油とバターを混ぜた米飯の中に、粗くほぐした鮭の身が入っている。ヨシュアが自分の領地から持ち込んでいたものだ。
料理人の仕事なので、しっかり皮や骨も取り除き済みである。
醤油も味噌ほどではないが、複雑な旨味を持つとはいっても、なかなか塩辛い調味料だ。
そこに加わる、バターのまろやかさ。オイリーに感じるほどではない絶妙な量が混ぜ込まれている。
多分、これはそれだけでも美味い代物だ。なのに更に炭火で表面をこんがり焼いて醤油を塗っている。
更に更に、格別味の良いリースト伯爵領産の塩鮭が加わるとどうなるか。
「これは……止まりませんね。いくらでも食べれてしまいます」
「結構、腹も膨れてきてるのにな」
既に醤油と味噌の焼きおにぎりを数個食べた後なのに、更に一個、二個とつい手が伸びてしまう。
「間違いない組み合わせに、間違いない食材が追加されてパーフェクト化したな……」
うまああ……と呟きながら、またカズンが至福の世界に入り込んでいる。
「これは作る。家に帰っても絶対また作る。お母様もお父様も絶対好きなやつだ」
何やら決意を固めているようである。
なお、ヨシュアは料理人のオヤジさんに、自分の領地で作って広めても良いかを確認していた。何てことのない単純な料理だからもちろんどうぞ、と快諾してもらえたようだ。
そうして大満足のうちに夕食を終えた。
カズンはその晩は寝るまでずっと機嫌が良かったし、そんなカズンを見てヨシュアもニコニコと始終笑顔だった。
ヨシュアが笑っていると、それだけでユーグレンも嬉しい。
(この関係の上手い回し方が、わかってきた気がするな)
食べ過ぎた翌朝は、昨晩の残りの焼きおにぎりを焼き直して、料理人のオヤジさんが熱い煎茶でお茶漬けを作ってくれた。
こちらは醤油味の焼きおにぎりに、梅の実の塩漬けと、三つ葉に似たハーブが乗せられ、風味も充分だ。
「この世界で梅干しが食えるだなんて!」
カズンはしきりに感激していたが、ヨシュアとユーグレンは知らずに赤い実を口に含んでひどい目に遭った。
「何だこれは、毒か!?」
「い、いえ、違うようです、ユーグレン殿下。物品鑑定では、塩漬けにした果実と出ています。ただし、注意書きには『ものすごく酸っぱい』と……」
大慌ての二人にカズンが呆れている。
「一気に口に含む奴があるか。梅干しは少しずつ食すんだ」
「それを早く言え!」
朝から別荘の食堂は賑やかだった。
そして今朝も焼きおにぎりを食すことができて、カズンの端正な顔が綻んでいる。
「お茶で食べる焼きおにぎりもまた善きかな……」
「か、カズン様、この酸っぱいやつ、食べられるのですか……?」
ヨシュアが慄いている。
大抵のことならカズンの言動を全肯定の彼でも、梅干しは許容できなかったようだ。
「この集落は多分、僕が前世でいた国の文化を持った異世界転生者がいたのだと思う」
「ん?」
ふとカズンがそんなことを言い出した。
「米、醤油、味噌、昨晩食べた生姜焼き、醤油バターの味付け、そしてこの梅干しやお茶漬け。僕の前世だった“日本”という国に特有の食文化だ」
「では、集落の人々はカズン様と同じ魂のルーツを持っているということですか?」
「多分な。村の人たちにそれとなく聞いてみたんだが、味噌や醤油その他、この集落で作り始めたのはここ百年ほどだそうだ。その頃、多分僕と同じような異世界からの転生者がここに来て、異世界の食文化を再現しようとしたのだと思う」
詳しく調査すればもっと詳しいことが判明するだろうが、そこまではカズンも望まなかった。
「僕が生きているのは異世界の日本ではなく、このアケロニア王国だろう? 前世の記憶があるからといって、別に前の人生の続きをやりたいわけじゃないんだ」
「そうか……」
ユーグレンは、カズンの隣の席に座っていたヨシュアと視線を交わし合った。
自分も彼も、カズンの前世の話については、とても心配していたのだ。
だがこの様子ならもう過去のことは吹っ切れたのかもしれない。
学園からの夏休みの宿題も粗方片付いた。
既に夏休みは七月の下旬に入っている。
この頃にはカズンの不調もほとんど解消していて、午前や午後の夕方頃、涼しくなる時間帯には別荘の庭に出て積極的に剣術や体術の訓練をして身体を動かしていた。
今日も朝食の後、一休みしてから動きやすく汗の乾きやすい麻の半袖短パンに着替えて三人で庭へ降りてきた。
やはり三人の中では、魔法剣士のヨシュアが剣術も体術も頭抜けている。
ところが身体も温まり気温も上がってきて汗が流れるようになった頃。
そんなヨシュアが、組み手をしていたときバランスを崩して転び、膝を抱えてしまった。
「痛ぅ……っ」
「ヨシュア!?」
