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 食後の片付けは裕紀と和哉が担当した。
 きれい好きというわけでもないのに和哉は皿洗いだけは好きなのだ。
「子供は水遊び好きだもんね」
 茉梨乃はなんでも決めつける。
 それが正しいかは関係ない。
 これはこうだと理由をつけて物事を整理しないと気が済まない性格なのだ。
 二人を待っている間、茉梨乃がハサミと新聞紙を持ち出してきた。
「ねえ、遙香、最後に髪切ってよ」
 この町にあった美容室も床屋もだいぶ前に高齢化でやめてしまったから、私たちは小さい頃からおたがいの髪を切り合ってきた。
 裕紀の家には散髪用のよく切れるハサミがあるので、私たちは遊びに来たときにいつも利用させてもらっていた。
 茉梨乃が広げた新聞紙を顔の下に持って目をつぶる。
 安心しきったような仏様みたいな表情だ。
 邪魔な前髪をそろえる程度だから、私も緊張なんかしない。
 もう何回もやっていることだ。
 いつもどおりハサミを縦にして前髪の先をつまむように切っていく。
 大切なのは思い切りとリズム感だけだ。
「遙香は美容師さんを目指せば良かったんじゃないの?」
 目をつむったままの茉梨乃に向かって私は首を振った。
 誰の髪でも切れるわけじゃない。
 茉梨乃だから。
 なんでそれには気づいてくれないんだろう。
「じゃあ、次は遙香ね」
 私は首を振った。
 カーテンのように重たい前髪で私は人の視線を避けてきた。
「いいじゃん、最後だし」
 茉梨乃は私に新聞紙を持たせて軽くそろえる程度にハサミを入れた。
 切り終えたところで、皿を洗った二人が戻ってきて炬燵に入る。
「こんな様子も見納めか」と、和哉が茉梨乃を見つめる。
「どう?」
「まあ、いいんじゃないの」
「じゃあ、ほめてよ」
「だから、いい感じなんじゃん」
 耳を赤くした和哉が炬燵の上にポテトチップスの袋を開いて広げると、茉梨乃は二枚取り上げてアヒルのくちばしにしながら口に入れた。
「その顔いいね」と、裕紀が笑う。
「美人は何しても似合うでしょ」
 そんなやりとりから顔を背けるように和哉が肘をついて私に体を向ける。
 べつに話すことなんか何もない。
 和哉は炬燵に足を入れたまま腹ばいになって手を伸ばし、床に落ちていた雑誌を拾い上げた。
「おまえ、相変わらずこれ読んでるんだな」
 裕紀が小さい頃から読んでいた世界の謎や不思議を扱う雑誌だ。
 たぶん、文字が読めない頃から見ていたと思う。
 この町のコンビニにずっと一冊だけ入荷していたのは、裕紀のためだったんだろう。
 起き上がって炬燵の上に雑誌を広げた和哉が裕紀の顔をのぞき込んだ。
「こういうオカルトって、嘘くさくないか?」
 それは決して揶揄する調子ではなかった。
「嘘か本当かはその人の感性次第だろ」
「科学的とは思ってないわけか」
「いや、科学的に解明されていない部分もあるから謎なんだろ」
「都市伝説ってさ、怖い話になりがちじゃない?」と、茉梨乃が口を挟んだ。「結局、死後の世界とか霊魂とか」
「人類にとって究極の謎は死だからな」
 裕紀のつぶやきに和哉がかぶせた。
「でもよ、小学生くらいまでは死ぬのが怖かったけどさ、今は死ぬのより、生きていく方が怖いよ」
 暖房の効いた部屋が凍りつく。
 何もない町にはお金を稼げる仕事がない。
 だから、裕紀も茉梨乃も出て行くんだ。
 残る私と和哉に、これから先の夢や希望はない。
 行き止まりだ。
 ふと、町外れの岬を思い浮かべていたら、和哉がつぶやいた。
「この世の終わりってどんなのだろうな」
 おそらく同じ風景が思い浮かんだんだろう。
 笑みを浮かべたのは私だけだった。
 重苦しい空気を払うように裕紀がパラパラとページをめくって宇宙の話を始めた。
「ビッグバンで始まった宇宙が終わるときは急激に収縮するんだ」
 自分の考えていたことと違う話になったと思ったのか、和哉が興味なさそうに話を合わせた。
「収縮ってどういうことよ?」
「ギュッと縮むんだよ。一瞬で」
「なんで一瞬なの?」と、横から茉梨乃がたずねる。「宇宙って今まで百億年くらいたってるんじゃなかったっけ。それなのに終わる時は一瞬なの?」
「エネルギーが大きすぎて光の速度を超えるんだ。そしてその物質の崩壊するエネルギーがさらに引力を生んで収縮を加速させる」
 二人とも理解できずに埴輪のような顔になっている。
 おそらく私もだ。
「それがいつ起こるのかは分からないし、あまりにも瞬間的すぎるから人間は誰も気がつかない。もしかしたら今この次の瞬間かもしれないし、実はもうそれが一度起きていて、俺たちは二度目の宇宙を見ているのかもしれない」
 みんなが息をのむ。
 台所で冷蔵庫が震えた。
「何も起きねえじゃん」と、一番最初にため息をついたのは和哉だった。
 裕紀が口元に笑みを浮かべた。
「つまり、今じゃなかったってことだけは確かだ」
「でも、なんか怖いね」と、茉梨乃が自分を抱きしめるように腕を組んだ。「終わったことにすら気づかないって」
 和哉がポテトチップスを口に放り込む。
「それはその雑誌に書いてあったのか?」
「これから研究するんだよ」と、裕紀がニヤける。「俺の考えた理論だ」
「なんだよ。まじめに聞いて損したぜ」
 和哉に続けて茉梨乃も笑みを浮かべる。
「言うだけなら、なんでも言えるもんね」
 そのわりに、力が抜けたのか、二人とも床に手をついて同時に天井を見上げていた。
 雑誌に載ってた話だったら信じてたんだろうか。
 私がコンビニで働くようになってまもなく、誰にも買われなくなったオカルト雑誌は入荷しなくなった。