僕らは三日に一回は顔を合わせ、一緒に公園の周りを走った。椎名はランニングのタイムを上げる前に、何故か公園の子どもたちと仲良くなった。僕もついでにせがまれて、一緒に鬼ごっこをする羽目になった。本当に変な女子だ。
夏休みが終わっても、僕は週に二、三度はランニングを続けていた。
その日、椎名は図書委員会の召集があったから、珍しく僕は先に帰宅した。少し時間を潰してからいそいそと運動靴を履き、走りに出た。
同じ学区で同じ方角に家がある僕らの生活圏は近いから、途中で椎名を見かけるのに何の不思議もない。
けれど、僕は気付いてもらおうと上げかけた右手を引っ込めた。慌てて道を戻り、近くの自販機の影にまで隠れる。
二車線の道路を隔てた向こうの歩道を歩くのは、充分に見慣れた椎名の後ろ姿だ。さっき横顔が見えたから、間違いない。
そして彼女の隣を歩いている男子が一人。ちらりと見えた顔は、俊輔と同じ陸上部で二組の新谷のものだ。何故、と考える必要はない。椎名に気のある彼は、僕という邪魔者がいないのに気付いて椎名に声を掛けたんだ。
何を話しているかなんて、聞こえるはずがない。新谷は特にイケメンというわけではないけど、背が高くて堂々としている。今もしきりに話しかけ、会話をリードしている、ように見える。
何だか胸の奥がもやもやして気分が悪い。自分が隠れているのも気に食わない。僕と椎名は間違いなく友だちで、それ以上でも以下でもない。だから新谷が椎名に接近するのを拒めるはずがないんだけど、嫌悪感と焦燥感が心の中に湧いていた。その感情に気が付いて、僕は自分に失望する。友だちである椎名を独り占めしたいと思う自分のわがままさから、自己嫌悪に陥る。
何もできず、僕はその場を離れた。自分のストーカー行為には耐えられなかった。
家まで走って帰ってみたけど、いくら汗をかいても、心に被さる灰色の雲は晴れてくれなかった。
翌日からも、椎名の態度に変化はなかった。僕はそれとなく、「昨日の委員会、長引いた?」なんて聞いてみる。
「そうでもないよ。あ、帰り道、新谷くんて人に話しかけられた」
どきりとしたが、椎名の話は他愛なく、どうやら昨日は世間話をして帰っただけらしい。ふーんと、僕は興味津々のまま、興味なさげな声を漏らした。
二学期に入ると、僕らは放課後によく図書室で勉強をするようになった。やっぱり椎名は成績優秀なだけあって、僕が問題に悩むと的確に解説してくれる。
「津守、帰ってちゃんと復習しなよ。じゃないと頭に入らない」
「はいはい」
「十二月になったらライブ行くんでしょ。そのために頑張りなさい」
まるで母親のようなことを言う。仕方なく、僕はシャーペンを握り直した。
しかし、ライブという言葉を聞いて、僕の頭はそれらを連想してしまう。当日は、会場限定グッズが販売される。ホームページでチェックした限りどれも割高で、何を買うにしても財布に大打撃を被る。そもそものチケット代が、既に大きな痛手だ。けれどせっかくなら、悔いのないようにしたい。
「お金が欲しいなあ」
唐突な僕の台詞に、椎名が吹き出した。
「なに、いきなり」
「いや、ライブでグッズ出るじゃん。いろいろ欲しいんだけど、絶対お金足りないからさ」
「そんなこと考えてたの?」
真っ白な僕のノートを見て、椎名が呆れた顔をする。しかし、すぐに真顔になって彼女も考え始めた。僕と同じくグッズはチェックしていたらしい。そして彼女も金持ちのお嬢様ではなく、僕と同じ一般家庭の中学生で、同じぐらいのお小遣いでやりくりしていた。
「……確かに、痛いね」
シャーペンの頭を頬につけながら、椎名はやがてため息交じりに言った。
「まあ、高校入ってバイトしたら、遠征とかできるかもだし」
「でも、初参戦は今回だけなのになあ」
図書室にチャイムが鳴り響く。僕らは口々にないものねだりをしながら、帰り支度を始めた。
夏休み前と比べて随分薄暗くなった帰り道、椎名が突然僕の肩をばしばしと強く叩いた。
「痛いって!」
「これ、これ見て!」
僕の訴えになんて聞く耳持たず、彼女は興奮しながら左手側の塀を指さした。肩をさすりながら、なんだよと愚痴りつつ、僕も目を向ける。コンクリート塀には、破れかけた一枚の紙が貼り付いていた。
可愛い猫の写真の上に、「探しています」の文字。いなくなったペットを探しているようだ。猫の特徴や飼い主の電話番号が細かく記載されている。
「なに、この猫見たってこと?」
「違うって、ほら、こういうのって見つけたら謝礼貰えるじゃん」
「らしいね」
「あーもう! だから、ペットを探してお金もらえば、グッズ買えるよね?」
なるほど、そういうことか。思わず目を丸くした僕を見て、椎名は不敵に笑う。
「私って賢いなあ」
「動機、不純すぎない?」
「じゃあいいや。二人で見つけたら山分けしようと思ってたのに」