転んで傷めたというより、まだ続いていた成長痛らしい。
「さ、最近は膝が軋んで痛くて……」
「まだ成長痛出ていたのか?」
確か夏休み前の時点でも痛がっていた記憶がある。
「言われてみれば、今年の初め頃より伸びているな……かなり」
「えっ、オレのことそこまで把握してらっしゃるのですか?」
「私はリースト伯爵ヨシュア・ファンクラブの会長だぞ? 私のヨシュアマニアっぷりを舐めないでほしい!」
「はあ、そうなのですか」
ものすごくどうでもいいような、ぞんざいな反応をされてしまった。
何だかヨシュアがカズンに似てきた。
少し悲しい。
「そ、それはともかくだな、痛みが出ているなら何か薬を塗るとか、マッサージするとかしてはどうだ?」
庭に座り込んでいるヨシュアの、短パンからすらりと伸びる脚と膝に付いていた土を払ってやる。
「試してみたのですが、成長痛は怪我ではないので、あまり効き目がなくて。こちらに来て温泉に浸かったら少しはマシでした」
ならば温泉である。
ここは保養地、湯治場でもあるのだ。
ちょうど今から入浴して出てくれば、昼食の時間になる。汗を流すには良い頃合いだ。
だが、この別荘地に来てからというもの、ユーグレンが遠慮して、カズンとヨシュアとは別々に入浴していた。
(推しだというなら、一緒に温泉に入ればいいのに)
とカズンは思ったし、実際ユーグレンにも言ったのだが「お前は何もわかってない!」と怒られてしまった。解せぬ。
まずは関節が痛いヨシュアを連れて、カズンが温泉へ。その間、ユーグレンは自室で王都から届く手紙や書類に目を通しておくことにした。
そしてカズンたちが温泉から上がった後、連絡を受けて交代で湯船に浸かるユーグレンの隣には、護衛兼側近が気持ちよさそうに伸びをしていた。
彼、ローレンツ・ウェイザーは王家の親戚ウェイザー公爵家の次男だが、本人も単独で騎士爵を持ったユーグレンのクラスメイトでもある。
濃いめの榛色の髪、黒に近いグレーの瞳、短く刈り上げた髪型の好青年だ。
年頃で何かと不安定なユーグレンとその周囲の中では、極めて安定した精神の持ち主である。
側近たちの中では穏やかにユーグレンのヨシュアへの想いを見守っていた人物だ。
「せっかく親しくおなりあそばされたのですから、一緒にお入りになればよろしいじゃありませんか、殿下」
「無理だ……何かもう、また鼻血が出そうで」
「……拗らせてますねえ」
推しと一緒に入浴なんて、死んでしまう。
「それでよく三人一緒に毎晩、同じ部屋で寝てられますね?」
「……これも修行だと思って耐えている」
「何の修行ですか、なんの」
カズンを間に挟んで、布団を並べて三人で寝ているのだが、いろいろギリギリなユーグレンだった。
「あとカズンは寝相が悪いから、気づくと蹴飛ばされてたり腕が飛んできたりだ。まさかの物理……そういう迫り方は遠慮したいものだが」
「笑笑笑」
寝室ではカズンを真ん中にして、部屋の奥側にユーグレン、手前の入り口側にヨシュアが布団を敷いて休んでいる。
なぜか奥側のユーグレンに向かって夜中、カズンがたびたび転がってくる。
あれでよく普段、自宅のベッドから落ちないものだと思う。
反対側のヨシュアのほうにも転がっているようだが、そこはさすがというべきか寝ぼけたカズンに殴られたり蹴られたりする前に抱え込んで身動きを封じていた。夢うつつながら。
身体を動かすだけでなく、夜にはストレッチやマッサージなども三人で行っていた。
王都でならそれぞれの自宅や王宮で侍従にやらせるものだが、学園生の彼らは武術の授業でクールダウン方法と一緒に習っているため、一通り自分でもできるようになっている。
「家にいたとき、うちのお母様がお父様にして差し上げてたのだが」
言ってカズンがユーグレンを安楽椅子に座らせて、自分はその前に跪いて、裸足のままの片足、左足を掴んだ。
で、足裏を親指の先で押した。力いっぱい。
「い……っ!?」
「お母様の出身、タイアド王国は家族同士で手や足を揉んでやる習慣があるんだそうだ。スキンシップにもなるし、健康状態もわかる」
「ああ、そういえば昔からセシリア様、やってましたねえ。よくカズン様のお手々をにぎにぎされてました」
どれどれ、とヨシュアも自分のストレッチを切り上げて、ユーグレンの足元に跪き、カズンの反対側、右足を掴む。
「ま、待ってくれ、まさか二人がかりでやる気か!?」
ユーグレンが悲鳴のような声を上げて逃げ出そうとしたが、足を二人に掴まれて動けなかった。
「どうやるんです?」
「足の指から踵、足首、だいたい膝の上あたりまで満遍なく押して揉んでさすってだ。特に足裏は念入りに……こう」
「うおっ」
「こう……ですか?」
