若い頃の私は、今と正反対で冗談の一つも言わない真面目さだけが取り柄のつまらない奴だった。
 もしも私の代名詞が「冗談ばかりでお調子者の陽気で明るい高田さん」というのなら……
 それはただ、あいつの真似をしているだけなのかもしれない。

篠田(しのだ)弘光(ひろみつ)

 あいつは坂本龍馬のようなやつだった。
 天性の人たらしというやつで、あいつの周りにはいつも笑いが絶えなかった。

 1942年4月……
 立教大学文学部の1年生になったばかりの私は、運命に導かれるようにあいつに出会った。
 そう思っていたのは私だけだったが……

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 入学式を数日前に終えて初めての授業が始まる前、僕は緊張していたが……
 同じく緊張していたのか、後ろの席からガチャガチャと筆入れを探っている音が聞こえ、カランカランと鉛筆が床に落ちる音が横からした。

 落ちた場所に近い学生は話しに夢中で気付かないようだったので、なんとか手を伸ばして取って持ち主に渡した。

「はい、落としましたよね?」

「すまんのう! おおきに! あっ、あの……」

「はい?」

「覚えてまへんか?」

「な……何を?」

「何でもないです」

 関西弁らしき言葉のその人の発言が気になったが……講師の先生が丁度来たので気にしないことにした。

 始まった授業は大変に興味深く、最初こそ集中していたが段々と眠気を帯びてきて……
 僕は目覚ましがてらノートの隅に窓から見えた雀の絵を書いた。

 僕は小さい頃から絵を描くのが好きだった。
 空に浮かんだ雲の絵……
 道端に咲いた名も知らない花の絵……
 何となく目に付いた、いつか消えてしまうであろう景色を形に残したいと気が向いた時に書き留めていた。

 授業が終わった後……

「お前……絵、上手いな」

 後ろから急に話しかけられた。

「名前は?」

「高田源次だけど……お前は?」

「篠田弘光だ! よろしく!」

 自信満々で握手の手を差し伸べてくれる姿が、爽やか過ぎて映画スターみたいだった。

「よ、よろしく……関西出身の方ですか?」

「高知出身の大阪育ちじゃ! たまに土佐弁使(つこ)てるからか坂本龍馬に似てる~とよく言われとるけどなっ」

 成る程「ガハハハ」と豪快に笑う笑顔と雰囲気が、何処となく似ている気がする……

「お前、生まれは?」

「埼玉だけど、知り合いのアパートに下宿してる」

「絵はどこかで(なろ)うたんか?」

「いいや誰にも……ただ描きたくて好きで描いてるだけだ」

「実は俺も昔から漫画描いとったんじゃ~でも下手でのう……話は面白いけど絵心がない~言うてよく笑われとったわ」

「へえ~どんなやつ? 見てみたいな」

「ほいたら明日持ってくるわ~楽しみにしとけ」

 次の日の授業後……
「これじゃこれじゃ」

 今まで書き溜めてきたのであろう自作漫画を渡された。

「どれどれ……ブッくっ……アッハッハッハ」

 主人公らしき人物の左右の目の大きさがまるで違う上に、目の焦点が明後日(あさって)の方向に行っている……

 まるでバケモノの子ならぬ何とも表現のし難い可哀想な主人公が、今まで見たことのない様な心躍る大冒険をしていた。

 どのページもミミズがのた打ち回ったような絵で……思わずページをめくる毎に笑いを堪えた。

「そんなに笑うなや~恥ずかしいわ」

「面白いよ! 絵の方はすごいが……こんなに面白い話の漫画、初めて読んだ!」

「そうか? 面白いか? そうじゃろ~話の方には自信があってな」

「この主人公はな~坂本龍馬をモデルにしてるんや」

「いつか龍馬のような主人公の漫画を描いて本を出す! それが俺の夢なんや!」

「成る程、なかなか素敵な夢じゃないか! 絵の方は相当練習が必要だけどな」

「そこでじゃ! 絵の上手いお前と、話の面白い俺との合作漫画を作るのはどうじゃ?」

「が、合作? 君が作った話を僕が漫画にするってことか? 無理無理無理! 漫画なんて描いたことないし……」

「俺とお前なら絶対、大丈夫じゃ~!」

 強引に肩を組まれ、(その根拠のない自信は何処から来るんだ?)と狼狽していたが……
 内心は今まで感じた事がない位ワクワクしていた。

 これから篠田と一緒に始まる大学生活が楽しみで仕方なくて、夢と希望に満ち溢れていく気がした。
 あの日が来るまでは……