1943年1月4日の昼過ぎ……
「それでは改めまして……明けましておめでとう~今年もよろしくね!」
年末年始は埼玉の実家に帰っており、三が日が終わってアパートに帰る前に播磨屋に新年のご挨拶をと寄ってみたら……すっかり新年会にお呼ばれしてしまった。
「よし純子、景気付けに歌じゃ~」
「任せて光ちゃん! ほら、みんなでお正月の歌を歌いましょう? せ~のっ……年のはじめの、ためしとて~終わりなき世の、めでたさを~松竹たてて、かどごとに~祝うきょうこそ、楽しけれ~」
まだ未成年でお酒は飲んでいないが飲んだかのように上機嫌な純子ちゃんとヒロと浩くんは、お正月によく歌う『一月一日』を歌ってくれた。
ヒロの声がデカくて聞こえづらかったが、相変わらず純子ちゃんはキレイな歌声だ。
「源次~お前も歌わんか~」
僕は歌が下手で歌いたくなかったので、慌てて誤魔化した。
「そっそう言えば1月1日の誕生花は『スノードロップ』で花言葉は『希望』らしいよ?」
「へえ~源次さんて色んな事を知ってるのね」
「純子ちゃん達から色々神田の事を教えてもらったから僕も何か教えられたらと思って色々勉強してるんだ」
「そうじゃ! これから神田明神に初詣に行かんか?」
「賛成~」
僕達は初めて一緒に初詣に行った。
年明けの神田明神は賑やかで、ウサギのお守りや色々な厄除けの品が売られていた。
ヒロは四人の中でも特に気合いを入れてお願い事をしていて……
「…………ますように!」
「今なんて? ヒロはなんてお願い事したの?」
「それはな…………秘密じゃ」
「何だよ」
「どうかウサギの力を、お分け下され~」
「なんじゃそりゃ」
「そう言えば前から明日の1月5日は空けといてって言ってたけど何かあるの?」
「それは明日のお楽しみ~明日は7時半に靖国神社に集合な! 実家から届いったっちゅう誕生日祝いの自転車も忘れんなや!」
1943年1月5日……
朝から快晴だったその日、純子ちゃん達と一緒に靖国神社に着くと……
ものすごい数の人がいて、その奥の場所に書いてあった文字に僕達は驚いた。
「靖国神社、箱根神社間、往復、関東学徒、鍛錬継走大会!?」
更に奥に行くと、ヒロを含む沢山の学生らしき人達がいた。
「光ちゃん、これってどういうこと?」
「実は夏前から駅伝の選手にならんかと誘われててな~今年こそ戦争で中止になっとった箱根駅伝を復活させるから、人数が足らん分を走ってくれ~言われたから協力しとったんじゃ」
「だから一緒に帰らなくなったのか……」
僕は今までのヒロの言葉を思い出し、一瞬で理解した。
「箱根は物資や兵器の輸送で民間人の立ち入りが制限されとったらしくて……軍需物資の動脈線でもある国道1号線の使用許可が下りずに一時は開催が危ぶまれたんや」
「じゃあ、どうして……」
「試しに、出発も到着も靖国神社で箱根神社を折り返し地点にした『戦勝祈願の大会』ならどうや~ちゅう風に交渉してみたら陸軍の許可が下りたんや」
その時、陸上部の主将らしき人が僕達に話しかけてきた。
「本当に篠田くんが色々手伝ってくれて助かったよ。しかも運動神経がいいと聞いていたから誘ってみたら、長距離走は未経験なのに僕ら経験者並かそれ以上に早くなるとは……」
「いやいや、そないなことありまへん」
「帰りは家まで走ってるって聞いたけど、君は本当に素晴らしい努力家だよ。今では僕らの期待の星だ! 第1区、頼んだぞ! 突破口を開いてくれ!」
「はいっ! 頑張ります!」
午前8時少し前……
僕達も出発地点付近に行ってみると大勢の応援団達がいて、出場選手が集合して準備運動をしていた。
出場校は11校……立教大学の他に出場するのは慶應義塾大学、專修大学、拓殖大学、中央大学、東京農業大学、東京文理科大学、日本大学、法政大学、早稲田大学……そして初出場の青山学院だ。
選手であろう人達が寒空の下で薄いトレーニングウェア姿となり、走り出す時を今か今かと待ちながら出発地点に立っている。
その中にヒロの姿があるのが、何だか不思議でドキドキした。
僕は自転車で並走するために、出発地点から大分先に進んだ離れた場所でペダルに足を掛けて準備をした。
ご時世的にガソリン不足のためか伴走自動車は禁止されていて、木炭車・自転車・サイドカーのみが許可されていた。
「源次さ~ん! 私も乗せて~!」
「うえ~? でも僕、二人乗りしたことないから……」
試しに周辺を二人乗りしてみたが、余り影響がないくらい純子ちゃんは軽かった。
そう言えば下敷きになった時もそんなだった気がする。
そして迎えた午前8時……
「ヨーイ…………ゴー!」
合図とともに一斉に選手たちが飛び出した。
ヒロを含めた駅伝選手達の顔は皆、走れる喜びと希望に満ち溢れていた。
栄養不足の中で体力もなく、練習すらまともにできなかったらしいが……その走りはとても力強かった。
「頑張れ~! ヒロ~!」
並走をしようと駆け抜けた沿道には、歓声を上げる応援の人がつめかけて声援を送っていた。
人々の表情はみんな明るく、戦時下の暗い影など何処にも感じられなかった。
立教のタスキの色は、『江戸紫』だった。
校歌の歌詞に紫や武蔵野が出てくるが、武蔵野で栽培していた紫草……通称ムラサキは6月~7月に星のような小さな白い花を咲かせる。
その根を染色に用いることで鮮やかな紫色が生まれるそうで、紫草によって染められた『江戸紫』は江戸時代に最も流行した色だったそうだ。
1区は強豪校のベテラン揃いといった感じで、集団の中で抜きつ抜かれつが繰り返されて暫く固まって走っていたが……
六郷橋に差し掛かる手前でヒロのペースが落ち始めた。
「光ちゃ~ん! 頑張れ~! 負けるな~!」
純子ちゃんの応援の声が届いたのだろうか……
ヒロの表情が明らかに変わり、覚醒した獣のようにスピードを上げた。
さすが亥年生まれだと思うよりも早く、あっという間に後続を引き離し……
なんとヒロが1位に躍り出た。
その後を日本大学と東京文理科大学が追いかけていく。
「ヒロ~そのまま突っ走れ~お前なら出来るっ、お前なら、大、丈、夫だ~」
その頃、僕の体力は限界を超えていて……声を出すのがやっとだった。
既に自転車で追いつけないスピードで先頭を走っていくヒロの後ろ姿は、普段ふざけてばかりの姿が想像できない位かっこよくて……
沢山の鳥達の先頭を飛ぶ、渡り鳥のリーダーみたいだった。
昔、妹にせがまれて渡り鳥を図鑑で調べたことがあるが……立教の紫と重なってムラサキツバメの姿が浮かんだ。
1区のゴール地点は僕達の大分先の方だったが、その歓声から誰が一番にゴールしたのかが分かった。
「すごいぞ~立教1位通過!」 「区間賞だー!」
急いでゴールに辿り着くと、立派に紫のタスキを繋いだヒロは待ち受けていた応援団に胴上げされていた。
「ヒロ~よくやったー! おめでとう!」
「おめでとう、光ちゃん!」
胴上げから降りたヒロは僕と熱い抱擁を交わした後、泣いている純子ちゃんを見て真っ直ぐにこう言った。
「おめでとうはお前や純子! 明後日の誕生日おめでとう! 俺は誕生日祝いで俺にしか出来ない祝いをあげたかったんや……今日明日の箱根駅伝の結果が丁度1月7日の新聞に出るような日程になったんは偶然やけどな」
「すごい……すごいよ光ちゃん。このために頑張ってくれてたんだね……私、本当に嬉しい」
ヒロと純子ちゃんは僕の時より全然長い熱い抱擁を交わした。
二人は何処からどう見ても、お似合いのアベックだった。
純子ちゃんにこんなにも幸せをあげられるヒロは、『幸福な王子』の王子様みたいで……同時に幸せを運ぶツバメみたいだなとも思った。
結局その後の2区はそのまま立教が1位を守ったが、3区で抜かれて日大がトップに立って4区で慶應が先頭を奪い、往路を制したのは慶應大学で立教大学は7位だった。
2日目の復路は靖国神社にゴールを見に行ったが……
日大、慶大、法大が激しい争いを展開していく中、日大が10区で逆転……13時間45分5秒で日大が総合優勝を飾った。
その次の2位でゴールしたのが慶應、3位が法政、立教は大健闘の6位だった。
