それから数日後、学園でささやかなパーティーが開かれた。
 レオ様のお姉様のお誕生日を祝うものだ。

「ライリー、とっても素敵!」

 ライリーのタキシード姿なんて初めて見る。私が褒めるとライリーは「似合わないだろ」とそっぽを向いた。耳が赤くて恋しくなる。

 私はライリーに贈ってもらったミントグリーンのドレスを着ている。やはりこのドレスが私に一番似合っている。

 ライリーのエスコートで会場に入ると、ざわめきが走った。

「ハリディさんの隣にいる方は?」
「どちらのご令息かしら」
「素敵な方だわ」
「それじゃあアスカム様はどうなったの?」
「それが、勘違いだったらしいのよ。アスカム様とハリディさんは恋人でもなんでもないって」
「えっ、それじゃあアスカム様は」

 アスカム様はゲームの通り、他ルートでは応援してくれる頼れるお兄さんだった。
 私とアスカム様はそんな関係ではないときちんと否定してくれて、今日も「恋人募集中だよ〜」と笑顔を振りまいてくれている。

「アスカム様はお一人なのね!」
「私にもチャンスがあるということかしら!」

 恋のチャンスがあるならば、私とアスカム様の仲がどうだったかなんてどうでもよくなるようだ。皆私に興味をなくしたようでアスカム様の場所に我先にと進んでいく。


「やっぱり殿下はお一人ね」
「アンバー様はお心を壊されたとか」
「結局アスカム様のことはお好きだったの?」
「さあ。アスカム様は否定していらしたけど、殿下がお一人なのが答えじゃないかしら」

 こちらの噂はなかなか払拭されないらしい。
 しばらくアンバー様は休学するということで、更に色んな形で噂が広まってしまった。
 レオ様やゲイティス様は教えてくれなかったけれど、どうやらアンバー様は休学を勧められてますます病んでしまったらしい。

 しばらく私たちは隅で食事をしていたのだけど、噂話がいつまで経っても聞こえてくる。うんざりした私はライリーに声をかけた。

「顔を出したからもういいわよね、もういつもの場所に帰らない?」
「そうだな。ミアのパートナーは俺だってアピールもできたし?」
「何よそれ」

 私たちは笑い合って手を繋いで会場を出た。




 そして小屋に向かう途中、夜の庭園の中に彼女は一人ぽつんと立っていた。

「ミア」

 そこにいたのはアンバー様だった。美しく着飾ったアンバー様。
 初めて出会った時のように可憐な姿で。しかし暗闇の中に佇む彼女は恐ろしさすらある。

 私を庇うようにライリーが前に立った。

「ミア、その男は誰」

 アンバー様は微笑んだままだけれど、言葉は冷たかった。

「ライリーよ。私の幼なじみ。『ハナロマ』のノーマルエンドを覚えていない?」

 私は最後のチャンスだと思って言葉を続ける。

「私はライリーが好きで、ライリーエンドに行きたいの。だからレオ様を攻略なんてしないわ」

 私の言葉にライリーがこちらを見た気がした。恥ずかしいけれどそれどころではない。アンバー様に伝えなければ。

「ライリー……?ノーマルエンド?嘘よ!菜々香はノーマルエンドに行ってしまったら残念がってたじゃない!」

 アンバー様は私を睨んだ。
 そう、菜々香はノーマルエンドが嫌だった。だってベストエンドに入れないエンドだもの。そりゃ残念にも思うわよ。でも――


「私は菜々香じゃない、ミアよ!そして貴女も萌々香じゃない、アンバー・ガーネットでしょう!」


 私は叫んだ。アンバー様の瞳は変わらない。うつろな目でこちらを見ている。どうして伝わらないんだろう。


「レオ様は渡さないわ」

 低い声でアンバー様は言った。アンバー様の手から雷が見える。まずい、禁止されている攻撃魔法を使おうとしている。

「俺もミアを渡さないよ」

 私の前に立つライリーの手から炎が上がる。これは……!

「待って、ライリー!」

 私はライリーを思いっきり抱きしめた。そして私はありったけの魔力を込めて転移魔法を発動させた。


 ・・


 私とライリーはドレスとタキシード姿のまま、小屋の中に移動していた。
 荒い息を整えると、ライリーがこちらを見つめている。

「今あの女、ミアを殺そうとしてなかった?」
「そうかも」

 アンバー様の瞳は尋常ではなかった。手にまとっていた雷の威力も優しいものではない。あんなに美しくていつも凛としていたアンバー様の虚ろな瞳を思い出す。どうしてこんなことになったんだろう。

「俺が殺してもよかったのに」
「……」
「冗談だよ。でもあそこで騒ぎになってたらあの女、罪人として捕らえられたんじゃない?そうすればよかったのに」
「うん……」
「嫌いなんだろ?」
「……そうね」

