結局、ユーグレンはその日のうちに強引に、馬車を使う時間も惜しいと言って、自分の馬でカズンたちが滞在する避暑地へ向かってしまった。
護衛兼側近のローレンツ一人だけを連れて。
「愚息の放り出した仕事は誰がやるんだ?」
「仕方がないので、私が致しましょう」
王太女の執務室に移動して、グレイシアとクロレオ夫妻は今朝の朝刊を見直していた。
「まあ、愚息がいないなら、それはそれで幸いか。あやつがこの件に対処したら火に油を注ぎかねんからな」
ヴァシレウスたちが避暑地から戻る一日前、あるひとりの恐怖の男が王都入りしている。
名をリースト子爵ルシウスという。
リースト伯爵を襲名したばかりのヨシュアの、父方の叔父である。
7月に入ってすぐ、リースト伯爵家で先代リースト伯爵カイルが後添えの後妻に毒殺された事件の詳細が、国内の主要新聞で公表された。
後妻は連れ子とともに伯爵家の簒奪を目論み、後継者のリースト伯爵令息だったヨシュアを監禁し、こちらも毒殺を企んでいた。
幸い、子息は学友の王弟の介入で救出され、現在は無事回復し、父の跡を継いで新たなリースト伯爵となった。
罪人の後妻と連れ子は、有罪が確定し既に極刑が執行されている。
アケロニア王国では、貴族家や爵位の簒奪は重罪中の重罪である。しかも内容によっては、主犯の家族や一族まで連座で飛び火する。
この事件を知った貴族たちの反応は、世代によって見事に分かれた。
醜聞に眉をひそめた大半の世代は、概ね新たなリースト伯爵に同情的だった。
そして、恐怖に震えた年代は三十代と四十代に集中している。まだ三十代前半のリースト子爵ルシウスと直接関わることの多かった世代だ。
王宮の中だけでも、グレイシアが聞いた声にはこのようなものがあった。
「リースト伯爵家にお家乗っ取りを仕掛けるとか、後妻たちには自殺願望でもあったのか?」
「仕掛ける前から詰んでるし」
「頭おかしい。正気なら絶対できない」
「だって、あの家には……」
「あの魔王がいる家に喧嘩吹っかけるとかありえない」
そして今朝、国内の主要新聞の朝刊の一面に、亡くなった先代リースト伯爵の弟の名義でこのような一文が掲載された。
『我、リースト子爵ルシウスの名において、此度のリースト伯爵家簒奪事件の首謀者とその関係者たちへの報復を宣言する』
「……奴はこのアケロニア王国にまた伝説を一つ作ったか」
とは、朝一で朝刊を眺めたときの、王太女グレイシアの言であった。
この朝刊が発行された本日から、どれだけの期間、貴族たちは恐怖に震えることになるだろうか。
報復対象に該当する貴族だけでなく、その貴族と付き合いのある家や人々にとっても眠れぬ日々が続くことだろう。
「この国から男爵家と子爵家が一つずつ消えますね」
前リースト伯爵の後妻の実家が男爵家で、元婚家が子爵家だ。
男爵家の方は既に取り潰しが決定されているが、子爵家は目溢しされていたはずだった。
「それで済むと思うか? クロレオ」
「他にも飛び火するようなら、私も動きますよ。グレイシア」
ルシウスはやると言ったら必ずやり遂げる男だ。
普通なら頓挫するような困難があっても、彼ができるといえばその通りになる。
今、アケロニア王国で最も力のある人物の一人と言われているが、決して誇張ではなかった。
そして彼は、グレイシア王太女の腹心の一人でもある。
「あいつ、何でもっと早く生まれてこなかったんだろうなぁ。あと十年早く生まれてくれてたら、絶対モノにしたのに」
「その場合、私はあなたに相手にもされなかったでしょうから、私としては幸いですね」
王太女夫妻とルシウスには十歳近い年齢差がある。
同年代なのはむしろ、ルシウスの亡き兄の先代リースト伯爵カイルの方だ。
カイルはグレイシアたちの後輩なのだ。
「しかし、最愛の兄を殺されて今日までよく堪えたというべきか」
十代の頃からリースト伯爵家の兄弟を知るグレイシアは、ルシウスが年の離れた兄カイルを深く慕っていることをよく知っていた。
カイルのほうは、自分より優秀な弟を厭う素振りを見せることが多かったようだが。
伯爵家の後継者で嫡男のヨシュアがまだ未成年の学生で、かつ当主の死が唐突だったからこそ、領地の混乱は酷かったと聞く。
自分の私的な思いより混乱の収拾にまず動いたのは、さすがであった。
「しばらく、王都は荒れそうだな……」
正確には、王都の貴族社会がであるが。
だがルシウスが来ると、新たな風が入る。
