俺が最も嫌いなもの。
 不細工な(つら)。無能な奴。気色悪いエイリアン。俺の()姿()を執拗に見る人間。どいつもこいつも。
 そして…ーー。


【第3話 ガブリエル】


 後に「コロニー」と呼ばれる直径約20kmの巨大な球体が、主要都市の中心部に不時着したのが、西暦2XXX年のこと。
 全体を乳白色の殻に包まれたコロニーには、軍隊のどれだけの量の砲弾と爆薬をもってしても、傷一つ付けることができなかった。人間どもが無能だったことに加え、コロニーを覆う地球外の特殊な材質自体が、あらゆる兵器に耐えうる硬度を持っていたらしい。

 コロニー飛来から約1年後、その本当の意味が判明した時、食物連鎖の頂点気取りだった人間達はついに天敵を得た。
 コロニーは「卵」だった。その内部では1年の時間をかけて何千何万という生命体が構築され、時期が訪れると、上部に空いた穴から無数の侵略型生命体(エイリアン)がコロニーの外へ排出される。
 エイリアンどもは人間を真似たような二足歩行と体格を持ち、皮膚は臭く汚い黒い粘液に覆われている。オオトカゲ的な爬虫類の姿が大半だが、毎年多種多様な気色悪い新種が生まれているそうだ。
 
 奴らが好む獲物。それは当然、地球人の肉。
 エイリアンはコロニーから排出されると、本能的に人間を探し求め、喰らいつく。地球上の美味そうな野生動物には一切興味を示さず、ただ馬鹿な人間だけに固執した。
 どんな金属よりも硬い奴らの爪と牙は、柔らかい人肉を一瞬で断つためだけに進化したのだと、俺は思う。
 軍の専門の研究チームが細胞を解析した結果、エイリアンどもの正体は、約6,600万年前に絶滅した恐竜(サウリア)の進化種だった。
 6,600万年前、最初の知的生命体が地球に降り、絶滅寸前の恐竜(サウリア)を何匹か宇宙へ持ち出した。現代に至るまで不自然な掛け合わせによる進化を続け、今の時代になってとうとう懐かしの地球に帰ってきたらしい。
 新天地に住むには、原住民は邪魔だ。俺達人類をぶっ殺すまで、エイリアンどもはコロニーから毎年沸き続けるだろう。自分達の本来の縄張りを取り戻すために。
 研究者どもは満場一致で、このエイリアンを「サウリア」と呼んだ。

 奴らは恐竜の成れの果てのような不細工な姿で地を這い、人間を襲い、喰い殺す。言語を操る能もないくせに、人間の形をしたものは大人だろうが子どもだろうが見境なく殺す。
 その人間に、幼いガキがいることなんか考えもせず、奴らは日々地表を侵食していくーーー。

 ***

「居眠りかい、ガブリエル」
 斜め上のほうから気色悪い濁声(だみごえ)が降ってきた。ああ、うぜぇ。指導教官の野郎だ。
「寝てねぇよ。考え事してただけだ」
「君が考え事? 珍しいね。悩むより先に暴力に任せるタイプだと思っていた」
「はぁ? 殺すぞ」
 精一杯声を低くして威嚇する。
 教官は特殊合金製のフェイスシールドで顔を覆い隠している。表情なんぞ分からんが、俺がいくら凄んでもこいつはビビったりしない。それどころか相変わらずの濁声で笑いやがった。
「笑ってんじゃねぇ。不細工のゲテモノのくせに」
「そうだね。私は不細工でゲテモノだ。対する君はそんなに美しいのだから、たまには乱暴な言葉遣いをやめて、綺麗な言葉を選ぶといいよ」
 教官の説教とも煽りとも取れる言葉に、思わず反撃しそうになる。それをグッと堪えて、俺は元のように輸送機の座席に深く座り直した。
 教官もまた、俺の隣の座席に腰掛ける。無駄にでかい図体のせいで2席分を占領しやがった。その肩には、俺の装備品より数倍でかい銃器が掛けられている。