わざとそっぽを向く彼女に、僕は慌てて「わかったってば」と返した。もう完全に振り回されている。だけど当初より嫌な気がしないのは確実で、僕らはペット探しに乗り出すことになったのだった。
夏休みが終わっても、僕は週に二、三度はランニングを続けていた。
その日、椎名は図書委員会の召集があったから、珍しく僕は先に帰宅した。少し時間を潰してからいそいそと運動靴を履き、走りに出た。
同じ学区で同じ方角に家がある僕らの生活圏は近いから、途中で椎名を見かけるのに何の不思議もない。
けれど、僕は気付いてもらおうと上げかけた右手を引っ込めた。慌てて道を戻り、近くの自販機の影にまで隠れる。
二車線の道路を隔てた向こうの歩道を歩くのは、充分に見慣れた椎名の後ろ姿だ。さっき横顔が見えたから、間違いない。
そして彼女の隣を歩いている男子が一人。ちらりと見えた顔は、俊輔と同じ陸上部で二組の新谷のものだ。何故、と考える必要はない。椎名に気のある彼は、僕という邪魔者がいないのに気付いて椎名に声を掛けたんだ。
何を話しているかなんて、聞こえるはずがない。新谷は特にイケメンというわけではないけど、背が高くて堂々としている。今もしきりに話しかけ、会話をリードしている、ように見える。
何だか胸の奥がもやもやして気分が悪い。自分が隠れているのも気に食わない。僕と椎名は間違いなく友だちで、それ以上でも以下でもない。だから新谷が椎名に接近するのを拒めるはずがないんだけど、嫌悪感と焦燥感が心の中に湧いていた。その感情に気が付いて、僕は自分に失望する。友だちである椎名を独り占めしたいと思う自分のわがままさから、自己嫌悪に陥る。
何もできず、僕はその場を離れた。自分のストーカー行為には耐えられなかった。
家まで走って帰ってみたけど、いくら汗をかいても、心に被さる灰色の雲は晴れてくれなかった。
翌日からも、椎名の態度に変化はなかった。僕はそれとなく、「昨日の委員会、長引いた?」なんて聞いてみる。
「そうでもないよ。あ、帰り道、新谷くんて人に話しかけられた」
どきりとしたが、椎名の話は他愛なく、どうやら昨日は世間話をして帰っただけらしい。ふーんと、僕は興味津々のまま、興味なさげな声を漏らした。
二学期に入ると、僕らは放課後によく図書室で勉強をするようになった。やっぱり椎名は成績優秀なだけあって、僕が問題に悩むと的確に解説してくれる。
「津守、帰ってちゃんと復習しなよ。じゃないと頭に入らない」
「はいはい」
「十二月になったらライブ行くんでしょ。そのために頑張りなさい」
まるで母親のようなことを言う。仕方なく、僕はシャーペンを握り直した。
しかし、ライブという言葉を聞いて、僕の頭はそれらを連想してしまう。当日は、会場限定グッズが販売される。ホームページでチェックした限りどれも割高で、何を買うにしても財布に大打撃を被る。そもそものチケット代が、既に大きな痛手だ。けれどせっかくなら、悔いのないようにしたい。
「お金が欲しいなあ」
唐突な僕の台詞に、椎名が吹き出した。
「なに、いきなり」
「いや、ライブでグッズ出るじゃん。いろいろ欲しいんだけど、絶対お金足りないからさ」
「そんなこと考えてたの?」
真っ白な僕のノートを見て、椎名が呆れた顔をする。しかし、すぐに真顔になって彼女も考え始めた。僕と同じくグッズはチェックしていたらしい。そして彼女も金持ちのお嬢様ではなく、僕と同じ一般家庭の中学生で、同じぐらいのお小遣いでやりくりしていた。
「……確かに、痛いね」
シャーペンの頭を頬につけながら、椎名はやがてため息交じりに言った。
「まあ、高校入ってバイトしたら、遠征とかできるかもだし」
「でも、初参戦は今回だけなのになあ」
図書室にチャイムが鳴り響く。僕らは口々にないものねだりをしながら、帰り支度を始めた。
夏休み前と比べて随分薄暗くなった帰り道、椎名が突然僕の肩をばしばしと強く叩いた。
「痛いって!」
「これ、これ見て!」
僕の訴えになんて聞く耳持たず、彼女は興奮しながら左手側の塀を指さした。肩をさすりながら、なんだよと愚痴りつつ、僕も目を向ける。コンクリート塀には、破れかけた一枚の紙が貼り付いていた。
可愛い猫の写真の上に、「探しています」の文字。いなくなったペットを探しているようだ。猫の特徴や飼い主の電話番号が細かく記載されている。
「なに、この猫見たってこと?」
「違うって、ほら、こういうのって見つけたら謝礼貰えるじゃん」
「らしいね」
「あーもう! だから、ペットを探してお金もらえば、グッズ買えるよね?」
なるほど、そういうことか。思わず目を丸くした僕を見て、椎名は不敵に笑う。
「私って賢いなあ」
「動機、不純すぎない?」
「じゃあいいや。二人で見つけたら山分けしようと思ってたのに」
わざとそっぽを向く彼女に、僕は慌てて「わかったってば」と返した。もう完全に振り回されている。だけど当初より嫌な気がしないのは確実で、僕らはペット探しに乗り出すことになったのだった。