私は、朝が好き。
 だって、みずみずしい朝陽を見ると優しいなにかに抱き締められているような気分になるし、なにより朝は、大好きなひとに会えるから。
 顔を洗って、歯を磨いて、髪を整えて。
 まだ真新しい制服とギターケースを背負ったら、元気よく玄関を抜ける。
 玄関を抜けたらいつだって早歩きで、なんなら駆け出してそのまま空を飛んじゃうんじゃないかっていうくらいの軽い足取りで、私はあのひとが待つ場所へ行くのだ。
 だから、少し視界が霞んでいる気がするのは、きっと初夏の陽気のせい。
 家を出てすぐの大きな交差点。ちょうど道路がぶつかる中央に、昔ながらの喫茶店『よもぎ堂』はある。
 この喫茶店が、私たちの待ち合わせの場所。
 ベルを鳴らして中に入ると、優しい珈琲の香りが胸を満たした。
「おはよう、千織(ちおり)ちゃん」
「おはようございます、蓬堂(ほうどう)さん」
 この喫茶店を営むのは、蓬堂さんというおじいさんだ。いつもにこにこして、優しくおだやかなひと。
(はやて)くんなら、いつもの席だよ」
 蓬堂さんに言われ、店内のとある席を見る。すると蓬堂さんがおもむろにくすっと笑った。
 お目当てのひとを見つけて、うっかり表情が綻んだらしい。……恥ずかしい。
 私は表情を引き締めて、颯先輩のもとへ向かった。
「おはようございます、颯先輩」
 声をかけると、窓の外を眺めていた颯先輩がこちらを向いた。陽にあたっているせいで、顔の半分が透けるように煌めいている。
「あぁ、千織ちゃん。おはよう」
 日向(ひなた)颯先輩は、同じ高校の先輩で軽音部に所属している。
 そして、彼が正真正銘私の好きなひと。
 新入生歓迎会のライブでギターを弾いている姿を見て、一目惚れしたのだ。
 颯先輩に恋した日から、私の世界はカラフルになった。
 颯先輩と知り合うために軽音部に入って、楽器なんてやったことないくせにギターなんて始めて。
 ぜんぶ、颯先輩に近づくため。
 ちょっと不純な動機かもしれないけれど、高校生が部活を始めるきっかけなんて、大抵こんなもんでしょう。
 ちなみにこの喫茶店を経営する蓬堂さんは、颯先輩のおじいちゃんでもある。そういうこともあり、このよもぎ堂は、私が入部する前から軽音部のたまり場になっている。
 部活帰りや休日はここに集まってひと休みすることが多いのだ。
 でも、朝だけは、家が近い私と颯先輩ふたりだけの時間。
「今日はちゃんと食べてるんですね」
 バターたっぷりのトーストをかじる颯先輩は、貴重だ。颯先輩は朝は食べないことが多い。
 いつもテーブルには珈琲カップしか置かれていないことが多いから。
「今日は二度寝しなかったから、時間に余裕があったんだ」
「でもここ、寝癖ついてますよ」
 颯先輩は、ギターを弾いているときはキリッとしていてすごくかっこいいのだけれど、普段はすごくのんびりとしたひとだ。 
「うそ!?」
「ふふ、うそです」
「なんだよ、もう……」
 唇をとがらせて拗ねた顔をする颯先輩は、歳上とは思えないくらいに可愛い。
 颯先輩がいつも座っている窓際の陽当たりのいい席。颯先輩の正面の席は、私の特等席。
「珈琲おまたせ」
 蓬堂さんが珈琲を出してくれた。
「ありがとうございます」
 ありがたく受けとりながら、テーブルに視線を流す。
「千織ちゃんはこれもだよね」
 察した颯先輩が、テーブルの隅にあったミルクとシュガーを取ってくれる。
「……ありがとうございます」
 若干、笑顔に揶揄が混ざっているような気もするが、ありがたく受け取った。

