【快人side】

病院特有のつんとした消毒液の匂いがする。その匂いにもずいぶんと慣れてしまったな、なんて考えながら静かすぎるくらい静かな病室で俺は机の上に無造作に置かれていた本に手を伸ばした。

これが、これから生きていく俺の会話の手段になるのだ。

⦅はじめての手話⦆と書かれた本をペラペラと適当に捲る。

すでに学び始めており、所々、付箋がついているところは日常でよく使いそうな箇所に貼っている。


「僕の、名前は、た、き、ざ、わ、か、い、とです」


やっと、自分の名前を本を見ずにできるようになったけれど、もっとたくさんの手話を覚えないといけないと思うと息が詰まりそうだ。

なんで、こんなことになっちまったんだろう。と、つい弱音を吐いてしまいそうになる。


「ゆ、う、ほ……ゆ、う、い、ち。アイツら二文字目までは同じだから助かるな」


俺の耳が聴こえなくなってしまうことを話したら、二人して俺よりも泣いて、悔しんでくれた大事な親友。

そんな二人の声も、もう聴けなくなる。
当たり前にできていた会話もできなくなる。

筆談とかになるんだろうな。
面倒くさいとか思われないかな。


「……は、る」


愛おしい人の名前を呟いて、手を動かす。

今頃、ハルは文化祭の準備をしているのだろうか。