戦時下で行われた今回の箱根駅伝は、ペース配分に失敗した者や途中で肉ばなれになった者、抜きつ抜かれつの様々な人間ドラマがあったが……
参加した11大学全校が途中棄権することなく、見事に最後までタスキを繋いだ。
そのゴールはチームメイトだけではなく、参加者全校の選手が出迎えた。
最下位は初出場の青山学院だったが、首位から3時間近く遅れているような状況でも沿道からの応援の声は止まず、日没近くになってゴールした際には歓声が上がり……
参加者の皆にあたたかく迎えられた最高の最後のゴールだった。
皆が興奮と感動で涙を流している中……選手達や監督は、ある予感を抱いていたそうだ。
これが最後の箱根駅伝になるのではないか、という確かな予感を……
1月7日の純子ちゃんの誕生日当日……
僕達は播磨屋の2階に集合して四人でお祝いをした。
「純子」「純子ちゃん」「姉ちゃん」
「お誕生日おめでとう~!」
「ありがとう~」
ヒロからの誕生日プレゼントである箱根駅伝の記事が載った新聞と、浩くんからの手作りの首飾りを受け取って嬉しそうに微笑む純子ちゃんに、僕は自分のプレゼントを渡すのが恥ずかしかった。
ご時世的に探すのには苦労したが、ヒロのような努力のプレゼントではなくて買った物だし、半年かけたヒロと比べたらとモジモジしていたら……
ヒロが気を使って「浩! 下に残ってた料理受け取りに行くぞ~」と二人きりにしてくれた。
「コレ、お誕生日祝い……大したものじゃないんだけど……」
「わ~ありがとう! 素敵なスミレ柄の傘……」
「す、スミレの花言葉は『小さな幸せ』らしくて……ヒロみたいに大きな幸せじゃないから余り嬉しくないかもだけど……」
「そんなことないわ! 私、スミレ好きだから嬉しい! 早く雨が降らないかしら~早く傘が使いたいな……今まで雨が嫌いだったけれど雨が好きになれそう」
その言葉が嬉し過ぎて、心の声が思わず口から出てしまった。
「傘になれたらいいな……そしたら純子ちゃんを冷たい雨から守ってあげられるのに……」
「えっ? 今、なんて?」
「な、何でもないよ」
僕は耳まで真っ赤になってしまったが、聞こえていないようで安心した。
傘をクルクル回して部屋の中で嬉しそうにはしゃぐ純子ちゃんは本当に可愛くて……
いつもは実年齢より上に見えるのに、今日だけ幼く見えた。
「源次さん、本当にありがとう! コレどうやって閉じるのかしら? 痛っ」
傘を閉じようとして指を挟んでしまったようで、僕は慌てて純子ちゃんの手の怪我を確認した。
「だ、大丈夫? 血、出てない?」
「だ、大丈夫、です……」
手を握った状態での至近距離が余程恥ずかしかったのか……手を離してからも純子ちゃんの顔は耳まで真っ赤になっていた。
「……ご、ごめんね」
「私の方こそ、傘の畳み方も下手なんてお恥ずかしい……」
お互いペコペコお辞儀をしていたら、ヒロ達が入ってきて僕に思わぬ事を言ってきた。
「源次~静子おばさんも言うてたんやけど……今日、俺の部屋に泊まっていかへん?」
初めて泊まるヒロの部屋は、純子ちゃんと浩くん達の隣の部屋でドキドキしたが……
二人が寝静まった頃、僕達は男同士の秘密の話をした。
「お前さ……純子のこと好きやろ?」
「は、はあ? 何言ってんだよ、お、お前こそどうなんだよ! 箱根駅伝で純子ちゃんと抱き合ってて、アベックみたいだったぞ!」
「あれは従兄妹だからやろ? ただの家族の抱擁で……って気にするってことはやっぱりお前、純子のこと好きやろ?」
「ち、違うよ! 僕はただ純子ちゃんに幸せになって欲しくて……い、妹に似てるんだ。歌が上手い所も、名前も……」
僕は自分に嘘をついた後ろめたさから、今まで思っていた本当の事を言った。
「妹?」
「僕には2つ下の妹がいたんだ。純子ちゃんと同じ純て漢字が入った純奈っていう名前の妹で……小さい頃から歌が大好きで、透き通るキレイな歌声で……近所でも将来は歌手になるんじゃないかと評判だったよ」
「そりゃ初耳じゃのう! お近付きになりたいから今度紹介してく……」
「死んだんだ……1931年の9月21日にあった西埼玉地震で」
「それは…………ふざけてすまん」
「直下型の地震でさ……川に沿った比較的地盤が軟らかい場所が液状化したり、場所によっては関東大震災の時より被害が酷くて多くの建物が潰れたんだ」
「俺はその頃大阪やったけど、そんなに大変やったとは……」
「住んでた家はなんとか大丈夫だったんだけどね……その年は純奈が丁度数え年で7つになる年で、9月21日は七五三の着物を仕立てに行く日だったんだ……たまたま行ってた場所が被害が酷い地域で、それで……」
「それ以上言わんでええよ」
「妹がいなくなってから母さんは変わってしまった……僕も悔しかった……出かける前に『七つの子』を歌いながら、七五三のお祝いが源にいちゃんの誕生日で嬉しいって言ってたんだけどな……」
「七五三か……そういや11月15日やな」
「小さい時からおとぎ話が大好きでさ……誕生日に貰った世界童話集を持ってきて、よく読んで読んでとせがまれたよ……特に『幸福な王子』が大好きだった」
「どんな話やったっけ?」
「王子の像が、身に付けていた宝石や黄金を貧しい人たちに配って欲しいとツバメに託すお話……剣のルビーは病気の子どもに、両目のサファイアは貧しい若い劇作家とマッチ売りの少女にって……」
「ああ、あの金箔も配ってボロボロになってツバメも死んで王子も捨てられる話やな? どこが幸福な王子やねんってツッコんだわ」
「だよね、でも純奈が言ってた……温かい南の国に行くこともできたのに、自分を命を犠牲にしてでも自分の願いを叶えてくれて、最後の最後まで自分のそばにいてくれたツバメに出会えて王子は幸せだったんじゃないかって……だから『幸福な王子』って題名なんじゃないかって」
「すごい子やな、おかげで思い出したわ……ツバメが死んで王子の鉛の心臓が割れて捨てられてしもうたけど、溶鉱炉でも鉛の心臓だけは溶けへんかった……」
「そう……この世で最も尊いものを持ってくるよう命じられた天使は、ゴミ溜めに捨てられた王子の鉛の心臓とツバメの骸を天国に連れていき、神は天使を褒めて王子とツバメは天国で永遠に幸せに暮らしましたって話だったよね」
「王子とツバメは幸せやったんやな……そんな小さいのによう気付いたなぁ」
「本当に優しい子でね……七夕の笹に『背が高くなりますように』と書いた短冊を飾りつけている僕の横で、『世界中のみんなが幸せになりますように』と立派な願い事を書いて微笑んでいたよ」
「そりゃえらいのう……あれ? お前の願い、半年前の浩と同じやん」
「そうなんだよ。だから七夕の時、短冊を見て妹のこと思い出して……歌も上手いし名前の漢字も同じだし純子ちゃんは妹に似てるなって」
「そうか、妹か……」
「スミレの花も好きだった……大きくなったら純子ちゃんが着てたみたいなスミレの浴衣を着てたんだろうな……」
僕は話しながら、いつの間にか泣いていた。
「僕ね……本当は純奈みたいな子に希望が届くような物語を書きたくて文学部に入ったんだ。純奈の誕生日に手作りの絵本を渡そうと思って準備してたんだけど結局渡せなかったから……」
「そうか……なんか俺ら同じやな……実は俺も坂本龍馬みたいな漫画を描こうとしたのは純子のためやったんや」
「……知ってる」
「でもそれだけじゃない……本当は戦争に邁進している今の日本を変えたかったんだ……争いのない世の中を作ろうとした、坂本龍馬みたいに」
「やっぱりお前はすごいな……純子ちゃんにとってお前はきっと王子様のような存在だよ。ヒロが駅伝で先頭を走ってる時、渡り鳥の先陣を切るリーダーみたいでかっこよかった」
「買いかぶり過ぎや」
「みんなに幸せを運ぶ『幸福な王子』のツバメにも見えたよ……いや、やっぱり王子様かな」
「いや王子様はお前だよ……だって純子は……」
「僕はヒロの冗談で笑ってる純子ちゃんが好きなんだ……三人で笑ってる時間が一番大好きなんだ」
「ほんまはな、源次と二人で描いた漫画を今年の純子の誕生日にプレゼントする予定やったんや……俺の思い過ごしで作戦変更してしもうたけどって何でもないわ……来年の純子の誕生日プレゼントは、二人で描いた漫画にしような」