 珈琲を飲み終わると、私たちは楽器を持って店を出た。道路には、ちらほら私たちと同じ制服の学生たちが歩き始めている。
 市役所の前を通りかかったとき、掲示板に貼ってあったとあるチラシが視界に映った。
 藍色の空に、大輪の華が咲いたそのチラシに、思わず足を止める。
 見つめながら、首を傾げた。
 ……なんだろう、なにかがひっかかった気がするのだけど。
「千織ちゃん?」
 どうしたの、と颯先輩が立ち止まった私に気が付き振り返る。
 その顔を見た瞬間、これだ、と思った。
「あ、颯先輩! あの、よかったらこれ、軽音部で出ませんか!?」
 私が指さしたのは、例の花火大会のチラシ。よく見ると、下のほうにステージ出演者募集中と書かれてあったのだ。私はまだ、ギターを覚えたてでほとんど演奏らしいものをしたことがない。
 だから、できることならライブというものを経験してみたかった。
「ね! せっかくですし!」
 私の言葉に、颯先輩は一度驚いたように目を見開いた。そして、俯いた。
「千織ちゃん、それはもう――」
 颯先輩がなにか言いかけたときだった。
「日向! おはよう!」
「日向〜おはよう」
 交差点の向こうから駆けてきたのは、軽音部の先輩、ベースの楠見(くすみ)和真(かずま)先輩とドラムの水無(みずなし)奏音(かのん)先輩だ。
「あ、楠見先輩、奏音先輩! おはようございます」
 私が挨拶をすると、奏音先輩と楠見先輩はなぜだか顔を見合わせて、戸惑いの表情を浮かべた。
「……千織、どうして」
「え?」
「ダメじゃない。なんであなたがここにいるの」
鈴城(すずしろ)、お前はここにいちゃいけない。今すぐあっちへ帰るんだ。でないと、取り返しのつかないことになる」
「え……ちょ、ふたりともなんですか急に……」
 思わぬ気迫に、私は後退りながら颯先輩を見た。
「千織ちゃん……今まで、引き止めちゃってごめん。……でも、もう終わりにしよう。千織ちゃんとはもう、お別れだ」
「……え……?」
 突然、なに? みんなして私を揶揄っているの? わけがわからない。みんなして、どうしてそんな目で見るの……?
 そんな暗い顔で……。
 なんか、いやだ。すごく、怖い……。
 そのときだった。
 ――どん!
 突然、世界が闇に包まれた。
 次の瞬間私の視界を覆い尽くしたのは、大きな大きな華。
「はな、び……?」
 どこか見覚えがある光景に、足がすくんだ。
 花火が弾ける音が容赦なく心臓を揺らし、私は思わず頭を抱えた。
 私の中で、なにかが蠢いていた。
「私……なんで……」
 ――ピューヒョロロロロ……。
 ――キキィーッ!
「私は、なにを……忘れて……」
 ――どんっ!
 ――ドンッ!
 花火の音と違う、鈍い音。
『千織ちゃん! 危ないっ!』
 恐ろしい光景が脳裏をよぎって、愕然とする。
「違う……花火大会は、もう終わってるんだ……」
 だって私の記憶の中にはもう、花火大会の……あの日の記憶がある。

