一夜明けて、卒業式当日。
この日私はいつもよりだいぶ早く起きて、制服に着替える。
何度も袖を通した制服。最後に夏服を着た時も、これで着納めかと思うと寂しくなってたけど、今回はその時以上に名残惜しいや。
それから朝食を済ませて、歯を磨き終わったのが6時55分。もうすぐ辰喜が来る時間だ。
ストーブで暖められた茶の間で、妙にそわそわした気持で待っていると、インターホンが鳴る。
きっと辰喜だ。
急いで玄関に行ってドアを開けると、そこには思った通り。制服に身を包んだ辰喜がいた。
「おはよう、彩。ごめんな、朝早くから来て」
「別にいいよ。それより寒かったでしょ。少し暖まって行く?」
辰喜の背後、開かれたドアの先を見たけど、そこは真っ白な霧に覆われていて、見ただけで寒いってわかる。
今年の冬は本当に長いなあ。
だけどそんなことを思っていると、家の奥からお母さんもやって来た。
「おはよう辰喜君、早いわねえ。朝食はもう取ったの? 上がってく?」
私と同じようなことを言うお母さんだったけど、辰喜は首を横に振る。
「いいえ、大丈夫です。あ、でも彩はもう、支度すんでる?」
「とっくに終わってるよ。モタモタしてても仕方ないし、もう行っちゃう?」
「彩がそれでいいなら。おばさん、彩を借りますね」
私はいったん戻って鞄を取ってくると、靴をはいて玄関を出る。
途端に寒さが襲ってくるけど、この霧の町で15年も暮らしているんだもの。寒いのは慣れっこだ。
「じゃあね二人とも。卒業式には私も行くから、しっかりやりなさいよ」
「分かってるって。それじゃあ、行ってきまーす!」
お母さんに手を振って、辰喜と二人で通学路を歩いていく。
もう何度も通った、お馴染みの道。だけど辰喜とこうして一緒に登校するのも、今日で最後かあ。
そう考えると、自然と歩幅が狭くなっていく。この時間を、少しでも長く共有したい。そんな思いが、歩くのをゆっくりさせている。
「あのさ……どうしてわざわざ、迎えに来たの? 放っておいても途中で会えたかもしれないのに」
「少しでも長く一緒にいたかったからだよ。この朝霧の中を一緒に登校できるのも、今日で最後なんだから」
「ふ、ふ~ん」
素っ気ない返事になっちゃったけど、内心辰喜も同じ気持ちだってのが嬉しかった。
通い慣れた道、いつもの通学路なのに、今日はなんだか特別に思えてくるから不思議。
そうしているうちに田んぼの側を通ると、辰喜がそっちに目を向けた。
「そういえばこの田んぼ。小学校の頃にミステリーサークルを作ろうとしたことあったっけ」
「ああ、あったねえ……」
懐かしい思い出がよみがえってくる。
あれは5年生の秋だったかな。辰喜と二人で田んぼに入って、長く伸びた稲を倒していって、大きな円形のミステリーサークルを作ろうとしたんだっけ。
たしか前の日にテレビで、UFOの番組をやってて、私達もミステリーサークルを作ってみようってなったんだ。
あの時は二人揃って怒られたし、今なら何バカやってるんだろうって思うけど、当時はそれを真剣に楽しんでいたんだ。
「あの頃はお互い、バカだったよねえ。他にも川遊びをしてずぶ濡れになったり、隣の県まで自転車で行こうとしたこともあったっけ」
「あったねえ。けど、バカなのは今も似たようなものじゃないの。そうでなきゃ、俺らじゃないじゃん」
むう、失礼な。……けど確かに。
今まで数え切れないほどバカをやってきたんだ。きっと中学を卒業する今でも、私達の本質は変わってないと思う。
バカなことやって怒られて、だけど懲りもせず繰り返して笑い合ってた。
そんな日々が、今はとても懐かしい。
「俺がこっちに来たばかりの頃、近所を探検して迷子になったこともあったっけ。彩ってばこの辺を案内するって言ってくれたのに、迷っちゃうんだもの。あの時はビックリしたよ」
「う、うるさいなあ。あんなのちょっとしたミスでしょ」
あの時のことは、よーく覚えてる。
引っ越してきたばかりの辰喜が早くこっちに馴染めるよう、あの頃はあちこち連れ回していたんだけど、調子にのって私も知らない道に行っちゃったんだよね。
当然、うちのお母さんには怒られたけど、辰喜のお母さんは私を叱ることなく、「これからも辰喜と遊んであげて」って、言ってくれたんだった。
あれからもう、9年かあ……
「……思えばあの時にはもう、俺は彩のことが好きだったのかもなあ」
「へーそうだったんだ──って、え?」
唐突な発言に驚いて、足を止める。
すると辰喜も立ち止まって、澄んだ瞳でジッと私を見る。
「……ねえ彩。俺が好きだって告白した時のことは、覚えてる?」
それを聞いた途端、全身に電流が走ったような衝撃を受ける。
ちょっ、ちょっと待って。今それを蒸し返すの!?