「賛成〜僕の昔の願いも叶うし、一石……二鳥……だよ……」
「俺な、走ってみて分かったんや。駅伝は自分一人だけで走るんやない……人と人が繋がって、未来に希望を託していく競技なんやって……」
ヒロが何か言っていたが、僕は例の如く先に寝落ちしてしまった。
それから1ヶ月後の1943年2月7日……
ガダルカナル島にアメリカ軍が上陸した1942年8月7日から6ヶ月間、厳しい戦いを強いられていた日本軍が撤退した。
大本営発表で「転進」という言葉にすり替えられていたが、本当は地獄のような酷い惨状だったんだ……
ガダルカナル島……日本から南に約5千キロ以上離れたソロモン諸島の島……
晴れた日は空も海も真っ青でとても美しい島であるが、日本にとっては地獄のような惨状が繰り返された辛く苦しい悲劇の島になってしまった。
米国と豪州を分断する拠点として日本軍が建設していた飛行場が完成したばかりの1942年8月7日……
アメリカは軍をガダルカナル島に上陸させて飛行場を占領した。
大本営の見積もりが甘く、1万人以上いた米軍の規模を約2千人と判断し、日本軍は精鋭部隊900人を逆上陸させて飛行場奪還を目指したが、正面攻撃を受け部隊は壊滅……
その後も増援部隊を送り込んだものの、物量に勝る米軍との消耗戦となり、補給の続かない日本軍は飢餓に苦しんだ。
日本は夜間の奇襲攻撃作戦を行ったものの、日本軍が使用していた銃剣と米軍の機関銃では威力がまるで違い、激戦地となったムカデ高地は血染めの丘と呼ばれるようになった。
食糧を輸送しようとした海軍の潜水艦や輸送船は攻撃を受け沈没……
補給を絶たれた日本兵は、ジャングルの中で飢えとマラリヤや赤痢に苦しみながら死んでいった。
最初のうちは配られていたお米も底をつき、寝ている間に盗まれたり食糧の取り合いで日本人同士の撃ち合いになることもあった。
それもなくなるとヤシの実やヘビやトカゲを食べて命を繋いだり、極限状態の中で生きるために死体の肉に手を出した者もいたという。
8月8日の第1次ソロモン海戦、8月24日の第2次ソロモン海戦、10月11日のサボ島沖海戦、10月26日の南太平洋海戦……
そして11月12~15日の第3次ソロモン海戦に日本は敗れ、制空権制海権は完全にアメリカに握られた。
負傷した日本兵の一部は、手当をしようと救いの手を差し伸べた米兵に対して手榴弾で自爆攻撃を実行した。
日本軍に降伏という選択肢がないことを悟ったアメリカ軍は、横たわっている日本兵がいると生きていようが死んでいようが戦車のキャタピラで踏みつぶすようになったそうだ。
ガダルカナル島は孤立して日本の守備隊はジャングルに逃げ込まざるを得なくなり、陸軍は船舶増徴による救援を要求したが、12月31日に大本営はガダルカナル島の放棄を決定した。
しかし情報が漏れることを恐れた大本営は、命令の伝達を無線ではなく人づてで行ったため、伝わるまでに2週間余りかかり……撤退命令を知らないまま多くの隊が壊滅した。
結局ガダルカナル島に上陸した日本軍約3万人のうち2万人以上が亡くなってしまった。
そのうち戦闘ではなく餓えとマラリアなどの病気で命を落とした者が1万5千人にものぼり、ガダルカナル島は「ガ島=餓島」と呼ばれるようになった。
大本営が撤退を命じ、実際に撤退できた者は約1万人……
歩けない者は置き去りにされ、負傷者は自決……または処分を余儀なくされた。
ガダルカナル島の戦いは、補給の軽視、情報収集の不徹底など連戦連勝で慢心していた日本軍が敗北を喫し攻守が逆転するきっかけとなる歴史的な悲劇の戦いになってしまった。
そして2月9日、大本営はガダルカナル島からの「撤退」を「転進」として発表した。
新聞は、戦況の悪化にもかかわらず有利であるかのように戦果を水増しすることが常態化しており、反対に被害は少ないことにして虚偽の発表を行い続けることに葛藤して心苦しかったことだろう。
同じく1943年2月、日本政府は「軍需造船供木運動」を開始……急速に進む鉄不足で鋼船に代えて木造船を緊急増産する必要があるため、山林だけでなく屋敷林・社寺林・並木・公園・海岸林の木々が一斉に伐採された。
桜は薪や下駄の材料にもなるため、1年前に「来年も一緒に見ようね」と約束した神田明神と宮本公園の桜は、その花を咲かせる前に伐採されてしまい……お花見は中止となった。
そんな1943年5月のある日、珍しくいつもの三人が外出していたので播磨屋で一人で食事をしていたら、見知らぬ兵隊さんが訪ねてきた。
「失礼致します。宮本浩一隊長の奥様であられます、宮本静子殿はご在宅でいらっしゃいますでしょうか? わたくし宮本隊長と同じ隊で大変お世話になりました岩本と申しますが……本日はご報告とお届けしたい物があって参りました」
「はい、宮本静子は私ですが?」
厨房の奥から静子おばさんが出てくると、その兵隊さんは敬礼をしながらこう続けた。
「宮本隊長は…………ガダルカナル島で立派に散華されました。 こちら渡すよう頼まれておりました、正帽の星と少しですが遺骨になります」
「えっ? あの、何かの間違いじゃ……確かガダルカナル島からは転進……」
「大変……申し訳ありません! 自分のせいで宮本隊長は……本当はご家族に顔向けできる立場ではないのですが、宮本隊長との約束を果たすために参りました!」
岩本さんは扉を閉めた後、そう言いながら店の中で土下座をした。
外から見聞きされないよう配慮したようだった。
「どういう事なんですか? こちらでお話お伺いします」
静子おばさんはお店の暖簾を急いでしまい、兵隊さんを奥の部屋に案内した。
岩本さんは、お茶を一口飲むと堰を切ったように話し始めた。
「取り乱して申し訳ありません……宮本隊長には名字が似ているからか大変可愛いがっていただきまして、宮本隊長は皆にとって憧れの存在でありました。ガダルカナル島で皆が飢餓や病気で戦う力もなく死んでいく中、隊長は立派な最期を迎えられて多くの者の希望の存在になりました」
「そうですか……あの人に何があったのか、どんな最期だったのか……教えてもらえますか?」
静子おばさんは取り乱す様子もなく、静かに問いかけていたが……それが余計に痛々しかった。
「ガダルカナル島に撤退命令が出て、海に向かう途中のジャングルの中でした……米軍による銃弾の雨の中、立つ力もなく隊の皆のように壕を掘れないで木の根元に身を寄せていたら、宮本隊長が『俺の掘った壕に入れ』と私を引きずり入れて下さったんです」
「そうですか……相変わらず優しい人」
「でも代わりに自分は壕の外に出てしまわれた……その直後に銃撃があり、我々の隊を守るようにして宮本隊長は…………意識は暫くあったんです、でも出血が……止まらなくて……」
岩本さんは泣きながら続けた。
「自分の正帽を差し出して『星を切り取ってくれ』と……『お守りだ、お前は生きて帰れ』と……そして『生き残ったら、必ず家族に渡してくれ、約束だ』とおっしゃられました」
「それから『小指の先を切って骨を持ち帰ってくれ』と……あの島に行って遺骨を持ち帰るのは不可能に近かったんですが、奥さんと生きて帰ると約束したから……『せめて指切りげんまんをした小指だけでも帰らないと怒られる』と……最期に奥様やご家族を思い出されたのか、とても穏やかな笑顔でした」
箱を差し出すと同時に中の骨が揺れたのか、カランという音が聞こえた。
「そのまま置き去りにされるご遺体が多い中、簡易的ではありますが埋葬し皆が別れを惜しみました……『必ず生き残れ、それが最後の命令だ』という隊長の言葉が今でも耳に残っています」
「恥ずかしながら戻って参りましたが、自分は約束があるから生きて帰ることができました……宮本隊長のおかげで命拾いをした者が沢山いるんです」
「そうですか……それはよかった」
「志半ばで最期を迎え、必ず届けると約束した大勢の遺書は……カバンに入れて大事に持ち帰ってきたのに入国時の検査に引っかかり、全て軍に取り上げられました……今の日本はおかしいです」
