5月25日に土浦での基礎教程を修了し、僕とヒロと坂本くんと島田くんは同日付で鹿島海軍航空隊に配属されたが……
卒業式では一人残る平井くんが「寂しい」と最後まで号泣していた。
「みんな元気でね……島田くん……君は僕の事忘れてたかもしれないけど、僕は離れている間もずっと友達だと思ってたよ? だからみんな離れててもずっと仲間だからね! 絶対またみんなで一緒に食堂に行こうね? ホタルも一緒に見ようね?」
「うるせぇ……分かったから泣くな」
「そういうお前もやで?」
「そういうヒロもだよ?」
「貴様達は俺の一生の仲間だ! 五人合わせて同期の桜でもあり、一人一人が同期の星だ!」
「坂本くん~!」
司令官からの祝辞と送別の言葉に対して最後の別れの敬礼をすると……
「第14期予備学生卒業退隊、総員見送りの位置につけ!」
隊門の前までの隊内通路の両側に分隊長、文官教官、分隊士、教員、練習生達が整列し……
通路の真ん中を挙手の礼で行進する僕達14期卒業生に何度も「頑張れよ」と声援を送りながら沿道で見送ってくれた。
隊門に卒業生の全員が到着して回れ右をすると、「帽振れー」の号令で互いに脱いだ帽子を頭上に高々と上げて振り合った。
告別の行進を終えて鹿島航空隊行きのバスに乗り込む前、わざわざバスまで見送ってくれた班長の目に光るものを見た時は、厳しいながらも育てあげてくれた分隊長、分隊士そして教員達の思いに僕達は涙が止まらなくなり……
平井くんや班は違えど共に励まし合った戦友や、班長達の姿が見えなくなるまで、僕達は何度も手を振り続けて土浦を後にした。
鹿島海軍航空隊は土浦から車で一時間位の霞ヶ浦湖畔近くの場所にあり……隊門から延びた舗装された道路の両側に二並びの兵舎がある、敷地面積的には土浦より小さめの航空隊だった。
通称「赤トンボ」と呼ばれた九三式中間練習機、二式水上戦闘機や彗星などの実戦機が配備され……隊門に入った瞬間から実戦の凄まじさが身に沁みて感じられた。
まず飛行服、飛行靴、飛行帽、メガネ、ライフジャケットそして飛行カバンが支給されたが……
飛行場から爆音で飛び立った機が綺麗な編隊飛行で真上を通ったり、棄身の急行下で水上に浮かんだ標的を銃撃するその様子をみて、自分も飛べるか不安で堪らなかった。
中間練習機の教程で使用される九三式中間練習機……通称「赤トンボ」での飛行訓練は、土浦の時よりも更に厳しいものだった。
教官、教員が同乗して宙返り・緩横転・背面飛行等の特殊飛行や、編隊飛行を行い……
その後単独飛行でこれらを行うが、4ヵ月後にはその教育を終了して実用機教育教程に移るために適性や能力に応じて所属が決まる。
毎日本当に厳しい訓練だったが、気の進まない僕でも初飛行の時は自分が空を飛んでいる事が嬉しくて興奮した。
地面からフワリと浮かんで空中に高く舞い上った瞬間……初めて飛行機搭乗員になった事を実感した。
中でもヒロは大興奮で「やっぱりすごいわ~どこまでも飛んで行ける気がしたわ」と夜も眠れない様子だった。
そんな生活に慣れ始めた6月の初めての上陸の日……
「よし! 土浦に行くで~」
ヒロが突然、呑気な声で言い出した。
「え、どうやって? 歩いて往復するには時間が間に合わないし、他に交通手段がなさそうだけど……」
「俺にいい考えがあるんじゃ~土浦に向かう軍の車に、こっそり乗り込めばええんじゃ~」
「そ、そんなことして大丈夫なの?」
僕が心配していた通り、僕達は車に乗り込む瞬間に案の定上官に見つかり……「恥を知れ! 軍の車に忍び込むとは、お前達はそれでも帝国海軍軍人か!」 と一喝された。
それから「今からお前達に、今後このような事のないよう気合を入れてやる!」と今までで一番激しい鉄拳が飛び……
おまけに「当分の間、お前達の上陸は禁止する!」と外出禁止の罰直まで言い渡され、平井くんと五人で食堂に行く約束も、由香里ちゃん達の案内でホタルを見に行く約束も叶わなくなってしまった。
「あ~あ、ホタルはまた来年かな」
僕は思わずボヤいてしまったが……僕達は基地内で掃除をしながら、丁度四人なので歌詞が4番まである、練習機と同じ『赤とんぼ』の歌を坂本くん・ヒロ・島田くん・僕の順に交代で歌った。