 俺達特殊分隊は、エイリアン・サウリアの殲滅へ向かっている。
 年に一度のコロニー排出期。無数の新種サウリアが地球上へ放たれるXデー。その最も危険な好機に、無防備なコロニーに対して一斉攻撃をかける。
 上部に出現する穴から湧いて出るサウリアを殺しまくり、穴の中へ核爆弾を突っ込んでオワリ。
 何年か前にも同じ作戦が行われたが、当時の部隊員は無様にも失敗したらしい。よっぽどの無能だったんだろう。
 大丈夫。俺は強い。あんな気色悪い化け物どもにむざむざと()られたりしない。
 ーーなのになぜ、俺は気が立ってるんだ。

「おい」
 何となく隣の教官を呼んでみた。
「なんだい、ガブリエル」
「………」
 呼んだはいいが、言うことを考えてなかった。黙りこくっていると、奴は妙に納得した声を出す。
「落ち着かないんだね。私もさ。あと2時間もすればこの輸送機は『コロニー』上空へ到達する。我々の任務がもうすぐ始まる。緊張して当然だ」
「そうじゃねぇ」
「おや、そうなのかい」
 そういえば、俺はこの10ヶ月間このデカブツと行動をともにする中で、ずっと疑問に思うことがあった。
「あんたの『見返り』を聞いてない」
「何のこと?」
「出世の得点にもならねぇ俺の指導をした見返りだよ」
 不覚にも命を救われたこともあった。
 俺はお行儀よく感謝の言葉を述べるタイプじゃない。これまでも、腐った大人どもに求められるのはもっと『物理的』な行為だったし。
 だが今のところ、この教官には何もくれてやってないことを思い出した。
「今回の作戦であんたは死ぬ。ならその前に冥土の土産でも包んでやるよ」
 輸送機には他の隊員も乗っている。もし行為を求められたとしても、俺は応じるつもりでいた。
 左右対称の整った紺碧の目で、じっと教官の目の辺りを見つめる。
「何もいらないよ。君を守り指導することも私の任務だ」
 期待に反してあまりにあっさりと断られ、拍子抜けする。と同時に、腹の中に妙に湧き上がるものを感じる。
「んな偽善、反吐が出るわ。見返りを求められたほうがまだ信じられる。人間どもはどいつもこいつも現金で恥知らずだ」
 思わず声を荒げると、下を向いていたはずの隊員達が一斉にこっちを見やがった。ゲテモノと美男子の喧嘩はさぞ見ものだろうが、見せ物じゃねぇんだよ。
 教官はしばらく考え込んでいたが、やがて折れたようにこう提案してきた。
「では、私のことを『ドール』と。名で呼んでほしい。ゲテモノや化け物呼びは、実は傷つくんだ」
「ゲテモノをゲテモノと呼んで何が悪いんだよ」
 実際、奴のフェイスシールドの中の素顔を見たことがある。この世のものとは思えない不細工さに鳥肌が止まらなかった。
 その素顔を知ってなお、俺がここまで下手(したて)に出てやってるのに、欲がねぇのかこいつは。
「お願いだ。ガブリエル」
 背中の辺りがぞくぞくする。また気色悪さで鳥肌が立っているに違いない。
 同時に、俺が名を呼んでやった場合の、こいつの喜ぶ反応を予想した。

「……………ドール」

 結果は、予想通り。
 奴はフェイスシールドの下で、気持ち悪く小さく笑いやがった。
 俺もさっきから鳥肌が止まらない。…勿論気色悪さで、だ。

 ***

 サウリアが地球に出現するずっと前から、俺の世界は汚くて腐り切っていた。
 都市部から離れた最底辺のスラム街。世界のどこにでもあるような、浮浪者と娼婦と犯罪者がごった煮られた塵溜(ごみた)めで、俺は生まれた。
 母親は娼婦。父親は知らない。
 その日その日を生きるのも運任せ。親譲りの天使のような美貌に引き寄せられた、好事家な大人どもに良いようにされる、糞のような幼少期。
 喧嘩と盗みに明け暮れ、厚生施設にぶち込まれた少年期。

 その頃、世間はサウリアの話題一色だった。
 美味そうな人間なんぞ一人もいないスラム街にも、軍の攻撃を掻い潜ったサウリアが落ち延び、何十人何百人と喰い殺していった。
 俺がいた町外れの厚生施設も襲撃され、職員や他のガキどもも餌食に。その惨状を前にして、俺には怖いとか死にたくないとかの感情はなく、ただ『汚ねぇ』としか感じなかった。閉鎖空間を利用してロクでもない『見返り』を求めてきた院長も、俺の容姿に嫉妬したガキどもも皆、一緒くたになっていた。
 そんなモン見せられたところで、俺が抱く感情は「不細工だなぁ」でおしまいだ。

