「こんな場所あったんだね」

一息つくために見渡した景色に見惚れる。ここに越してきてから初めてみる光景だった。

「あれ?この場所初めてだったんですね」

「うん。もしかしたら子供の頃来ていたかもしれないけど、覚えていないから初めてって言ってもいいかな」

高校や商店街、少し栄えた駅前に、僕の家も含まれた民家。そしてその奥に漂う青。

生命を感じるそのコントラストに心がすっかり奪われてしまっていた。

「子供の頃はよく、ここにみんなで来ていたんです。今、登ってきて分かったかもしれませんが、そこそこ体力を使いますよね。子供の頃なら、今よりもっと辛かったはずなのに、飽きずにここに来ていました。不思議と疲れなんて感じていませんでした」

七海は目の前の絶景に過去の景色を溶かし込むようにして目を瞑る。

まるでそれに答えるかのようにして吹いた風が、僕らの体と隙間を拭っていく。

「先輩」

その風を心地よさそうに受け止めた七海が、僕の方に向き直ると真剣な眼差しで僕を見上げた。

「ありがとうございました」

次に七海はそう口にすると、綺麗なお辞儀を披露する。

「え?」

しかし、その七海の感謝の意が分からなかった。それは何に対しての礼なのか思い当たる節がなかった。

さっきの咄嗟の判断で連れ去った事についてかと一瞬考えたが、七海の真剣さがそれを否定したのだ。

「先輩は今さらだって言うかもしれません。でも、私にとっては今のままなんです。もっと早く言いたかった。こんなに時間がかかってしまって、すいません。先輩。あの時、あの海で、私を、椿ねぇを助けてくれて、本当にありがとうございました!」

七海は再び90度のお辞儀を僕に向けた。そしてその感謝の意を知って返す言葉が見つからなかった。

僕は自分の無力で救えなかった命の事ばかりで、救えた命もあったことなんて考えもしなかった。

それほど、浅井晴也の死のインパクトが僕を蝕んでいたのだろう。

でも現実、僕はその無力で椿と七海を救えたのだ。

海の深く底、凍える冷たさに飲まれた心が、ぽかぽかと熱を帯びるのを感じる。

何気なく見せる椿と七海の笑顔。それらを守る事ができたんだ。そう初めて自分を誇れるようなそんな気がした。

「こちらこそ。ありがとう」

突然の礼に同じように返す。今度は七海が数秒前までの僕のように面食らっている。

「なんで?なんで刹那先輩がお礼を言うんですか?」

「うん。なんと言うか。うまく言葉にできないから、訳がわからないかもしれないけど、ありがとう。生きていてくれてありがとう」

それはあの日の僕に意味があったという証明。それを目に見える形で証明してくれている七海への感謝。

「い、生きていてくれてありがとうって、そ、それってつ、つまり、、出会えた事の感謝とか、一緒に居れる事の感謝とか、それって、わ、私のこと…………」

七海は顔を真っ赤にしながら、ゴニョゴニョと聞こえない声で何かを呟いている。

「刹那先輩………」

七海はうつむき消え入りそうな声で僕の名を呼ぶ。

「ん?どうしたの?」

僕はそんな七海を壊れ物を扱うように優しく聞き返す。

「刹那先輩は。椿ねぇの事どう思っていますか?」

不意に投げ掛けられたその問の真意は、そこまで鈍感ではない僕ならわかる。

椿のことを女性として見ているのか、そういう意図だろう。

だから今思う椿への印象を素直に口にすることにする。

「恋愛感情は今のところは無いと言ってもいいかな。でも、これから気持ちが募らないとは限らない。とだけ言っておくね」

ハッキリとは好きという感情はない。でもこの朧気でも救いたいという気持ちが変化して、恋愛に結びつく可能性もゼロではない。

それは椿に対しても、七海に対しても、美琴に対しても、親愛という意味でナルに対しても同じことだ。

「そうでしたか。今のところはまだなんですね?」

「うん」

どうしてそんなことを聞いてきたのだろう。もしかしたら椿は僕のことを?もしかしたら七海が僕のことを?なんて邪な思考を巡らせてしまうのは思春期の性だろうか?

「でも………私じゃ………」

「ん?何か言った?」

今日は時折、聞こえないほどの小声で何かを呟く七海。

「いえ!何でもないですよ!ほら、折角来たんですから、もう少しだけ2人でにこの景色を堪能しましょうよ!!」

七海は木の柵に手をかけて、身を乗り出すようにして町を一望し始める。

僕は今にも飛び出して行きそうな七海の隣に立つと、同じようにミニチュアのような景色を見渡した。