「夕やけ小やけの赤とんぼ~負われて見たのはいつの日か~」
「山の畑の桑の実を~小篭に摘んだはまぼろしか~」
「十五で姉やは嫁に行き~お里のたよりも絶えはてた~」
「夕やけ小やけの赤とんぼ~? とまっているよ竿の先~?」
「ブァッハッハッハ~最後の最後に赤とんぼ、どっか行ってもうた感じやな~」
「だから一人ずつ歌うのは嫌だったんだよ~」
僕達は、歌が下手な僕の歌で大笑いした。
坂本くん達にも音痴なのがバレて恥ずかしかったけど……みんなが笑顔になれるなら、僕は歌が下手でよかったなと思えた。
笑っている間は、今後どんなつらい訓練があっても耐えられる気がした。
僕達が海軍の航空隊訓練に励んでいた頃……
1944年6月16日には大型爆撃機B-29による初めての空襲が北九州であり、八幡市などで270名以上が犠牲となってしまった。
陸軍造兵廠の工場にも爆弾が落ち……防空壕が埋まるなどで70~80名の方が亡くなったが、そのうちの約半分は学徒動員で働いていた女子学生を含む女子挺身隊だったそうだ。
6月19日から6月20日にかけては壊滅的な敗北を喫したマリアナ沖海戦があり……
海軍の航空搭乗員戦死445名、艦乗組員戦死と失踪で3000名以上が犠牲となってしまった。
日本側は空母3隻と油槽船2隻が沈没、損傷6隻……基地航空部隊も合わせて470機以上の飛行機と搭乗員を失い、西太平洋の制海権と制空権は完全にアメリカの手に渡ってマリアナが基地になり、日本全土への空襲が始まった。
7月にはサイパン島が陥落……
上陸した米軍と激しい戦闘を続けていた守備隊は7月7日に玉砕し、日本軍の95%であった4万1200人が戦死……
兵と一緒に行動をしていたため殺されたり、集団自決などで亡くなった在留邦人の民間人は1万2000人……
中には島の北端の崖から身を投げて自殺する者もいたという。
そしてサイパンが基地になった事により、日本本土のほとんどがB-29の攻撃範囲になり……
多くの被害を出す地獄のような空襲の日々が、とうとう始まってしまった。
卒業式では一人残る平井くんが「寂しい」と最後まで号泣していた。
「みんな元気でね……島田くん……君は僕の事忘れてたかもしれないけど、僕は離れている間もずっと友達だと思ってたよ? だからみんな離れててもずっと仲間だからね! 絶対またみんなで一緒に食堂に行こうね? ホタルも一緒に見ようね?」
「うるせぇ……分かったから泣くな」
「そういうお前もやで?」
「そういうヒロもだよ?」
「貴様達は俺の一生の仲間だ! 五人合わせて同期の桜でもあり、一人一人が同期の星だ!」
「坂本くん~!」
司令官からの祝辞と送別の言葉に対して最後の別れの敬礼をすると……
「第14期予備学生卒業退隊、総員見送りの位置につけ!」
隊門の前までの隊内通路の両側に分隊長、文官教官、分隊士、教員、練習生達が整列し……
通路の真ん中を挙手の礼で行進する僕達14期卒業生に何度も「頑張れよ」と声援を送りながら沿道で見送ってくれた。
隊門に卒業生の全員が到着して回れ右をすると、「帽振れー」の号令で互いに脱いだ帽子を頭上に高々と上げて振り合った。
告別の行進を終えて鹿島航空隊行きのバスに乗り込む前、わざわざバスまで見送ってくれた班長の目に光るものを見た時は、厳しいながらも育てあげてくれた分隊長、分隊士そして教員達の思いに僕達は涙が止まらなくなり……
平井くんや班は違えど共に励まし合った戦友や、班長達の姿が見えなくなるまで、僕達は何度も手を振り続けて土浦を後にした。
鹿島海軍航空隊は土浦から車で一時間位の霞ヶ浦湖畔近くの場所にあり……隊門から延びた舗装された道路の両側に二並びの兵舎がある、敷地面積的には土浦より小さめの航空隊だった。
通称「赤トンボ」と呼ばれた九三式中間練習機、二式水上戦闘機や彗星などの実戦機が配備され……隊門に入った瞬間から実戦の凄まじさが身に沁みて感じられた。
まず飛行服、飛行靴、飛行帽、メガネ、ライフジャケットそして飛行カバンが支給されたが……