「せめて隊長の遺品だけは守ろうと必死で……なんとか持ち帰れて本当によかった。ガダルカナル島から届けられなかった沢山の手紙の代わりに、宮本隊長の遺品を届けることが僕の生きる目標でした」
「2月に撤退した後にブーゲンビル島に移ったのですが、送還命令が出たのが5月になってからでご報告が遅くなり大変申し訳ありません……本当に、本当にありがとうございました!」
「こちらこそ、大事な大事な遺品を……皆さんの想いがつまった届けられなかった手紙の分まで届けて頂き、ありがとうございました。岩本さん……岩本さんは主人の分まで長生きして下さいね」
涙も見せずにそう告げて、岩本さんが去っていくのを手を振りながら見送る静子おばさんの後ろ姿からは、バラバラになっていく心の……声にならない悲鳴が聞こえた気がした。
岩本さんを見送った後、入れ違うようにさっきまでいなかった三人が帰ってきた。
浩くんがヒロと純子ちゃんの真ん中で嬉しそうに手を振りながら歩いてくる。
「ただいま~お母ちゃんの誕生日のお祝い見つかったんだよ~お父ちゃんも5月生まれだからお揃いの……」
「そ、それは秘密の約束じゃろ?」
「あ~あ、浩ちゃんは口軽いんだから」
明るい三人に心配をかけまいと思ったのか……静子おばさんは作り笑顔で絞り出すような声で言った。
「お父ちゃん……帰ってきたよ」
「本当?」「本当に?」「ほんまか?」
静子おばさんの言葉を聞いて三人とも駆け込むように播磨屋に入り、2階と1階を隅々まで探してキョロキョロしている。
「お父ちゃんどこ? どこにもいないよ?」
「……ここにいるよ」
静子おばさんは箱を開けながら三人の前に差し出した。
「何これ? 小さい石と……星?」
箱の中を覗き込むと、三人には石のように見えた小指の骨と、丁寧に包まれた綺麗な紙の中に古ぼけた正帽の星が入っていた。
「お父ちゃんの骨と正帽の星だよ……お父ちゃんは立派に散華されたそうで先程届けて下さったの」
その瞬間……三人の表情が固まった。
「嘘……嘘だよね? お父ちゃんは帰ってくるんだよね? 必ず帰ってくるって言ったじゃないか!」
「浩……お父ちゃんは……」
「お母ちゃんの嘘つき! お母ちゃんなんか嫌いだ!」
浩くんは泣きながら2階に駆け上がってしまった。
純子ちゃんは呆然とした表情でその場で崩れ落ちそうになり、隣にいたヒロがそれを支えてなんとか立っていた。
「おばさん……ほんまなんですか?」
「本当よ……ガダルカナル島で同じ隊にいた方が来て下さって……それで……」
そう言いながらふらついた静子おばさんは隣にいた僕が支えた。
二人を奥の部屋に案内して念のため布団を敷くと、そのまま二人とも寝込んでしまった。
「源次……すまんが色々手作ってもらえんか? 今日泊まっていき」
「もちろんだよ」
ヒロが夕食を作ると言うので2階に行くと、浩くんはお父さんに貰った誕生日プレゼントのブリキ船の長門を抱いて布団の中で泣き続けていた。
僕は添い寝をしながら布団を擦ることしかできなくて……まだこんなに小さいのに親を失って悲しんでいる子に何もできない事が悔しかった。
「お父ちゃん……お父ちゃ……」
いつの間にか寝てしまった浩くんの目蓋は涙で真っ赤に腫れていた。
寝顔を見届けた後でヒロを手作うため下に降り、二人で簡単な夕食を作って寝ている三人の元に運び、僕とヒロで先に食べようとしたが二人とも食欲がなくて御膳を台所に下げた。
いつも夕食を食べているらしい時間になっても三人は起きることはなく、純子ちゃんと静子おばさんは泣く様子もなく黙って天井を見つめていた。
純子ちゃんは箱を抱えて、静子おばさんは星を握り締めて……
本当につらい時は涙も出ないのかと二人が余計に心配になった。
その事をヒロに相談しながら浩くんを挟んで川の字で寝ようとしたら、丁度目が冷めたようで……「一緒に来て」と言うので三人で下に行った。
浩くんは、純子ちゃんと静子おばさんの布団の横に正座すると……
「お母ちゃん? さっきはごめん。僕、本当はね……今日お母ちゃんにお父ちゃんとお揃いのお祝い渡して『誕生日おめでとう』って言いたかったの……『お母ちゃんもお父ちゃんも大好きだよ』って言おうとしてたのに反対の事言っちゃってごめん」
「いいのよ浩……浩は何も悪くない」
「さっきね、夢を見たの……お父ちゃん言ってたよ? いつでもそばにいるって……星から見守ってるんだって」
「私も小さい時お父ちゃんに教えてもらったわ……お父ちゃんのお父ちゃんも北極星にいて、どんなに時が経ってもずっと同じ場所から見守ってるんだって」
「だからね……お母ちゃんは一人じゃないよ? 姉ちゃんもさ……僕がいるよ? 僕、絶対お母ちゃん達を守れる強い男になるよ! だからね……泣いてもいいんだよ?」
家族を守ろうとする小さな背中は、頼もしい勇者に見えた。
「浩ちゃん!」「浩!」
純子ちゃんと静子おばさんは、浩くんを強く抱き締めながら、いつの間にか泣いていた。
「あり……がと……まさか浩ちゃんに教えてもらうなんてな……いつまでも見守ってるって昔お父ちゃん言ってたよね……お星さまにした願いは、いつか必ず届くんだって」
「ありがとね浩、大事な事を教えてくれて……おかげで思い出したよ……『たとえ距離が離ればなれになっても、心はずっとそばにいるから結婚して下さい』って言ってくれた時のお父ちゃんを……」
「戦争に行く前に『必ず帰る』と指切りげんまんで約束した通り、お父ちゃんはこうやって帰ってきてくれた……」
「お父ちゃんは、ちゃんと……あんたたちの中に生きてるんだねぇ……あんたたちがお父ちゃんからの最高の贈り物だよ」
そういうと、静子おばさんはしっかりと浩一さんの忘れ形見である二人を抱き締めた。
「弘光さんも高田さんも色々ありがとね……そうだ、仏壇の位牌の中に空洞があるからお父ちゃんの骨とお星さまはそこに入れましょうか」
「賛成~それならお父ちゃんとずっと一緒にいられるね」
「そうだ! はい……これ遅くなっちゃったけど、お揃いのお茶碗……お母ちゃんもお父ちゃんも誕生日おめでとう! これで一緒にごはん食べよう?」
僕達はそれからみんなで夕食を食べた。
お揃いで色違いのお茶碗をちゃぶ台に並べて、浩一おじさんのお茶碗にもご飯をよそって……
おじさんの思い出話に時には泣きながら、時には笑いながら……
僕はアルバムの写真を見ただけで浩一おじさんには会ったことはないが……まるで食卓に一緒にいるような気がした。
浩一おじさんの訃報があった翌月である6月6日の浩くんの誕生日には、好きな戦艦である長門の絵を描いた手作りのメンコをあげた。
本当はもっといいものをあげたかったが物資が少なくなってきており、丁度メンコ遊びが流行っているそうで喜んでもらえてよかった。
6月25日には戦争拡大による労働力不足で「学徒戦時動員体制確立要綱」が閣議決定され……学校報国隊の強化、戦技・特技・防空訓練が始まり、女子は救護訓練を行うことになった。
『欲しがりません勝つまでは』のスローガンが紙芝居にまで書かれるようになったご時世的に、昨年のお祭りや七夕のような日々を過ごすこともなく……
ヒロとの共同制作の漫画には打ち込んでいたものの寂しい夏を過ごしていた。
そんな1943年の8月12日……
「金属類回収令」が強化されて「金属回収本部」が設置され、東京では「金属回収工作隊」が編成されて国民が持つ鉄や銅・青銅製品の他に鋼や鉛なども回収対象となり、回収が強行された。
マンホールの蓋や鉄柵、銅像や寺院の仏具や梵鐘などの回収は既に始まっていたが、家庭の鍋や釜、洗面器、そしてブリキの玩具までもが対象で……
誕生日に浩一おじさんから送られた戦艦長門も対象になった浩くんは、回収の人達の前で泣きじゃくっていた。
僕もヒロ達と一緒に「父親の形見なので見逃して下さい」と頼み込んだが、「今は皆が我慢している時だ」と特例は許されず……
浩くんが大事そうに抱えていたブリキの戦艦長門は取り上げられてしまった。
大人だけでなく小さな子供の……しかも亡くなってしまった父親の形見まで取り上げる政府のやり方に、僕は疑問を感じずにはいられなかった。
「本当に持ってっちゃうの? 僕の宝物なのに……」
