「貴女、菜々香なんでしょう?」
入学式の数日前、私は公爵家のご令嬢・アンバー様に誘われてお茶会に参加していた。
田舎から出てきた男爵家の私が、今まで話したこともなく第一王子の婚約者でもある高貴なご令嬢にどうして誘われたのかさっぱりわからなかったのだけど。
でも、彼女にそう言われた途端に思い出したの。アンバー様は私の前世の姉・萌々香だと言うことを。そして私の前世を。
「……お姉ちゃん」
私が震える声で呟くと、萌々香――でなくアンバー様は花が綻ぶような顔になる。アンバー様がこの国一番の美人だということは、今日まで関わりのなかった私でも知っている。
「やっぱり菜々香なのね!嬉しいわ、ずっと会いたかったのよ!」
アンバー様は身を乗り出して私の手を取ると嬉しそうな笑顔を浮かべる。人懐こい可憐な笑顔だ。
ああ、またか。生まれ変わっても私はこの女の笑顔に振り回されるんだ。
アンバー様は第一王子の婚約者で、王妃を輩出することもある公爵家のご令嬢で、とびきりの美人。かたや私は田舎の貧乏男爵令嬢だ。やはり私たち姉妹はそういう運命なのかしら。
お茶会に参加しておかしいと思ったのよ。
アンバー様が私のような者を誘うだけでもおかしいのに、今この場にいるのは私たちだけ。二人きりのお茶会だなんて。だけどアンバー様の正体がお姉ちゃんなのであれば頷ける。
「ねえ菜々香、貴女はこの世界のことどれくらい理解している?」
「私は今『菜々香』と呼ばれて初めて思い出したので、何も」
「まあそうだったの?もう前世のことを知っているのかと思ったわ、もっと早く貴女とお話しできていれば」
鈴のような軽やかな声でアンバー様は話す。
「私たちがプレイしていた乙女ゲーム、『花咲くロマンス学園』覚えていない?」
「……ああ!」
菜々香、と呼ばれた時のように。その単語を聞くと私の頭に眠っていた記憶が起き上がってくる。いままでどうして忘れていたのかわからないほど鮮明に。
「思い出したのね?」
私の様子にアンバー様は嬉しそうに笑った。
「アンバー様が悪役令嬢で、私がヒロイン……?」
「ええ、そうよ」
悪役令嬢役だというのにアンバー様は涼しい顔で答えた。
『花咲くロマンス学園』は学園物パラ上げ乙女ゲームだ。
私が数日後から過ごすことになるロマンス学園は、この国の魔力がある若者が通う全寮制の学校。田舎でのんびり暮らしていたヒロインのミア――つまり私のもとにも十六歳になって入学許可証が届いた。
自分には魔力なんて大してないと思っていたミアだけど、入学後にこの国で唯一の光魔法が使えることが判明し、誰もが憧れるような攻略対象たちに認められて恋に落ちていくシンデレラストーリーだ。
そして攻略対象の一人、第一王子・レオルートにライバルキャラとして登場するアンバー・ガーネット。彼女は嫉妬心からミアに嫌がらせをし続けて最後には断罪される、というよくある悪役令嬢である。
「菜々香はレオ様が最萌えだったでしょう?」
「……そうだったかもしれません」
そういえば、そうだった。私はアンバー様の婚約者である第一王子のレオ様が大好きだった。
「私はね、七歳の時に思い出したの前世のことを」
アンバー様は長いまつげを伏せて語り始めた。
「とてもショックだったわ。まさか自分が悪役令嬢だなんて。その頃ちょうどレオ様との婚約が決まってね。私は幼いながらレオ様に恋に落ちてしまったの。それなのに行く先は婚約破棄に断罪でしょう」
「はぁ……」
「でも、悪役令嬢モノの小説や漫画があるのはご存知?」
「ええ」
「そういった小説や漫画だと悪役令嬢がヒロインなのよ。だから私も努力したの。『ハナロマ』の『アンバー』は傲慢でワガママ放題だったでしょう?私は悪役令嬢で終わりたくなくて、勉強も運動も努力したし、万一断罪追放されてもいいように平民になった場合のことも考えているの」
饒舌にアンバー様は語った。なるほど、アンバー様がこの物語の本当のヒロインらしい。ヒロインではない私はせっかくなのでケーキをいただくことにする。
「十年間それこそ死にものぐるいで頑張ってきたのよ。そのかいあってレオ様との関係も良好なの」
そういえば入学手続きで学園に訪れた時。二人が歩いているところを他の生徒たちがうっとりと見つめていたんだっけ。別世界で関わることもない人たちだから素敵なカップルだなあくらいに思っていた。ふわふわのクリームが口の中で溶ける。