さっきまで小学校時代の思い出を懐かしく語っていたのに、突然の不意打ち。
心の準備なんて全くできていなくて、頭の中が真っ白になる。
だけど辰喜はそんな私の心情なんてお構い無しに続けてくる。
「俺は今でも、彩のことが好きだから。俺はもうこの町にはいられないけど、それでもこの気持ちは変わらない」
そう口にする辰喜の目は、前に告白してきた時と同じ目をしている。
けど、どうして今更こんな事を言うの? 辰喜と一緒にいられるのは今日で最後なのに。
何て答えたとしても、離れることに変わりはないんだから。どう転んでも、良い結果になんてならないのに……。
「本当は、こんなこと言うつもりはなかった。笑ってサヨナラできたらそれでいいって思ってたよ。けど昨日、彩が烏丸に告白されてるのを見て思ったんだ……彩を誰にも盗られたくないって」
「──っ! 昨日は、応援してくれるって言ったじゃん!」
「ああ……。けどゴメン、あれ嘘だから。遠くに行っても会えなくても、俺が彩の一番でいたいんだ」
昨日とは真逆のことを言われたけど、それは私も同じ。
私だって辰喜に、彼女ができたら紹介してなんて言ったけど、本当は彼女なんて作ってほしくなかった。
だって私が辰喜の、一番でいたかったんだから。
「もう一度言うよ。俺はずっと前から、彩のことが好きだから……付き合ってほしい」
告げられたのは去年のバレンタインの時と、同じ言葉。
そんなこと言われても、私は辰喜のことそんな風に考えたこと……いや、あるか。
前は考えてなかったけど、あの告白された瞬間から、私は辰喜のことを意識していた。ずっと目で追っていて、言動の一つ一つに心を揺らしていた。
引っ越すって知った時は悲しくて寂しくて、まるでこの世の終わりみたいに、落ち込んだりもした。
あの告白の日から、私達の関係は変わっていたかもしれない。
だけどそれを、認めたくはなかった。認めてしまったら、今まで築いてきた関係が壊れてしまいそうな気がして、怖かったから。
あの時私達は、これからも友達だって言ったけど。今は辰喜をただの友達だなんて、思うことはできないよ。
だけど……。
「遅いよ……。私がもっと早く、辰喜のこと見てれば良かったのに……」
自分の気持ちとも、辰喜の気持ちとも向き合ってこれなかったせいで、もうすぐタイムリミット。今さら応えたところで、何ができるってわけでもない。
離れなきゃいけないなら、余計に辛くなるだけなんだもの。
けど、それでも辰喜は引かない。
「遅くないよ。話したければ電話すれば良いし、高校生になったらバイトでも何でもして旅費を稼いで、会いに来ればいい。何なら昔やろうとしたみたいに、自転車で来ることだってできるだろ」
「自転車って、全然現実的じゃないよ!」
って、思わず言ってしまったけど。
いや、辰喜ならあり得るかも。辰喜ってば、時々突拍子もないことをするからねえ。
それに私も。もしも本当に会いたいって思ったら、もしかしたらそれくらいしちゃうかも?
「絶対に、寂しい思いはさせない。約束するよ」
気休めとか強がりとかじゃなくて、覚悟のこもった言葉。
それに比べて私は、何をやっているんだろう?