泣きじゃくる浩くんの頭を撫でながら、僕はある話を思い出した。
「長門はね……関東大震災の時に正式な出向命令が出る前に、いち早く救援物資を積んで助けに来てくれた立派な船なんだ……だからあの船もきっと日本を助けに行ったんだよ」
浩くんは泣き止んで真っ直ぐに僕を見つめた。
「知ってる…………僕の長門は誰かを助けられるかな? 生まれ変わってもカッコイイかな? 溶けて形が変わっても大切にしてもらえるかな?」
ブリキが兵器に変わってしまう事を知っていた僕は、「そうだね」と言いながら浩くんを抱き締めることしかできなかった。
浩一おじさんの戦死広報は8月末頃になってようやく届き……
静岡の連隊の所属だったという浩一おじさんは、『ガダルカナル島にて腹部盲管銃創により戦死』という短い文字のみでその訃報を伝えられた。
隊の皆に慕われて後輩を庇って死んだ素晴らしい人だったのに……定型文が並ぶ中に書き込まれた死を知らせる文章はたった20文字だった。
戦死広報を仏壇に備えて涙を浮かべながら手を合わせる純子ちゃん達の横で、ヒロは「何もできなかった」と悔しそうに拳を握り締めていた。
ヒロが変わっていったのは、その頃からだった。
1943年9月16日……
僕と純子ちゃんはヒロに誘われて、三人で公開されたばかりの『決戦のあの空へ』という映画を見に行った。
霞ヶ浦海軍航空隊から海軍飛行予科練習部を独立させたという土浦海軍航空隊が舞台で、『若鷹の歌』という軍歌が映画の中で訓練予科練生が作った歌として出てきた。
面倒見のいい姉と身体の弱い弟が予科練生と交流する中で入隊を決意する物語で、ヒロや他の観客は熱心に見入っていたが……攻撃精神や犠牲的精神を植え付ける国策映画に見えて僕は余り好きになれなかった。
見終わった後の感想は三者三様で……
「予科練の制服の七つボタンかっこええのう……土浦に行ってみたくなったわ~海軍は食べ物に困らないらしいで?」
「でもハンモックに寝るのや、走ったり水泳や相撲で訓練するのは大変そうだよ」
「訓練場でウサギを大切に育てていた先輩が魚雷を抱えた体当たり戦闘攻撃で亡くなった話は悲しかったわ」
すっかり映画の虜になってしまったヒロが「姉役の原田節子さん可愛らしかったな~」と言うと、純子ちゃんが「松竹三羽烏の高田みのりさんも素敵だったわ」と怒ったように言うので、二人の間にいた僕は頷くしかなかったが……
内心はヒロの言葉にモヤモヤしていた。
僕には大打撃を受けて少なくなってきた兵力を補充するために、海軍少年航空兵育成機関の予科練を宣伝する海軍のプロパガンダ映画に見えたが……
家族が戦死したりで敵を討ちたい者達にとっては、若者が厳しい訓練に打ち込み勇ましく戦場に向かおうとする姿は心を打つものであったようだ。
そこには家族・親族を失った者とそうでない者で、戦争に対する意識の違いが少なからず影響していたのであろう。
純子ちゃんが帰った後、僕はヒロを自宅に誘い……眠る前に初めての喧嘩をした。
「ヒロ……お前変わったよな……戦争に邁進している今の日本を変えたいんじゃなかったのかよ」
「なんじゃ急に、えらい剣幕で……」
「争いのない世の中を作ろうとした坂本龍馬みたいになりたかったんじゃないのかよ!」
「仕方ないやろ! 今はもう、戦争を始めた……真珠湾攻撃を発案した連合艦隊司令長官が戦死する時代なんや! 家族を守るには戦うしかないんや!」
「本当にそうなのかな? 戦争を終わらせる方法ってないのかな?」
「お前は本当に甘いやつやな……でも喧嘩なんてしてられへん! せめて今描いてる漫画は完成させて純子の誕生日祝いに渡すぞ……もし戦争に行ったら最後かもしれんしな」
「そんなに弱気になってどうする……お前は純子ちゃん達のそばにいてやれ! そうじゃないと皆、悲しむ」
僕の声が聞こえていたのか分からないままヒロは寝てしまった。
『決戦のあの空へ』の最後には予科練の卒業式の場面があったが、読み上げられた卒業証書の日付は昭和18年である1943年8月15日だった。
その2年後の1945年8月15日を迎えるまでに日本は悲劇的な状況を迎え、多大な犠牲を払った末に負けることになるなんて……映画に熱狂していた人達は誰一人思っていなかっただろう。
僕達も関わることになる学徒出陣の日は、刻々と迫っていた……
ヒロが急に戦争賛同映画を見ようと言い出した背景には、アッツ島の玉砕も影響していると思った。
「玉砕」……この言葉が初めて使われたのはアッツ島の戦いが最初だ。
アッツ島はベーリング海に面するアメリカ領土の島だったが、1942年6月に日本軍が上陸し占領した。
それを奪還しようと計画していたアメリカは、1943年5月12日……日本の守備隊約2600人の約4倍となる1万人余りのアメリカ軍をアッツ島に上陸させた。
守備隊は援軍が来る事を期待して待っていたが、大本営はこれ以上の戦力の消耗を心配して増援部隊の派遣や補給は行わなかった。
守備隊は孤立無援となって死ぬまで戦うことを求められ、兵士達は銃剣や手りゅう弾を手に夜間突撃を繰り返すも食糧や弾薬が底をついた5月29日……
玉砕命令が下りて負傷して歩けない者は自決を命じられ、飢えに苦しみながらも生きていた者達約100人は弾丸の雨の中に銃剣のみで突撃し、捕虜になった27人以外は全滅した。
大本営は、それまで敗北を伏せる傾向にあったが……アッツ島の戦いに関しては守備隊が補給を求めずに自ら「玉砕」したことにして、日本軍の神髄を発揮したと新聞やラジオで大々的に発表した。
国葬や慰霊祭が執り行われて「アッツ島守備隊につづけ」、「英霊に応えよ」と一般市民にも死ぬまで戦うことを求めるようになった。
玉砕した者たちは軍神として祭られたが、その遺骨箱には只の砂が入っていたという。
僕は大本営発表や新聞の記事の内容に懐疑的だったが、ヒロはそれを信じてしまい……
父親のように慕っていた浩一おじさんの戦死広報を受け取ったことで、敵を討つ気概が更に高まったようで好戦的な発言が増えていた。
『決戦のあの空へ』を見に行った6日後の9月22日……
いつものように播磨屋を訪ねた僕は、静子おばさんと純子ちゃんからとんでもない話を聞いた。
「高田さん! さっきラジオで放送があって……」
「今度から学生さんも出征することになったんですって……」
「えっ?」
「よう源次! ようやく俺らの出番が来るぞ~もし海軍に入れたら、めっちゃ活躍したるわ」
「光ちゃん……」
純子ちゃんは何とも言えない表情でヒロを見つめていた。
日本の戦況は9月に入りイタリアが無条件降伏して日本・ドイツ・イタリアの三国同盟の一角が崩れたため益々悪化していた。
1943年9月22日……今まで徴兵が免除されていた大学生であっても理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸学校の在学生については徴兵延期措置が撤廃された。
いわゆる学徒出陣は大学生も対象になり、その年齢要項は今年度20歳以上である者……
つまり1923年生まれである僕達は、学徒出陣の要件に当てはまるギリギリの世代となってしまった。
暗いニュースばかりだったが、10月21日に出陣学徒壮行会があると周知されていた10月16日……
敵性スポーツとして弾圧を受けていた野球の六大学リーグは解散となっていたが、早稲田と慶応の学生や関係者が掛け合って最後の早慶戦が開催されたのは、学生達にとってせめてもの救いだった。
1943年10月21日、出陣学徒壮行会は明治神宮外苑競技場で行われた。
その日は暗い雲に覆われ冷たい雨が降っていて、まるで僕の……自ら志願した者以外の者達の代わりに空が泣いているようだった。
文部省主催で77校、約2万5千人もの首都圏に住む出陣学徒を、学校ごとに集められた学生を含む約6万5千人が見送る。
家族以外にも女子学生や出陣予定にない男子学生に対しては、送る側としての参加が求められていた。
「10月21日……まさか尊敬する江戸川散歩先生の誕生日に壮行会に出ることになるなんて……」
式が始まる前、僕が隊列に並びに行く前に呟きながらボーッと歩いていると……
