「巫女舞」
神がかり。
「交通守お二つで五百円のお納めです」
財布を探り出す参拝客を待つ間、こっそり足元のストーブに手をかざして暖を取る。
床にはホットカーペット足元にはストーブが二台、白衣と緋袴の下にも何枚も重ね着をしているけれど、それでも壁が三面しかない授与所の建物は凍えるほどに寒い。
はい、と手渡された小銭を真っ赤になった手で受け取って「ようお参りでした」と頭を下げる。
ほうと息を吐けば白く染った。
前の参拝客が終われば、次から次に新たな参拝客が授与所の前へ進んでくる。
「巫女さん、この御守って何のやつ?」
「あ、それは学業成就の御守で────」
もう何度繰り返したか分からないその説明は、最初に比べるとスムーズに出てくる。途切れない列に気合いを入れ直し背筋を伸ばした。
師走の最終日、大晦日と呼ばれるその日はお社が一年で一番忙しくなる日だ。
ここは"ほだかの社"、別称を絆架神社。数日前に二学期が終わったその足で、年末年始のアルバイトをするためにここへやって来た。
「巫寿、そろそろ22時だからあがって」
紅白の幕で仕切られた裏からそんな声が聞こえて、隙間からひょこりと顔を出すその人物。
「わ、鼻真っ赤。ここ寒いもんな、大丈夫?」
白衣に浅葱色の袴をみにつけ神職の出で立ちをしたその人は、私の兄、椎名祝寿だ。
「凍えるかと思った……! 早く交代して、お兄ちゃん」
「ははは、分かった分かった。戻る前に社務所寄っていきな。巫女頭が夜勤の神職用に豚汁とおにぎり用意してくれてるから」
「やった、じゃあ後はよろしくね」
「おう」
ぽんと私の頭を叩いたお兄ちゃんと入れ替わって、紅白の幕をくぐり抜けて授与所の外に出た。
もうあと2時間もすれば年越しを知らせる報鼓が叩かれる。それを聞きに集まった人達────今日の場合は人よりも人ならざる者の方が多いのだけれど、とにかく沢山の人たちで社頭は賑わっていた。
「良い月夜ですね、巫女さま」
「巫女さま、良い月夜だね!」
自分に駆け寄ってきてそう声をかけてきたのは、体は人の姿で獣耳に鋭い牙を持つ子供たち。
普通の人には見えな彼らのような不思議な存在を、私たちは"妖"と呼んでいる。
「良い月夜だね……!」
未だに妖の姿は見慣れないけれど、笑顔で手を振り返す。
彼らの世界ではそう挨拶するのだと教えてもらった。
沢山の妖たちの間を縫って歩き、なんとか社務所にたどり着く。
開けた瞬間ふわりと良い香りが漂ってきて深く息を吸う。
「お、巫寿お疲れさん」
小上がりに腰掛けて味噌汁を啜る男の人の姿に頬を緩めた。
「禄輪さん!」
「巫寿も食ってけ。力作だぞ」
禄輪さんが我が物顔でそう言えば、せっせと給仕に励む巫女頭が「作ったのは私です!」と不機嫌そうに唇をとがらせた。
肩を竦めてくすくすと笑いながら大きなお椀に入った具沢山の豚汁とラップにくるまれたおにぎりを受け取り、禄輪さんの隣に腰を下ろした。
「具は俺の意見がほとんどだろ」
「それだけじゃないですか。葱もまともに切れないくせに威張らないでください」
「ね、葱くらい切れるぞ」
「いいから早く食べて、年越しまでに祈祷の御依頼片付けて下さい」
「……ったく、分かってるよ。そんなに険しい顔してたら皺になるぞ」
呟き程度の小声はしっかり彼女に届いていたらしい。
面倒みも人当たりもいい巫女頭だけれど、年齢と肌のことだけは指摘されると眉をつり上げる。
ちなみに年齢は頑なに教えてくれない。一体何歳なんだろう。
禄輪さんは肩を竦めて豚汁のお椀で顔を隠した。
禄輪さん、神母坂禄輪さんは今は亡き両親の在学時代からの親友で、私たち兄妹の後見人として何かと世話になっている人だ。