 あの日――花火大会当日、私たち軽音部はステージに立っていた。ステージが終わったあと、みんなで露店を見て回っていて……。
 花火が始まると、私は颯先輩に花火の音に隠れて告白をした。颯先輩は私の告白を笑顔で受け入れてくれて……、私たちは晴れて恋人同士になったんだ。
 でも、そのあとは?
「そのあと、私は……」
 花火を満喫したあと、軽音部の先輩たちと帰路についた。そして……その途中で、あの事故に遭ったのだ。
 横断歩道を歩いていた私たちに突っ込んできた、大きな影。 
 だれかの悲鳴と、ブレーキ音。
 近くの林にいた鴉たちが大きな音に驚いて、ばさばさと飛び立っていく……。
 そうだ、あの日……あの日私は、こめかみをつたうなまあたたかいなにかに死を予感した。
 両手を広げ、じっと見下ろす。
「……なんだ、私……もう死んじゃってたんだ」
 それなら、この世界はなに?
 私はなんでこんなところにいるの?
 ……でも、もうなんでもいい。みんなと一緒にいられるなら、どこだって……。
「――違うよ」
 背後から、優しい声が聞こえた。振り向く前に、先輩が私の手を引いて抱き締める。
「千織ちゃんはちゃんと生きてる」
 服越しでも伝わる先輩の体温に、どうしようもなく涙腺が刺激される。
「……生き……て……」
 あの日、あのときの情報が再び流れ込んでくる。思い出したくない、と身体が騒ぐ。
 撥ねられる――すべてを諦めたあの瞬間も、私はこのぬくもりに包まれた。
「千織ちゃんは、今もちゃんと生きてるんだ。だから、一刻も早くこの世界から目覚めなきゃいけない。このままここにいたら、二度と目覚められなくなっちゃう」
 目の縁に、涙が盛り上がってくる。
「……颯先輩は? 颯先輩も、一緒に戻れますよね?」
 半ば祈るように訊く。けれど颯先輩は、ゆっくりと首を横に振った。
「……僕たちは、一緒には行けないんだ。ごめんね」
 颯先輩の言葉が指し示すその意味に、私は絶望する。
「……っやだ! 私は先輩と一緒にいたい! 私はここで、ずっと颯先輩と……軽音部のみんなと」
「ダメだよ! 千織ちゃんはちゃんと生きなきゃ……」
 声を荒らげた颯先輩が、私の顔を見て声を詰まらせた。
「私……私」
 私は涙でぐちゃぐちゃになった顔を颯先輩に晒しながら訴える。
「ひとりで生きるなんて無理です……颯先輩が、みんながいない世界なんていやです。せっかく颯先輩と両想いになれたのに……」
 颯先輩は泣きわめく幼子をあやすように、私の背中を優しく叩く。
「私、中学生のときは目標もなにもなくて、ずっと無気力に生きてたんです……。でも、高校に入って軽音部を知って……颯先輩に出会って、人生が変わったんです。毎日生きてるって実感できて、みんなと過ごす時間が信じられないくらい楽しかった。それなのに……」
 ぜんぶ、失ってしまったなんて。
 信じられない。信じたくない。
「今さら目を覚ましたってなんの意味もないんです。だから、私は……」
 もう、いいんです。そう言おうとしたら、おもむろに颯先輩が怒った。
「――コラ」
 普段びっくりするくらい優しくておだやかな颯先輩に額をぴんとされ、私は思わず目を丸くする。
「まだたった十五年しか生きてない小娘が、なに人生諦めてんの」
 颯先輩は呆れたように笑いながら、私を見つめた。
「今は寂しくて苦しいかもしれない。でも、いつかきっと、笑えるときが来るから。僕たちは、ずっと千織ちゃんを忘れないよ。――君が僕たちを忘れないかぎり、僕たちはその心の中で生き続けられる。だから……お願い」
 ――僕たちをその心に生かして。
「僕は千織ちゃんが可愛くてたまらない。だからどうしても、君には死んでほしくないんだよ」
「颯先輩……」
 ……胸が苦しい。苦しくてたまらない。だけど、大好きなひとにそんなことを言われてしまったら。
 私は奥歯を噛み締めて、目を伏せた。
「ずるいですよ……そんな言い方……。そんなこと言われたら、断れないじゃないですか……」
「ごめんね。でも僕、もともとずるい男だからさ。もしかして、知らなかった?」
 颯先輩はそう言って、ちょっといたずらっぽい笑みを浮かべる。私もつられて笑みを漏らした。
「……知ってます。そういうところも、好きでしたから」
 そう答えると、颯先輩は嬉しそうに笑った。


 ***


 ――目が覚めると、私は病院にいた。
 事故に巻き込まれたのは、運悪く横断歩道を歩いていた軽音部全員だった。
 事故のあとすぐに病院に運ばれた私たちだったけれど、そのうち一命を取り留めたのは、私だけ。
 撥ねられる直前、颯先輩に突き飛ばされたおかげで、私は脚を骨折しただけで済んだらしい。
 ただ、頭を強く打っていたらしく、しばらく危険な状態だったのだと後から母に聞かされた。