突然誰かとぶつかった。
「……っすみません」
「いやすまない、私がよそ見をしていてね……息子が参加するんで来たんだが、見失ってしまって探していたんだ」
「そうですか……見つかるといいですね」
「ありがとう。君も大変だと思うが、命を大事にするんだよ」
「は……い、ありがとうございます」
ご時世的に命を大事になんて誰かに聞かれたら大変なのに、そう言ってくれたのが嬉しかった。
あと、なんとなく誰かに似ているような気がした。
スタンドには大勢の人がいて雨が降っていたが、傘を持つ者は誰もいなかった。
壮行会が始まると、僕達は学生帽・学生服にゲートルを巻いた姿で……大学等から渡された歩兵銃や木の銃を肩に担いで分列行進をした。
軍楽隊の演奏に合わせて進み、先頭の校旗がゲートをくぐる度に歓声が沸きおこっていたが……
立教大学は校旗の十字のデザインが問題視されて持つことを許されなかった。
僕達は行進曲に合わせ、降り続く雨でぬかるんだ地面の泥水を跳ね返しながら行進した。
国歌の演奏が流れ、皇居方面に敬礼した後に軍服の胸に勲章をつけた総理大臣からの訓示があり、その後整列した学徒を前に出陣学徒の代表が答辞を読む。
その中でも「生等もとより生還を期せず」、つまり私たちは生きて帰ってくるつもりはない……という言葉にヒロは感激していたが、僕には何だか虚しく響いた。
答辞が終わると『海行かば』をスタンドの皆も合わせて大合唱したが、大人数だったせいか余り上手く揃っていなかった。
そして最後に全員の万歳の奉唱をもって壮行会が終わる……
「天皇陛下、バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」
女学生たちは学生達の勇ましい姿に感動したのか、泣きながら手に持っていた小旗やハンカチを振っていた。
母は結局来なかったようだが、退場を見送る観客の中に宮本家族や純子ちゃんの姿を見つけた時……
本当は寂しかろうに無理矢理「バンザイ」を言わされ、反戦を匂わせようものなら非国民と引きずっていかれる今の日本の状況が悔しくて、不甲斐ない自分が情けなくて……涙が込み上げそうになった。
約10万人の学生が今までより訓練も不十分なまま突然軍隊に送り込まれることになる学徒出陣が、とうとう始まってしまった……
徴兵検査は、10月25日から11月5日にかけて本籍地で行われた。
本籍地なので僕は埼玉で、ヒロは高知で……
ヒロは「久し振りに明希子おばさんと従兄弟の正にも会えるし楽しみじゃ~下の息子の名前は何だったかのう」と嬉しそうにしていたが……
僕は妹が死んでから厳しく育てられたこともあり、久し振りの帰省と望まない徴兵検査で気が重かった。
そう言えばヒロの生みの親についての話を聞いたことがないが……自分から話してくれるのを待つことにした。
「なあ源次、一緒に海軍入ろうな! 飛行機乗りになってお前と空、飛びたいわ」
「う……ん、僕も海軍を希望するよ……つらい訓練もヒロと一緒だったら頑張れる気がするし」
僕がそう答えたのは、陸軍では酷いイジメがあるという噂を聞いたからで……海軍の方がまだマシという消極的な理由からだった。
徴兵検査では身体検査と勉強のテストがあり、身体検査は身長、体重、視力、聴力……胸囲や足型、上肢・下肢の関節運動検査なども行われた。
鼻腔口腔咽喉の確認や陰部肛門検査、肺のレントゲンを撮って感染症がないかも確認される。
検査の結果は、甲・乙・丙・丁と4段階に分けられて、丙種合格者までを12月から入隊させることになっていたが……甲を貰うのは大変名誉なことだった。
地域の小学校などに集められた対象者はフンドシ一丁で様々な検査を受けることになっていて恥ずかしかったが……何より丸裸にならなければいけない検査が本当に嫌だった。
最後の方で「時に希望はあるか」と徴兵官に聞かれたので、ヒロの言葉を思い出し「海軍に行きたいです」と答えた。
「海軍で何をするんだ、船に乗るのか?」
「飛行機に乗りたい……です」
「ふん、ようし分かった」
結果はすぐに出て、恐れ多いことに甲種合格で海軍の所属になった。
海軍の新兵教育を行う海兵団は、横須賀、呉、佐世保、舞鶴などに置かれていて……
ヒロは本籍地が高知で居住地が東京なので多少考慮されたのか、一緒に横須賀海兵団に入団することになった。
それは、僕の部屋でヒロと結果報告会をして知ったことで……
「まさかヒロも同じ横須賀とは心強いよ! 久し振りの生家どうだった?」
「久し振りに正や明希子おばさん達に会えて、めっちゃ楽しかったんやけどな~桜、切られとったわ……」
「えっ?」
「坂本龍馬はな……吉野に花見に行く~言うて家を出て坂本家の守神・和霊神社に寄った後に出藩しちょるから、神田の吉野川の桜を見る度に同じ桜かもしれんとワクワクしとったんやけどな~なくなってしもた……」
「桜は燃料にも使われるようになったしね……特に川沿いの桜は、ほとんど伐採されて今残っている桜は本当に貴重だよ」
「桜は日本の心やのに、なんだか虚しくなってしもたわ……せやけど仕方ないもんな」
「桜だけじゃなく立教の礼拝堂も何も無くなっちゃったしね……」
立教大学はキリスト教系の大学だが戦争によりその関係が断ち切られ、大学内にある教会……礼拝堂は1942年10月から閉鎖されていた。
金属類回収令によって大学の門扉も鉄製から木製へと変わり、礼拝堂内の内陣と外陣とを分けるスクリーンや説教壇、長椅子などは防空壕を作る際の資材として没収された。
僕はクリスチャンではないが、ほぼ何も無くなった教会を見た時は心にぽっかり穴が空いたというか、なんだか寂しかった。
食堂と2・3号館に囲まれた芝生には空襲に備えるための防空壕が数箇所掘られていて、2・4号館は軍による接収をうけて陸軍造兵廠の病院や築城本部になっていたので余計に……
「源次の方は、どないやねん?」
「うちは相変わらず母さんと上手くいってなくて……甲種合格を知らせた時は、ご近所さんの前でやけに喜んでたけど、家に入ると余り話してくれないんだよね」
「そりゃ大事な息子が戦争に行くことになって落ち込んどるんやないか?」
「まさか〜あと母さんからおかしな誕生日祝いを貰ってさ……千人針と一緒に鏡を渡されたんだ」
千人針は出征する者の武運を祈って近所の人などに一人一針ずつ赤い糸で縫って貰った布で……
玉留めは「弾を止める」、返し縫いは「無事に帰る」の意味がそれぞれ込められていて、赤い糸は神社の鳥居の色に由来するという。
「なんやそれ~女の子に渡すなら分かるけどな」
「母さんは純奈の事が大好きだったから、男の僕の事は嫌いなのかも、だから……」
「普段はどんな母ちゃんなんや?」
「厳しい人かな……純奈が死んだのは自分が甘やかして育てたせいだって言ってた。着物を仕立てた帰りに立ち寄った本屋から一度は一緒に出たのに、『嫌だ、まだ本屋にいたい』と一人だけお店に戻ってしまった時に地震があって店が潰れたから……」
「そうやったんか……」
「それからは僕に厳しくなって怒ってばかりだった……僕は純奈と違って歌も下手だし器用じゃないから嫌われるのも仕方ないけど」
「同じ事を繰り返したくないっちゅう親心やと思うで? ほんで顔は源次に似とるんか?」
「えーと、これ出征前に一緒に撮った写真なんだけど……」
写真を差し出すと、ヒロに盛大に笑われた。
「源次お前、母ちゃんそっくりやな~こりゃー鏡を見る度に母を思い出してくれっちゅうことやないか?」
「そんなことないよ! 見送る時も『バンザイ』って言ってたし、僕がいなくなるのを喜んでるんじゃないかな」
「子供が死んで喜ぶ親はおらんやろ」
「ほんと兵役法で大学生は最初の頃27歳まで徴集を猶予されていたのに、どんどん引き下げられて……まさか学徒出陣が僕達からとは運が悪いよね」
「なあ源次……こんなこと言うたら非国民扱いやけど……俺は国のために戦うんやない! 家族を守りたいから戦うんだ!」
徴兵検査が落ち着いた頃……
播磨屋の2階に呼ばれた僕とヒロは、純子ちゃんに驚くことを言われた。
「渡したいものがあるんだけど、目を閉じて手を出してくれない?」