「ひぃっ!?」
「そうそう。みかんを押し潰すような感覚で……」
「みかん……ぐじゅっと潰れるようなイメージでしょうか……こう?」
「や、やめろぉっ!」
淡々とやり方を説明するカズン。
ふむふむと頷いてすぐ実践のヨシュア。
絶叫混じりに喘ぐユーグレン。
「お、お二人ともその辺で! ユーグレン殿下がお泣きあそばされております!」
「「え?」」
部屋の隅に控えていたユーグレンの護衛ローレンツの声に、安楽椅子の上のユーグレンを見上げると。
天を仰ぎ両手で顔を覆ってマジ泣きしていた。
「う……ううっ、カズン……ヨシュア……お前たち、そんなにも私が嫌いなら口で言えばいいのだ……こんなひどい、こと……せずとも……っ」
「えええっ、そんな、泣くほどのことはしてないぞ僕は?」
解せぬ、という顔のカズンにローレンツは補足を加えた。
「あのー、カズン様。足裏療法は強い痛みが出ることが多いと聞きますので、できればお手柔らかに」
「えっ!? ……あ、そうか。すまん、ユーグレン。ついお父様の足裏みたいに皮膚の硬い足を相手にするのと同じ感覚でやってた」
普段、革製の軍靴をはいて闊歩する健脚のヴァシレウスの足裏は硬い。すごく硬くて、セシリアも専用の指圧棒を使っていたぐらいだ。
「そんな取ってつけたような言い訳など聞きたくないぃ……っ」
「ユーグレン殿下……申し訳ありません、その……痛かったですね?」
宥めるように持っていたユーグレンの右足に口づけた。
ちゅ、とリップ音を立てて。
「!? ……そ、そんなことで私は誤魔化されないからな、ヨシュア!」
(機嫌直ったな)
(直りましたね)
(ははは、まあ男なんて単純なものです)
「だ、だがもういい、二人とも足を離せ!」
「えっ、まだこれからなんだぞ、ユーグレン?」
「こんな痛いこと続けられて堪るか! 私を揶揄うのもいい加減にしろ!」
「別に揶揄ってなどないが……」
困惑した様子のカズンに、またローレンツが助け舟を出した。
「あー、殿下、殿下? カズン様のお母上の母国タイアドの足揉みはですね、家族や本当に親しいものにしかなさらないものと聞きますよ?」
強引に足をカズンたちの手から引き抜こうとしたユーグレンの身体が、ぴたりと止まる。
「カズン様とヨシュア君の体勢をご覧になってください」
「む」
二人してユーグレンの足元に“跪いて”足を持っている。
「親しい者同士とはいえ、愛情がなければできない体勢でしょう?」
「た、確かに……」
言われなければ気づかなかったと、ユーグレンが愕然としている。
そしてその意味が脳内に浸透するに連れて、顔に血が集まってくるのがわかった。
「愛情があるから……足を揉んで……あのカズンが……」
いつもユーグレンをぞんざいに扱う、カズンが。そしてヨシュアが。
愛情を持って自分の足を。
「そ、そうか……すまない、変な誤解をしてしまったようだ」
もうこれで大丈夫だろうと、ローレンツは頭を下げてそのまま部屋を出ていった。部屋の外すぐで待機するのだろう。
後に残されたのは三人のみ。
「そんなに痛かったのか? これぐらいの力加減なら大丈夫か?」
「あっ、それはっ」
左足を左手で持ち、右手の四本指で甲を支え、親指で足裏を軽く押していく。
気持ちがいい。
「殿下、こちらはどうでしょう。痛くないですか?」
「な、なかなか良いな……!」
反対側の右足では、ヨシュアが足の指の股を指先で軽くつまんで刺激を与えている。
くすぐったいが、これもまた気持ちが良い。
それから5分ほど両足を揉まれまくった後で、攻守を交代することにした。
「愛情ある行為。良い。……だがそれはそれ、だ!」
「ひ……ッ、ああああーっ!!!」
普段、わりと温厚なはずのユーグレンは恨みを忘れていなかった。
自分がされたのと同じくらいの力加減で、交代で椅子に座ったカズンの左の足裏を思いっきり親指で押した。
「やっ、やだっ、やめて、ユーグレンお願いだから!」
「お前さっき同じこと言った私にやめてくれなかっただろ」
「だってこんなに痛いとおもわなかったんだあっ!」
「………………」
また右足担当のヨシュアは、黙々とカズンの足裏を揉んでいた。
(こ、この流れはもしや、オレもされてしまうんだろうか……)
内心冷や汗を流しながら、途中で飲み物を持ってくるとか何とか言って逃げ出そうと算段していたのだが。
案の定、すぐ交代させられ、良い笑顔のユーグレンに力いっぱい足裏を押され、絶叫することになるヨシュアなのだった。
「あー、その、殿下たち? あまり激しい行為は謹んでいただけると」
翌日、わかってる癖にユーグレンの護衛ローレンツにそんなことを言われてしまった三人だった。