長いことモヤモヤ悩んでいたけど、自分の気持ちになんて、もうとっくに気づいている。
なのに返事ができずにいるのは、覚悟が足りないから。
心のどこかで辰喜との関係を壊すのが怖いって思って、今までずっと動けずにいたけど。時がくれば学校を卒業しなくちゃいけないように、変わらないものなんてないんだ。
だから私ももう、卒業しなきゃ。怖くて動けずにいる、臆病な自分から……。
スウッと息を吸い込むと、冷たい空気が肺の中へとたまっていく。
手足は寒さと緊張でビックリするくらい冷たくなっていて、気を抜くと倒れてしまいそうだったけど、自分の中にある素直な、本当の気持ちを、私は告げる。
「私は……私も、辰喜じゃなきゃヤダ。辰喜のことが、好きだから!」
……言った。
どうして1年前、これが言えなかったかな。
もしも最初の告白の時応えられていたら、もっと楽しく過ごせていたかもしれないのに。
けど今からだってきっと、遅くはないよね。
答えを聞いた辰喜はニッコリと、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、彩」
見慣れたはずなのに、まるで初めて見たみたいに、特別な感じのする笑顔。
吐く息が白いくらいに寒いのに、不思議と頬が熱くなっていく。
それから私達は示し合わせたわけじゃないけど自然と手を繋いで、学校へ向かって再び歩きだす。
暖かな温度が伝わってきて、こそばゆいや。
「……結局卒業するまで9年もかかっちゃったな」
「9年?」
「うん、芹と友達を卒業するまで」
「バカ」
真っ白で幻想的な霧の中で、二人して笑い合う。
春になって、朝の霧が出なくなる頃にはもう、辰喜はこの町にはいないけど、今の私達ならきっと大丈夫。
さあ、今度は中学校を卒業する番だ。
長きにわたってたくさんの生徒を巣立たせてきた中学校も今年廃校で、私達はその最後の卒業生。
なくなってしまうのは寂しいけれど、過ごした思い出や、学校が好きだった気持ちを、これからも大切にしていきたいから。
卒業式は、しっかり決めなきゃね。
今日は朝霧の町の卒業式。
霧に包まれた町の中を母校へ向かって、私達は歩いていった。
了
この日私はいつもよりだいぶ早く起きて、制服に着替える。
何度も袖を通した制服。最後に夏服を着た時も、これで着納めかと思うと寂しくなってたけど、今回はその時以上に名残惜しいや。
それから朝食を済ませて、歯を磨き終わったのが6時55分。もうすぐ辰喜が来る時間だ。
ストーブで暖められた茶の間で、妙にそわそわした気持で待っていると、インターホンが鳴る。
きっと辰喜だ。
急いで玄関に行ってドアを開けると、そこには思った通り。制服に身を包んだ辰喜がいた。
「おはよう、彩。ごめんな、朝早くから来て」
「別にいいよ。それより寒かったでしょ。少し暖まって行く?」
辰喜の背後、開かれたドアの先を見たけど、そこは真っ白な霧に覆われていて、見ただけで寒いってわかる。
今年の冬は本当に長いなあ。
だけどそんなことを思っていると、家の奥からお母さんもやって来た。
「おはよう辰喜君、早いわねえ。朝食はもう取ったの? 上がってく?」
私と同じようなことを言うお母さんだったけど、辰喜は首を横に振る。
「いいえ、大丈夫です。あ、でも彩はもう、支度すんでる?」
「とっくに終わってるよ。モタモタしてても仕方ないし、もう行っちゃう?」
「彩がそれでいいなら。おばさん、彩を借りますね」
私はいったん戻って鞄を取ってくると、靴をはいて玄関を出る。
途端に寒さが襲ってくるけど、この霧の町で15年も暮らしているんだもの。寒いのは慣れっこだ。
「じゃあね二人とも。卒業式には私も行くから、しっかりやりなさいよ」
「分かってるって。それじゃあ、行ってきまーす!」
お母さんに手を振って、辰喜と二人で通学路を歩いていく。
もう何度も通った、お馴染みの道。だけど辰喜とこうして一緒に登校するのも、今日で最後かあ。
そう考えると、自然と歩幅が狭くなっていく。この時間を、少しでも長く共有したい。そんな思いが、歩くのをゆっくりさせている。