 ――あれから、半年。
 退院し、また学校に通い始めたものの、私は中学生の頃に戻ったように無気力に過ごしていた。
 心には、ぽっかりと大きな穴が空いてしまったようで、なにもやる気なんて起きなかった。
 そんなときだった。
「――ライブ、ですか?」
 三月の終わり。
 二年生に進級を控えた日のことだった。
 私を呼び出した先生が、言った。
「四月は新一年生が入学するから、新入生歓迎会があるでしょう? ステージに出る部活を募集してるから軽音部もどうかなって」
「……でも、軽音部は今私しかいないですし……」
「だからこそよ。昨年あんなことがあったし……あなたの気持ちは分かる。でも、このまま来年も部員があなただけだと、軽音部は……」
 先生は、それ以上は言いづらそうに目を伏せた。
 ハッとする。
「もしかして、このままだとうち、廃部(はいぶ)……ですか?」
 先生は静かに頷いた。
「そんな……」
 軽音部は、私の居場所。でも、私だけじゃない。楠見先輩や奏音先輩、それから颯先輩の……みんなが生きた証。なにものにも変えられない大切な居場所だ。
 みんなと過ごしたあの場所がなくなるのだけは、絶対にいやだ。
 私は、まっすぐに先生を見つめた。
「分かりました。出ます。新入生歓迎会」
 もう、ここにはだれもいない。
 けれど。
 私が軽音部を守らなくちゃいけないのだ。

 そして、新入生歓迎会当日。
「続いて、軽音部の発表です」
 拍手の中、私はギターを手に舞台袖から出ていく。
「軽音部部長の鈴城千織です。実は今、軽音部はわけあって私しか部員がいません。私はまだギターを始めて一年足らずの素人ですが、みなさんの心に届くよう、精一杯演奏します。それでは聞いてください」
 私は颯先輩のようにギターが上手くはないし、奏音先輩のようにきれいな声も持っていない。
 だけど……。
 歌いながら客席へ視線を流したそのとき、暗幕がふわりと揺れて、カーテンから優しい陽の光が差し込んだ。
 光はスポットライトのように一点を指し……私は、歌いながらその光の筋を追う。
 その光は、私のすぐとなりを照らしていた。
 目を向けた瞬間、四つの音が重なった。
 私のとなりには、ギターを弾く颯先輩の姿があった。先輩だけじゃない。颯先輩の奥には、ベースを持つ楠見先輩。さらに振り向けば、楽しそうにドラムを叩きながら、私の声にコーラスを添える奏音先輩の姿もあった。
 それはまるで、あの日のステージの再演。
「颯先輩っ……楠見先輩……奏音先輩……」
 涙があふれた。
 演奏をしながら、突然泣き出した私を見て観客の一年生たちは訝しみ、二、三年生と先生たちは涙ぐんでいた。
 それなのに、軽音部のみんなは優しく微笑んでいて。
 ――泣くなよ。みんなが見てるぞ。
 ――あはっ。千織めちゃ音外すじゃん。音痴め。
 ――まったく泣き虫だなぁ、千織ちゃんは。
 それぞれ苦笑を漏らしながら、私をからかってくる。
 そんなこと言われたって、こんなの堪えられるわけがない。
 だって、これが最後の……。
 いやだ。お願い。終わらないで。もう少しだけでいいから。
 演奏が終盤に向かえば向かうほど、心がぐちゃぐちゃになっていく。
 あぁ、もう終わっちゃう……。
 みんなを包む光はアウトロが近づくにつれてどんどん大きくなっていく。
 ――鈴城、泣くなよ。お前ならきっと大丈夫だから。
 ――そうよ、そんなに悲しまないで。たとえ新入部員が入らなくたって、私たちはずっとそばにいるんだから。
 ――うん。きっと、君の未来は明るい。だから、寂しいときは空を見上げて。毎朝必ず太陽が昇るように、僕たちはそこにいる。君が寂しくないように、寒くないように、いつだってあたためるから。
 陽だまりが優しく束ねられていく。そしてそれは大きな花束となって、私の胸にすっと落ちていった。
 そして……アウトロが終わると同時に、みんなは――颯先輩は、陽だまりのような優しい光に包まれて、空へ消えていった。 