そしてここ、ほだかの社の神主でもある。
数年前に訳あって社が潰れ、さらに長い間社から離れなければならなかった禄輪さんが、建物の修繕も間に合わず神主不在で長年放置されていたこの社を今年に入って再建した。
そしてこの大晦日の"年越の大祓"と呼ばれる神事が、再建されたほだかの社で初の神事になるため、終日たくさんの参拝客が訪ねていた。
「すまんな、こんなに忙しくなるとは思わなかったんだ。まだ修繕も終わってないし、親しい奴らだけ呼んで年越する予定だったんだが、どこから話が広まったのやら」
息を吐いた禄輪さんは「やれやれ」と苦笑いを浮べる。
日頃から沢山の人達に慕われている禄輪さんだ。私のクラスメイトなんて、禄輪さんの姿を見つければ地の果てまでも追いかける勢いで駆け寄っていく。
ほだかの社が再び開くとなれば、皆我先にと来るに決まっている。
ご祈祷の依頼が予定よりも多くなって禄輪さんは少し大変そうだけれど、その横顔はとても楽しげだった。
「巫寿と祝寿が来てくれて助かったよ。給料弾むって祝寿にも伝えといてくれ」
「ふふ、楽しみにしてます」
残り半分ほどのおにぎりをふた口で食べ切った禄輪さんはガシガシと私の頭を撫でると、忙しそうに社務所から出て行った。
折角だし報鼓を聞くまでは外にいようかと思ったけれど、あまりの人の多さに諦めて大人しく借りている宿舎に戻る。
3階建ての木造建築で一階は風呂やリビングなどの共用スペース、二階と三階に一人部屋が計十二部屋設けられていて、私とお兄ちゃんはバイトの間そこを借りている。
まだ22時を過ぎた頃だけれど、廊下の電気は落とされて薄暗い。部屋にいる神職のほとんどが明日に備えて早めに眠っているのだろう。
音を立てないようにそっと自分の部屋に入って、すぐに暖房とテレビをつける。
暖かい空気にほうっと息を吐きながら、歌番組を横目に巫女装束を脱ぎ部屋着に着替える。
テーブルに広げっぱなしにしていた宿題が目に入る。アルバイトが始まった数日前から一切手をつけていない。
三箇日が過ぎるまで朝から晩までアルバイトをする予定だ。それにその三日間は禄輪さんから大役を仰せつかっている。
やるなら────今しかないよなぁ……。
深く深くため息をついて、のろのろとシャーペンを手に取った。
結局歌番組に気を取られたりしているとあっという間に日付が変わる数分前になった。
窓の外はいっそう賑やかで、毛布を肩にかけてベランダに出る。社頭を彩る社紋の入った提灯が寒空に映えてとてと綺麗だった。
その時、テーブルの上に置いていたスマートフォンがブブと震えて通知を知らせた。
小走りで駆け寄って画面を叩くと、【チーム出仕】という名前のグループトークでグループ通話が始まっていた。
スマートフォンを手に取って毛布を肩にかけ直し、もう一度ベランダに出てから参加のマークを叩いた。
『おっ、巫寿が入ってきた! やっほー巫寿!』
『巫寿ちゃんこんばんは〜。良い月夜だね』
耳に届いた二人分の声に頬を緩めた。
「慶賀くん、来光くん。こんばんは、良い月夜だね」
『良い月夜だな! 巫寿も今日の奉仕終わった?』
「うん、少し前に終わったよ」
お疲れ様〜、と二人から労いの言葉を貰いお礼の言葉で返す。
『俺もさっき手伝い終わってさ、折角だし皆で年越できたらなって思ったんだけど、泰紀と嘉正入ってくるかな〜』
『嘉正は本家の人間だし、泰紀の所も神職足りてないらしいしからね。今頃忙しくしてるんじゃない?』
実家が歴史の長い由緒あるお社でお父さんが現宮司の嘉正くんと、本人曰く"ビンボー過ぎて神職が雇えない"お社が実家の泰紀くん。
学生とはいえ神職の家系の子供として実家の手伝いに励んでいるのだろう。