ヒロと共に純子ちゃんの指示に従うと、手の上に柔らかい布のようなものが乗った感覚がして……思わず握り締め感触を確かめた。
「はい、目を開けて~二人とも誕生日おめでとう! これお揃いのお守りだから必ず持っててね」
そっと手を開いてみると……
柔らかい感触の正体は、白くて可愛らしいウサギの人形だった。
「前に一緒に行った神田明神の守り神がウサギだから、浴衣の生地で作ったの」
「あのスミレの浴衣、切っちゃったの?」
「もう着ないだろうし、光ちゃんと源次さんで二人お揃いのウサギにしたかったから……」
僕は思いがけない心の籠もった誕生日プレゼントを貰い本当に嬉しかったが……
似合っていた浴衣を着ることを女の子に諦めさせるという今の日本の情勢に憤りを感じた。
「ありがとう!」「おおきにな!」
「必ず肌身離さず持っていてね! あとね、お願いがあるの……三人で一緒に写真を撮りましょう!」
僕達は出征前に写真館で写真を撮った。
1枚は宮本家の四人水入らずで、もう1枚は純子ちゃんを真ん中にして僕が左でヒロが右側に立って……
浩くんが一緒に写ると駄々をこねたり僕が遠慮したりと撮るまでが大変だったが、純子ちゃんに強引に並ばされて緊張しながらの撮影だった。
純子ちゃんが作ってくれたウサギのお守りと三人で写った白黒写真は僕の宝物になり、出征先に持参する荷物の中に大切にしまった。
これがあれば、どんなつらい状況でも乗り越えていける気がした。
絶対、大丈夫な気がしたんだ……
学徒出陣の対象になった1942年度入学の立教大の学生は仮卒業ということになり、大学主催での学徒出陣壮行会が11月に行われた。
立教大に在学中の出征者は1247人で全入学者の半分を占めていたが、同学年の文系学部だけれど壮行会にいなかった者もいて……
どうやら裕福な家庭の学生で、長崎の浦上天主堂の近くにある医大に転入するからとのことだった。
「徴兵逃れだ」と怒る者もいたが、僕は描いていた漫画の影響もあってか医学が勉強できることに少しだけ憧れていたので、戦地に行かなくて済むことが純粋に羨ましかった。
その者が2年後の8月9日に迎えることになる悲劇も知らずに……
12月の入隊にむけて出発する前日の夜に宮本家主催の壮行会をするとのことで、僕は播磨屋に呼ばれた。
ありがたいことに静子おばさんは貴重なお酒も用意してくれていた。
20歳になって初めて飲んだお酒は甘いような辛いような、びっくりする味で……少し飲んだだけなのに急に大人になった気がした。
ヒロは酔っ払って終始上機嫌で……「海軍所属になると決まってから急にモテだしてのう」と完全に調子に乗っていた。
そして純子ちゃんの頬を両手で挟んで思わぬ事を言った。
「純子お前……原田節子さんに似てるな」
「へ、変な冗談言わないで……」
「目と鼻と口がある所が~」
「もう~光ちゃんなんて大っ嫌い!」
端から見てると犬も食わない夫婦喧嘩だ。
「純子はな〜小さな頃『ひろみちゅ兄ちゃまと結婚しゅる』って言っとったんやで〜? 何度も言ってきて困ったわ」
「そんなこと覚えてませんし、酔っ払って悪い冗談言う人は好きじゃありません!」
「何~? 俺はモテるんだぞ~昨日も夢の中でな……」
「夢かい!」と思わず僕はツッコんでしまった。
「そうだ源次! 例のアレ、明日忘れんとってな?」
「うん、大丈夫もう入れたからってヒロ? 全く……こいつ酔いつぶれて寝てら」
「ほんと光ちゃんは仕方ないんだから……」
布団を掛けながらヒロの寝顔を愛おしそうに見つめる純子ちゃんは、まるで聖母様のようだった。
おそらく純子ちゃんは……いや多分ではなくきっと昔からずっと、ヒロのことが好きなのだろう。
そして素直ではないが十中八九、ヒロも純子ちゃんのことが好きだ。
民法では男性は満17歳、女性は満15歳以上で結婚できるらしいから、戦争という時代でなければ二人はすぐにでも結婚していたかもしれない……
だから僕は自分の想いに蓋をした。
おばさんは後片付けをしに行き、浩くんも興奮して疲れたのか先に寝てしまったので、帰る前に浩一おじさんの位牌に手を合わせながら久し振りに純子ちゃんと二人だけで話をした。
「ありがとう純子ちゃん! 僕は三人でいる時間が大好きだった。播磨屋の2階で何でもないくだらない話をして……出来ることならずっとこうしていたかったけど無理みたいだ」
「そんな寂しいこと言わないで!」
僕は話題を変えようと、位牌を見て気付いた事を言った。
「家紋、剣片喰なんだね……宗派は多分うちと同じだよ」
「そうなの? うちはご先祖が茨城にある神龍寺の近くに住んでいたらしいんだけど、何の縁だか同じ名前の神龍小の近くに引っ越すことになって……」
「へぇ~同じ名前ってすごいね」
「私、辰年生まれで神龍小に通ってたのもそうだけど、昔から龍に縁があって……お墓をうつしたお寺の名前にも龍がついてるのよ?」
驚いたことに純子ちゃんが話したそのお寺の名前は、僕のご先祖様のお墓があるお寺の隣のお寺だった。
柵を挟んでお墓同士が並ぶすぐ隣の……
「そのお寺、隣だよ! お墓参りの時に通ってた! 僕のご先祖様は東京生まれだから……そうか! もし死んでもヒロの隣に行けるのか……隣の墓だったら入るのも悪くないかもな」
「縁起でもないこと言わないで!!」
そう言うと純子ちゃんはポロポロと涙をこぼした。
つい弱気になり、純子ちゃんを不安にさせてしまったことを僕は後悔した。
「ごめん純子ちゃん、ごめん変なこと言って……僕が必ずヒロを連れて帰ってくるよ! もしあいつが希望する飛行隊員になって出撃しなきゃいけなくなったら、こっそり腹下すものご飯にいれてさ! 『すみません、こいつ厠から出られないんで飛べません~』って」
「ふふふふ……アハハハハそれは素晴らしい計画ね! ありがとう源次さん……久し振りに心から笑った気がするわ」
泣きながら笑う純子ちゃんを泣くほど傷つけてしまったお詫びに、僕は咄嗟に思いついた夢を語った。
「そうだ、新しい夢が出来たよ! いつか無事に帰ってきたら……出版社に僕達の漫画を持ち込んで本を売って、それが映画になってさ……純子ちゃんが僕達の映画の歌を歌うなんてどうかな?」
きっと叶うことはない、途方もない夢だった。
「素敵な夢……私、寂しかったの。だって二人だけで世界を作って、どんどん先に行ってしまうんだもの……これで私も夢の仲間入りね」
純子ちゃんは本当に嬉しそうに笑った。
12月の入隊にむけて、御茶ノ水駅から出発することになり……純子ちゃん達が駅の前まで見送りに来てくれた。
「光ちゃん、源次さん! これ、地域のみなさんで縫った千人針……二人とも気を付けてね! 必ず帰ってき……」
「そんなに心配すな! 俺達は訓練に行くんやで? ほら、お前に餞別や」
僕達は純子ちゃんに1ヶ月早い誕生日祝いを渡した。
入学してから二人で色々案を出し合って少しずつ描き続けて……昨日やっと完成した漫画だった。
「正月の頃に帰れるか分からんからの~前祝いじゃ! ええか? 誕生日まで絶対読んだらあかんで~あそこにある源次の住んでる場所近くの大学病院がモデルの話も出てくるから楽しみにしとけ」
「謎を解いたり色々な事件が起きる場面が出てくるのは、推理小説好きな僕の影響だけどね」
「二人ともありがとう……楽しみにしてる! わ~この漫画、素敵な題名ね」
表紙に書かれた題名は『未来を生きる君へ』で、ペンネームは『みなもとこうじ』……
『未来を生きる君へ』という題名は二人で決めた。
『君へ』にするか『君たちへ』にするかで迷ったが、6年前に出版された某有名な著者と題名が似てしまうので『君へ』にした。
「私、嬉しい、この名前も好き……光ちゃんと源次さんの名前からできてるけど、私の名字の宮本も入ってる気がして……」
「ほんまやな~気付かんかったわ」
「本当は気付いてたでしょ~本当にヒロは素直じゃないんだから」
「誕生日に読むの楽しみにしてる! 感想、直接言いたいから必ず帰って来てね! あと私も出発前に見せたいものがあって……」
それは、僕達が貰ったお守りと同じ大きさの、ウサギの人形だった。