「それと同時に私はヒロインのことについても調べていたの。『ハナロマ』のヒロインにはデフォ名があったでしょう?だからデフォ名のミア・ハリディで調べたら男爵家のご令嬢が見つかったから絶対にヒロインだと思ったの。それでミアが住む街まで見に行ったのよ。そして貴女を一目見て、顔は違うけどすぐわかった、菜々香だって」
「随分前から私のことを知っていらっしゃったんですね」
「ええ。学園に入るまでは半信半疑だったから、それまではお話しできなかったのだけどね。ようやくお話しできたわ!貴女もこの世界に転生していると気付いてから本当はずっとこうやって話したかったのよ!」
ミアが菜々香だとわかっていても、この学園に入学しなければ貴女は一生話しかけることはなかったんでしょうけどね。私は香ばしい匂いのするクッキーをつまんだ。
「ねえ菜々香。菜々香は誰を攻略するつもりなの?」
アンバー様は潤んだ瞳で私を見つめた。この雰囲気、変わらないなあ。
「私は誰も攻略するつもりはございません」
「そんな、どうして?菜々香は『ハナロマ』が大好きだったじゃない」
「私はミアであって、菜々香ではないからですよ」
私の言葉は嘘偽りないものだったが、アンバー様は疑わしげに見つめてくる。
「……レオ様を奪うことはありませんからご安心ください」
「最萌えだったのに?」
「私は菜々香ではなく、ミアですから」
「せっかくヒロインに転生したんだから恋愛を楽しめばいいのに」
心にもないことを言う。レオ様を攻略されたくないなら、回りくどいことをせずにお願いすればいいのに。あ、このクッキー本当に美味しい。
「アンバー様は断罪されませんよ、私は本当にレオ様には興味がないのです」
「まあ、菜々香!それは失礼すぎないかしら?この国の第一王子よ?ゲーム以上にとっても素敵な方なの。美しさは貴女でも知ってるとは思うけど、中身も本当に素敵なんだから」
「そうですか」
レオ様に恋心を持つのは許さないけど、レオ様の価値が私の中で低いのも許せないらしい。いや、恋心は持っていた方が萌々香としては嬉しいのかも。紅茶を一口飲む、花の香りが爽やかだ。
「お話はこのことでしたか?」
「そうよ、菜々香と目が合ったのに何も言ってもらえなかったから前世のことを貴女は思い出していないのかと思ったの」
「先程思い出しました」
「でも思い出してくれてよかったわ!」
「お話が終わったのなら失礼してもよろしいでしょうか?」
「えっ、どうして?菜々香が来ると思ってたくさんスイーツを用意したのよ。まだたくさんあるから食べて」
机に並べられたお菓子たちは、ミアの人生で一度も見たことがないキラキラ輝く宝石のようなお菓子たち。思わず夢中で食べ続けてしまっていたわ。
悪役令嬢というのは結局いい身分だ。何の不自由もない公爵家で驚くほど美しくて、道さえ踏み外さなければ恵まれた幸せな環境なのだから。
「いえ、ミアにとっては贅沢すぎる場ですので」
もう少し食べたいのが本音だったけど、アンバー様とこれ以上一緒に過ごしたくはなかった。
「ああ!そうね、ごめんなさいね、私にはこれが普通だったから。菜々香の今の家だとこんなお菓子も食べられないと思って……張り切って準備しちゃった。あっ、そうだわ!すべて持って帰る?菜々香には珍しいものでしょう?」
生き生きとアンバー様は喋り続ける。これはわざとなのか、天然なのか。それは前世からずっとわからない。萌々香七不思議の一つだ。
「結構ですよ、では失礼します」
「あっ、待って!菜々香!」
席を立った私をアンバー様が追いかけてきて、もう一度私の手を取った。
「私ずっと菜々香と喋りたかったのよ。まさか転生しても貴女と会えるなんて。悪役令嬢とヒロインになるとは思わなかったけど。ねえ、これからも前世と同じく仲良くしてくれる?」
仲良く……?引き立て役の間違いじゃないだろうか。
「しかしアンバー様と私では身分が違いますから」
「そ、そんなことないわ」
そう言いながら目の奥が喜びで光っている。公爵家と男爵家、前世よりも私たちの差は歴然だ。
「アンバー様。私は菜々香ではなくミアですので、ミアとお呼びくださいね」
「皆の前では気をつけるわ。でも二人きりのときは菜々香と呼びたいわ。だめかしら?」
「わかりました」
もう二人になることはないだろうし、私は適当に頷いた。
そして今度こそアンバー様から、萌々香から、逃げるようにこの場を後にした。