「あのさ……どうしてわざわざ、迎えに来たの? 放っておいても途中で会えたかもしれないのに」
「少しでも長く一緒にいたかったからだよ。この朝霧の中を一緒に登校できるのも、今日で最後なんだから」
「ふ、ふ~ん」
素っ気ない返事になっちゃったけど、内心辰喜も同じ気持ちだってのが嬉しかった。
通い慣れた道、いつもの通学路なのに、今日はなんだか特別に思えてくるから不思議。
そうしているうちに田んぼの側を通ると、辰喜がそっちに目を向けた。
「そういえばこの田んぼ。小学校の頃にミステリーサークルを作ろうとしたことあったっけ」
「ああ、あったねえ……」
懐かしい思い出がよみがえってくる。
あれは5年生の秋だったかな。辰喜と二人で田んぼに入って、長く伸びた稲を倒していって、大きな円形のミステリーサークルを作ろうとしたんだっけ。
たしか前の日にテレビで、UFOの番組をやってて、私達もミステリーサークルを作ってみようってなったんだ。
あの時は二人揃って怒られたし、今なら何バカやってるんだろうって思うけど、当時はそれを真剣に楽しんでいたんだ。
「あの頃はお互い、バカだったよねえ。他にも川遊びをしてずぶ濡れになったり、隣の県まで自転車で行こうとしたこともあったっけ」
「あったねえ。けど、バカなのは今も似たようなものじゃないの。そうでなきゃ、俺らじゃないじゃん」
むう、失礼な。……けど確かに。
今まで数え切れないほどバカをやってきたんだ。きっと中学を卒業する今でも、私達の本質は変わってないと思う。
バカなことやって怒られて、だけど懲りもせず繰り返して笑い合ってた。
そんな日々が、今はとても懐かしい。
「俺がこっちに来たばかりの頃、近所を探検して迷子になったこともあったっけ。彩ってばこの辺を案内するって言ってくれたのに、迷っちゃうんだもの。あの時はビックリしたよ」
「う、うるさいなあ。あんなのちょっとしたミスでしょ」
あの時のことは、よーく覚えてる。
引っ越してきたばかりの辰喜が早くこっちに馴染めるよう、あの頃はあちこち連れ回していたんだけど、調子にのって私も知らない道に行っちゃったんだよね。
当然、うちのお母さんには怒られたけど、辰喜のお母さんは私を叱ることなく、「これからも辰喜と遊んであげて」って、言ってくれたんだった。
あれからもう、9年かあ……
「……思えばあの時にはもう、俺は彩のことが好きだったのかもなあ」
「へーそうだったんだ──って、え?」
唐突な発言に驚いて、足を止める。
すると辰喜も立ち止まって、澄んだ瞳でジッと私を見る。
「……ねえ彩。俺が好きだって告白した時のことは、覚えてる?」
それを聞いた途端、全身に電流が走ったような衝撃を受ける。
ちょっ、ちょっと待って。今それを蒸し返すの!?
さっきまで小学校時代の思い出を懐かしく語っていたのに、突然の不意打ち。
心の準備なんて全くできていなくて、頭の中が真っ白になる。
だけど辰喜はそんな私の心情なんてお構い無しに続けてくる。
「俺は今でも、彩のことが好きだから。俺はもうこの町にはいられないけど、それでもこの気持ちは変わらない」
そう口にする辰喜の目は、前に告白してきた時と同じ目をしている。
けど、どうして今更こんな事を言うの? 辰喜と一緒にいられるのは今日で最後なのに。
何て答えたとしても、離れることに変わりはないんだから。どう転んでも、良い結果になんてならないのに……。
「本当は、こんなこと言うつもりはなかった。笑ってサヨナラできたらそれでいいって思ってたよ。けど昨日、彩が烏丸に告白されてるのを見て思ったんだ……彩を誰にも盗られたくないって」
「──っ! 昨日は、応援してくれるって言ったじゃん!」
「ああ……。けどゴメン、あれ嘘だから。遠くに行っても会えなくても、俺が彩の一番でいたいんだ」
昨日とは真逆のことを言われたけど、それは私も同じ。
私だって辰喜に、彼女ができたら紹介してなんて言ったけど、本当は彼女なんて作ってほしくなかった。
だって私が辰喜の、一番でいたかったんだから。