 ***


「……おや。いらっしゃい」
 放課後、みんなと入り浸っていた喫茶店『よもぎ堂』にひとりで行くと、マスターの蓬堂さんが優しい笑顔で迎えてくれた。
 珈琲を注文すると、懐かしい香りが涙腺を刺激する。久しぶりだ、この匂い。
 窓の向こうの夕陽をぼんやりと見つめていると、ふとひとの気配がして、顔を向ける。
 そこには、真新しい制服を着た男子学生が立っていた。
「あの……ぼ、僕、日出(ひので)(あお)といいます。実はその……軽音部に入部希望なんですが……音楽室に行ったら、鍵が開いてなくて。先生に聞いたら、たぶんここだって聞いて……」
 少し不安そうな顔をしたその男の子は、どこか颯先輩に似ているような気がした。
「って、入部希望? あんなひどい演奏だったのに……」
 泣きながらの演奏と歌唱だったせいで、私のパフォーマンスは聴けたものじゃなかった。だから、正直新入部員は期待していなかったのだけど……。
 私の前に立った男の子は、瞳をきらきらとさせながら、私を見つめていた。
「そんなことないです! 僕もともと音楽に興味があったわけじゃないんですけど……でも、あんなに心を動かされた演奏は初めてでした。僕、先輩と一緒に演奏してみたいです!」
「……そっか。ありがとう。あ、よかったらここ座って」
 少し緊張した面持ちの彼に、私はそっと向かいの席を示した。
「ギター兼ボーカル担当の鈴城千織です。えっと……日出くんだっけ。楽器はなに希望?」
「えっと……どれもやったことがないので気にはなるんですが……僕、ベースに興味があって」
「へぇ、いいね! 私もベースの深い音好きなんだ」
「本当ですか!?」
「うん! よかったら今度、楽器店行ってみようか? 試し弾きで感覚を知るのも重要だし」
「はい!」
 あの花火大会以来、ずっと空いていた席に見知らぬ男の子が座っている。夢みたいだ。
 みんな見てるかな、と窓の外を見やる。すると、夕陽の光が淡く瞬いた気がした。まるで、『新入部員おめでとう』と、私の心の声に応えるように。

 帰り際、会計をしようとすると蓬堂さんが言った。
「今日はいいものを見せてもらったから、お会計はいいよ」
「え? いや、でも……」
 困惑気味に日出くんと顔を見合わせていると、蓬堂さんは目を細めて眩しいものでも見るように私たちを見つめた。
「今日の君たち、まるで一年前の颯くんと千織ちゃんを見ているようだったよ」
「え……」
 思わず息が詰まる。
「僕も千織ちゃんを見習って、そろそろ前を向かなきゃなぁ……」
 そう言って、蓬堂さんは目頭を押さえた。蓬堂さんのその言葉に、私はまた泣きそうになる。
「違いますよ……私も……実はすぐ俯きそうになります」
 ……でも。
「でも、私が生きている限り、颯先輩も楠見先輩も奏音先輩もみんな、私の中で生きてますから。だから大丈夫なんです」
 そう言って笑うと、蓬堂さんはしわしわの目をうるませて、「そうか」と笑った。
 だって、どんなに寒くて凍えそうな夜が来ても、朝が来れば必ず太陽が昇る。
 顔を上げれば、みんなが私を抱き締めてくれるから。
 だから私は、もう大丈夫。
「また来ます」
 私は涙を拭いて、笑顔で店を出た。

 空はすっかり暗くなって、夜の帳を降ろしている。
 夜の街を歩き出すと、ふととなりを歩いていた日出くんが空を見上げ、感嘆の声を漏らした。
「わぁ。この辺は、星がきれいですね」
「え?」
「僕、中学まで東京にいたからこんなにきれいな星空ははじめてです! 夜なのに、こんなに明るいんですね」
「……明るい?」
「はい」
 思わず聞き返した私を見て、日出くんは当たり前のような顔をして、言った。
「こんなきれいな月と星空が見えるなら、つい夜ふかししたくなっちゃいますね」
 あまりにも無邪気な声に、私もつられて空を見上げる。そこにはたしかに、小さな星の光がちらちらと瞬いていた。
「…………」
 ずっと、真っ暗だと思っていたのに。こんな夜にだって、ちゃんと光は存在していたのだ。私が気付いていなかっただけで。
「……そっか。うん、そうかもね。ありがとう、日出くん」
「え? な、なんですか、大袈裟ですよ」
「ふふっ。そんなことないよ。さて、帰ろ」
 私が思っていたよりも、世界は明るいのかもしれない。
 日出くんのとなりを歩きながら、少しだけそんなことを思った。