「自分用にもう一つ作ったの。毎日これに話しかけたら、二人に届くかなって」
「通信機やあるまいし無理やろ」
「本当は嬉しいくせに〜ヒロは本当~に素直じゃないよね」
「必ずウサギと一緒に……帰ってきてね?」
僕は大勢の他人が行き交う駅前で、何と答えればいいか分からなかった。
「ようし景気づけに軍歌でも歌うか!」
「僕は軍歌はちょっと……」
「辛気臭いのう~よっしゃ軍歌の代わりにヨサコイ節でも歌うか」
「よさこい牛?」
「牛ちゃうわ! 何じゃ知らんのか? 高知の民謡じゃ」
「土佐の~高知の~はりまや橋で~坊さん~かんざし~買うを見た~ハア、ヨサコイ~ヨサコイ」
「初めて聞いたよ……あれ? もしかして播磨屋ってその歌から付けたんですか?」
「そうなの……私と浩一さんは播磨屋橋で出会ったから……」
静子おばさんは恥ずかしそうに、そう言って赤面した。
「そろそろ時間や」
最後にヒロは純子ちゃんと静子おばさんから千人針を受け取った。
「ほな行って参ります!」
「行って参ります!」
僕達は勇ましく敬礼した後、御茶ノ水駅を出発した。
僕達の漫画を胸に抱えて涙ながらに手を振り続ける純子ちゃん達の姿が見えなくなるまで、何度も振り返りながら手を振って……
そして僕達は、入隊した横須賀海兵団で思わぬ人物に出会った。
1943年12月10日は海軍の入隊式だった。
学徒出陣の対象の学生は海軍に入ると最初は海兵団で二等水兵になり、新兵教育を行う海兵団練習部では飛行科かそれ以外かにまず分けられた。
航空隊希望の者は約2か月後までに飛行予備学生の試験と発表があるが……
学徒出陣の学生が14期予備学生になるのだが、13期までは自分から志願した学生が含まれる一方で14期は仕方なく入隊した者が多いためか、教官からの当たりは特にきつかった。
入隊式で海兵団長から開口一番、厳しい宣告があった。
「貴様たちは日本が大変な時に徴兵検査を免除され、娑婆でのうのうと遊んでおった腰抜けだ! 自由主義者の貴様らの精神をたたき直してやる!」
紺色の水兵服と黒い水兵帽が支給されて、ヒロにとっては憧れの海軍生活が始まったが……班に分けられた先の教班の分隊長も厳しい人だった。
教班長が去ってから、荷物の整理を始めた僕達は……やっと落ち着いて会話をすることができた。
「いや~初日から盛大にお灸を据えられるとは、これから大変やな……ちなみに陸軍は12月1日が入営の日だったらしいで」
「陸軍じゃなくて海軍でよかったよ~その日は妹の純奈の誕生日なんだ」
すると隣にいた同じ班の学生が話しかけて来た。
「うちは学徒出陣壮行会の日が家族の誕生日だったんで、なんとも言えない気持ちになりましたよ」
「それはまた辛いよね……君、名前は?」
「平井隆之介と申します」
平井くんは人懐っこい笑顔が印象的な青年で……背は少し低めだが、頭のよさそうな人だった。
「平井くんか、これからよろしゅうたのむわ~ちなみにこいつの名前は……」
「僕は高田源次で、こっちは親友の篠田弘光! 同じ班になったのも何かの縁だし、よろしくね!」
僕達は持ち物に書いていた名前を見せながら自己紹介をした。
「弘光、源次……お二人の名前って合わせると光源次になりますね! 僕、『源氏物語』好きなんです」
「ほんまか? 実は俺ら立教大学の文学部出身でな」
「ほ、本当ですか? もしかしたら、すれ違ってたかもしれないです……かなりの確率で……」
「本当? 君も立教出身なの?」
「いや、大学は違うんですけど……住んでる場所が……」
「もしかして池袋周辺? だったらすれ違ってたかもね」
「周辺というか……」
「しもた! 純子がくれたお守り入ってへん……」
鞄を整理していたヒロが青ざめていた。
「ええ? 無くさないようにって鞄の一番下に入れてたじゃないか」
「そうか………………ほんまや……あったわ~」
「まったく……写真も持ってきた? 僕はこの通り手帳に挟んで持ってきたよ」
僕達のやり取りを聞いていた平井くんは……
「あの、スミコさんというのは?」
「ああ、この子だよ。出征前に一緒に撮ろうと無理やり並ばされて撮った写真だけど……」
「綺麗な方ですね……この方は高田さんの恋人ですか?」
「ち、違うよ~ヒロの方が余程お似合いじゃないか~ど、どうしてそう思ったの?」
「女性は自分の左側に真に想う者を立たせると聞いたことがあるので」
「え、本当に?」
「そんな訳あるかい~たまたまやろ? こいつは俺の……」
「篠田さんの恋人でしたか~それは大変失礼致しました。すみません、心理学科にいたもので、つい色々と分析してしまって……」
「い、いや違うて、こいつは……」
「では従兄妹か再従兄妹ですか? どことなく親族とお見受けしましたが、先程お似合いと申されていたので結婚できる可能性のある……」
「正解、従兄妹だよ~平井くんすごいね! 僕は最初、恋人と間違えたけどね」
「なんやよう知らんけど明智探偵みたいな奴やな……にしても純子のお守り見つかってホンマによかったわ~写真はこの通りポケットの中にあるで?」
「そんな所に入れたら曲がらない? でも僕もそこにしようかな〜」
「お二人とも、この方が好きなのですね」
「違うわい」「違うよ~」
僕達は二人して平井くんの発言に焦ってしまった。
平井くんは手先が器用で、訓練の空き時間に父親に習ったという手品を披露してくれた。
そんな風に息抜きできる時間は限られている程、横須賀海兵団での訓練は厳しくて……
「映画で観た時は憧れとったけど、ハンモックで寝るのはきついのう……よう寝られへんわ」
「僕は呼び方を『貴様』と『俺』って言うのが慣れそうにないよ」
海兵団の訓練は、敬礼の練習から始まり水泳や相撲の教練、伝令訓練や辻堂演習、座学は数学・物理などで学術試験もあった。
陸戦訓練の駆け足では猛烈なスピードを要求され、通信教育では手旗やモールス信号などを短期間で覚えねばならなかった。
海軍は軍隊内で英語も使われていて知的な雰囲気があったが、陸軍よりはマシだと聞いていたのに厳しい制裁があり……
教班長の理不尽な行いに口ごたえをするような事があれば「修正する」と殴られ、口の中が切れて食事をするのも一苦労だった。
「馬鹿野郎! 貴様それでも軍人か! 軍人魂を教えてやるから部屋に来い!」
教班長は気に入らない事があると「修正だ」と言って呼び出しを行い……
通称バッターと呼ばれた野球のバットの親玉の様なゴツい軍人精神注入棒で尻を叩かれた。
一発で吹っとぶ位、歯が抜けそうになる位痛いのに何発も何十発も叩かれた。
海軍は、もし戦艦などに乗った場合に備えてか、閉鎖的な環境で感染症などが流行らないよう予防するため衛生管理にも厳しくて、雑巾がけなどの掃除が遅いとすぐバッターがあり……
叩かれると一週間位内出血のアザが残るが、治らないうちにまた叩かれて座るのもしゃがむのも痛いので、ヒョコヒョコと変な歩き方で厠から出てくる者が多かった。
カッター漕といわれる短漕ぎ訓練では、長いボートを12本のオールで集団で漕ぎ続けて競争させられるので、手にマメができるわ、只でさえ痛いおしりが真っ赤にこすれるわで更に辛かった。
飛行科の採用試験では筆記と面接の試験が2日間かけて行われ、不合格となったものは二等水兵として残ることになるからヒロも僕も必死で勉強した。
身体適性検査もあって、その場でぐるぐる回された後に瞬時に止まれるかどうか……回された直後でも方向感覚が麻痺していないかなど、飛行機乗りとして必要な三半器管の丈夫さが確かめられた。
平井くんも航空隊志望で、努力の甲斐あってか僕達三人は無事合格した。
「ふむ、貴様は誕生日が11月15日なのか……土浦航空隊の開隊も11月15日だから、お前達は土浦の所属にしてやる」
「あ、ありがとうございます!」
そうして不思議な偶然の縁で所属が決まった。
「やった~源次の誕生日さまさまや~土浦言うたら『決戦のあの空へ』の舞台やで! 映画の中に入り込める気分やわ」
僕達の所属は、映画に撮影協力をしていた土浦になった。
1944年2月に僕達は土浦海軍航空隊に入隊することになり、ヒロや平井くんとまた一緒に過ごせる事だけは純粋に嬉しかった。