飛行場から爆音で飛び立った機が綺麗な編隊飛行で真上を通ったり、棄身の急行下で水上に浮かんだ標的を銃撃するその様子をみて、自分も飛べるか不安で堪らなかった。
中間練習機の教程で使用される九三式中間練習機……通称「赤トンボ」での飛行訓練は、土浦の時よりも更に厳しいものだった。
教官、教員が同乗して宙返り・緩横転・背面飛行等の特殊飛行や、編隊飛行を行い……
その後単独飛行でこれらを行うが、4ヵ月後にはその教育を終了して実用機教育教程に移るために適性や能力に応じて所属が決まる。
毎日本当に厳しい訓練だったが、気の進まない僕でも初飛行の時は自分が空を飛んでいる事が嬉しくて興奮した。
地面からフワリと浮かんで空中に高く舞い上った瞬間……初めて飛行機搭乗員になった事を実感した。
中でもヒロは大興奮で「やっぱりすごいわ~どこまでも飛んで行ける気がしたわ」と夜も眠れない様子だった。
そんな生活に慣れ始めた6月の初めての上陸の日……
「よし! 土浦に行くで~」
ヒロが突然、呑気な声で言い出した。
「え、どうやって? 歩いて往復するには時間が間に合わないし、他に交通手段がなさそうだけど……」
「俺にいい考えがあるんじゃ~土浦に向かう軍の車に、こっそり乗り込めばええんじゃ~」
「そ、そんなことして大丈夫なの?」
僕が心配していた通り、僕達は車に乗り込む瞬間に案の定上官に見つかり……「恥を知れ! 軍の車に忍び込むとは、お前達はそれでも帝国海軍軍人か!」 と一喝された。
それから「今からお前達に、今後このような事のないよう気合を入れてやる!」と今までで一番激しい鉄拳が飛び……
おまけに「当分の間、お前達の上陸は禁止する!」と外出禁止の罰直まで言い渡され、平井くんと五人で食堂に行く約束も、由香里ちゃん達の案内でホタルを見に行く約束も叶わなくなってしまった。
「あ~あ、ホタルはまた来年かな」
僕は思わずボヤいてしまったが……僕達は基地内で掃除をしながら、丁度四人なので歌詞が4番まである、練習機と同じ『赤とんぼ』の歌を坂本くん・ヒロ・島田くん・僕の順に交代で歌った。
「夕やけ小やけの赤とんぼ~負われて見たのはいつの日か~」
「山の畑の桑の実を~小篭に摘んだはまぼろしか~」
「十五で姉やは嫁に行き~お里のたよりも絶えはてた~」
「夕やけ小やけの赤とんぼ~? とまっているよ竿の先~?」
「ブァッハッハッハ~最後の最後に赤とんぼ、どっか行ってもうた感じやな~」
「だから一人ずつ歌うのは嫌だったんだよ~」
僕達は、歌が下手な僕の歌で大笑いした。
坂本くん達にも音痴なのがバレて恥ずかしかったけど……みんなが笑顔になれるなら、僕は歌が下手でよかったなと思えた。
笑っている間は、今後どんなつらい訓練があっても耐えられる気がした。
僕達が海軍の航空隊訓練に励んでいた頃……
1944年6月16日には大型爆撃機B-29による初めての空襲が北九州であり、八幡市などで270名以上が犠牲となってしまった。
陸軍造兵廠の工場にも爆弾が落ち……防空壕が埋まるなどで70~80名の方が亡くなったが、そのうちの約半分は学徒動員で働いていた女子学生を含む女子挺身隊だったそうだ。
6月19日から6月20日にかけては壊滅的な敗北を喫したマリアナ沖海戦があり……
海軍の航空搭乗員戦死445名、艦乗組員戦死と失踪で3000名以上が犠牲となってしまった。
日本側は空母3隻と油槽船2隻が沈没、損傷6隻……基地航空部隊も合わせて470機以上の飛行機と搭乗員を失い、西太平洋の制海権と制空権は完全にアメリカの手に渡ってマリアナが基地になり、日本全土への空襲が始まった。
7月にはサイパン島が陥落……
上陸した米軍と激しい戦闘を続けていた守備隊は7月7日に玉砕し、日本軍の95%であった4万1200人が戦死……
兵と一緒に行動をしていたため殺されたり、集団自決などで亡くなった在留邦人の民間人は1万2000人……
中には島の北端の崖から身を投げて自殺する者もいたという。
そしてサイパンが基地になった事により、日本本土のほとんどがB-29の攻撃範囲になり……
多くの被害を出す地獄のような空襲の日々が、とうとう始まってしまった。