 現場に溜まってたサウリアに襲われ、噛み付かれた時、反射的に強い拒絶反応があったことを覚えてる。
 ガキの体には到底見合わない怪力を発揮し、気付けば噛んできたサウリアを逆に半殺しにしていた。
 その時だ。俺がサウリア因子に感染し、サウリアどもと同じ身体能力を手に入れたのは。本来なら人間の細胞を侵食するはずのサウリア因子は、俺自身の免疫寛容の影響で都合の良い力だけを授けた。醜い化け物の姿には変異せず、キレイな人間の肉体と意識を保ったまま。
 紛い物の恐竜…『フェイク・サウリア』と。俺のような罹患者をそう呼ぶらしい。

 人類最強の肉体と、人類で恐らく最も美しい容姿を持つ俺は、誰がどう見ても完璧な存在だろう。
 白い陶器のような肌。銀鳩(ダヴ)の羽毛のような柔らかな髪。高尚で近寄りがたい存在として、周りの無能どもの目には映るはずだ。
 都合が良い。俺は元から人間が嫌いなんだ。どいつもこいつも俺に構うな。触るな。近寄るな。俺を見るな。全部、全部、全部嫌いだ。

 ーーだが結局、こんな化け物になり果てた『俺自身』が、俺は一番嫌いなんだ。

 ***

 輸送機は作戦通り、コロニーの上部へと俺達を運んだ。
 直径約30mの穴に爆弾を投下するのは、俺とドールの役目。他の隊員は湧いて出るサウリアを始末し、俺達の援護に務める。
 輸送機からコロニー表面へ降下する際、ドールは思い出したようにこう言った。
「ガブリエル。君に伝えておかなければいけないことがあるんだ」
「今かよ。後にしろ」
「いいや、そうはいかない」
 その言葉が合図だった。
 ドールは突然俺の首根っこを引っ掴み、そのまま輸送機内に設置されている大型の急冷カプセルへと、俺の体を押し込んだ。
「!?」
 サウリアを生きたまま氷漬けにできる、サンプル採取用の設備。サウリアと同じ体質の俺にも、この装置は正常に働くことをドールは知っていた。
「何すんだ、ゲテモノ!」
 体温が急激に奪われる。閉じられたカプセル越しに、憎たらしい奴の濁声が聞こえる。
「今までありがとう。君の命を守ることが、私の最後の役目なんだよ」

 ーーなんだ、それ。
 声を荒げたくても喉が開かない。体の内側も凍り始めてるみたいだ。
 冷え切った脳味噌は、珍しく正常な思考を生み出す。
 そうか。ドールは最初からそのつもりだったのか。この作戦で俺達が生き残る確率が極めて低いことを知っていたんだ。仮にサウリアを皆殺しにして生き延びても、輸送機の速度ではどんなに急いでも核爆弾の衝撃から逃げ切れない。
 それならいっそ、死ぬのは自分だけでいいと。

「………ふ、ざ……」
 腹の中に激しい怒りが湧き立つのを感じた。
 俺は凍りついた手足を筋力で無理矢理動かし、ぴったり閉じたカプセルの蓋をこじ開けにかかる。
 あのゲテモノは誤算をした。このカプセルは、抵抗できないよう半殺しにした瀕死のサウリアの収容を想定されたもの。俺のような五体満足の健康優良児が大人しく寝てるはずがないだろ。
 訓練でも出したことのない渾身の力を四肢に集中させる。ほんのわずかに外界の光が差し込んだことを確認すると、俺は装備していた小型銃を抜き、蓋のセンサー部分目掛けて発砲した。
 何発か撃った弾は運良くセンサーに当たり、その格納機能を完全に停止させた。
「……ハァッ! クソ!」
 外へ転がり出る。輸送機の中には、既に隊員やドールの姿はなかった。
 輸送機の外…それも遥か下方からは、銃撃戦の音が聞こえる。遅かった。
「あのゲテモノ絶対ぶっ殺す!!」

