僕がどうしてこの公園を目指したのか。理由となるのは、山の頂上にある小さな展望台にある。
展望台からは、付近の畑はもちろん、数キロ離れた所にある住宅街が一望できる。この辺りは畑しかなく、背の高い建物は一つとしてないため、遠くの景色がよく見えるのだ。
住宅街の反対には、青い海だって望める。どこまでも広がる海は、色や形、大きさが様々な建築物と並べてみると驚くほど対照的で、二つの相反する姿は何度眺めても驚嘆する。
小さな山の頂へと続く階段を登ると、屋根と二つのベンチのある展望台が姿を見せた。床は六角形をしていて、屋根はドーム状になっている。それほど広くはない。隙間なく人間を詰め込んで、一〇人が入ればいい方だろう。
手すりに体をもたせかけ、海を見て、次に街を眺める。手前の方は畑があり、奥の方では左右で海と街とに分断されているこの景色は、上手く撮ればネット上で高い評価を得られるかもしれない。一眼レフのような、お金のかかるカメラは必要ない。スマホで撮影して多少加工をすれば十分な仕上がりになる可能性を秘めている。しかし僕は、展望台からの景色を撮影はしなかった。
それどころか、一回たりとも写真に収めてはいない。僕自身、撮影の技術がないというも理由だが、自分の住んでいる地域全てを見渡せる絶好のスポットは誰にも知らせたくないからという気持ちの方が大きい。
この展望台、いやこの公園の存在は誰にも知らせたくない。
海や、畑や、家や、空といった全てを一度に展望するのは自分だけでいい。ある意味では自分だけの特権のようにさえ思っているのだ。自分だけが手にしているものは、秘密として扱って誰にも触れさせない。わざわざ秘密を他人の目に留まるように行動するのは、頼まれたってごめんだ。世の中の大半の人が思っているに違いないはずだ。
それにまた景色を眺めたいと思えば、何度でも訪れればいい。写真より実物の方が、迫力があるに決まっている。だから僕は、あえて景色を撮影はしていない。
小さいとはいえ山の上ではあるので、風は強く吹いている。ワックスもジェルもつけていない、整える気のない髪が、自由気ままに動いて時折視界を塞ごうとする。僕は毛先が目を刺さない程度に最低限手で髪を払った。あとのものは好きに暴れさせた。下へ降りて、ちょっと手を加えればいつもの個性がない頭に戻る事を知っているのだ。
山の上からの風景を、僕は仔細に眺めた。僅かな変化も見逃すまいと、狭い道やアパートのベランダなどにも視線を配った。ここに住んでいる人たちの姿を目の当たりにするのは、ささやかな楽しみになっている。別に、誰かの家を覗き見しようなどとは思っていない。洗濯物を干したり、車を運転したり、軒先で近所の人間同士が会話を弾ませるといったような、生きた人間の生活模様を感じ取るだけで十分だ。どこの誰が、どのように行動しているのかなど、具体的に知る必要もないし、知りたくもない。雰囲気を楽しむ、と表
展望台からは、付近の畑はもちろん、数キロ離れた所にある住宅街が一望できる。この辺りは畑しかなく、背の高い建物は一つとしてないため、遠くの景色がよく見えるのだ。
住宅街の反対には、青い海だって望める。どこまでも広がる海は、色や形、大きさが様々な建築物と並べてみると驚くほど対照的で、二つの相反する姿は何度眺めても驚嘆する。
小さな山の頂へと続く階段を登ると、屋根と二つのベンチのある展望台が姿を見せた。床は六角形をしていて、屋根はドーム状になっている。それほど広くはない。隙間なく人間を詰め込んで、一〇人が入ればいい方だろう。
手すりに体をもたせかけ、海を見て、次に街を眺める。手前の方は畑があり、奥の方では左右で海と街とに分断されているこの景色は、上手く撮ればネット上で高い評価を得られるかもしれない。一眼レフのような、お金のかかるカメラは必要ない。スマホで撮影して多少加工をすれば十分な仕上がりになる可能性を秘めている。しかし僕は、展望台からの景色を撮影はしなかった。
それどころか、一回たりとも写真に収めてはいない。僕自身、撮影の技術がないというも理由だが、自分の住んでいる地域全てを見渡せる絶好のスポットは誰にも知らせたくないからという気持ちの方が大きい。
この展望台、いやこの公園の存在は誰にも知らせたくない。
海や、畑や、家や、空といった全てを一度に展望するのは自分だけでいい。ある意味では自分だけの特権のようにさえ思っているのだ。自分だけが手にしているものは、秘密として扱って誰にも触れさせない。わざわざ秘密を他人の目に留まるように行動するのは、頼まれたってごめんだ。世の中の大半の人が思っているに違いないはずだ。
それにまた景色を眺めたいと思えば、何度でも訪れればいい。写真より実物の方が、迫力があるに決まっている。だから僕は、あえて景色を撮影はしていない。
小さいとはいえ山の上ではあるので、風は強く吹いている。ワックスもジェルもつけていない、整える気のない髪が、自由気ままに動いて時折視界を塞ごうとする。僕は毛先が目を刺さない程度に最低限手で髪を払った。あとのものは好きに暴れさせた。下へ降りて、ちょっと手を加えればいつもの個性がない頭に戻る事を知っているのだ。
山の上からの風景を、僕は仔細に眺めた。僅かな変化も見逃すまいと、狭い道やアパートのベランダなどにも視線を配った。ここに住んでいる人たちの姿を目の当たりにするのは、ささやかな楽しみになっている。別に、誰かの家を覗き見しようなどとは思っていない。洗濯物を干したり、車を運転したり、軒先で近所の人間同士が会話を弾ませるといったような、生きた人間の生活模様を感じ取るだけで十分だ。どこの誰が、どのように行動しているのかなど、具体的に知る必要もないし、知りたくもない。雰囲気を楽しむ、と表