 さっき私はライリーを抱きしめた。その時に思い出した、自分の最期を。

 大嫌いなはずのお姉ちゃん。消えてほしくて離れてほしくてずっと憎んでいた。
 でも、私たち二人はずっと一緒で。最期も一緒だった。私たちが二人で横断歩道を渡っている時、突っ込んできたのは信号無視をしたトラック。
 私はお姉ちゃんだけでも助かってほしいと、お姉ちゃんを突き飛ばそうとした。その感触を思い出した。
 あんなに嫌いだったはずなのに。嫌いだけど、どこか憎みきれないのが、一番近い姉妹というものなのでしょうね。



「まあミアがいいならいいけどね」
 ライリーは興味ないという顔をして、ぽすんと干し草の上に座った。

「正直言うとアンバー様のことは嫌いかわからないのよ。萌々香のことは嫌いだったけど、それは菜々香の感情でしょう?」

「前世の恨みも込めて復讐してやればよかったのに」

「ううん、アンバー様のことも過去のことも、気にしないことこそが復讐なんだわ」


 だって、私は十六年間一度も萌々香を思い出さなかった。ミアとして幸せに生きてきた。
 菜々香は、お姉ちゃんへの憧れと嫉妬心を常に持っていた。周りも皆お姉ちゃんしか見ていなかったから自尊心は削られ続けていて、自分に自信がなくて自分が大嫌いで。
 でも、ミアは違う。裕福ではないけど両親に惜しみなく愛情をもらって、大好きな人も出来た。大切な人たちが私を大切にしてくれたから自分を愛せた。

 萌々香への恨みを持ち出したら、菜々香に戻ってしまう。私はミア・ハリディでいたい。ライリーが好きでいてくれて、ライリーのことを好きなミアでいたい。

 アンバー様は、誰もが羨む公爵家で、国一番の美貌で、第一王子の婚約者だ。いつか来るヒロインに負けないように、勉強も運動も頑張る努力家な面もある。
 それだけ素晴らしい環境で素敵な人なのに。アンバー・ガーネットとして生きていれば幸福だったのに。

 十年ずっと怯えて暮らしていたのだ。菜々香の影に。
 そこに確かにレオ様との絆があったはずなのに。アンバー様を見つめるレオ様の瞳を思い出す。アンバー様が見つめる相手はレオ様で、菜々香じゃなかったのに。
 萌々香に呑み込まれなければ、「悪役令嬢」に対して思い詰めなければ、今も幸福なままでいられたのに。


「それなら、私は菜々香になんて戻ってやらない。恨みなんて持ってやらない。アンバー様のことなんてどうでもいいわ!」

 私の宣言にライリーは微笑み、ただ頷いてくれた。


 ……ミアに関わらなければ良かったのに。
 自分で自分を壊した。哀れなアンバー様、いや、萌々香お姉ちゃん。
 自分で悪役令嬢の道を進んでしまった。十年の努力を無駄にして。十年怯え続けて。それはどれほど怖かったのだろう、心を壊してしまうほどに。

 無理かもしれないけど、私の叫びが少しでも届いていますように。

 あなたは、萌々香じゃない。
 あなたは、アンバー・ガーネットだと。



 私は最期をもう一つ思い出したのだ。
 私はお姉ちゃんを突き飛ばそうとしたけど、大きなトラックは目前に迫っていて助けることはとても無理だった。
 一瞬のことだけど。お姉ちゃんは私を庇うように、私の前に出て手を広げた。
 それはほんの少しの抵抗でしかなかったけど、それは確かにお姉ちゃんからの愛だった。



「先日話してた件だけど、私も学園を辞めるわ」
「俺と来てくれるの?」
「うん、ライリーと一緒ならどこでもいいの私」

 ライリーは国の一番大きな魔法研究所から仕事を頼まれていたそうだ。ライリーにとって学園の勉強はくだらないことで、研究所からもすぐにでも正式に働いて欲しいと頼まれて心が動いてたらしい。私を優先して学園に留まってくれていたのだけど。

 ミアの光属性もこの国を発展させるために必要だ。研究所に一緒に行かないか? ライリーはそう言った。私はライリーがいればどこでもいい。
 噂だらけで、本当に大事なものを見ようとしないこの学園にいたって、意味があるとは思えない。


「ねえライリー、本当の一番の復讐ってなんだと思う?」

「なに」

「それは幸せになることなのよ」

 私が微笑むと、ライリーも「そうだな」と微笑んだ。


「私が幸せになるためには、ライリーとずっと一緒にいなくちゃいけないんだけど。どうかしら?」

「仕方ないな、復讐に協力してやるよ」

 煌びやかな会場とはほど遠い、小さな小屋。
 誰に分かってもらえなくてもいい、私の幸福はここにあるのだ。