深夜、営業を終えた「カフェ・ビースト」で、獣人たちは後片付けをしていた。
「琴菜ちゃんさ、この世界から離れた方がいいよね」
 エイロックの言葉に、他の三人が頷く。
「同感。ここは彼女に合ってないよ」
「俺らの船に乗せて連れ出してやれたらなぁ」
「……あなたが彼女を連れて行きたいのではないですか?」
 タロクの言葉にエイロックは微かに息を飲む。やがてそっと息を吐き、消え入るような声で肯定した。
「……あぁ」
「ここの性質上、難しいでしょうね」
 タロクは首を横に振る。
「上層部はこの世界に『外』があることを住民に知らせたくないでしょうし。逆にこの世界へ、『外』の人間に接触してほしくないでしょうから……」
「……だな」



 事件が起きたのは、「カフェ・ビースト」が、軌道に乗ったある日のことだった。
「ちょっと!!」
 椅子の倒れる音と共に、金切り声が飛ぶ。明るい色のワンピースを着た客が、ショートヘアの客に噛みついていた。
「あんたさっきから、タロクさんにくっつきすぎじゃない!?」
「何がいけないのよ。ここは猫カフェみたいなものなんでしょ? 頬にキスくらい許されるわよ、ねぇ?」
 タロクさんは首を横に振る。
「困ります、お客様。風営法に引っ掛かります」
 軽く咎められたショートヘアの客に、ワンピースの客は勝ち誇ったように笑う。
「猫カフェとか言って、あんた本当は男が好きなんじゃない?」
「はぁ? それはそっちの話でしょ? アタシはただモフモフしたいだけ! だいたいアンタだってさっき、タロクさんの手をしつこく握っていたじゃない」
「わたしは肉球を触らせてもらっていただけよ!」
「はぁ? いやらしい手つきで、うっとりと指をこね回していたくせに! 男好きの異常者!!」
 その言葉がトリガーだった。
 ワンピースの客が手元のフォークを掴み上げる。そして躊躇なくショートヘアの客へ振りかざした。
(えっ)
 止める間もなかった。
 フォークの先が、ショートヘアの女性の目へ飲み込まれる。
「あぁああっ!!」
 店内に響き渡る絶叫。その事態にあちこちから悲鳴が上がる。
 エイロックさんたちがどこかに連絡を入れたりする間、ワンピースの女性は仁王立ちのまま、うわごとのように呟いていた。
「異常者は、あんたの方よ……。わたしをあんたと一緒にするなんて、許さない……。わたしは違う……、わたしは男なんて好きじゃない……。異常者じゃない……」


 必死に否定していたけれど、彼女らは明らかにタロクさんに魅了されていた。
 彼女らの熱を帯びた瞳、薄く桜色に染まった頬、甘さの混じる声。想いを寄せる対象を奪われそうになった時の、嫉妬をみなぎらせた眼差し。敵意丸出しの声。
 彼女らは恋をしていた。彼女らの感情が、タロクさん個人に向けたものなのか、獣人に向けたものなのか、男に向けたものなのか、その判別はつかなかったけれど……。
 そして、この世界において異常とされる特別な感情を抱き始めたのは、この二人に限らなかった。「カフェ・ビースト」の常連客の一部は、明らかに彼らに恋心を抱き始めていたのだ。


「男」をめぐる恋のさや当ての挙句起きた傷害事件。それは最高指導者第十三代輝夜の怒りを買うには十分だった。
「輝夜様!」
 中央管理局の幹部は、声を荒げた。
「あの獣人どもが来てから精神に異常をきたした者が複数おります! 男をめぐって傷つけ合うなど、およそまっとうな人類のすることではない。なんとおぞましい……」
 輝夜は氷のような表情で報告者を見下ろす。その双眸には白々とした怒りの炎がゆらめいていた。
「輝夜様! やはり奴らをここに置いておくのは危険です! このままでは、善良な住民の魂までも汚染されてしまいます!」
 輝夜が紅い唇をそっと開いた。
「……疾く処分せよ」
「はっ!」
 その場にいた一人の職員が、顔色を変えそっと部屋から抜け出す。それは、「カフェ・ビースト」の常連客の一人だった。
「今すぐエイロックさんに知らせなきゃ」


 息を切らせ店へ飛び込んできた一人の客。その口から語られたのは、輝夜様によるエイロックさんたちの処分命令だった。
「処分て! 俺らはゴミか何かか!?」
 憤るエイロックさんに、シラフェルさんが冷静に告げる。
「船はほぼ直っている。ここを出るくらいなら可能だ」
「あの事件以来、この事態は覚悟していました。値の張る食器類・内装品等はすでに船に積み込んであります。店内のものは諦め、今すぐ脱出を」
「はぅう、この調理器具、使いやすいから気に入っていたのにな」
(行ってしまう、みんな……)
 慌ただしく脱出準備を始める彼らの姿に、私の頭の芯が凍り付く。
(また元の日々に戻る。人間のくせに異性に惹かれる異常者だと白眼視される日々に……)
 胸の中にぽっかりと穴が開く。
(私を普通だと言ってくれた人たち、いなくなってしまう……)