エイロックさんののんびりした声で語られる唐突な内容に、私は顔を上げる。
「例えば、炎を恐れる奴は、他人にとっても炎は恐怖の対象であると思う。酒好きの奴は、他人もまた酒によって快楽を得られると考えてしまうんだ」
「……」
「あの子の想像する『琴菜ちゃんの欲望』って妙に生々しかったよな。でも実際のところ、あんなふうに思ってたのは、彼女自身かもな」
「千財さんが? まさか!」
「勿論、本人無自覚だろうけど」
 ――エイロックさんたちの体、絶対にいやらしい目で見てるわよ。脱いで見せろとか言われなかった?
(あんなことを?)
「安心しな、琴菜ちゃん。俺たち、だてに星々を巡って接客業をしちゃいない。君がよこしまな目を俺たちに向けてないことは十分わかってる。それにさ」
 エイロックさんの橡色の目が、私をまっすぐに見た。
「琴菜ちゃんが男に惹かれるのは、おかしくも恥ずかしくもないんだ。ここ以外の世界では、ごく普通に行われているんだからさ。自分を蔑んじゃいけない」
 エイロックさんの低く静かな声に、私は落ち着きを取り戻す。
「異性愛も同性愛も異種間愛も、更にもっと多様な関係も、ここから出れば普通のことだ。むしろ、異性愛ってだけであんだけ盛り上がれるのは、珍しいことだよ」
 彼の言葉に、私の涙はようやく止まった。

 頭の冷えた私は、裏手からそっと抜け出す。そのまま大通りを避け、家路につこうとした時だった。
「ねぇ」
「!」
 暗がりから姿を現したのは千財さんだった。
「どうしてここに……」
「エイロックさんと何を話してたの?」
「え?」
「あんたと一緒にスタッフルームに下がっちゃったから、彼と全然話せなかったじゃない!」
 千財さんの思わぬ剣幕に、私は息を飲む。
「中で彼と何を話したの? どうせあたしの悪口でも吹き込んだんでしょ!?」
「そんなことしない。エイロックさんは、私を元気づけてくれただけ。男に恋しても、外の世界では普通だから気にしなくていいって」
「……なによ、それ! じゃ、あたしらが変だって言うの!?」
「そんなこと言ってない」
「だいたい何? あんただけ指定席が用意されて、彼らに気を使ってもらえて、親しげに名前で呼ばれてるなんて! おかしいじゃない、なんであんただけが特別扱いなのよ! 男との繁殖に興味津々の異常者のくせに! それ目的で彼らにべたべた媚びてるくせに! いやらしい!」
 まくしたてる千財さんを前に、私は驚くほど落ち着いていた。私を肯定してくれたエイロックさんの言葉のぬくもりが、まだ胸に残っていた。
「違う。私は彼らをそんな目で見てない。エイロックさんも分かってくれてる」
「うるさいわね、あんたはいやらしい人間なの! 彼に二度と近づかないでよ!」
 そう言うと、千財さんは毒々しく笑った。
「彼らにちゃんと忠告してあげなきゃ。あんたを出入り禁止にしたほうがいいって!」
(近づかないで?)
 彼女の言葉に、違和感を覚えたのはこの時だった。
 ――でも実際のところ、あんなふうに思ってたのは、彼女自身かもな
(まさか、エイロックさんのあの言葉、本当に?)
 私は思い切って質問する。
「千財さん、ひょっとして……、嫉妬してる?」
「は!?」
「もしかして、エイロックさんに恋を……」
 その瞬間、パンと乾いた音がして、頬に鋭い痛みが走った。彼女にぶたれたのだと理解したのは、一呼吸おいてからだった。
「……あんたと一緒にしないで!」
 千財さんの声は震えていた。
「誰があんな獣モドキのよりによってオスに惹かれるものですか。おぞましい! オスに欲情するなんて、進歩した人間のすることじゃないもの」
 言葉とは裏腹に、千財さんは苦しそうな表情をしていた。
「あの低い声を聞くたびにゾクゾクして鳥肌が立つ! 太い武骨な腕を見ると息苦しくなる! 獣っぽいにおいがすると思考が停止する!」
 千財さんの頬を一筋の涙が伝う。
「エイロックさんがあんたとベタベタしてるのを見ると、不快で不快で吐き気がして……!」
「千財さん、あの……」
「……どうしてくれるのよ! これじゃ、あたしも異常者じゃない……」
 千財さんはガタガタと震えながら、その場にしゃがみ込む。
「どうしてくれるのよ……、こんなの、どうしよう……。こんな動物じみた衝動が私の中にあるなんて。嫌よ、こんなの私じゃない……、こんな私、気付きたくなかった!! どうして私の前に現れたのよ……。 彼さえ現れなければ、あたしはまともでいられたのに!!」
 錯乱する彼女を前に、私は自分を救ってくれたエイロックさんの言葉を思い出す。
「大丈夫、外の世界では普通なんだって。この気持ちは変じゃない、そう認めてくれる世界がちゃんと存在してるって……」
 青白い街灯の下、千財さんは身を縮めすすり泣いていた。