夕焼け空に下りはじめた夜の帳が紫色に怪しく染まる。

バルコニーでは、炭火の匂いが充満していて、子供心が刺激される。

1日目の大イベント。バーベキューの始まりだ。

見よう見まねで串に刺された肉や野菜、海鮮が食欲を刺激している。

業務用のタレを目一杯にぶっかけ、その串を頬ばるナルは声にならない声をあげている。

その様子からもまた食欲が刺激され、僕はよく焼けた串を1つ手に取ると、塩コショウをまぶして口に運んだ。

塩コショウだけのシンプルな味付けでも、肉の油の甘さが溶けるように口に広がり、脳までも一緒に溶けていきそうだ。

とてもジャンキーな味わいでも、野菜を挟むことにより飽きずに味わえる。これがバーベキューの醍醐味だ。

青い春と呼ぶに相応しいこの状況が、何よりものスパイスとなっているようで、柄にもなくクサイ台詞が浮かんできそうなそんな夜。

「ちょっとナル。なんで野菜も食べてるのよ。野菜も食べなさいよって怒られる以外で、あんたの役目はここにはないでしょ?」

「しまったー!俺のアイデンティティがああーーってんなアホな。俺割りと食事はバランスよく食ってるからな」

「つまらない男」

「何故に!? こんなご機嫌な奴他にいないだろうよ!」

場所は変われど、時間は流れど、相変わらず美琴の愛のあるナル虐は止まらない。

「あ!このお肉美味しく焼けましたよ!ほらあ-ん!」

「え、えっ?あーん」

ナルと美琴のやり取りに気を取られていた僕は、不意に差し出されたその七海の箸先に口を寄せていた。

「あらあら。見ましてよ奥様」

「あらほんとね。熱々だわ。やっと陽が落ちたというように、暑苦しくて仕方無いわね」

こういう時は息ぴったりな2人の井戸端会議のおかげで、僕が置かれている状況を理解する。

流れるままに行動してしまったが、これはアレだ。所謂、カップルの恒例行事として、漫画や小説で表現されているアレだ。

ただ実際この場に立たされても、物語の朴念仁主人公のように動転することはない。

ただただ気恥ずかしく。この時間が過ぎ去ってくれるのを祈っているだけ。

当事者の七海は満足げで、ナルと美琴はまだ井戸端会議を続けている。

唯一の大人である香坂先生は色気より食い気で、こういう場面で助け船を出してくれると一番信頼を置いている椿はというと、口に肉を運ぶ途中で手を止めて唖然としていた。

そんなこんなで終えたバーベキュー。片付けを終えて、まるで銭湯のようにな男女に別れた大きな湯船に浸かり、火照った体を夜風に当てるため砂浜を散歩しにきた僕は、1人夜空に浮かぶ星を見上げていた。

「綺麗なところだな~」

人工的なものが極力ないこの場所に広がる夜空は、プラネタリウムそのものだった。

「うわぁ綺麗だね」

夜空に見とれていた僕は、背後から近づく足音に気づかなかった。

ただゆとりのある心では、不意に声をかけられたとしても体をビクつかせることはなかった。

「椿も夜のお散歩?」

「うん。ここの風は特に気持ちいいからね」

そういうえばいつかもこうして海を目の前に話をした事があった。

まぁ、あの時はいい思い出とは言い難いが、あの出来事があったからこそ、僕らはより距離を縮める事が出来た。

「昔。こうして。2人で夜の海を眺めた事があったんだ」

波音に紛れてそんな呟くような声が耳に届く。

昔。2人。それが指すもの。それはきっとこれからも僕の知ることのできない2人の過去。

「ちょうど、あの事故の前日だったかな」

「うん」

僕はただ相槌を打つ事でしか、椿の心に寄り添う術がない。

「あの夜、実はね…………」

そこで椿は口を閉ざしてしまう。

急に訪れた沈黙の中でも、一定のリズムで波は押し引きを繰り返している。

「椿?その、無理に話そうとしなくていいんだよ?話すことで楽になる事もあれば、その逆も然りで、自分の中で閉じ込めておくことで、糧になることもあると思うし」

きっと椿から口にした話題なのだから、それ相応の勇気を出してくれようとしていたのだろう。

だからこそここは促すわけにもいかない。最後まで椿の意思に従うのみだ。

「うん。ありがとう。あのね。刹那くん。私、話があって」

そう言って、海に向けていた体と視線を僕の方へ向ける椿。

僕はそれにつられるようにして面と向かうように体を回す。

このシチュエーションのせいか、いつもより鼓動のテンポが速くなっていくのがわかる。

そんな息もしにくくなった僕をお構い無しに、椿は僕を見上げて喉をゴクリと鳴らす。

「あのね………。私、刹那くんのこと………」

椿の開けた一拍が永遠に感じるが、きっと時間にして数秒なのだろう。椿は続きを口にした。

「私はね。刹那くんの事が好き…………って思ってたの。いや、そのなんというか、好きなんだけど、これは純粋な恋愛感情じゃないの」

急な愛の告白と一瞬でも思った僕が馬鹿だったのか?でも、どうしてだろう?ホッとしている自分もいる。

「初めはね。刹那くんと再会して、大きな意味でも運命だと思ったの。それから潮騒部で一緒に過ごして、明確な好意というものも生まれていたのかもしれない。でも気づいたんだ。この感情は刹那くんに向けたものではないんだって」

椿の言葉。単語。ひとつひとつをイメージする。その度にやっぱりホッとする自分がいる。

「あの日。保健室で、刹那くん言ってくれたよね。私のみんなのヒーローにならせてくれって。あれね。前にも聞いた事があるんだ。私が小学生の頃にね、クラスの男の子に意地悪された時、そう言ってくれた人がいたんだ」

それを言った人物が誰なのかは想像に難くない。浅井晴也だろう。

「それからね、私はまるで晴也くんをなぞるかのよう刹那くんを見ていたんだと思う。刹那くんに晴也くんを重ねていたんだと思う。そしてそれを身勝手な愛として受け止めようとしていた。でもね。七海を見ていて思ったの」

「七海を?」

意図せずに、いきなり登場した新たな人物の名をおうむ返ししてしまう。

「私のこれは。あの子みたいな純粋な気持ちじゃないんだって。ここにいない人に向けた純粋な気持ち」

鈍感ではない僕でも気づいていた。七海の僕に対する気持ちを今答え合わせする。

そして同時に僕が椿、七海、潮騒部に向ける気持ちも。

そのどれもが同じ、償いや、友情という名の親愛。それ恋と呼ぶものに値しない。

それ故だろう。もし、この先七海や椿に気持ちを真っ直ぐに向けられたとして、僕はそれに答えることは少なくとも今はできない。

それを伝えるに事にも気が病んでしまいそうだ。だからこそ、告白ではないと知ってホッとしていたのだろう。

「ごめんね。急にこんな自分本位なことばかり言っちゃって」

「ううん。むしろそれでいいよ。誰だって自分本位でしかいきれない。もし、その逆を行くのなら、本物のヒーローだよ」

沈みかけた空気を掬い上げるための慰めだけど、やっぱり僕はそんなヒーローに憧れる。

「ふふっ。ならもう充分。刹那くんは私達のヒーローだね」

そう言って僕にくれた椿の笑顔は、月明かりに照らされて、幻想的に輝いていた。