 ***

 コロニー表面は地獄絵図だ。
 ただの人間の兵士達はことごとくサウリアに殺され、山ほどの雑多な死体の中にただ一人、銃で応戦し続けるドール教官の姿があるばかり。
 よく目を凝らせば、体液を引っ被った透明な物体が動き回ってる。
 光学迷彩だ。
 サウリアの中には何世代か前に、カメレオンのように体色を周囲の景色に同化させる能力を持つ種類が確認されている。
 厄介だ。そんなのが混じってたら、ただの人間兵では絶対仕留められない。
 ーーだから俺達が配属されたんじゃねぇのかよ。
 怒りを抑えつけながら、俺は輸送機から飛び降りた。50メートル以上の高さから落ちても、フェイク・サウリアの体には(ひび)ひとつ入らない。
 戦場に降りた瞬間、血と腐臭と生臭さとが混じり合ったカオスな臭いが肺を直撃した。姿を消していようが関係ない。奴らからは隠しきれない腐臭が駄々漏れてる。人間の数倍嗅覚が敏感な俺なら、サウリアどもの臭いの一筋も逃さない。
 今まさにドールの背後から襲い掛かろうとするサウリアを、間一髪俺の銃弾が撃ち殺した。
「ガブリエル! なぜ来た…!?」
 音に気づいたドールが、本気で驚いた声を上げた。
 あぁむかつく。今ここで殴り倒してやりたいが、堪えるしかない。
「あんな中古品、糞の役にも立たなかったわ。帰ったら新品申請しとけ」
 穴の底から続々と排出されるサウリアども。だが、事前報告より数が少ない。
 ーー作戦はまだ終わってない。
 穴の中に核爆弾をぶち込み、コロニーと糞サウリアをまとめてぶっ壊す。そうすりゃ俺達の勝ちなんだ。
「……なぜ来たんだ…あの中にいれば安全だったのに」
 銃を撃つ手を、サウリアを殺す手を止めることなく、ドールは弱々しく言った。
「前に言っただろうが。この糞な世界であんたが一番マシなんだ。あんたがいない世界に興味がなくなっただけだよ」
 出撃の2ヶ月前、こいつに言った言葉だ。
 あの頃から俺の決意は変わっていないことを、こいつは分かっているんだろうか。
「きっと醜い死に様になるよ。サウリアも我々も、血肉も瓦礫も一緒くたになって、誰が誰だか分からないほど」
「都合良いじゃねぇか。もう置いて行かれる心配がなくなる」
 どう抗ったって死亡ルート直結なら、たった一人はごめんだ。ドールのような奴でも隣にいないと、人生は糞つまらない。
 二人がかりで、サウリアの(たか)りの中に死骸の道を作っていった。ドールの手にある爆弾を、穴の底へ落とすために。
「………ガブリエル。最後まで頼りにならない教官で、すまなかったね」
 ようやく穴の淵まで辿り着いた時、ドールの声にもう泣きそうな雰囲気はなかった。ただ遠い思い出を懐かしむような哀愁だけがある。
「…あの時と同じだ。私はまた大切な仲間を死なせてしまう。ろくでもない人でなしだね」
「罪を繰り返すのは『人間』の証拠だ。だから俺も、地獄の底まであんたを道連れにする。これで相子(あいこ)だろ」
 ドールが「そうだね」と呟いた。それは何か新しい気づきを得たようなニュアンスで。
「私はね、人形(ドール)のはずだったんだ。中身はとうに抜け落ちたと思ってたのに、まだ人の心があったんだ。私は死ぬために闘うんじゃなく、誰かを生かすために闘えた。それに今やっと気づけた。ガブのおかげだ」
 穴の中は暗く底も見えない。地獄を前にして、ドールは穏やかに言った。

「ありがとう、ガブ。君を愛しているよ」

 その言葉を聞いた時、なぜだかすごく腑に落ちた感覚があった。まるでこの言葉を聞くために、この17年間地獄の人生ゲームをプレイし続けてきたような。『嫌いなもの』で埋め尽くされていた俺の頭の中が初めて、淡く色づいたような。
 とても心地良い感覚だった。
「………そうかよ」
 だから自然と顔がにやけてしまう。ドールもきっと、あの冷たい仮面の下で、同じようなにやけ顔をしているに違いない。
 不思議だ。胸が高鳴って仕方ない。隣にこいつがいる。そう思うだけで。

 爆弾は穴の奥底へ投下された。
 穴から今なお湧き続けるサウリアの中へ、爆弾は緩やかに落ちていき、やがて俺達は眩い光に包まれた。

〈了〉