図抜けた眼力の持ち主でもある彼に助言を乞いたい案件は多かった。
護衛兼側近のローレンツ一人だけを連れて。
「愚息の放り出した仕事は誰がやるんだ?」
「仕方がないので、私が致しましょう」
王太女の執務室に移動して、グレイシアとクロレオ夫妻は今朝の朝刊を見直していた。
「まあ、愚息がいないなら、それはそれで幸いか。あやつがこの件に対処したら火に油を注ぎかねんからな」
ヴァシレウスたちが避暑地から戻る一日前、あるひとりの恐怖の男が王都入りしている。
名をリースト子爵ルシウスという。
リースト伯爵を襲名したばかりのヨシュアの、父方の叔父である。
7月に入ってすぐ、リースト伯爵家で先代リースト伯爵カイルが後添えの後妻に毒殺された事件の詳細が、国内の主要新聞で公表された。
後妻は連れ子とともに伯爵家の簒奪を目論み、後継者のリースト伯爵令息だったヨシュアを監禁し、こちらも毒殺を企んでいた。
幸い、子息は学友の王弟の介入で救出され、現在は無事回復し、父の跡を継いで新たなリースト伯爵となった。
罪人の後妻と連れ子は、有罪が確定し既に極刑が執行されている。
アケロニア王国では、貴族家や爵位の簒奪は重罪中の重罪である。しかも内容によっては、主犯の家族や一族まで連座で飛び火する。
この事件を知った貴族たちの反応は、世代によって見事に分かれた。
醜聞に眉をひそめた大半の世代は、概ね新たなリースト伯爵に同情的だった。
そして、恐怖に震えた年代は三十代と四十代に集中している。まだ三十代前半のリースト子爵ルシウスと直接関わることの多かった世代だ。
王宮の中だけでも、グレイシアが聞いた声にはこのようなものがあった。
「リースト伯爵家にお家乗っ取りを仕掛けるとか、後妻たちには自殺願望でもあったのか?」
「仕掛ける前から詰んでるし」
「頭おかしい。正気なら絶対できない」
「だって、あの家には……」
「あの魔王がいる家に喧嘩吹っかけるとかありえない」
そして今朝、国内の主要新聞の朝刊の一面に、亡くなった先代リースト伯爵の弟の名義でこのような一文が掲載された。
『我、リースト子爵ルシウスの名において、此度のリースト伯爵家簒奪事件の首謀者とその関係者たちへの報復を宣言する』
「……奴はこのアケロニア王国にまた伝説を一つ作ったか」
とは、朝一で朝刊を眺めたときの、王太女グレイシアの言であった。
この朝刊が発行された本日から、どれだけの期間、貴族たちは恐怖に震えることになるだろうか。
報復対象に該当する貴族だけでなく、その貴族と付き合いのある家や人々にとっても眠れぬ日々が続くことだろう。
「この国から男爵家と子爵家が一つずつ消えますね」
前リースト伯爵の後妻の実家が男爵家で、元婚家が子爵家だ。
男爵家の方は既に取り潰しが決定されているが、子爵家は目溢しされていたはずだった。
「それで済むと思うか? クロレオ」
「他にも飛び火するようなら、私も動きますよ。グレイシア」
ルシウスはやると言ったら必ずやり遂げる男だ。
普通なら頓挫するような困難があっても、彼ができるといえばその通りになる。
今、アケロニア王国で最も力のある人物の一人と言われているが、決して誇張ではなかった。
そして彼は、グレイシア王太女の腹心の一人でもある。
「あいつ、何でもっと早く生まれてこなかったんだろうなぁ。あと十年早く生まれてくれてたら、絶対モノにしたのに」
「その場合、私はあなたに相手にもされなかったでしょうから、私としては幸いですね」
王太女夫妻とルシウスには十歳近い年齢差がある。
同年代なのはむしろ、ルシウスの亡き兄の先代リースト伯爵カイルの方だ。
カイルはグレイシアたちの後輩なのだ。
「しかし、最愛の兄を殺されて今日までよく堪えたというべきか」
十代の頃からリースト伯爵家の兄弟を知るグレイシアは、ルシウスが年の離れた兄カイルを深く慕っていることをよく知っていた。
カイルのほうは、自分より優秀な弟を厭う素振りを見せることが多かったようだが。
伯爵家の後継者で嫡男のヨシュアがまだ未成年の学生で、かつ当主の死が唐突だったからこそ、領地の混乱は酷かったと聞く。
自分の私的な思いより混乱の収拾にまず動いたのは、さすがであった。
「しばらく、王都は荒れそうだな……」
正確には、王都の貴族社会がであるが。
だがルシウスが来ると、新たな風が入る。
図抜けた眼力の持ち主でもある彼に助言を乞いたい案件は多かった。