それぞれが運ばれてきたドリンクを口に含む。

芳ばしい香りと、スッキリとした苦味が口一杯に広がり脳をリフレッシュしていくようだ。

「なんというか、雰囲気のいい店だよね。なんか憧れてたんだよね。こういう喫茶店の、常連になること」

僕は内装をぐるりと見回して、茶黒で統一された店内に心を落ち着かせる。

「だろ?初の常連おめでとう!!」

「まだ常連と呼ばれるには程遠いけどね」

「てか常連ってどこからが常連なん?俺は常連なん?」

「いや、特に決まりはないだろうけど………」

そんな他愛のない会話をすること20分。それぞれのテーブルに注文の商品が届く。

「いただきます」

僕と美琴が示し合わせたかのようにそう声を重ねた横で、いち早くナポリタンを頬張ったナルが至福の表情をしている。

僕はそれに続けと少し焦げたの芳ばしいパンの香りと、白と黄金の間の色をした食欲をそそるマーガリンの香りに誘われるようにしてパンに食らいつく。

サクッとした生地に、マーガリンのしょっぱさと油っぽさ、それを中和するかのように振りかかったグラニュー糖が口の中で一体になり、幸せ中枢に染み渡る。

「美味しい」

意図せずそんな声が漏れてしまうほど美味だ。

「だろだろ!!ここは本当に、何を食べてもうまいんだよ!」

何故だか得意気なナルは、がっついている割に口元は汚れていない。たまにそういった上品な所を見せるナルという人物像が不思議でならない。

「うまっ!」と一口食べるごとにそう声を上げるナルも気にならないほどに、絶品な料理に舌鼓を打つこと10分。

それぞれが食事を終えてドリンクで喉を潤わせていた。

「やぁ広明くん。それに美琴ちゃんも」

そんな僕らに穏やかな口調で話しかけてきたのが、このお店のマスターであろう紳士的な男性だった。

「あ!お邪魔してます」

「こんちは、おじさん!」

そんなマスターに対照的な返答する2人。

所謂常連という者に既になっているのだろう。そうこんな風に気さくに挨拶を交わせるくらいに。

ただそんな中で場違いな僕は、少し居心地悪く愛想笑いを浮かべていた。

「おや?君は?」

そんな僕に視線を移したマスターは1度目を見開いて、再び目尻を下げて優しく微笑む。

「はい。そうです。彼です。保月刹那くんです」

僕が口にする前に美琴が僕をマスターに紹介してくれる。

それはいいのだが、その言い回しが少し引っ掛かった。

しかしその疑問もすぐに解明されることになる。

「そうか。君が。確かこっちに帰って来たとは聞いていたが、そうだったのか」

マスターは優しい口調と表情を崩すことなく、僕の肩をポンポンと2度叩く。

「え?あ、あの。申し訳ありません。その、あまり覚えがなくて。その何処かでお会いしましたでしょうか?」

その一瞬で記憶を探ってみても、僕の脳内検索エンジンには引っ掛からない。

「ああ。これは失礼したね。そうだよね。忘れていても無理はないよ」

マスターは僕の肩に置いた手を引っ込めると、今度はその手を握手を促すように差し出してくる。

「私は浅井(ただし)という者です。よろしくね」

浅井。その名字を聞けばもう説明はいらない。そうか。この人は浅井晴也の…………。

「あ。あ、は、はじめまして。あ、いえ。昔、お会いしてたんですね。その改めて。保月刹那です」

僕は動揺しつつ差し向けられた手を握る。

「はい。よろしくね」

マスター。正さんの表情は相変わらずで、僕はその表情から心内を読み取ることができずにいた。

「なるほどね。みんなと仲良くしているようで結構だよ。こんな、こじんまりとした店だけど、良かったら、来てくれてかまわないからね。少しはサービスするからね。ははは」

どこまでも穏やかで。それが逆に僕の心に浮かぶ浅井晴也への罪悪感を締め付ける。

「そんな、とても素敵なお店じゃないですか。料理も、とても美味しいですし。是非、通わせていただきます」

複雑な思いを噛み殺してそう偽りない言葉を返す。

それを聞いた正さんは満足したように頷くと、「ゆっくりしていってね」と言い残しカウンターへと帰っていく。

「な!おじさんもいい人だし、いい店だろ?」

「え?あ、ああうん。そうだね」

正さんは僕の存在を知ってもなお、変わらずにも優しく接してくれた。

きっと僕や、ナルたちと話をする度に頭にちらついているだろう。それでも温かく笑ってくれた。

「あまり。野暮なことは考えてはいけないわよ。今日ここに来た意味も、あの場所へ行った意味も、刹那。あなたにはもう分かってるはずよ」

正さんが話をかけてきた時から口数の減った僕に、美琴はそう諭すように話すと再びストローを咥える。

今日、ナルと美琴が僕に伝えたかった事。知ってほしかった事。

それぞれが浅井晴也から目を背けずに、そして前に進もうとしている。

そんな中、僕1人だけが後ろ向きに陰鬱を振り撒いていた。

そんな自分が情けなくて、椿にかけた言葉に今更後悔を覚えた。