「もう一度言うよ。俺はずっと前から、彩のことが好きだから……付き合ってほしい」
告げられたのは去年のバレンタインの時と、同じ言葉。
そんなこと言われても、私は辰喜のことそんな風に考えたこと……いや、あるか。
前は考えてなかったけど、あの告白された瞬間から、私は辰喜のことを意識していた。ずっと目で追っていて、言動の一つ一つに心を揺らしていた。
引っ越すって知った時は悲しくて寂しくて、まるでこの世の終わりみたいに、落ち込んだりもした。
あの告白の日から、私達の関係は変わっていたかもしれない。
だけどそれを、認めたくはなかった。認めてしまったら、今まで築いてきた関係が壊れてしまいそうな気がして、怖かったから。
あの時私達は、これからも友達だって言ったけど。今は辰喜をただの友達だなんて、思うことはできないよ。
だけど……。
「遅いよ……。私がもっと早く、辰喜のこと見てれば良かったのに……」
自分の気持ちとも、辰喜の気持ちとも向き合ってこれなかったせいで、もうすぐタイムリミット。今さら応えたところで、何ができるってわけでもない。
離れなきゃいけないなら、余計に辛くなるだけなんだもの。
けど、それでも辰喜は引かない。
「遅くないよ。話したければ電話すれば良いし、高校生になったらバイトでも何でもして旅費を稼いで、会いに来ればいい。何なら昔やろうとしたみたいに、自転車で来ることだってできるだろ」
「自転車って、全然現実的じゃないよ!」
って、思わず言ってしまったけど。
いや、辰喜ならあり得るかも。辰喜ってば、時々突拍子もないことをするからねえ。
それに私も。もしも本当に会いたいって思ったら、もしかしたらそれくらいしちゃうかも?
「絶対に、寂しい思いはさせない。約束するよ」
気休めとか強がりとかじゃなくて、覚悟のこもった言葉。
それに比べて私は、何をやっているんだろう?
長いことモヤモヤ悩んでいたけど、自分の気持ちになんて、もうとっくに気づいている。
なのに返事ができずにいるのは、覚悟が足りないから。
心のどこかで辰喜との関係を壊すのが怖いって思って、今までずっと動けずにいたけど。時がくれば学校を卒業しなくちゃいけないように、変わらないものなんてないんだ。
だから私ももう、卒業しなきゃ。怖くて動けずにいる、臆病な自分から……。
スウッと息を吸い込むと、冷たい空気が肺の中へとたまっていく。
手足は寒さと緊張でビックリするくらい冷たくなっていて、気を抜くと倒れてしまいそうだったけど、自分の中にある素直な、本当の気持ちを、私は告げる。
「私は……私も、辰喜じゃなきゃヤダ。辰喜のことが、好きだから!」
……言った。
どうして1年前、これが言えなかったかな。
もしも最初の告白の時応えられていたら、もっと楽しく過ごせていたかもしれないのに。
けど今からだってきっと、遅くはないよね。
答えを聞いた辰喜はニッコリと、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、彩」
見慣れたはずなのに、まるで初めて見たみたいに、特別な感じのする笑顔。
吐く息が白いくらいに寒いのに、不思議と頬が熱くなっていく。
それから私達は示し合わせたわけじゃないけど自然と手を繋いで、学校へ向かって再び歩きだす。
暖かな温度が伝わってきて、こそばゆいや。
「……結局卒業するまで9年もかかっちゃったな」
「9年?」
「うん、芹と友達を卒業するまで」
「バカ」
真っ白で幻想的な霧の中で、二人して笑い合う。
春になって、朝の霧が出なくなる頃にはもう、辰喜はこの町にはいないけど、今の私達ならきっと大丈夫。
さあ、今度は中学校を卒業する番だ。
長きにわたってたくさんの生徒を巣立たせてきた中学校も今年廃校で、私達はその最後の卒業生。
なくなってしまうのは寂しいけれど、過ごした思い出や、学校が好きだった気持ちを、これからも大切にしていきたいから。
卒業式は、しっかり決めなきゃね。
今日は朝霧の町の卒業式。
霧に包まれた町の中を母校へ向かって、私達は歩いていった。
了